君に幸あれ 前編
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まるで祝福を齎すかのように太陽は明るく輝き、燦々と地上を照らしている。
少し肌寒いけれども、穏やかな風が頬を撫でていき、緩やかな時を感じさせてくれる。
アッシュは窓の外から入ってくる静かな風に、ふと眼を細めた。
視界の先には、木々が音を奏でながら揺れている。
ND2021の今年、今日で『ルーク』は歴史上二十一歳になる。
世界を救った英雄達の誕生日を祝おうと、既に街は多くの人で溢れ返り、賑わっている事だろう。
去年の成人を祝う筈の誕生日では、哀しくも英雄と謳われる彼等の墓を立て、弔いを行った日であった。
だがその夜にルークが、そしてアッシュもまたその三ヶ月後に、故郷バチカルへと戻ってきていた。
あれから十ヶ月。
墓として立てられたものは、英雄のシンボルに代えて、この街に置かれていた。
その碑石にはルークとアッシュ、二つの名が刻まれている。
両親に、そして世界に、二人とも受け入れてもらえた証。
そして今度こそ英雄達を祝おうと、多くの人間達がこの街に来ていると聞いた。
バチカル全体が浮き足立っていると。
だがアッシュは窓の外の青空と木々を見ながら、明るい空に反して重い溜め息を吐いていた。
「全く……面倒だな」
窓からベッドの上へと視線を動かし、先程メイドが持ってきた今日の衣装を見下ろす。
それは普段から自分達が着ている子爵の服であるが、今はそれが忌々しく感じられた。
正直、誕生日がこんな盛大に祝われるなんて事は、一言も聞いていなかったのだ。
何か大きな催しがあるからこの日はたくさんの人間がバチカルに来ると、父から聞いていただけだ。
その一言だけだったので、よもや己に関係する事だとは思っていなかった。
自分自身、今日が誕生日だという事を失念していたのにも原因はあるかもしれないが。
とりあえず城で王から言葉を貰うのはまだしも、集まっている多くの民の前に姿を見せ、その後そのまま城で盛大なパーティーが催される予定なのだと聞かされ、思わず溜め息をついてしまう次第だ。
以前、自分がまだ『ルーク』という名でこの屋敷にいた幼少の頃は、誕生日なんて父と母と屋敷にいる者達だけでのんびり静かに過ごしていた。
来客はナタリアくらいで、彼女にガイがお茶を出し、一緒にケーキを食べる、その程度だ。
とは言っても今や成人を過ぎ、しかも英雄とまで言われている状況であれば、盛大に祝うのも仕方無いのかもしれない。
そうわかっていても、面倒な事この上無いと思ってしまう。
たかだか誕生日を、そんな大げさに祝うなど。
年に一度は必ず来るものに、何故そんなに騒がなければならないのか。
『アッシュ』という名でオラクルに所属していた時など、誕生日なんて概念すら忘れていたくらいだというのに。
だが、それ以上に不機嫌にさせられる理由といえば。
「本当に、お前は何処に行ったんだ…」
アッシュはルークのベッドの方へと腰を下ろし、冷たいシーツを撫でる。
ここの住人は、自分が起きた時にはもう姿を消していた。
つい昨日、この屋敷に遊びに来た聖獣も一緒に。
ルークは逃げたのだ。
誰にも気付かれないように執事のラムダスよりも早く起き、早朝に消えてしまっていた。
彼は父上から今日の事を聞いた時には、誕生日だと気付いたのだろう。
そうでなければ、早朝から姿を消すなんて事は出来無い。
メイド達が屋敷内を捜し回ってもいなかったという事で、現在は白光騎士団達が街まで捜しに行っているが、人の溢れ返る場所で果たして見つかるかどうか。
それに何度か回線を繋げて呼び掛けたのだが、聞こえているだろうに返答が返ってこなかった。
面倒だったから逃げたと、そんな程度の理由であるならば、無反応なんて事はしないだろう。
一体何を考えていなくなったのかわからない。
まさか、またレプリカだからとか卑屈な事を考えているのだろうか。
もう何度も、関係無いとは言ってやっているのだが。
「有り得るな……お前なら」
呟き、そのまましばらくはルークのベッドに座り、向かいにある自分のベッドをぼんやり見ていた。
そしてこれからどうするか考えていると、ふとノック音が聞こえる。
「入れ」
「よ、アッシュ。用意は……してないな」
こちらを見た瞬間苦笑を浮かべた使用人に、アッシュは不機嫌を隠す事も無く、既に今日何度目かわからない溜め息をついた。
ガイは部屋のドアを閉めて、中に入ってくる。
そして横に座った。
「もうナタリアが迎えに来ているし、皆もいるぞ?」
「そこが一番厄介だろうが」
そう、それが最も疲れるのだ。
ルークの友人である面子と顔を合わせなければならない事が。
ルークがいればまだしも、いないこの状況で俺にアイツらの相手をしろと。
……冗談では無い。
顔を顰めたアッシュに、ガイは肩を竦める。
笑みを絶やさぬままというのが彼らしい。
「わからなくもないけどな。でも、お前でも流石に王を待たせる訳にはいかないだろう?」
「…そうだな」
叔父という血縁相手と言えど、相手は王だ。
それはわかっている。
だが自分だけである事に、どれだけの意味があるのか。
ルークがいてこそじゃないのか?
