君に幸あれ  
中編

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 空を見上げていたルークは、押し寄せてきた人に弾かれ、よろめいた。


「ご主人様、大丈夫ですの!?」


 頭に付けているバンダナにしがみ付いた形で、ミュウが慌ててルークの顔を上から覗き込む。
 そのまま落ちそうになったミュウをまた元の位置に戻し、ルークは頷いてみせた。


「ああ、ちょっと……空を見ていたら、気を取られちまった」


 アッシュが空を見ていた気がした。
 この美しい透き通った青空を。
 だから、自分も空を見上げた。

 ……アッシュと一緒に、空を見ていた。


「それにしても凄い人混みだな。迂闊に気抜いてると、押し潰されちまいそうだぜ」
「みんな、アッシュさんやご主人様を見たくて来ているですの。大人気ですの!」


 頭上で叫ぶミュウに対して、ルークも殆ど叫ぶ形で返答していた。
 それ程までに広間は人が多く、こんなに近くで会話していても叫ばないと聞こえないのだ。

 何万人もいるだろう人達が、こうしてたった二人を目的に集まるだなんて、今この光景を見るまでは想像も付かない事だった。
 アッシュがいるから大丈夫だろうが、少しだけ、彼等の期待を裏切ってしまう形になり申し訳無いと感じる。

 それでも、いつもとは違う視点から、普段自分がいる場所を見ておきたかった。

 殆ど身動きが取れない程に人で渋滞している、そのざわめきが一層と激しくなり、皆が一様に見上げた。
 ルークも人にぎゅうぎゅうと押されつつも、上を見上げる。

 昇降機でないと上がれないその向こうに、太陽の日差しを浴びたアッシュの姿が見え、その傍にはナタリアや陛下、父上や母上の姿らしきものもあった。
 けれどもそれはとても小さくて、しかも日差しに反射してしまい、鮮明に見える筈の彼の紅い髪もよくわからない。


「遠過ぎて殆ど見えないな」
「はいですの、ちっちゃいですの……」


 そうそうに見る事を諦めたのか、ミュウはより声が届く場所にと、ルークの肩に移動した。
 民達は殆ど顔のわからない、ともすればあれが本当にアッシュかどうかも見分けが付かない姿に向かって、手を振ったり叫んだりしている。

 きっと声の一つ一つは、アッシュからすればその言葉の意味を取れるようには聞こえていないだろう。
 ただ大きな音として、認識するだけだ。


「こんなに、遠い存在だったのか?俺達って」


 ルークはポツリと呟いた。

 もちろん、普段はもっと身近な、たとえばナタリアのように傍からでも民の為に力を尽くし、手を差し伸べられるような距離にいる事も出来る。
 あの時に生まれた、名も無きレプリカ達の保護をしたのもナタリアだった。
 新しい施設を作り、街を作り、この世界に存在して苦しんでいる人間達に手を差し伸べ。
 だがそれでも、その手を握れるのはごく一部の人間であるのだと、改めて認識した。

 遠い……普段自分のいる場所は、とてつもなく、彼等からすれば遠いのか。

 以前はもっと、近くにいた筈だ。
 世界各地を跳んで回って、色んな人々に出会い、手を取って笑った。
 こぢんまりとした宿の優しいおばさん、酒場の気前良いおじさん、はしゃぐ子供達、行き交う行商人や旅人。

 英雄だとか子爵だとかいったものは一切無く、レプリカとしてでも無く、ただの一人の人間として、同じ高さから同じものを見て笑い合った。
 多くの人を殺してしまい、その償いの為だったかもしれないけれど、それでも行く先々で出会った人々との触れ合いは暖かいものだった。


「なぁミュウ。俺がまた世界を回りたいって言ったら、お前はどうする?」
「みゅ?旅行がしたいですの?」
「いや、『ルーク』って名前を捨てて、ただの旅人として世界を回る。一生を旅に捧げてさ、そうやって人生を送って、死んでいくのも悪くないかなって」
「ご主人様……」


