Pain 
中篇

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 ぼんやりとした視界に蝋燭の明かりが点々と光り揺らめき、どこかに暖炉があるのだろう、木炭を燃やす音が聞こえる。
 自分がなぜこのような場所にいるのか一瞬だけ迷いはしたものの、すぐに思い出した。
 とは言っても覚えているのはあのバンパイアに無惨にも力で負けてしまったところまでだ。

 その後ここに運ばれたのか?
 身体中に傷を受けたはずなのに、寝返りを打ってもどこも痛いところがない。
 一瞬だけずきりとした後頭部にだけ覚えがなく違和感が生じたが。

 しかし、ようやくはっきりと見えるようになったものの、やけに普通過ぎる部屋に疑問を抱く。
 バンパイアの住んでいる部屋というのはもっと暗くておどろおどろしいものかと思っていた。
 大きさから言って精霊が寝るには縦も横もでかすぎる、明らかにあのバンパイアの使うものだろうこのベッドの色調は以外にも白色をしていた。
 バンパイアはこの手の色は苦手だと思っていたが。
 しかもなぜか昼間の太陽の匂いがするし、精霊の気の強さにも相俟って、酷く優しい空気に安心させられてしまう。

 顔をシーツに押し付けた時、キィと扉が開く音がしてアルベルは眼だけをそちらに向けた。


「起きたな。具合いはどうだ?」
「なぜ助けた」


気遣う言葉を無視し、アルベルは冷たく言い放った。
しかしクリフは笑っただけだった。

「元々殺す気なんてねぇよ。精霊達には感謝しとくんだな。瀕死だったお前を全部治してくれたんだから。ち・な・み・に。自分の精霊に少しでも情があるのなら、今すぐに死のうとするんじゃねぇぞ。あいつ等の努力が無駄になる」


 どうせ生きていてもバンパイアに血を吸われるくらいなら死んだ方がましだ、と考えていただけに、精霊達の事を出されては何も言えなかった。

 クリフはアルベルの寝ているベッドに腰掛け、うつ伏せになって顔に掛っている髪を梳き上げる。
 紅い眼が覗き、艶やかに光を帯びたそれはぼんやりとクリフの身体を見ていた。
 仄かにピンク色をした頬を指がなぞっていき、そのまま顎、首、肩を辿っていく。

 今更になって自分が何も身に付けてはいない事に気が付いた。
 そしてなぜか相手も上半身が裸だった。
 逞しく整った彫刻のような筋肉美を浮き彫りにした肉体と、艶やかなコウモリの翼が眼を惹く。


「俺の血を吸う気か?それともバンパイアに変えようってか?」


 そんな投遣り状態のアルベルに、クリフは肩を竦めた。


「血を吸うってのは魅力的だが、嫌なら別に構わないぜ?俺は血なんて吸わなくたって生きてけれるしな。バンパイアを増やす気にもならねぇし」
「血を吸わなくても、生きてけれる?」


 アルベルは言われた事がなんだかえらく引っ掛かり、鸚鵡返しのように言葉を繰り返した。
 クリフの手はアルベルの白く透き通った肌を滑っていくが、アルベルはそれに少しだけ顔を嫌悪に歪ませたものの、すでに死を覚悟していた為に別段気に止める事も無く、言われた言葉に考え込む。

 バンパイアが血を吸わなくても生きてけれるなんて事は、今まで聞いた事が無かった。
 いや、もしかしたら血は好物であるからよく吸うのであって、血を吸わない時は人間のように普通に食事を取ったりするのだろうか。
 しかしそれこそ聞いた事が無いし、血が吸えなくてバンパイアは死ぬのだと昔から言われてきた。
 だとすれば、やはりバンパイアは血しか摂取する事が出来なくて、明らかにこの男だけがやたらと常識外れだと考えた方が適切だろう。

 そこまで考えて、アルベルはビクン、と身体を揺らした。


「あ、や…なにっ……?」


 顔を上げると、いつの間にかクリフはアルベルの身体に覆いかぶさっていて、しなやかな背中にキスをいくつも落としていた。
 左腕は細い腰に回されクリフの方へと引き寄せられていて、右手はあろう事かアルベルのペニスを掴み、弄っている。
 先端を押し潰すように握ると、アルベルは堪らず声を上げた。


「はぁ……や、めっ…何しやが……っあぅ!」
「お前、さっきの俺の話聞いてたのか?抱かせろ、と言ったはずだが?」
「なっ!俺は男に抱かれる趣味はねぇ!!それでなくてもバンパイアなんかに……っ」
「相当バンパイアが嫌いなんだな。理由くらいあんだろ?」