自分達が英雄と呼ばれるようになっている殆どは、ルークのおかげだ。
アイツのひたむきな心が、世界と、民を救った。
己がした事など彼に比べればたいした事でも無い。
ただアイツを憎み何度も衝突し、無残にも負けて挙句に死んだだけだ。
今日集まっている民が感謝を述べるならば、ルークにだろう。
そうは言っても、ここに座っているだけではどうしようもない。
もう一度溜め息をつき、アッシュはガイの顔を見ぬまま問い掛けた。
「父上と母上は、何と言っている」
「かなり焦ってるよ。ルークが時間までに戻らなかった場合は、お前だけでもだと」
「そうか、わかった。下がって良い」
「了解。早く準備しろよ」
ガイが部屋から出て行き、パタンと扉の閉まる音を聞くと、アッシュは眼に掛かっている長い前髪を後ろに掻き揚げた。
指に引っかかる事も無くサラリと通り、また下へと落ちてくる状態は、ルークとほぼ同じ髪型だった。
分け目が逆なだけだ。
ベッドに置かれている服をもう一度眼に映し、仕方無いと立ち上がる。
とにかくは着替えようと服を脱ぎながらも、眉間にはぐっさりと皺を寄せていた。
断片的に白い薄っすらとした雲が浮かび、コバルトブルーと溶け合っている、まるで絵に描いたような青空だった
暖かで、美しい青だ。
そんな空を、人だかりの多い街の路地裏の隙間から見上げた青年は、思わず嬉しそうに声を上げた。
「良い天気だなー」
「ですのー」
路地裏にある、大きめの木箱の上に腰掛けている青年。
そして彼の隣には、腰に浮き輪のようなアクセサリーを付けている聖獣チーグルが、同じように座り空を見上げていた。
青年は本来は赤く長い髪をしているのだが、今は髪を器用にバンダナで隠し、挙句にその綺麗な翡翠をしている眼も、青空から視線を外すと大きなサングラスで覆い隠してしまった。
手には、そこらに並ぶ賑やかな出店で買った、齧りかけのホットドックが。
隣の聖獣もまた、青年から買って貰ったミニサラダを食べている。気分は完璧お祭りモードだ。
青年はホットドックの残りを全部食べると、串を咥えたまま立ち上がった。
時間はもう『ルーク』が城へと入り、そろそろ民間人はその後彼が姿を見せるという場所に集まり始めている頃だろう。
「そろそろ来る頃だろ。行くか、ミュウ」
「はいですの、ご主人様」
串を上下に動かしながら喋る青年に、聖獣チーグルのミュウは慌ててサラダの残りを食べた。
ゴミを青年へと差し出すと、青年は咥えていた串と一緒に近くにあったゴミ箱に放り込む。
木箱から飛び降り、ちょこちょこと足元まで来たミュウを拾い上げ、青年は肩から提げていた鞄を開けた。
そして目立たない様にミュウをその中に入れようとした時、ミュウはふと青年に声を掛ける。
「ご主人様、本当に出なくて良いんですの?みんな集まってますの。今日を楽しみに来ていますの」
「良いんだよ、これで」
「でも、心配してますの…」
「父上や母上には申し訳無いとは思ってる。でもさっきも言っただろ?これ以上しつこいとここに置いてくぞ、ブタザルが」
「みゅー…」
叱られて耳らしきものを垂らし大人しくなったミュウを、今度こそ鞄の中に入れた。
誕生日を祝いたいと、どうやってか手紙を寄越してきたミュウを一昨日ぐらいに迎えに行き、そのままこのバチカルの屋敷に連れてきたのが昨日。
そして今日の早朝には、一緒に屋敷から抜け出した。
他の仲間達は多分、今日の朝にはこの街に来ているだろう。
『ルーク』の友人として招待され、陛下の祝い言葉を貰う時もきっとその光景を見る為に、全員城にいる筈だ。
もしかしたら自分がいなくて怒っているかもしれないし、呆れているかもしれない。
アッシュも、ずっとあれこれフォンスロットを使って話し掛けてきていた。
何処にいるんだとか、何やってるんだとか。
無視を決め込んでいたので、今はもう話し掛けて来なくなってきているが、かなり心配している様子だった。
だがそれがわかっていても、青年はあえて、城とは逆方向の昇降機へと向かった。
