こんな日々に 
中篇

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++





 時刻はもう夕方。
 光を放っていた太陽は西へと傾き赤くなり、空は青と赤とのコントラストで色付いている。
 昼間は暖かだった気温も、夕方になると少し肌寒かった。

いつもよりも三倍は多い食材をスーパーで買い、アキラとケイスケにも手伝ってもらいながら、リンは自分の家に帰ってきた。


「ほら、このマンションだよ」
「へぇ…なんか、凄いね……」


 マンションの前の歩道を歩きながら説明をすると、ケイスケが感嘆を上げた。
 アキラも仰ぎ見る。
 今、自分とシキが住んでいるのは、十階建ての高級マンションだった。
 リンは二人の様子にくすりと笑った。


「そう?家族一世帯の住む場所としては結構普通だと思うけど。まぁ確かに学生一人が住むような場所ではないけどね。ほら、うちの兄貴は社会人だしさ」
「なるほど。確かにそれなら俺達には考えられない場所だな」


 アキラの言葉に、ケイスケも見上げたまま頷いた。
 だが逆に自分には、二人のような境遇の場合、どのような場所に住むのか具体的に想像が付かず首を傾げた。


「そうなの?」
「普通に安いアパートだ。三階建ての」
「しかも築十年だよ」


 わざわざ肩を竦めて付け足したケイスケの言葉に、リンは笑った。

「はは、いいね、そういうのも。今度、二人の部屋にお邪魔させてよ」


 マンションのエントランスを潜り、入り口のドアを開ける為に、傍にある番号と画面の付いている機械に鍵を差し込む。
 ドアが両サイドにスライドし、マンションの中に入る。
 後ろからついて来る二人が、どこかよそよそしく「見た?今の」「綺麗な所だ」「エレベーターが付いてるな」などと、まるで今田舎から来たばかりのように呟くのを聞いて、ちょっと噴出してしまった。

 エレベーターに乗り七階まで行き、いくつかのドアを過ぎて、ようやくリンは足を止めた。
 もう一度鍵を出し、目の前のドアに差し込む。
 そしてカチャリとドアを開ける。


「さ、ここが俺の家。入って」
「お邪魔します」
「お邪魔します…」


 アキラとケイスケを先に中に入れ、リンも家の中に入る。
 いつもはそれ程気にならないが、三人も一緒にドアの前にいると、意外と狭いのだと感じた。
 二人は靴を脱ぎ、律儀に揃えた。

 まぁ、ここまで綺麗にされていれば揃えたくもなるのだろう。
 兄貴が必要最低限にしかものを置かず、しかもなぜか綺麗好きなので、今日も出かける前に掃除でもしたのか塵一つ無いような状況だった。

 ただシキはリンの飾るものはちゃんとそのままにしてくれいる。
 ちょっとしたアンティーク用のボトルや幾何学的な形をした銀の細工、そして以前なんとなくシキに似ていたという理由で買ってきた、可愛らしい黒猫のぬいぐるみもちゃんと靴棚の上に置かれていた。
 そう言ってぬいぐるみを見せた時、シキはかなり不本意そうな顔をしていたが。


「あ、そのまま真直ぐ行って。リビングの方」
「二人暮らしなんだよな?それにしては凄い広いな」
「うん広い。うちとは大違いだ。しかも凄く綺麗だ」
「兄貴が綺麗好きだから。あ、そこに置いたら休んでて良いよ。ソファにでも座って寛いでて」


 買ってきた食材をダイニングテーブルに置いてもらい、大きめのソファに二人を座らせる。
 冷蔵庫の中から入っていた緑茶を取り出すと、三人分をコップに注ぎ、二人の座るソファの前にあるガラスのテーブルに置いた。
 そしてリビングのテレビに電源を入れる。
 ついでにゲーム機の電源も入れて、コントローラーを二つ取り出した。


「ちょっとこれで遊んでて。片付けるから。ゲームはその透明なケースに入ってる」


 それだけ告げ、自分は食材を冷蔵庫にしまい始めた。
 買い物をしている最中、アキラがオムライスが好きだという話になったので、卵を多めに買ってきていた。
 後はそれに合わせて、コーンスープと、生野菜のサラダを作ろうかと考えてみる。
 あともう一品くらい何かあっても良いかもしれない。