 サングラスを取り、笑みを零したその表情があまりにも苦しそうで、ミュウもまた同じように苦しそうな表情をした。

 もちろん子爵として国の為に働く方が、基本的にはたくさんの人達を幸せに出来るだろう。
 だが、こんなにも遠過ぎる位置からほんの少しの幸せを与えるよりも、一つ一つの出会いを大切にしながら心から触れ合って幸せにしていけるのなら、むしろ自分にはそっちの方が似合っている気がする。
 出会った先々の人と言葉を交わして少しでも楽しい時間を共有し、その上で幸せにしてあげられるのなら、旅でも良いような気がする。


「なんかさ、今のままじゃ、昔の……自分がレプリカだって知る前の生活とたいして変わらない気がするんだ」


 ルークは、つと、自分の利き手をアッシュの方へと伸ばした。

 多くの人間が手を上へと伸ばす、その中に混じる自分の手。
 いつもは、伸ばせばすぐそこにアッシュがいて、この手を掴み返してくれる。

 自分は、その手に甘えているのではないだろうか。
 子爵という身分に甘え、英雄と持て囃され。
 これから自分が本当に何をするべきなのか、何をしたいのかという事を、自分の意思でもってしっかりと決められていないんじゃないか。

 自分は「レプリカだから」と言い訳して、予言が無くなり漠然とでしか存在していない未来から、逃げてはいないだろうか。

 …――それでも。


「なぁ、アッシュ……」


 こんなにも離れ、こんなにも多くの人がいるのに、お前は俺に気付くから。
 こんなにも遠いのに、驚愕の色を滲ませるその表情が、まるですぐそこにいるかのように、まざまざとわかるから。


「アッシュ」


 もう片方の手もアッシュに向けて差し出す。
 ルーク、と叫び、こちらに向かって伸ばしてくるその手が、本当にすぐそこにあるような錯覚に陥る。

 互いに求め、求められている事を知っている。
 自分達はこんなにも近くて。

 もう二度と、離れたくない。
 あの時の気持ちを、もう二度と味わいたくはない。
 そう思って、しまうから。


 だから、お前にも選んでほしいんだ。










「ルーク!」


 ガシャンと音が鳴る程に勢い良く鉄柵に掴まり、アッシュは身を乗り出した。
 何万人もの人間が自分を見上げている、その中でたった一箇所、ほんの小さなものであったが強烈に引き寄せられる何かがあった。

 見えない筈なのに、見えるそれ。
 両手を伸ばしこちらの名を呼ぶ、その口の動きまでがはっきりとわかる。

 アッシュはその両腕に答えるように、手を伸ばした。
 手は宙を彷徨い触れる筈が無いのに、やはりあの暖かな指先に触れているような気がした。

 ルークは嬉しそうに笑い、口を動かす。
 意識を繋いでいるわけではないのに、何を言っているかが伝わってくる。


『そっち、行くから待ってろ』


 そう言ったルークに、アッシュは頷いた。
 へへと弛んだ笑顔を見せ、ルークは腕を下ろす。
 その途端に彼の姿が見えなくなり、アッシュも伸ばしていた腕を引っ込めた。


「ったく、あの馬鹿が」


 心配かけさせやがって、と悪態をつくアッシュだったが、その顔には安堵の表情が浮かんでいた。

 何処かに行ってしまっていたルークが見つかった、それがどれだけ喜ばしい事か。
 そしてルークが自分の前からいなくなる事、それがどれ程心乱される事なのかと、改めて実感させられた。

 わかっているつもりだったのだ、もう二度と離れられないのだと。
 けれどもいつの間にか共にいるのが当然だと思っていたから、このような事態になるまで気付きはしなかった。

 ……本当に、お前がいなければ俺は安心出来無いのだと。
 だがまだ、嫌な予感が拭え切れなかった。大体何故、あのような場所にいたのか。一体何の目的があって、誰にも理由を告げずに姿を消していたのだろうか。


「いや……考えても無駄か」


 アッシュはふと自嘲を含めた笑みを浮かべた。
 何を焦っているのだろうか。
 何があるにせよ、本人が来ると言ったのだから、後から聞けば良いではないか。

 思考を切り離すかのように、先程までルークのいた場所から視線を外し城の方へと振り返る。
 途端、いきなりガシッと腕を掴まれた。
 泣きそうになりながらも普段では有り得無い程の剣幕でアッシュを見るのは、彼等の母親であった。