時々白光騎士団の人間と擦れ違う事もあったのだが、やはり髪や眼を隠していれば、この人混みのおかげか気付かないらしい。
青年は港の方まで行くと、これまた人がごった返している中、きょろきょろと辺りを見回した。
相手は少しばかり背が低いので捜せるかどうかわからなかったが、その対象自体が目立っていた為に、すぐに見付けられた。
「アスター」
ケセドニアの代表者であり、以前の旅の時にはたくさん力を貸してくれた大商人アスターは、やたらとゴツいお供を何人も連れて、このバチカル港にいた。
呼び掛け手を振ると、アスターもこちらに気付き、振り返してくる。
青年は人混みを掻き分け、アスターの元へと辿り着いた。
「ごめん、待たせちまったな」
「いえいえルーク様。元気そうで何よりです……っと、今はお忍びでしたな」
「お忍びですのー」
鞄からひょっこりと顔を出し、ミュウが明るい声で喋った途端、青年ルークはその顔をバシッと叩いた。
みゅぅぅと情けない声を出して、ミュウが顔を抑える。
「それで早速だけどアスター、頼んでおいたものは用意出来たか?」
「はい、それはもう。商人として、ルーク様に最も相応しいものをご用意させていただきました。ささ、これです」
恭しく差し出されたモノの、一つは赤い布製の小さな箱であり。
もう一つは銀鉱石を素材とした、宝石は何一つ付いていない、模様だけで装飾をされている短刀だった。
ルークはサングラスをずらすと、まず小さな箱を受け取り、その蓋を開けた。
中には、短刀と同じ材質で出来ている、銀のシンプルなリングが納められていた。
美しい燃え上がるような焔の模様が彫られ、その部分だけが陰影として黒くなっている。
格好良い見栄えに満足し頷き。
蓋を閉め、それを鞄の中にいるミュウに渡すと、次は短刀の方を受け取り鞘から刃を抜く。
鋭利な、艶やかな輝きを放つ刃は、観賞用としてはもちろんだが、実践にも十分に通用する代物だった。
この柄や鍔にもまた指輪と同じような、焔の模様が描かれている。
ルークは短刀を鞘に戻すと、改めてアスターを見た。
「さんきゅアスター。でもこれって、もしかして前に渡した分の金じゃ足りなかったんじゃねぇか?こんな上等なもの……」
「いえいえ、あれだけで十分でございましたよ。まぁ確かに、ルーク様の為にと一から作ったものですから、それなりの値はしましたが」
「だったら」
「英雄たる貴方の頼みを聞けたのでございます。無償で世界を救って下さった貴方に比べれば、これくらいの頼み事など叶えられないでどうしましょうか。先日のお金は、貴方のお気持ちとして受け取っておきますよ、ヒヒヒ」
アスターは、金を扱う商人としては随分気前の良い、そして本当に心から思ってくれているのだろう、普段よりも数段明るい声で笑った。
別に誰かの為にこの世界を救いたいと思ったわけじゃない。
あの時は、ただ我武者羅に前に突き進んでいただけだった。
自分が消えてしまうと知ったあの時、せめて自分の存在を自分自身だけでも受け入れる為に、そして仲間達やオリジナルに認めてもらう為に。
…そう、全て自分の為にした事だった。
多くの命を奪った償いなど、結局は少しでも罪悪感を拭いたいという自分の為の行為だったなんて事は、何よりも自分がよくわかっている。
責められるのが怖いから。
憎まれるのが怖いから。
そんな恐怖を忘れたくて、必死になっていただけ。
けれど三年前のあの時の事で、救われたと言ってくれる人達の、その気持ちも無碍にはしたくない。
どんな人の、どんな気持ちでも、認めて受け入れてやりたい。
自分を含め、誰一人の存在とて否定など出来無いのだ……どう足掻いても、そこに存在しているのだから。
「…そっか。じゃあ本当に、ありがとう」
笑顔でお礼を述べ、ルークはその短刀も鞄の中にいるミュウへと渡した。
ミュウはそれを受け取り、鞄の下へと落とす。
アスターは嬉しそうに頷いた。