 言ってみろ、とクリフがアルベルの耳元で囁くと、アルベルはぎゅっとシーツを握り締めながらも、その言葉に諍う事が出来なかった。
 バンパイア特有の術に嵌まってしまったのだと気付いたが、既に遅い。
 話したくなどないのに、心の内を明かすように口が勝手に動く。

 両親を殺された時の事を言葉として現していくと、思い出したくも無いほどに気持ち悪い情景が脳裏に蘇ってきて、涙が流れた。
 だが、大きな手が濡れた眼を隠すように覆い、背中から抱きしめられると、震える身体が治まっていった。


「なるほどな。そりゃ嫌いにもなるわな」


 話しが終わると、クリフは溜め息を吐きながらまるで世間話のような口調で同意し、またアルベルの身体を弄り始めた。
 アルベルが我慢ならないのは当たり前だ、後ろを向き、相手を思いきり睨みつける。


「てっめ、無理矢理聞き出しといて、俺はバンパイアが嫌いなんだって、わかったんじゃ、ねぇのかよっ」
「ああわかったぜ。だが、そんなの俺には関係ねぇよ。確かに俺は同じバンパイアだ。だがすべてが同じだなんて事がこの世にあるわけがない、というのもお前はとっくに知ってるんだろ?俺は精霊と契約は出来るし、血なんか吸わなくても死なない。バンパイアが苦手なものも俺には何一つ効きゃしないんだ」
「…っ、野郎なん……かに抱かれるなんて、いや、だ!」


 アルベルは必死になって、クリフの腕を掴み引き剥がそうと試みた。
 だがビクともしない。

 今まで女を相手にしていなかった男であるはずの自分が、男によって女と同じ扱いを受けるなどという事がどうして出来ようか。
 しかも、たとえ外見的には酷く美しくしなやかであろうとも、自尊心が強く、己の弱さを今まですべて隠してまで戦ってきた、まさに男そのものである。
 それ故に男に抱かれるなどという行為がどれだけアルベルのプライドを打ち砕く事になってしまうのか。

 それなのに、背中から包まれるような体温と、しっかりと固定されて引っ張っても解かれる兆しすら見せない腰に回った腕と、何かを確かめるように這わされる手を、暖かいと思ってしまう。
 優しい、と安心してしまう。

 憎いはずなのに。

 そんな自分が嫌だと、悔しさと憤りに唇を噛み締めたが、すぐにクリフの指が紅い唇を辿った。
 口腔を割開き、その中に指を差し入れる。
 アルベルの舌を触り、溜まっていく唾液でぴちゃりと音が鳴る。


「無闇に自分を痛めつけたところで、何も解決なんてしないぜ」


何度か口腔を弄られ、ようやく指を抜かれた時は、アルベルは身体中の力をほとんど失っていた。
漏れた唾液が顎に伝い、儘ならない呼吸で、それでも意地になって反論をする。

「だ、ったら、貴様が」
「止めろだなんて野暮な事は言うなよ。お前が何て言おうと、俺はお前を抱きたいんだ。滅茶苦茶によがらせてイイ声で啼かせてぇ、お前の中にぶち込んで堪能して、お前からも求めて俺に縋りついてもらいたい。好きな奴が相手なら、当然の事だろ?」


 …………え?

 弾かれたように首筋に埋まっている顔を覗きこむと、クリフはなんだ?と言いたげに見返してきた。
 今、なんと言った?好き……?誰が?誰を??


「男だぞ、俺」
「ああ?だから、そんなもんは関係ねぇって言ってるだろうが」
「え、っと……あ、精霊達が待ってるだろうし、勝負に負けちまったんなら仕方ねぇ。そろそろ次の目的地へ」


 行かねぇと、とまで言う事が一体どうして出来ただろうか。
 胸を撫でていた手が、今や濡れて立ち上がっている男根へと絡み付き、もう片方の手が滑らかな尻の間にある蕾を撫でる。
 アルベルは背中を仰け反らせ、ひく、と喉の奥を鳴らした。


「逃がさねぇよ。絶対にな」


 くつり、と笑ったクリフの顔をアルベルが見る事は出来なかった。
 いや、見なかった方が幸いというものだ。

 その笑みは、まるで眼の前にいる獲物を捕らえた快楽への喜びで彩られ、正にバンパイアに相応しく妖艶であり、壮絶なものだった。










「ああ、あ、んあっ…あっ、ああ」


 淫靡な嬌声が薄暗い蝋燭がいくつも揺れた部屋の中で木霊する。
 無造作にベッドに広がった長い髪は、微かな明かりを受け止め、艶やかに光る。
 それと相俟って、絹のように肌触りが良い白磁の裸体をほんのりとピンク色に染まらせベッドに横たわっている姿は、聖アペリスを彷彿とさせられるほどに幻想的だった。