「ルークは、ルークはいたのですね!?」
「……はい。これからこっちに来ると言っておりました」
「そう、そう!ああ良かったわ……ルーク。もう、貴方達二人に何かあったら、私は…!」
「シュザンヌ、落ち着きなさい。アッシュが困っているではないか。…しかし、良かったな」


 シュザンヌを宥めつつ、やはり安心したように笑みを見せたファブレ公爵に、アッシュも薄く笑みを浮かべた。
 インゴベルドは兵にルークが見つかったと伝え、傍にいた兵達が迅速にまた動き始める。

 だがその一方で。


「ちょっとちょっと!見ましたか、今の!」
「ええ、アッシュがあんなに取り乱すなんて、珍しい…」
「ルーク!……だもんねぇ。しかもあんな中から見つけられるなんて、もう超ラブラブだよラブラブ。愛!」
「まぁ、愛!素敵ですわぁ」


 周りでキャーキャー言っている女三人に、アッシュは今日だけで既に十回越しているのではないかという溜め息を、また吐いた。
 ジェイドやガイがいなかった事が救いと言えば救いだが、フローリアンは苦笑し、陛下には何故か強く頷かれ、両親にも微笑まれる始末。

 一体自分達の関係がいつの間に公認になったか知らないが、それにしたって受け入れ過ぎだろう。
 思わず、国の未来を案じずにはいられない。


「さて、ルークは後から来るのであろう?ならばそろそろ城へ戻ろうではないか。パーティーの準備が整っている筈だ」


 ルークがあれだけの人の中を通り抜け、昇降機を上がって来るのにはかなりの時間が必要であろう。

 インゴベルドの言葉により、また面々は城の中へと戻っていく。
 アッシュは、ルークがこれから来るであろう方向をちらりと見た。
 本当に来るだろうかと。
 その微かな感情の揺れに感付いたのか、父親が無言で背に手を添えてくる。

 大丈夫だと伝えてくる父に頷き、アッシュもまた城へと歩を進めた。












 もう太陽が西へと傾き始めた午後。
 ようやく自分の部屋へと帰ってきたルークは、自分のベッドにバフッとダイビングし、はぁと大きく息を吐いた。

 ここに来るまでに、大勢の人の中を掻い潜り、普段の何倍もの時間と体力を有したのだ。
 疲れるのも仕方が無い。


「ご主人様、早く着替えるですの、これからパーティーですの!」


 ルークがベッドに倒れ込んだ反動で床に転がったミュウは、起き上がるとひょいとベッドの上に飛び乗り、ルークの顔の傍で叫んだ。
 ルークは顔を顰め、のろのろとミュウを見つめる。


「お前は頭に乗ってただけじゃねぇか。しかも落ちやがって。おかげでバンダナは取れる、グラサンはずれる、周りからは正体バレて叫ばれる。近くにいた兵達がすぐに気付いてくれたからまだ良かったけどよ。お前、あのまま俺が揉みくちゃにされてたらどうすんだよ」
「みゅぅ〜、ごめんなさいですの…」
「はぁ。まぁあんな状況下に行った俺も悪いだろうから、責める事も出来無いんだけどな」


 でも疲れたんだ、ちょっとくらい休ませろ、とルークはぼやく。
 ミュウは、またベッドへと顔を押し付けた自分の主人を見ながら言われた通り大人しく黙った。

 メイド達が開けておいたのだろうか、窓から爽やかな風が室内へと入り、髪を揺らす。
 こうして横になっていると、朝、太陽が昇るよりも早くに起きた為に、少し眠くなってきた。
 だがそれくらいしなければ、この場所を下から見上げる事は出来無かっただろう。

 気持ちの整理は付いた。
 あとは、アッシュの元へと行くだけだ。

 気合を入れて閉じかけた眼を開けようとするが、どうにも疲れに抗えないらしく、余計に眼が閉じていってしまう。
 だから聞こえた言葉が、一瞬だけ幻かと思った。


「ミュウ……今、何か言ったか?」
「言いましたですの。ミュウは何処までも付いていきますの。ご主人様が一生旅をするなら、ミュウも一生お供しますの!」
「……ばーか」