「アスターはこれからどうするんだ?俺達は一応、アッシュの姿を見に行こうかと思ってるんだけど」
「おや、ルーク様はまだ戻られないのですか?折角来たのですからこのアスター、ルーク様の晴れ姿も見たかったですな」
「悪ぃな、まだ戻れないんだ。ちょっとやりたい事……っつうか、試したい事かな。それがあるから」
「ふむ…指輪と短刀となれば、大体見当は付きますが……誰の提案で?」
今ここにルークがいるその行動を、ルークが自分で考えた事とは思わなかったらしい。
確かにこの二つを用意するに当たっては相談した相手がいたので、あえて否定はせず、ルークは苦笑を漏らして誤魔化した。
華やかなで大きなシャンデリアが高い天井からぶら下がり、キラキラとした光を放っている。
それらが淡く上品に照らしている広い謁見の間の、入り口から真っ直ぐに伸びる赤い絨毯の脇には、多くの貴族や王族の人間が集まっていた。
その中に混じって、見知った顔も並んでいる。
アッシュは、彼等の中にあの赤い髪がないかと捜してしまっている己に気付き、思わず顔を顰めた。
「おめでとう、アッシュ!」
「おめでとうございます」
今しがた陛下から祝いの言葉を頂いたばかりでたくさんの拍手が鳴り響いていている中、無駄に気障な男やインテリ眼鏡が笑顔を浮かべ、二人して同じような言葉を同じタイミングで投げ掛けてきた。
近寄ってくるのはルークの仲間達であり、いつの間にか自分の事まで仲間扱いしてきている連中だ。
皆一様にドレスアップをしてきていて、それぞれに黒のタキシードを着ている男達はともかく、女性陣のドレスは大変華やかで眼を引く。
馬子にも衣装とはこの事を言うのだろうと、アッシュはアニスのピンク色のドレスやティアの黒いドレスを見て、そんな感想を浮かべた。
両親ももちろんいるが、二人ともアッシュの方に笑顔を見せ拍手を送りながらも、ふとした時には心配そうにあの縦に長くデカい扉が開かないかチラチラ窺っている。
自分もまた、入り口にずっと意識を向けていた。
結局ルークは時間になっても姿を見せず、自分一人だけが祝いの言葉を頂いていた。
誕生日祝いの言葉なのでそれ程重要というわけでも無く、どちらかが居さえすればスケジュールは進行するので、差し当たり無かった。
だが、それでも自分だけがここにいる事に、どうしても違和感を覚えてしまう。
お前が隣にいないという事が、こんなにも不自然に感じてしまう。
観客達も、何故一人なのかと疑問に思っているだろう。
「アッシュ、おめでとう。この日をこうやって祝える事、とても嬉しいですわ」
「そうね、去年の今頃は葬儀だった。あの時は、まさかこんな日を迎えられるなんて想像も出来無かったわ。おめでとう」
「……ああ」
王の隣に座っていたナタリアが、扉に顔を向けていたアッシュへと笑顔でやってきて、次いでティアからも祝いの言葉を貰う。
だが仲間達に囲まれて拍手がより大きくなっても、心ここにあらずという状況だ。
遠くを見るように眼を眇め、扉を見つめる。
そんなアッシュの心情を代弁するかのように、アニスが呟く。
「それにしても、ルークは何処行っちゃったんだろうねぇ」
「そうだね。折角会いに来たのに、いないのは残念だな…」
アニスの横にいたフローリアンも、少し寂しそうに扉の方に視線を向けた。
仲間達も皆扉へと視線を移す。
広間の拍手も止んでいき、やはり皆気になっていたらしく、それぞれにルークは何処へ行ったのかとざわめき始めた。
「一体何処に行ってしまったのでしょう。ま、まさか何処かへと旅立って、もうここには戻ってこないとか……は!まさか、誘拐でもされたのでは!?」
「おい、ナタリア。そんな大げさな…」
ガイが苦笑するとほぼ同時に、少し離れた所からガシャーンだとかドサリだとかガタッという音がした。
慌てて皆様々にそちらに振り向くと、ファブレ公爵が持っていた剣を落とし呆然とした表情で固まっていて、シュザンヌが床に座り込み、おおルーク……!と口元を押さえながら蒼白な顔でがたがたと震えている。