 片付けが終わって、ようやく二人の所に戻った。
 二人はどうやらまだどうしようかと考えあぐねていた最中らしく、最初から入れっぱなしにしていたRPGのオープニングが流れていた。
 リンはケイスケの隣に腰掛ける。


「どうしたの?二人とも。寛いでて良いって言ったのに」
「や…そういきなり言われても……」
「なぁリン」


 慌てて首を振ったケイスケの声を遮るように、アキラが呼んだ。
 リンはアキラの方へと視線を向ける。
 アキラは真面目な顔をしてある一点を見ていた。


「あの壁に掛かっている写真。お前が撮ったのか?」


 アキラの視線の先にあったのは、一枚の風景の写真だった。
 夏の青空らしい濃いブルースカイが広がり、白い入道雲が見える。
 そして写真の下部は太陽の光を浴びて青々と生い茂った芝生が広がり、一人の男……シキが背を向けて立っていた。
 ついこの間の夏休みに撮った写真だった。
 源泉に見せて絶賛されたので、大きめの写真立てに入れて飾っている。
 兄貴に、俺はこれだけのものが撮れる、という知らしめでもあった。


「そうだよ。よくわかったね」
「や、なんとなく…リンっぽい気がして……写真の事は良くわからないが、綺麗だな」
「うん。なんか、凄くリンらしい。暖かくて優しくて、でも凄く元気な感じがするね。見る人達を明るくさせてくれるよ」
「あ…ありがとう」


 それ程までに褒められるのは初めてで、リンは少し照れながらも、素直にお礼を言った。















 ようやく仕事が終わり、外に出た時にはもう真っ暗になっていた。
 ネオンの光が煌々と街を照らし、昼間以上の人で賑わっている。
 シキは自分のバッグの中から眼鏡を取り出し、それをかけると、またハンドルを持ち、車の窓越しにその人の流れを見つめた。
 目の前の信号は赤だ。


「そういや、リンはまだ何か言ってやがるのか?」


 後ろに座っている源泉がぼそりと呟いた。
 バックミラーを見ると、源泉は背凭れに躰を預け、目を瞑っている。
 その横に座っているナノはぼんやりと外を眺めていた。

 住んでいるマンションの立体駐車場のスペースは生憎と一台分しか確保していない為、二人はそれぞれスタジオに自分の車を置いてシキの車に乗っていた。
 後でまたスタジオまでシキが送らなければならない。


「……いや、近頃は大人しいな」


 青信号になり、シキはギアを入れアクセルを踏んだ。
 人々や街の景色が流れるように変わっていく。


「そうかい。そりゃ良かったな。あいつも結構な頑固者だからなぁ。お前さんと一緒で」
「……俺と、だと?」
「ぁあ、もうそっくりだね。両方とも全然譲ろうとしない」
「…何かあったのか?」


 シキが眉を寄せると、それまで黙っていたナノが口を開いた。
 源泉が眼を開け、楽しそうな顔をナノの方へと向ける。


「この前な、リンが撮った写真を見せてもらったんだよ。それが意外と良い出来でよー。んでオイチャンが褒めてやったら、リンがその気になっちまってな。またしても大学辞めて今すぐカメラマンになるって言い出して、兄弟喧嘩勃発。もぅ凄かったぜ。手が出ない分、余計にな〜」
「……そうか。懲りないな、二人して」


 ナノが苦笑し、源泉も笑った。
 それの光景を見たシキは、より一層眉間に皺が入ってしまうを止められない。
 どうにもこうにも、自分が遊ばれているような気がしてならないのは、なぜだろうか。
シキは目線を前に向けたまま、重い溜め息を吐いた。


「あいつにはまだ経験が足りない。カメラマンになるのなら尚更、色んな世界を見ておいた方が良いだろう」


 シキの言葉に、源泉が頷く。


「そうだな。それはオイチャンも賛成だ。だがな、頭ごなしに抑えつけりゃ良いってもんじゃないぞ?ただ怒るだけじゃ、わかるもんもわからなくなっちまうだろうが。ちゃんと理由を言わないとな」
「シキには、無理だな……」
「なんでだ?」