 予想だにしなかった内容に思わず笑うと、みゅぅぅと情けない声が聞こえる。
 ルークはくっと咽を震わせながらも、重い上体をどうにか起した。


「そうだな、そろそろ本気で覚悟しないとな。これから後悔しない為にも」


 予言が無くなり、多々の未来が存在するようになった。
 どんな未来であろうと、選べるのは自分なのだから、せめて後悔しないように生きたい。
 もう二度と、誰かに頼るだけ頼って後悔はしたくなかった。
 レプリカだからといって、甘えたくはない。

 立ち上がり、アッシュの方のベッドに置かれていた子爵の服を手に取る。
 もしかしたら、これを着るのも最後かもしれない。
 そう思うと少しだけ寂しくもあるが、でももう見えない未来に対しての恐怖は無くなっていた。

 孤独になる事が怖かったのかもしれない。
 独りで、周りは誰も自分を見てくれない、知りもしない。
 もしそんな状況になってしまったらと思うと。
 愛する者と共にいる居心地の良さを知ってしまっているから、余計に。

 けれどももし旅に出るとして、そうなると明らかにアッシュとは離れる事になるだろう。
 アッシュにも、アッシュの望む未来がある。
 それに我が侭を言って、無理矢理引っ張っていくなんて傲慢な事は出来無いし、したくない。

 それにもう、大丈夫だ。
 どんな状況になっても孤独にならないとわかったから。

 サンキュ、と心の中だけでミュウにお礼を言った。

 着替え終えると、ルークは床に落としていた鞄から小さな箱を取り出し、そしてその中に入っていた指輪を手に取った。
 それを一度握り締め、ズボンのポケットへと入れる。そして短刀は、ベルトの脇に挟み固定した。


「じゃあ行くか。パーティーに」
「はいですの!ご馳走たくさん食べるですの!」


 嬉しそうに小さな手を上げたミュウに、ルークはにっと笑みを浮かべて頷いた。

 玄関でメイド達に乱れた長い髪を櫛で整えられたりしながらも、見送られ屋敷を出て、城へと直行する。
 兵達に大きな扉を開けられ城の中に入った途端、そこは普段からは想像も付かない程に華やかな世界になっていた。

 城のエントランス、大きなシャンデリアの下に何千というお偉い方々や貴族達が集まり、身を包んでいる美しい衣装がキラキラと輝いていた。
 また並ぶ料理も鼻が燻られる程に美味しそうなもので、何処からか音楽までが聞こえてくる。

 こっそり入ったのではあるが、それでも入り口付近にいた人達に振り向かれ、ルークは少したじろいだ。
 だが「おめでとうございます」と笑顔で拍手を送ってくれた貴婦人達に、気を取り直したルークは、それはもう王族らしく華やかな笑みを浮かべ頭を下げた。


「ありがとうございます。今日は楽しんでいって下さい」
「ええ、とても楽しんでいますわ。ほら、中央を見て下さって?とてもお綺麗ですわよね」


 何度か子爵の仕事で会話をした事のある年配の貴婦人が、ルークを促すように中央を示した。

 確かに、周りの者達がそれぞれに料理やグラスを手に掛けながらも、皆ある一点へと眼が行っている。
 その向こうにあるものは何なのかと、ルークも人々の隙間から見てみると。


「……、ゎ…」


 思わず感嘆が漏れてしまった。

 人々の集まっている、その中央にはぽっかりと空いている場所があった。
 そこで、一対の男女が流れる曲に合わせてワルツを踊っている。
 片方はこのキムラスカの王女ナタリア。
 そしてナタリアの背に手を沿えリードしているのは。


「アッシュ…」


 アッシュは背筋を真っ直ぐに伸ばし、時折紅く長い髪を靡かせながら軽やかで綺麗な、そして流れるような動きでもって踊っていた。
 そんなアッシュに支えられているナタリアは、いつも以上に美しかった。
 王女らしい優雅さと気品でもって、綺麗な青く長いドレスを広げ、見る者を魅了する。

 いや、二人のあのダンスそのものがとても美しく優雅で、惹き付けられた。
 まるで外界全てを遮断し、二人だけに明かりが降り注いでいるような、そんな錯覚。
 ルークはそんな光景を目の当たりにして、素直に凄いと思った。 