 だが体中に付いているいくつもの傷跡と、醜いほどまでに残ってしまった左腕の火傷が彼を戦場の地に立つ生身の男であると認識させる。
 人々から英雄と言われるバンパイアハンターが、単なる名声だけでは無い証。
 傷付き、血を流し、それでも立ち上がる強さは、いずれ世界の誇りとなるだろう。

 そんな身体が今は、精液や唾液でどろどろに濡れて妖しげに光っている。
 涙でくしゃくしゃになった顔は快楽に溺れ、開かれた口から出てくるのは喘ぎばかり。
 プライドとか自尊心なんていうものは、既に考えられないほどに奥底へと沈んでいた。

 クリフはもう何度目になるかわからないほど達した身体を、それでも飽きる事無く突き上げた。
 足を大きく開かされ受け入れている場所はぐずぐずに溶け、大き過ぎる凶暴な猛りを今や難なく飲み込んでいる。
 抽出を繰り返すたびに厭らしい音が鳴り、中に放たれたものが出てきて尻や太腿や背中を伝っていく。
 柔らかくも熱い中は、恍惚とせずにはいられないほどの激しく甘美な感覚を味わらせてくれる。

 喰らいたい、と思わずにはいられなかった。
 今まで人間の血を吸いたいとは思わなかった。
 吸わなくても生きていける身体には、全くもってそんな欲求は存在し得なかったはずだった。

 だが、今は欲しい。
 自分に組み敷かれて、身体を震わせながら泣いているこの人間の血を吸いたい。

 クリフは何かに引かれるようにアルベルの首筋へと顔を埋めた。
 尖った犬歯がゆっくりと白磁の肌に食い込んでいく。


「んあぁ…ああぁ、はぅ……んん、あ、あ!」


 噛まれる事ですら快感を拾い上げてしまうアルベルは、身悶え打ち震えた。
 流す涙がこめかみを伝い、シーツにまで広がっていく。

 美味い。
 その一言だった。

 こんな美味いもんだったとはな、と今まで知らなかった事に対して苦笑した。
 蜜のように甘く、口の中でとろけるさらりとした食感と喉越し。
 なるほど病み付きになりそうな味だ。

 牙を抜くと、溢れ出た血が真っ白なシーツを紅く穢していった。
 クリフは薄っすらと眼を細めた。

 本当にとてつもなく綺麗な姿をした男が、自分の下でしどけなく横たわっている、その事実の方が血の味よりもよっぽど甘く、心を高ぶらせてくれる。
 それは相手が天敵であるバンパイアハンターであるからか、もの凄い自尊心を持っている男だからか、滅多に見つける事など出来ないだろう美しい人間だからか。
 それとも、俺が惚れた相手だからだろうか?

 それとも。


「んん、クリフ…」
「どうした?」
「……はっ、もっと…動、けっ」


 ――――この意地っ張りな人間が、自分を求めてくれるからか。


 震えながらもクリフへと伸ばされた腕が、刺青のようなラインが三本入っている太い首へと回り、離さぬようにしっかりと縋りつく。
 暖かい体温も、優しい手も、心地良い声も、包み込まれる安らぎも全部、絶対に離さないように。

 男に抱かれるなんて嫌だった。
 どうして男である自分が、と憤慨もした。
 だが結局最後は自分から受け入れる破目になった。
 今まで気丈に振舞って来た事に酷く疲れていたから。

 小さくして親を亡くして、独りで訓練に勤しんでいた頃。
 クリムゾンの団長となり聖地を守っていた頃。
 バンパイアハンターに転職して世界中を回っている今。

 ずっと今まで立ってきた。
 前をただひたすらに突き進んできた。

 『だから、いいじゃねぇか。たまには立ち止まって、後ろを振り向いても』と、そう眼の前の男に言われたから。
 そうやって甘やかして、今日会ったばかりの人間に愛しているだなんて言って頭を撫でてくれるから。

 一度くらいならいいか、と思うようになった。
 一度くらいなら誰かに縋りついて泣いたっていいじゃないか。


 クリフは引き寄せられた事に、くすり、と笑いその細い身体を抱き返してやった。
 そしてぼんやりとした紅い瞳を見て、笑い混じりに話す。


「バンパイアはな、それに触れれば絶対に死ぬものが一つだけある。なんだか知ってるか?」
「んあ……?」


 聞かれた事に、楽しそうに笑っている蒼い双眸を見つめながら、靄のかかったような思考で考える。
 だがまず聞かれている事に対してもぼんやりとし過ぎててわからず、全く思い浮かべる事が出来ずに、アルベルは緩慢な動作で首を横に振った。