 源泉が不思議そうにナノに聞き返すが、ナノは笑みを深めただけだった。
 シキも否定すらせずに、黙った。

 リンに経験が足りないなどと言えば、余計に学校を辞めると言い出す可能性が出てくるのだ。
 それこそ、働くと言い出すだろう。
 確かに大学に行くよりは、今すぐ社会に出て働いた方が経験値は上がる。
 しかも元々シキの稼いだ金で大学に行っている事に、リンは罪悪感を抱いていた。
 兄貴は高校を中退してまで働いているのに、俺は暢気に大学まで行かせてもらっている、しかもずっと自由にさせてもらっている、と。
 そうぼやいているのを聞いた事がある。

 しかし自分としては、リンには大学を卒業して欲しかった。
 大学という世界を見て、確固たる自信を付けていきながら、ゆっくりと自分の夢に向かっていけば良い。
 いきなり社会に放り込まれれば、もしいつか、まだ自分には実力が無いと思い知らされた時、己を見失ってしまうかもしれない。
 いや、そうなるだろう。
 夢があり、望む未来が存在すればする程、そこに届かない時の挫折感は大きい。
 しかもまだ二十歳にも満たない子供なのだ。

 ……自分はそうだった。
 ナノがいなければ、あのまま己を見失っていたかもしれない。
 だからこそ、リンにはそうなって欲しくはない。


「なんだよ、二人して。オイチャンにも教えろよ」
「……だそうだ、どうする?」


 後ろからシキの考えを探るように、ナノが聞いてくる。
 まだ高校生だったあの当時の自分を知っているからこそ、ナノは今シキがリンに対し何を思っているのかがわかるのだろう。


「黙っておけ。笑いのネタにされる」
「お前さん、オイチャンの事なんだと思ってるんだ?」


 呆れたように、けれど面白そうに笑う源泉に、シキはバックミラー越しに眼をくれてやっただけだった。





 立体駐車場に車を留め、シキは源泉とナノを連れて、なるべく人と会わないように裏口からマンションの中へと入った。
 自分が眼鏡をかけているように、ナノも顔がわからないように、サングラスを取り出し眼を隠す。


「相変わらずお前さんは一般庶民的な場所に住んでるねぇ。今大人気のトップモデルっていやぁ、一フロア全部使ったような場所に住むもんじゃないのか?」
「そんな無意味に広い場所に住んでどうする」


 マンションの廊下を通り、いくつかの部屋のドアの前を過ぎる。
 もう何度も来ているというのに、源泉は毎回同じような事を言っている。
 確かにナノの住んでいるような、明らかに金持ちしか住めないマンションとは違うが、自分はここで十分に事足りるのだから今更住み変えるつもりはない。
 リンも、まだ両親が生きていた時に住んでいた場所から離れ二人で暮らすマンションを探す時、広すぎるのは嫌だと言っていた。

 自分達の住む部屋の前に着き、ちらりと腕時計を確認すると七時を少しばかり過ぎていた。
 鍵を差し込み、ドアを開ける。


「ただいま」


 中に入ると、すぐにリンが顔を出し、玄関までやってくる。
 ちょうど夕飯の支度をしていた最中なのか、エプロンをつけていた。


「兄貴、お帰り」
「少し遅くなった」
「ううん全然。まだ夕飯出来てないし。今日はオムライスだから、卵は帰ってきてから一人分ずつ焼こうと思ってたしね。あ、二人ともいらっしゃい」


 リンが自分の後ろから入ってきた源泉とナノにも声をかける。
 源泉は片手を上げる事で挨拶を返す。
 そしてナノは、先程かけたばかりのサングラスを外した。


「……元気そうだな」


 一応笑顔を見せ挨拶をするものの、狭いマンションの玄関は窮屈なのか、まだドアは開けたままだ。
 シキは自分の靴を脱ぎ、見かけない二足の靴の隣に置いた。
 リンが気づき、シキに話しかける。