挙句には、慌てて立ち上がったインゴベルド六世が。
「今すぐルークを探すのだ!何としてでも見つけ出せ!」
と、壁際に立っていた兵達に命令をする始末。
ナタリアの声が謁見の間全体に響いてしまった為にこのような事態を招いてしまったのだが、それにしても大げさ過ぎる年配達に、呆気に取られる若者達だ。
だが、兵達が走りドアを開け外へ出て行く光景を唖然と見ている中、一人だけ動いた人間がいた。
「……アッシュ?何処へ行くのっ?」
「民の前に姿を見せに行くだけだ」
ティアの声に、アッシュは振り向かずに淡々と答えた。
けれども、足の速度がどう見ても普通に歩くにしては早い。
「って、待て待て待て待て!お前それ絶対嘘だろう!」
紅い血のような深い色合いをしている髪が流れていき、扉の前にまで離れた頃になってようやく、仲間達が慌ててその躰を止めようと追っていった。
約一名、除いてではあるが。
ガイの声にアッシュは舌打ちすると、一気に走って広間から飛び出し、颯爽と階段を下りていく。
「だから待て!今お前が下にまで降りていくなんてしたら、えらい事になるぞ!」
「いいえ、それでも追うべきですわ!アッシュ、私も行きますわ!」
「ナタリア、煽るなって!て、うぎゃぁ触るなー!」
「アッシュさん!アッシュさんのお気持ちもわかりますが、今は堪えて下さいっ」
「捕まえた!」
「っ……く、離せ!」
階段を下りる途中で押し問答をしている仲間達を飛び越し、階段の手摺を滑って一気に降りていったアニスが、アッシュの腰に飛び付いた。
アッシュは倒れそうになる躰をどうにか足を出し踏み止まったが、次々と追ってきた仲間達に前を塞がれてしまう。
「全く、お前が行ってどうなるんだよ」
「俺ならば見付けられる」
ポンと肩を叩いてきたガイに、アッシュは間髪入れず言い放った。
ガイはきょとんと瞬きし、翡翠の双眸を受け止める。
それからふぅと溜め息を吐き、アッシュの肩に乗せていた手で短い金髪をガシガシ掻いた。
「そうかもしれないけどな」
ガイが苦笑を零す。
アニスはアッシュの腰から手を離し、どうするの?とガイを見上げた。
誰もがルークを見つけられなくても、それでも自分だけは絶対にアイツを見つけ出せる。
アイツを見つけられるのは俺しかいないと、そう自負しても良い。
それくらい自分達は、常に引き合っているのだから。
しかしまた足を進めようとしたところで、ふと声を掛けてきた人物がいた。
「そんなにルークが信じられませんか」
その声がやけに大きく重みがあって、アッシュは思わず足を止めてそちらを振り向く。
のんびりと階段を下りてきたジェイドが、掛けていた眼鏡をくいと指で押した。
アッシュは不快げに眉間にぐっさりと皺を寄せ、ジェイドにキツい眼を向けた。
「…何だと」
「言葉の通りです。誘拐なんて、あの馬鹿で力しか頼りのないルークがされるわけも無いので、さて置き」
とてつもなく失礼な、と思ったのだが。
そのお陰で、自分もまた捜しにいこうと病弱にも関わらず周りの止める声に喚いて振り解こうとしていたシュザンヌが動きを止めたので、良しとしようと三人程こっそり頷く。
「貴方は、彼が貴方に何も告げずに何処かへ消えると思っているのですか。いやそれ以前に、貴方に彼を止める権利がありますか。三ヶ月も行方をくらましておいて」
「そ、れは……」
アッシュはジェイドを睨み続けるも、困惑してしまう自分を自覚せざるを得なかった。
他人の行動に対しそれを制限させる権利があるかと言われて、頷ける者などそうはいない。
そんなもの本人の自由だ。
それにあの時の三ヶ月間を持ってこられると、アッシュにはどうしようもなかった。
二年の月日を経て、この大地にルークと共に戻ってきたあの時。
自分はルークが眼を覚ます前に、何も言わずその場から姿を消したのだから。