「太陽だ。太陽の光はたとえどんなに力の強いバンパイアでさえ、その身体を焼き尽くし、一瞬にして灰に変えてしまう」
「……貴様もか?」
「さぁな。どうだと思う?」


 ニヤニヤと笑うクリフからは、明らかに自分だけは太陽の光を浴びても死んだりはしない、と宣言していた。
 一体何なんだと溜め息を吐くも、いきなり動きだしたクリフに、アルベルは息を飲み込んだ。


「ん、あ……ああ、ん、クリ…ふ、ああ!ぁう」
「いいぜアルベル、お前の中…すげぇ気持ち良い。なぁ、アルベル?」
「はぅ…あ、いい、俺、俺も……凄く、あ…」


 律動がされるたびに、卑猥な音が耳に届く。
 求めて求められて、互いに快楽を貪る。


「あ、い…もっ、んあ、あ、ああっ!」


 もう何回もイって感覚が鋭くなったアルベルの身体は、中を隙間も無いほどに埋め尽くされ前立腺を強く何度も擦られ、呆気なく絶頂を迎えた。
 クリフもまた、ぎゅっと絞られるようなアルベルが達した締め付けに、もう何度目になるかわからないが、またしてもどろどろになっている中へと己の熱いものを放った。













 眩しい光が閉じた瞼の裏側にまで浸透し、アルベルはゆっくりと眼を開けた。
 カーテンが開き放たれていて、高い天井に則して壁一面のほとんどに間取りされている窓から、溢れんばかりの太陽の光が部屋中に降り注がれている。

 ずっと降り続いていた雨は止み、健やかな青空が広がっていた。
 その窓のところに翼の生えている男がすっ裸で立っているのを見て、アルベルは思わず笑みを溢した。

 近寄って驚かしてやろうかという悪戯心が働いて、静かに体を起こそうとしたのだが、腰から尻にかけて激痛が駆け抜けすぐにベッドに逆戻りしてしまう。
 その音に気付いたクリフは振り返ると、呆れたように微苦笑した。


「お前馬鹿だな。あれだけヤったんだから動けるわけねぇだろ」
「誰のせいだと思ってやがる!」
「俺のせいだな」


 事も無げに言いながらクリフはアルベルの側まで来ると、新しく換えた柔らかなシーツに手を付き見上げてくるアルベルにちゅっとキスを落とした。


「おはよう、アルベル」
「……ああ」


 ぶすっとしながら、けれど照れたようにアルベルは笑った。
 全くもって心まで晴れたような朝だ。気持ちの良い朝だった。


「本当に、太陽の光を浴びても、貴様は死なないんだな」


 思い出したようにアルベルはぽつりと口にした。


「驚いたか?」
「いいや、貴様ならそれでもありかな、と思うぜ。太陽の方が暗闇なんかより断然似合ってる」


 挑戦的な笑みを浮かべてギラギラとした強い意思を饒舌に語る双眸は、やはり男気に溢れていた。
 しかも一度受け入れた事は否定もせずにそのまま潔く認めるくらいに性格はさっぱりとしている。

 なんとまぁ、本当に珍しい人間に自分は惚れたのだろう。
 これにはクリフも呆れられずにはいられない。


「嬉しい事言ってくれるじゃねぇか。さては何か裏があるな?」
「腹減った。貴様は俺の血飲んで大層腹が膨れているだろうが、俺は何も食ってねぇ」
「なんだ気付いてたのか。すげぇよがってたから、てっきりわかってねえのかと思ってたぜ」


 噛んだ跡が残っている首筋を、ゆっくりとなぞる。
 アルベルはピクリと反応を返すものの、その手を掴み、自分の火傷した指と絡めた。


「よく、そのまま俺を殺さなかったな」
「殺すつもりはねぇって言っただろ?」


 お前は全然信用してねぇみたいだったが、とクリフは揶揄するように付け足した。
 その事に関しては少しだけ申し訳なかった。
 何もしていない相手に対して、勝手に敵意を抱き、殺そうとまで思った。

 その感情に、はたして人間の血を吸って殺すバンパイアとどこが違うと言うのか。
 どこも違わない、残虐で非道なバンパイアと同じ事を自分は今までしていたのだ。

「お前みたいなバンパイアがこの世にはいるんだな。俺は……もっといろんな事を知らなければならないんだな」


 今回の事で、学んだものだった。
 どうやら英雄だのなんだの騒がれていて、面倒だ何だと言いながらもそれに流されすぎていたようだ。
 バンパイアならばすべて敵だと思い込んでいた。
 だがクリフは笑っただけだった。