「友達が来てるんだ」
「…大学のか?」
「まぁ、うん」


 少し歯切れの悪そうに、リンは呟いた。
 大学で友達は作らない、と前に啖呵を切ったのにも関わらず、家にまで連れてきたのだから罰が悪いのだろう。
 シキは家に上がると、リンの肩に手を乗せ、笑みを見せた。


「良かったな」
「あー…ありがと。…うん……兄貴ならそう言うんじゃないかって思ってた。喜んでくれるんじゃないかなってさ」


 シキは、照れ笑いをしたリンの言葉に笑みを深め、先にリビングへと入る。
 いつも帰ってきてまず、テレビの前に置いてあるガラステーブルに眼鏡や財布やバッグを置くのだが、今日はそのテーブルが壁に立てかけられ、代わりに座敷に置いてあった大きめの木製テーブルが移動させられていた。
 しかもそこには既に夕飯用にリンが作ったいくつかのおかずが置かれている上、そのテーブルの周りに座り、こっちを見ているのはリンの友人だろう。

 シキは眼鏡を外すと、手前にある、いつも二人で食事をする方のダイニングテーブルの方に荷物と一緒に置いた。
 それから改めて友人達の方へ向く。

 普通に普通の大学生だな、とそんな感想が浮かんだ。
 見目が良いのか悪いのかは他人によって違うだろうから判断しかねるが、まぁ私的には見れる顔をしている。
 しかし、なぜか呆気に取られているようだ。
 立ち上がろうとしているのかどうかわからないが、中腰のまま二人してこちらを見て固まっていた。


「…………ぁ…」
「…………?」
「……え、あの。なんで…その……」
「なんだ?」
「あはははは!!」


 はっきりしない物言いに、シキは眉を寄せ問い返す。
 と同時に、いつの間にかシキの隣まで来ていたリンが、いきなり爆笑し出した。
 が、なぜリンが笑い出したのかシキはわからず、隣のリンと友人達を交互に見やる。

 友人達は立ち上がったものの、随分と忙しく顔を真っ赤に染めて俯いたり、こちらを窺っていたりしていた。
 リンが笑いながらも二人の方に近づき、ひらひらと手を振る。


「あはは、ごめんごめん。まさかそんなに驚くとは思わなかった」
「いや、普通びっくりするよ!」
「な、なんでこんな所にシキが……」
「だって俺の兄貴だし」
「はぃ!??え、嘘!シキさんが!?」


 自分の名を呼ばれた事に、少し目の前の青年達に興味が沸いた。
 なるほど、シキというモデルを知っている故に、彼等は目の前で繰り広げているような反応をしている訳だった。
 男で、しかもリンが家に連れてくるような友人だから、その兄がモデルをやっている事などどうでも良いと思っているのかそもそも知らない人間なのかと思っていた。

 現にリンが高校卒業までに何度か連れてきた友人達は、自分の顔を見ても何の感情も見せはしなかった。
 たまたま家の中で会ったから挨拶をする程度である。
 むしろリン自身も、そういった友人しかここには連れてこないように配慮していたはずだ。
 だからまさかリンの友人が自分の事を知っているなどと思わなかったのだが。

 彼等をからかう為に連れてきた…にしては、唐突過ぎるし、そもそもリンはそういった面でシキに迷惑をかけようとはしない。
 ならば、自分を知っているからこそ連れてきたのか……?


「今日はやけに密度が高いな」


 後ろから源泉の声が聞こえ、シキはすぐ後ろにきたナノを横目ながらも視界に入れた。
 その後ろからは源泉も入ってきた。
 そのまま、まるで面白いものでも発見したようにリン達の方へと近づいていく。
 そして源泉は何かを言い指をこちらに指してきた。
 茶髪の方がこちらを見て素っ頓狂な声を上げ、銀髪の方も、こちらに眼をくれ見開く。
 それを見たリンがまたしても笑う。

 シキはすぐ傍にいるナノに声をかけた。
 ナノは表面上には無表情のまま、彼等を見ていた。
 しかしその内面はこの男にしては珍しくも、何かに対し驚いているようだった。


