君に幸あれ  
後編

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「きゃわ〜〜〜ん!超素敵だった〜〜〜!!」


 皆が集まる中、ツインテールを左右にぶんぶんと振り回しながら、アニスが黄色い声を上げた。
 その隣では、フローリアンが笑顔で同意する。


「そうだね。凄かったですよ皆さん。とても綺麗で、まるで二輪の花が水の中を楽しそうにくるくると回っているようで。僕、思わず見入っちゃいました」
「ああ!華麗なステップに、舞い広がるお姫様達のドレス、王子様達の赤い髪の靡く優雅さ!しかもルークもアッシュも息ピッタシ!アーンドお金持ち!きゃーーっ、惚れるーーー!!」


 明らかに最後のお金持ちは何か違うだろうと感じるが、それぞれに苦笑したり呆れたりするだけで、誰も何も言わなかった。

 ワルツを踊り終わった後、四人は拍手の中から逃れるように、ファブレ夫妻の所へと歩いていった。
 そしてルークが両親に頭を下げ、陛下に言葉を掛けられるのを見ている間に、他の仲間達が寄ってきたのだ。
 まだ過保護な母親に叱られているようで、ルークは戻ってこない。

 全員それぞれにパーティーを楽しんでいるのか、手にはグラスを持っていたり皿やフォークを持っていたり、様々であった。
 ワインを手にしていたジェイドは、紅い液体をクルクル回しながらいつものように笑みを浮かべる。


「ああいう華やかなダンスなどは、ルークでも様に見えるものですねぇ。普段は単なる体力馬鹿にしか見えないのですが。腐っても王族ですね」
「大佐、褒めるならきちんと褒めてやって下さい。私もちょっと不安でしたけれど、ちゃんと踊れていましたよ。足も踏まれませんでしたし」


 苦笑するティアにジェイドは肩を竦めた。
 ずっと無言で彼等の会話を聞いていたアッシュは、半ば呆れ顔で言い放つ。


「当然だ。俺が教えてやっているんだから、それくらい出来なければどうする」
「ああ、二人の練習をよく見ていたけれど。いつもアッシュが女性役で踊って、あれこれ教えてたよな」
「へぇ、アッシュって女性のパートも踊れるんだー」
「あら。それでしたら、私も男性パートで踊れましてよ」


 えへんと胸を張るナタリアに、すごーい、と素直な褒め言葉が送られる。
 和気藹々と談笑しながら、全員してルークが戻ってくるのを待っていた。

 曲は新しいものへと変わり、今、中央では来客達が楽しそうに踊っている。
 今日の主役であるアッシュにお近づきになりたいと、ちらちら視線を送ってくる淑女達も中にはいたが、アッシュは徹底無視を決め込んでいた。
 先程までナタリアとずっと踊っていたが、それは相手が友人だからであり、正直これ以上の面倒は御免こうむるに限る。

 それに今日はまだ、ルークと会話をしていないのだ。
 したと言ったら、一回だけ。
 しかも、きちんとした声として聞こえたわけでは無いし、自分など頷いただけだ。

 何故姿を消したのか、何を思っているのか。
 あれこれと聞かなければ。

 また新しい曲へと変わる頃、ようやくルークは仲間達の元へと戻ってきた。
 朝から一緒にいなくなっていた、聖獣チーグルの姿も肩の上に見える。


「二十一歳おめでとうルーク!」
「おめでとうっ」
「おう、ありがとう皆!」


 本当に嬉しそうに笑顔で返すルークに、アッシュは薄く微笑を浮かべた。
 だがふと腰に付いている剣とは別の、ベルトに挟んである短刀を見つけ、怪訝に思う。

 それが何なのか聞こうとする、その前にジェイドの言葉に遮られた。


「遅かったですね」
「はは……ちょっと、さ。見ておきたいものがあって」
「整理は付きましたか?」
「それは大丈夫」


 ……何だ、その会話は。
 何か知っているのかこのネクロマンサーは。
 それにやはりどうしても、ルークを見ていると胸騒ぎがしてくる。

 え、何々?とそれぞれに聞いてくる周りに、ルークは困ったような笑顔を見せながらも、こちらへと振り返ってきた。
 にこりと見せてくるその表情が、明らかに何かを企んでいるようなものであり、アッシュは思わず顔を顰める。