「本来は貴方だけが戻ってくる筈だった。レプリカであるルークも戻ってこられたのは、奇跡に等しい。けれど確実に存在している筈の貴方が、目覚めた時にいなかった。自分の前から姿を消してしまった。その事に対しルークが哀しみに暮れた事を、貴方はご存知ですか?」
「俺は」
射抜くような、責めるような視線に、言葉を続けられなかった。
知らなかったとは言えない。
ルークからそのような素振りは読み取れなかったが、それでも俺を思ってくれていたのだと、屋敷に帰ってきた時に「お帰り」と言ってくれた柔らかな笑顔を見て感じられた。
アイツの日記を読んでしまった事もあった。
自分のいなかった三ヶ月間のページは、一見普通の内容だったにも拘らず、寂しさが滲み出ていて、読んでしまった事に罪悪感が募りもした。
だがそれでも、自分がバチカルに帰ってきた後の、明るく幸せそうなルークの姿しか見ていないのだ。
好きだと言い合った時の笑顔に、寂しさなど感じられない。
それにどれだけ会いたいと、寂しいとルークが思ってくれていたとしても。
自分には、あの三ヶ月という期間が必要だった。
彼の隣に立つ資格が無かったのだ。
三年前のあの時、剣を交えルークに負けたあの時に、どれだけ自分が弱かったのかと知った。
変わっていく『ルーク』の心はとても強かった。
だから一度死んだ肉体が、こうして復活を遂げた時。
『アッシュ』という名の一人の人間として、彼と同等の精神を持ちたいと願い、強くなる為に旅をした。
七年間で出来た躰中にある傷を、より強くなる為に、そして愚かな過去を忘れない為に抱えて。
そして、この傷を見ても彼の元へと行こうと思えたその時、バチカルの屋敷に戻ってきた。
ルークの元へと。
そんな自分を、ルークは受け入れてくれた。
……共に、生きようと。
「ジェイド、そこら辺にしておけよ。アッシュにも色々とあったんだからさ」
俯き黙ってしまったアッシュの、微かに覗ける表情に何を思ったか、ガイは優しい微笑を浮かべジェイドに向き直った。
しかしジェイドは変わらず、冷めた眼でアッシュを見つめる。
「ええ、そうですね。色々あった。だからルークは三ヶ月間、貴方を捜しには行きませんでしたよ。貴方の自由にさせてあげたいと願ったからです」
「…そうね。ルーク、本当は貴方を捜しに行きたかったんだと思う。時々しか会わなかったけれど、それでもあの三ヶ月間は、ルークの笑顔がとてもつらそうだった。笑っている筈なのに、泣いているようだった」
ずっとルークを見守っていたティアは穏やかな声を出し、アニスもコクコクと頷き同意した。
「ああ、あれは痛かったねー。ルークに会いに来るたび、何処へでも行け!って、背中蹴りたくなっちゃったもん」
「俺もな。正直ルークを見ていると切なかったよ。でも、アッシュは戻ってきてくれたし。…な、ジェイド。だからさ」
「ええ。ですから今、ルークが旅に出たいと思い何処かへ行ってしまっても、貴方には引き戻す権利は無いかと」
どれだけ周りが和やかな声を出しても、ジェイドはとことん冷たく言い放つ。
もしかしてアッシュが嫌いなのではないかというくらいに。
だがそれとは関係無く、思わず頷いてしまうような、強制的にでも従わなければならないような強さがあった。
それは、真実だからだ。
真実だからこそ言葉に強みを持ち、こちらの非を認め、頷くしか出来無い。
言われた通り、アッシュにはルークにとやかく言える権利など無いのだ。
たとえどれだけ自分達が愛し合っているのだとしても。
結局アッシュはジェイドの言葉に何も言い返さず、素直に頷いた。
平静に戻り、ジェイドを見返す。
するとようやくジェイドも鋭い赤の双眸を緩め、にっこりと笑みを作った。
「……と、いう事で?次にやるべき事をさっさとやって下さい。民が、貴方を待っていますよ」
この後のパーティーを潰されてしまったら、来た意味が無いですからねぇ、と付け足された。
アッシュはその言葉に、やはりいけ好かない奴だと眉を動かしたものの、今度は取り乱す事無く緩やかな歩調で扉へと向かっていった。