「どうした」
「…………あの子だ」


 静かに、本当に傍で聞こえるか聞こえないか程の声に、シキは改めてナノの方へと振り向いた。
 何の事を言っているのかはすぐに見当が付く。


「どっちだ?」
「奥の方に、いる子だ」


 シキは、もう一度彼等の方へと眼をくれる。
 緑がかった銀髪の方の青年は、全体としてはどことなく冷めたようなイメージだった。
 それこそ「今時の」という言葉がつきそうな、普通の青年だ。

 ただ少し、何か違うものを持っているような気にはさせられる。
 あの眼は、写真を撮る時のリンの眼の輝き方と似ているのだ。
 それについてはもう一人の青年にも言えるものだった。
 もしかしたらリンはそれが理由でここまで彼等を連れてきたのかもしれない。

 だが今日ナノがスタジオで言っていた、彼を変える程の人間には正直見えなかった。
 大人になるにつれて変わっていったか。
 いや、人間の内面とは外に滲み現れるようで意外と中に秘められているものでもあるし、個として存在するその根本にあるものは、成長しようがそう変わるものではない。
 ……ならばやはりどんな性格の人間となっていても、ナノを拒みはしないだろう。


「良かったな」
「……ああ」


 ナノが笑みを浮かべた。
 シキはどう反応するか気になって、にやりと口の端を上げてみせた。


「あっちは貴様との出来事を覚えていないようだが?」
「やり直せる……と言ったのは、お前だろう」
「そうだな」


 シキは素直に頷いた。
 もしナノが夢見たのが予言めいたものであったのなら、今この場に二人がいる事は、ナノの言葉で言う予定調和というものかもしれない。
 正直言うと、そういう概念として今存在している事を一言で片付けられるのには、抵抗がある。
 だが運命という言葉も、こういった場面の、たった一瞬であるのならあながち悪くはない。
 そう、自らが願い、選んだのだから。

 しかもどういう訳か、向こうでの話がひと段落でもしたのか、銀髪の方の青年がこちらにやって来た。
 自分達の目の前で止まり、少し頬を赤らめながら見上げてくる。


「…アキラって言います。俺、二人のファンで……さ、サイン下さい」


 と言い、いつの間に用意をしたのかサインペンと一緒に、すっとシキとナノに差し出したのは見た事のある雑誌……二・三日前にリンに渡したものと同じ、シキが表紙を飾った今月号のラインだった。
 シキも、青年のこの行動には驚きを隠せなかった。
 なるほど外見だけではわからなかったが、素直で真っ直ぐな人間らしい。


「あーー!アキラずるいっ!!ってか行動早っ!」


 後ろでまだ自分のバッグを探っているもう一人の方が声を上げた。
 その横で「慌てなくても逃げないだろうよ」と源泉が笑っている。
 リンもかなり楽しそうに自分の方を見ていた。

 ナノは差し出されていたペンと雑誌を受け取った。
 アキラと名乗った青年はナノの顔を見た。


「あ、ありがとうございます」
「いや……気にしなくていい」


 ぺこりと頭を下げ礼を言ったアキラに、ナノは心底嬉しそうに笑い返す。
 先程バッグを探っていた大人しそうに見えていた青年も、こちらへとやってくる。
 そしてアキラの隣に立ち、同じようにペンと雑誌を、まだ手が開いている自分へと差し出してきた。


「お、俺はケイスケって言います。俺も二人のファンなんです!サイン下さい!!全ページ!」
「な!!卑怯だぞケイスケ!あ、じゃあ俺のは至る所にお願いします。もちろんシキも」
「アキラの方が卑怯じゃないか!!」


 その途端、ぶはっ、と噴出したのは源泉だった。


「いやはや、若いねぇ。しかもかなり面白いな、この二人。オイチャン気に入っちまったぜ」
「はは、二人とも凄いミーハーというか……まぁうん。とりあえず自分の載ってる場所だけでもサインしてやりなよ、兄貴。俺の友達なんだからさ」


 そうリンが微笑み、促してきた。
 シキは頷くと、差し出されたペンと雑誌を受け取った。










 先に作っておいたマッシュルーム入りのチキンライスを使って、オムライスを作っていく。
 一人分に付き、卵は二つ。
 やはり一度に一人分しか作れないので、皆には先に出来上がっているおかずやスープを食べてもらう事にした。