「ごめん皆、アッシュと二人で話がしたいんだけど、良いかな」
「え?あ……良いけど」


 肩に乗っていたチーグルをティアに渡し、ルークは俺の手を掴んできた。
 指を上に指された事によって、どうやら二階の方へと行きたいらしい事がわかる。
 ルークが何を企んでいるかにせよ、アッシュにも色々と聞きたい事があったので、頷く事で素直にそれに応じた。

 二人で階段を上がると、ルークは二階のテラスの隅からエントランスを見下ろす。
 アッシュもまた中央のダンスを見下ろした。
 自分達が上がって暇になったのだろう、ちょうどツインテール頭をしたアニスとフローリアンの踊っている姿が見えた。
 他にも何十組の客が踊っていて、視覚的に華やかなものだ。


「な、どうだった?さっきの」


 いきなりアッシュの方へと振り向き、ルークは明るい声で聞いてきた。
 いつものような自然とした笑みでは無く、やはり多少不自然さを隠しきれていないそれに、アッシュはあえて指摘はしなかった。


「そうだな……お前にしては、なかなかサマになってたじゃねぇか」
「マジで!?アッシュにそう言ってもらえるなんて思わなかった。すげぇ嬉しい」
「いつヘマするかと冷や冷やしたがな。いっそ豪快に転べば、笑いを誘えたかもしれないぞ」
「はは、何それ。ひでー」


 アッシュの軽い冗談に、酷く可笑しそうに笑うルーク。
 テラスへと肘を付き、顎を支え。
 だが笑いはすぐに弱々しいものへと変わり、遂には俯いてしまった。
 長い髪が横顔を隠し、その表情は見えない。

 聞く事が躊躇われるような、けれど聞かなければならないような、微妙な空気が流れる。

 どれだけ沈黙を守っていただろう。
 周りから聞こえてくる華やかな音楽や、それに混ざる賑やかな声の中にいるのだというのに、何故かそれらが、まるで遠くのもののように感じた。


「……それで?」


 このままでは埒が明かないと、アッシュは努めて平静に声を発した。
 ルークはゆっくりと顔を上げアッシュを見ると、別段嫌な顔をする事は無く、ただ笑みを深くする。


「……わかってんだろ?何となく。俺が考えてる事」


 そう来たか、と翡翠の双眸を見つめながら溜め息をついた。

 わかってはいる、わかってはいるのだ。
 だが、今ある現状が崩れてしまった時などという想定は、あまりにも現実味が沸かなくて出来そうにない。
 お前が俺の前から消えると…そんな事など考えたくも無い。

 けれども、あのいけ好かない眼鏡に言われた通り、止める権利もまた、自分には無いのだ。

 ――――己の道を進む事は、己にしか出来ず。

 誰かの言葉に従って生きるなどと、予言がある頃と何も変わらない。
 むしろ、前を見据える眼は何処までも強く純粋で、くだらない卑屈ばかり並べられるより、遙かにマシだ。

 そしてそれは、自分にも言える事。

 国をより良くしていきたいと、この国の繁栄を願ってきたのはずっと昔からであり、今も変わらない。
 子爵という身分ではあるが、己の出来る最大限の力でもって、国を支えていきたい。
 そして世界を…今の平和を守っていきたい。

 ここで必死になって働く事、それが何よりも、俺がお前の為に出来る事なのだから。

 そう、なれば自分達の行きたい道は違う。
 ここに残り名誉や貴族としての身分を利用し働く事を望む自分と、全てを捨ててでも世界を歩き回り一歩一歩ゆっくり進もうとするルークと。

 道が違えば、離れるしかないのだ。
 願いが強ければ強い程に……譲れない何かが存在すれば、するだけ。

 どちらかが犠牲になる事は、自分達の望むべき未来では無い。
 特にレプリカという存在が今の世に多数いる世界で、彼等を人間として認めるには、その思いを尊重しなければならない。
 いや、レプリカだけでは無いだろう。
 どの人間に対しても、存在を肯定しようとするには、その思いを否定しない事が必要だった。

 その大切さを、ルークから教わった。
 偽善かもしれない生易しい甘ちょろい考えだとわかっていても、そうやって誰にでも笑うルークに、自分は救われた。

 なのにここでルークを止めてしまえば、彼の存在をも否定する事になりかねない。

 ……だが、この気持ちは。


「一つ、確認して良いか」
「うん。何?」
「お前は俺が屋敷に返ってくる前、随分と塞ぎ込んでいたと聞いたが」
「それ誰が言ってたんだ?」
「アイツら、全員だ」
「……そっか」