扉を潜り外に出れば、そこには昼前と変わりなく、美しい青空が広がっていた。
暖かく明るい日差しは、これからの未来を導いてくれるよう。
アッシュは眼を眇め、眩しさに太陽の光を遮断するように手を翳した。
そしてじっと空を見つめる。
今、この空をルークも見上げている気がしたのだ。
自分と、同じように。
互いに望むものがある。
それは仕方の無い事だ。
自分達は生きて、毎日を過ごしているのだから。
やりたい事も出来るし、これからまたいくらでも見つかるだろう。
今ルークは、旅に、出たがっているのだろうか。
俺の傍から離れてでも。
自由に世界を回り、笑って生きたいのか。
世界の人間達と、笑い合いたいのか。
もし本当にそうなのだとすれば、自分に止める権利は、本当に無い。
「…ルーク」
呟き、また足を進めた。
民達のざわめきが聞こえてくる。
ちらりと後ろを見ればナタリアが、そしてティアやアニスやフローリアンが付いてきている。
両親や、王も。
しかし隣を見ても、いつもいる筈のルークは、いない。
――もし、本当にこのままルークが旅に出たとして。
それでも俺は、ここに留まるのだろう。
子爵としてキムラスカ王国の為に、そして世界の為に働く事が俺にとっての望みであり、恩返しでもあった。
生んで下さった両親の為に、そして世界を救ったルークの為に、この平和を維持していきたい。
傍にいる事だけが、彼の為に出来る全てでは無いのだから。
とりあえずはジェイドの言った通り、ルークが何も言わずに姿を消すなんて事は有り得ない。
これは一時的にだ。
そしてルークは、俺に何かを望んでいるのだ。
だからいくらフォンスロットを繋げ問い掛けても、答えてこない。
一体何を企んでいるのか。俺に何を求め、どうしてほしいのか。
……まだわからないけれども。
だがアッシュは、時が進むにつれ、どうしても心がざわめいていくのを自覚せずにはいられなかった。
ちなみに、多くの客人達と共に城内に残ったタキシード姿の男二人といえば。
「旦那、珍しく饒舌だったな。どうかしたのか?」
心配そうにジェイドの顔を覗くガイに、ジェイドは首を傾げた。
珍しく歯切れの悪い、戸惑ったような顔を浮かべている。
「…どうも、彼らは似ていて困りますね。あれこれと世話を焼きたくなるんですよ。私らしくないのはわかりきっているんですけどね」
その言葉に、なるほどとガイが頷く。
二人が屋敷に戻ってきて大人へと成長してから、ジェイドが二人をからかうのは結構見られる光景であるが、あんなふうに説教をするのはあまり無くなっていたのだ。
けれどもルーク同様アッシュの世話も焼きたくなるという事は、ジェイドがアッシュの事も気に入っている証拠だろう。
ガイは、自分達の主人二人を改めて思い描き、にっこりと笑みを浮かべた。
ガイからしても、ルークとアッシュは弟のようなものなのだ。
「良いんじゃないか?手間が掛かる程可愛いって言うだろうし」
「可愛い……ねぇ」
不本意そうに呟くジェイドに、ガイはらしく無い彼にくすくすと笑みを零していたが、ふと思い立ち真顔に変えた。
まさかと思いつつも、恐る恐るジェイドに聞く。
「ジェイド。もしかしてルークがどうして来ないか、その理由を知っているんじゃないのか?」
「まさか。一ヶ月前に、アッシュに何かプレゼントしたいと相談に来て、色々と提案を出して一応決まりはしたものの、それが今日にならないと出来上がらないだなんて誰も知りませんよ」
「アンタな……」
思いっきり知っているんじゃないかと思いはしたものの、がくりと肩を落としたガイには、もう何かを言おうという気力が失せていた。
to be continued...
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2006.03.25
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