 が、話に興じているのか自分を待っていてくれているのか、手はつけていないようだ。
 換気扇の音で聞き取りにくいが、とりあえずかなり盛り上がっているのはわかる。
 特にケイスケとアキラのミーハーへの変貌っぷりは凄く、シキとナノへ質問攻めをしている最中だ。

 二人して興奮してるのか恥らっているのか頬を染めている姿がなんだか女子高生みたいだな、と本人達が聞けばそれこそ顔を真っ赤にして俯いてしまいそうな感想をリンは抱いた。


「ほらよ。出来たぜ」
「あ、サンキュー、オッサン」


 リンの隣では源泉が卵をといていた。
 リンがその卵をフライパンに入れる。
 するとまた源泉は二つ卵を割って、とき始める。
 おかげで卵の焼き加減だけに集中出来るので、早く作り終えられそうだ。
 既にもう三人分が出来上がっていた。


「向こうに持ってくか?」
「んー、どうせ持っていっても話し込んでて食べないでしょ。全部出来上がってから向こうに持ってけばいいよ」
「んあぁ確かに、あんなに喜んでいるナノを見るのは初めてかもな。あの二人が相当気に入ったか……あるいは」


 そこで源泉は言葉を切った。
 リンは源泉の方へと視線を向ける。
 源泉は台所から見える四人の姿を感慨深そうに眼を細め見ていたが、リンの視線に気付くとにやりと笑った。


「いや何、もしかしたらどこかで会ってたんじゃないかって思ってよ。あっちの…アキラの方と」
「へぇ、そうなんだ」


 リンは素直に感嘆の声を上げた。
 その間にも少し焼けた卵の形を整えていく。
 源泉もまた卵をといている手元に視線を落とした。


「なんとなくな。ナノの顔を見るとそんな気がしてくる。もうナノとは十年以上の付き合いだからな。あーでもアキラの方は忘れてるっぽいな」
「よくわかるね。流石は四十過ぎのオッサン」
「年の話をするなっ」


 怒り出した源泉にリンがくすくすと笑うと、源泉は、ったくよぉ……とがしがし頭を掻きながらぼやいた。
 だがすぐに気を取り直したかのように、リンへと振り向いた。


「そうだ、忘れるところだった」


 そう言ってダイニングテーブルに置いてある荷物を取りに行った。
 声をかけてきた四人と一言二言交わしてすぐに戻ってくると、自分に一つの茶色い封筒を差し出してきた。


「これこれ。今月のバイト代」
「ああそっか。もうそんな日だっけ」


 リンは学校の授業が入っていない時に、たまにだが源泉の仕事の手伝いをしている。
 カメラの持ち運びからスタジオでのセッティングなど、大体は源泉のサポートをしている事が多い。
 時折は、違う眼で見た場合などと言いながら意見を求められる時もある。

 また一つオムライスを作り終わり皿に上げると、その封筒を源泉から受け取る。
 どうしようかと迷ったが、とにかくは電子レンジの上に置いておいた。
 そしてまたオムライスを作り始める。


「後な、三週間後の金曜の夕方から日曜日の午後まで、空けられるか?」
「ああうん。基本的には暇だよ。どこか行くの?」
「どうしても撮りたい風景があってな。紅葉なんだが。もうすぐ東北の方では紅葉の時期になるらしいぞ」
「へぇ…いいね。俺も撮りたいな。やっぱりこの季節は紅葉だよね」
「だろ?んじゃ三週間後、決まりな。今度パンフ持ってきてやるよ」


 やはり写真を撮るのにも、誰かと一緒に撮る方が楽しいだろう。
 リンにとって源泉は写真家として尊敬する相手ではあるが、それ以上に、共に自分の好きなものに打ち込む仲間なのだ。


「楽しみだな」
「そうかそうか」


 リンが了承の返事に頷くと、源泉は嬉しそうに笑った。





  to be continued...

/

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

シキリン兄弟は料理が上手だと良い。

2005.12.05
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

←Back