 はにかんだ笑顔は、儚げに見えた。
 真実であると語っているその表情に、アッシュは知らず眉を寄せる。

 こんな気持ちを、三ヶ月もさせていたらしい。

 虚空の、実体が存在するかどうかもわからない対象に向かって、それでも求め暗闇に手を伸ばし。
 けれど本当に何も無かった時の哀しみと絶望。
 求めるものへと強く縋りたいのに、縋るものは見当たらない。
 大切なものを失い、色んな感情がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられ、押し潰されそうになり。

 そんなルークから流れてくる感情は、自分の居場所を取られたと思っていた、あの七年間の思いと似ていた。
 しかもより酷い事に、ルークには憎悪が存在していない分内側に溜めるしか出来無くて、吐き出せずにただただ苦しくて哀しいのだ。

 だからこそ、俺もお前がいなくなる事など考えたくない。
 こうも弱気になってしまうのは、七年間の情けない自分がいるせいかもしれないが。
 それでも俺は、コイツを手放したくは無かった。

 だがルークは、こちらが黙っているのを見兼ねたのか、それとも戸惑っている事を読み取ったのか。
 テラスに肘を付いたままぼんやりと下を眺め、呟いた。


「俺さ……旅に、出ようかと思ってる。世界を回って、色んな人達に出会って。そして幸せにしていきたい。償いも含めてかもしれないけど、そうする事が何よりも、俺のしたい事なんだって思うから。……でも」
「悩んで、いるのか」


 重荷なのか、とは聞けなかった。

 自分達がどれだけ互いを必要としているか、どれだけ必要とされているか。
 まるでもう中心にある心臓のような、居て当たり前だと断言出来てしまう相手。

 だからこそ、ルークはまだここにいるのだろう。
 彼にとって、俺が唯一の重荷となり、引き止めてしまっている。
 自惚れではなく、本当にそうなのだ。

 そして案の定、ルークは頷いた。


「ああ、悩んでいた、ずっと。俺にはアッシュがいるから。……でも今日、下からアッシュを見てさ。上にいた時には見えなかった色んなものが、また見えた。色々と考えて、やっぱり俺は自分の気持ちに正直でいたいと思ったんだ」


 ぐっと両拳に力を入れ、だからさ、と言葉を続けるルーク。
 ばっと勢い良く顔を上げ、こちらを見つめてくるその眼は、本当に真っ直ぐだった。

 強く強く、どこまでも強い意思を持つ、翡翠の双眸。

 ルークは腰に下がっている短刀を取り、それを握った手と、そしてもう片方の手の両方をアッシュへ突き出した。
 何かを隠し持っているのだろう、握られた拳が開かれて。

 見えた、それは。

 アッシュは驚愕に眼を見開いた。
 よりにもよってそんな方法を取られるなどと、考えもしなかった。


「ルーク、お前……」


 思わず零れた声は、微かに震えていた。
 
 ルークがにこりと微笑む。
 いつの間にか互いに意識を繋げていて、直接頭からルークの声が聞こえてくる。

 ――――俺、ずっとアッシュと一緒にいたい。
 好きで好きで、やっぱり好きで……好き過ぎて。
 だからもう、二度と離れたくなんかねぇよ。
 もうあんな寂しい気持ちでいたくない。

 でもな、それでも……世界中を回りたいとも思っちまう。
 アッシュが好きだって気持ちとは別次元なんだろうな、これは。
 多分、夢とか、目標とか。
 そういうのって先が見えなくて不安だけど、だからこそワクワクするし、好奇心もすげぇたくさん溢れてくるんだ。


「ルーク…」


 初めて聞く内容に、そして希望と憂いを帯びたような表情に、アッシュは自ら昔捨てた彼の名を呟き、ただ見つめるだけしか出来無かった。
 ルークは少し辛そうに、顔を歪める。