 アッシュから視線を逸らし、ついと上を見上げる。
 二階からこのエントランスを見下ろす人達もたくさんいた。
 そしてその中に、見知った姿を見つける。

 向こうはルークが入ってきた時にはもう気付いていたのか、ずっとこちらを見ていたらしく、眼が合うと彼はそのまま指をある方向へと指した。
 促されそちらを見ると、少し離れた所にこれまた見知った人間の姿が。

 サンキュ、と口だけを動かすと、ガイは気にするなと笑みを浮かべる。
 ガイは女性が苦手であるが故に、あのような場所に避難し、一人ちびちびと酒を飲んでいるのだろう。

 さてどうするかと思いつつチラリと足元を見るも、既にミュウはご馳走へと走っていったのか、いつの間にかいなくなっていた。
 全くと苦笑しつつも、自分もまたあれこれ考えていても始まらないし、そもそもこんな所にずっと突っ立っているわけにもいかないだろう。

 ルークは目的の人物の場所まで、壁伝いに近づいていった。
 その間にも一曲が終わり、踊っていた二人が客達にお辞儀したのが遠目に見える。
 一気に拍手喝采が沸き起こり、そしてまた音楽が流れ始めると、二人は少し会話してから踊り出す。

 多分アッシュの性格からして、まだ踊りたいと言ったナタリアに渋々付き合ってやってるんだろうなぁというのが想像出来てしまって、笑みが零れた。


「すみません、俺と踊って頂けますか?」
「ぇ……?あ」


 ようやく目的の人の前まで来ると、ルークは声を掛け手を差し出した。
 彼女は意表を付かれたような驚いた顔をしたが、自分を視界に映すと、淡く笑みを浮かべてくれる。


「何処行っていたの、ルーク。皆心配していたわ」
「ごめん。ちょっとさ…」


 何と説明するべきかわからず、困ったように笑いながらも首を傾げたルークに、彼女は首を振った。


「良いわ、色々とあるだろうから。そんな事より、誕生日おめでとう」
「あぁ、ありがとうティア」
「私で良ければ、お相手するわ」


 ルークの差し出した手に、ティアはそっと自分の手を乗せてくれた。
 そしていつの間にか自分に気付き、間を開けてくれていた人達の道を二人でゆっくりと進み、中央まで出る。
 丁度対角線上辺りに、アッシュとナタリアがいる位置。

 ルークはアッシュの存在を確かめながらも、ティアと向き合う。
 そこでようやく、彼女がどんな格好をしているのかはっきりと見えた。
 随分と大人しく、それでいてとても美しく映える黒いドレスだ。

 互いに一つお辞儀をし、背筋を伸ばして歩み寄ってくるティアの背中に手を添える。
 躰を密着させると次は左手を宙に掲げ、ティアの手がそこに置かれる。

 やっぱり男と女じゃ色々と違うんだな、といつも練習に付き合ってくれるアッシュを思い出して、そんな感想を抱いた。
 まさかいつか必要になるだろうからと練習していただけだったから、こんなにも早く人前でワルツを踊る日が来るとは思わなかったけれども。

 曲を聴き、拍を取り。
 そして一歩。

 そこからはもう、躰が勝手に動いた。
 暇があった時には練習していた甲斐があったのだろう、ステップを間違える事は無く。
 しかも単純な、初めての人と踊る時用のオーソドックスな流れのお陰で、ティアとずれる事も無かった。

 流石に、見てくれている人達の顔まで把握出来る余裕は持ち合わせていなかったが。
 背筋が曲がらないようにとか、足を踏まないようにとか、顔の向きだとか。
 気をつける事ばかりを、頭の中で繰り返していく。

 大きな円を描くように流れ、流れて。
 くるりと回転する時、アッシュも同じように回り、互いの眼が合った。
 ルークが来た事など、アッシュならばルークがこの空間に足を踏み入れた時には、気付いていただろう。

 へまするなよ、とでも言いたそうなそのアッシュの微笑に、ルークは大丈夫、と微笑み返した。





  to be continued...

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ダンスが踊れるまでに成長したルーク。

2006.03.30
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