 ――――卑怯だってわかってるさ。
 アッシュに決めてもらうなんて、結局人に頼ってるわけだし。

 でもやっぱりもう、俺には選べないから。
 俺には、アッシュの気持ちも大事だから。

 だから、お前が……選んでくれ。








 どれだけ互いに見つめ合っていただろう。

 長かったかもしれないし、短かったかもしれない。
 彼の眼に引き込まれ、周りの時間が止まってしまっている感覚さえした。

 ふと、アッシュが重い溜め息を吐き出す。

 わかっている、そう簡単に決められる筈が無い。
 けれど、時が刻まれるにつれてだんだんと差し出している両手が震えてきて、何度この手を引っ込めようと思ったか。


「…………か」
「ん?」


 殆ど聞き取れない声で、けれどアッシュは鋭い眼付きでもって自分を睨んできた。
 怒っているようなその表情に、それでもルークはどうにか笑みを崩さずに聞き返す。

 だが、それもすぐに驚きへと変わる。


「共にいる事が、甘えなのか」
「え……」


 ドクン、と心臓が高鳴った。

 まさかと思いつつも、アッシュの眼はまるで全て見通しているとばかりに、ルークを射抜く。
 ああこれは、完全に見透かされちまっている。
 アッシュといる事が、甘えに繋がっているのではないか、生きる事から逃げているのではないかと思っていた、その思考も全部。


「共にいるからこそ、支え、支えられて生きていける。前に進める。ルーク、お前はそうじゃないのか」
「支え……」
「俺はお前がいるから生きようという気になった。お前がいるから、ここに戻ってきた。お前がいるから、この国の為に尽くせる。どれだけの挫折があろうとも、幾度でも立ち上がれる、立っていられる」
「アッシュ」
「俺にとってのお前は、そういう存在なんだよ」


 吐き捨てられる言葉を、ルークは呆然と聞いていた。
 どう答えれば良いのかわからなかった。

 アッシュの思いに、圧倒されて。


「お前がどういうつもりでこんな事をしているのか、わからないでもない。自分で答えを見出したのなら、止めるつもりも無かった」


 コツ、と靴音を立てアッシュがルークへと一歩近づく。

 殆ど密着するようなその近過ぎる形に、けれどルークは後ろへと後ずさる事も叶わなかった。
 腰にアッシュの片手が回り、顔がぼやける程に近くまで寄せられ。


「……だが、俺に解を委ねる以上、俺はお前を逃がさねぇ」


 耳元で囁かれたと同時に、アッシュは離れていった。
 背を向け、まるで何事も無かったかのようにコツコツと紅い髪を靡かせ歩いていってしまう。

 アッシュが階段を下りていき姿が見えなくなると、ようやくルークはその方向から視線を外し、手元を見た。
 残された短刀の鞘をぎゅっと握り、感触を確かめる。

 去り際に取られていったのは、指輪。
 アッシュは、ルークがここに残る事を望んだ、その証拠。

 けれど、半分は本気でここを出て行く覚悟もしていたせいだろうか、なんだか実感が沸かない。
 本当に自分はここに残る事となったのか……これで本当に良かったのか。

 落胆と安堵と。

 綯い交ぜになってしまっていて、ルークはその場から動けなかった。
 緊張が解けたのだろう、聞こえていなかった音楽や人のざわめきが、現実に引き戻されたかのように、また耳へと入ってくる。


「支え、か」


 先程のアッシュの言葉を思い直し、ルークはぽつりと呟いた。

 甘えだと思っていた。
 アッシュの傍にいる事で、全てをアッシュに委ねてしまっているのではないかと思っていた。

 けれど、自分はアッシュの支えとなっていたのか。
 支えて、支えられて。
 自分達は共に生きているのか。


『共にいるからこそ、支え、支えられて生きていける。前に進める。ルーク、お前はそうじゃないのか』


 そう。
 アッシュがいるから、自分は前に進める。
 だからこそもっと、前に進もうと思った。

 けれど。


「……なぁ、俺さ。もしかして突っ走り過ぎていたのかな」
「そうですね。若さ故でしょう。若いからこそ、まだ多くの未来への選択が存在している。己の未来の行く末を案じれば案じる程に、不安に駆られ、心は焦っていく」


 アッシュが下りてもルークが下りてこなかった事に気に掛けたのだろうか、いつの間にかジェイドがルークのすぐ傍に立っていた。


「そう……だったんだな。駄目だなー、俺」


 短刀を握る拳を、こつと額に当てた。
 眼を閉じ、俯き、情けない笑みを浮かべる。

 一緒じゃなきゃ、きっともう自分達は生きていけないのに、突っ走り過ぎて離れようとしていた。
 このままじゃいけないんじゃないか、もっとやらなきゃいけない事がたくさんあるんじゃないかと焦って、本当に大切なものを見失いそうになっていた。

 苦しくてつらい思いをしたあの三ヶ月も、アッシュが返ってきてくれた時のあの喜びも、初めて躰を重ねた時の涙も。
 アッシュが近くに居過ぎて、幸せに埋もれ過ぎていて、全部霞んでいた。

 しかも危うく、全て失いそうになっていただなんて、なんて情けない事だろう。


「けれども仕方無いんじゃないですか?苦悩もするでしょう、貴方は生きたいと願っているのですから。……それが、人間なのですから」


 いつに無く優しい言葉を掛けてくるジェイドに、ルークは顔を上げないまま頷いた。
 ぽん、と頭にジェイドの手が置かれる。
 それから、ぽん、ぽん、と何度か軽く叩かれる。


「私に相談しに来てくれただけ、昔よりずっと成長していますよ。本当に何も言わず消えてしまったら、それこそ後悔の嵐だったでしょう」


 ジェイドに相談しに行ったのは、彼が一番年上だったからというのもあったけれど、それ以上に、状況に応じて一番適切なアドバイスをしてくれると思ったからだ。
 以前の旅の時も、よく自分を見守りつつ適切なアドバイスをくれた。
 だから今回も、もしかしたら良い案をくれるかもしれないと思った。

 両親に相談しようかとも一度は考えたが、そうすれば頭ごなしに出て行くなと言われるだけだろう事は、想像付いたから止めていた。
 反発して、自分は逆に突っ走っていたかもしれない。


「アッシュも止めて下さいましたし、貴方はまた色んなものを発見しつつ、大人になったわけですし。一件落着ですね」


 ジェイドが提案したのは、指輪と短剣だった。
 以前、哀しい思い出と共にではあるが、ルークもその二つの意味は知っていた。
 結婚を申し込む指輪と、絶遠を宣言する短刀と。

 それをアッシュに選ばせれば良いというのが、ジェイドの案だった。
 あの時は「きちんと理由を述べた上でアッシュに選んでもらえれば、お互いに納得するだろう」と言われたのだが。
 何故だろう、ジェイドの言葉からすると、初めからこうなる事がわかりきっていたような物言いだ。

 何だか腑に落ちず、ルークは顔を上げてジェイドの顔を見つめた。


「アッシュがもし短剣を取ったら、どうしてたんだよ」
「おや?何を言ってるんですか。貴方と違い大変思慮深いアッシュが、二つを選んで良いとなった場合にそっちを選ぶ筈が無いじゃないですか」


 そっち、と短剣を指差されて、ルークは思わず顔を顰めた。
 少し、いやかなり馬鹿にされている気がする。

 しかも、だ。


「アッシュに選んで貰えれば、貴方は納得した上で確実にここに残りますしね。それにもし万が一アッシュが短刀を取った場合は、ルークが家出しようとしていると、ご両親にチクるつもりでしたし」


 はっはっはっと軽やかに笑われてしまえばもう、ぐうの音も出ない。
 何だかんだと言いつつ、結局はジェイドも、ルークが旅に出る事を初めから反対していたらしい。
 それならそうと、早く言ってくれという気分だ。

 ジェイドの笑いに混じってルークも疲れたように乾いた笑いを出していると、ふとガイが上へと上がってきた。
 参った、と呟き頭を掻きながら、二人に近づく。


「どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたも、アッシュの機嫌が物凄く悪いんだが、何かあったのか?あれ、その短刀どうしたんだ?デザインがアッシュの付けていた指輪と似てるな……ってルーク、泣いてるじゃないか!どうした?何があった!?」
「へ?」


 指摘され、ルークは慌てて眼を擦った。

 そういえば先程ジェイドに頭を撫でられていた時に、少しばかり涙が滲んでしまっていたのだ。
 ジェイドはその事をあえて指摘しなかっただけだったのだが、自分もそれどころでは無くて失念していた。

 でもそうか、アッシュはあの指輪をもう付けてくれているのか。
 そう思うととても嬉しくなって、また涙が滲んだ。

 ああやはり、自分はここに残って良かった。
 ここにいる事が…アッシュの傍にいる事がきっと、自分にとっての一番の幸せなのだろう。

 へへ、と笑みを浮かべたルークであったが、事情をよく知らないガイは、心配そうにルークの顔を覗く。


「まさか旦那に泣かされたのか?それでアッシュがあんなに機嫌悪いとか」
「私達が全然下りていかないから、不貞腐れてるだけじゃないですか?そういうガイこそ、アッシュの機嫌が悪い事を報告しに来たのではなく、女性に迫られてこっちに逃げてきただけでしょうに」
「ぅ……流石はジェイド」


 くい、と眼鏡を上下に動かしたジェイドに、ガイは引き攣った笑みを見せた。
 やれやれ、とジェイドが溜め息をつく。


「仕方ありませんねぇ。これ以上アッシュに恨まれるのもご勘弁願いたいですから、下りま」
「大丈夫かルーク?何もされてないよな?何かされたら俺に言うんだぞ?」
「ぉ、おう」


 ジェイドの言葉を遮りガイはルークに必死に問い掛け、ルークはガイ越しに見えるジェイドに、冷や汗を垂らしながら慌てて頷いた。
 キラン、とジェイドの眼鏡が光ったのは、きっと気のせいでは無い。


「…ガーイ?」
「………な、何でしょうか、カーティス大佐」


 案の定、ジェイドにがしっと肩を掴まれて、ガイはびくっと跳ね上がらせつつ。
 ゆっくり、とことんゆっくり後ろを振り返った。
 そして顔が合うと、二人して声を出して笑う。

 怖い、色々と怖い。
 しかも空気が痛い。

 助けてくれアッシュ…と、ルークは心の中で愛しい人の顔を思い浮かべた。
 いっそ、ここから名前を叫んでしまおうかとさえ思ってしまう。
 それくらいに怖い。


「人の話は最後まできちんと聞いて下さいね?今度邪魔したら、若い男性に飢えまくっている熟女の方々の中に放り込みますよ?」
「あははは」
「ははは」
「はは……はい、すみませんでした」
「宜しい。では行きますか」


 ガイが素直に頷いた事で、どうにか冷たい空気が収まり、ルークはほっと息を吐いた。
 もちろんガイも同じように、いやそれ以上に安心したように息を吐いている。
 そしてガイと二人で顔を見合わせつつ、先に歩き始めたジェイドの背中を慌てて追った。

 三人で階段を下り、さて仲間達の所へ戻ろうかと、たくさんの客のいるフロアを見回した時。
 横に立ったジェイドが、ルークをじっと見つめている事に気が付いた。

 何だよ?と首を傾げると、ジェイドは薄く笑みを浮かべる。


「若いから、今はまだわからないかもしれません。ですが、いずれはこの緩やかな現状にいて良かったと思いますよ。自分を愛してくれる人の傍にいるという事が、どれ程心穏やかになれるか。それに……貴方は今のままでも十分に、周りの人間を幸せにしている。そうでしょう?」


 半分は、ルークをジェイドと挟んだ形で隣に立ったガイに問い掛けているものでもあった。
 きっと良く事情がわからないであろうガイは、それでも真剣にそうだなと頷く。


「世界中を幸せにしようとする前に、まず目の前の人間を見なさい。貴方がいなくなれば、哀しむ人がいる。不幸になると感じる人がいる。生きる目的を失う人がいる」


 ほら来ましたよという言葉に、ジェイドの目線の方向を見れば、アッシュがこっちに向かって歩いてくるのが見えた。
 少し呆れているようで、眼が合うとアッシュは溜め息をついた。


「うん……そうだな。俺、ここにいるよ」


 本当は…知って欲しかっただけなのかもしれない。
 あの時の、あの気持ち。あの――哀しみを。

 けれどそれ以上に、思い知らされた。
 ここにある、優しい多大なる僥倖を。

 ……ああどうか。


「やっと下りてきたか。遅過ぎるぞ、屑が。まだうだうだと悩んでいたんじゃないだろうな」


 ルークの目の前に立ったアッシュは、そう言いながらも眼はジェイドとガイを交互に見ていた。
 何もしていない、と重なる声に、ルークは思わず笑みを浮かべる。


「アッシュ」


 ルークはアッシュの手を取ると、その指にされた銀の焔の模様が描かれた指輪を、そっと撫でた。
 そしてその暖かな手を、自分の頬へと持っていく。
 黙って見守るアッシュに、ルークは微笑みかけた。


「誕生日、おめでとう」
「…ああ、ルーク。お前も、おめでとう」


 途端にぎゅっとアッシュに抱き締められて、ルークは嬉しさに笑みを浮かべつつ、眼を瞑りその肩口に顔を埋めた。
 背中に手を回し、アッシュの温もりに浸る。

 来年、誕生日が来た時。
 そしてまたその次の年も、その次も。
 ずっと、こうして祝いの言葉を交わしていきたい。


 ――――ああどうか、この先の未来に。




 末永く、この大切な人に、幸あらん事を。





  ...end?



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指輪(結婚)か短刀(絶遠)か…という、やけに両極端な選択肢。
ルーク、ちょっぴり策士?体験。

2006.04.06
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