「いいんじゃねぇか?まだ若いんだしよ。これからまたいろんなもん、見ていけよ」


 それが初めて会った相手に言う台詞かとか、はたしてどこまでこのバンパイアは自分を理解しているのかとか、えらく疑問には思う。
 だが、それも悪くはない。


「おら、早く飯食わせろ。俺は動けねぇんだ」
「へいへい。もう飯は用意されているだろうよ。主人思いな精霊達に感謝だな」


 クリフがぱちん、と一回指を鳴らすと、足元からするすると黒いものがいくつも這上がってきた。
 そしてあっという間に黒い服がクリフを包む。
 バンパイアの術とは便利なものだ。
 クリフはアルベルの体に毛布を巻き付けると、軽々と持ち上げ、部屋を出た。






 その後、違う部屋で待っていた精霊達が作った美味しい朝飯を食べた。
 よくもまぁ、小さいのに人間用の食事の用意が出来るな、と言いたくもなるが、これだけたくさんの精霊がこの場にいれば、それも可能なのだろう。
 ちなみにどれだけのキスマークが体中に付いていようと、首元に噛まれた跡があろうと、精霊達の慌てる様子は全く見られなかった。
 助けに来いよ、と言ったら、邪魔しちゃ悪いし、と返される始末。


「ねぇアルベルさん。私達精霊は、精霊同士でも契約が出来るんですよ」


 ソフィアはいつもの定位置であるアルベルの肩に座ると、主人の食事を見ながら言った。
 いきなりなんだ?と思いながらも、一応は頷く。


「お前はフェイトと契約を交わしているのか?」
「そうですよ」


 嬉しそうに笑ったソフィアは、言う事を言ったのか、すぐに城の中で遊びまわっている精霊達の中へと混じっていった。
 疑問に思いつつも飯を食べ終え、だるい体も精霊達に回復してもらい、服も新しいものに取替え、さっぱりとした面持ちでアルベルは城を後にした。





 だがこれから先、行きゆく場所で何度もこのバンパイアと出会う事になる。
 しかもクリフは律儀に服装を人間と同じものにし、コウモリの羽を隠してまで、だ。


「またかよ」


 アルベルは酒場に入ったとたん、げんなりと呟いた。
 このまま何も見なかった事にして外に出ようという手段が無いのは、まわりを飛んでいる精霊達のせいだ。
 向こうの精霊が気付く事があれば、こちらの精霊が声を上げる場合もある。

 そんなに長い間自分の城を空けていていいものなのかと聞いた事もあったが、あのまわりにある森には多くの獣が生息していて、人間は近寄らないのだと言う。
 近寄っても、術を施してきたとか獣達に守るように頼んできたとかで荒らされる事は無いのだと言っていた。


「よぅアルベル。また会ったな」


 振り返ると必ずクリフは笑って、アルベルにこっちに来いと手招きをする。
 アルベルは溜め息を吐きつつも、結局その隣に腰かけて、一緒に飲むのであった。




 そんな事がもう何度も続いた。笑い合って酒を交わし、時にはそのまま雪崩れ込むように身体を重ねる時もあった。
 『友』と呼ぶべき相手なのだろう。
 バンパイアハンターであるのにバンパイアが友であるというのも可笑しな話ではあるが、楽しいし安心するし、気も合うので仕方ないというものだ。

 失いたくない、大切にしたい。

 もちろん相手が男だから、そういう感情を愛というものに結びつけるのには抵抗がある。
 それでも愛していると言われれば悪い気はしない。

 共に行動しているわけではないのに行く先々でクリフと出会いながら、いろんなところを巡り歩いて、いろんな人と出会った。
 久しぶりに寄った故郷で、こうして父の持っていた刀、クリムゾンヘイトを手にする事も出来た。

 たまには一人で墓参りでもしてこいよ、と言った優しい低音で響く声を思い出す。


 もう、聞けないのかもしれない。
 もう、あの笑顔も見る事が出来ないかもしれない。
 もう、馬鹿な事で笑い合う事も出来ない、酒を交わす事も、身体を重ねる事も…………もう、出来ない。










 ぼたぼたと血が流れた。
 大量の血は地面に落ち、黒い斑点をいくつも作っていく。
 ぼろぼろになり、もう倒れても可笑しくないほどの深手をいくつも負ってもなお、アルベルは立ち続けた。
 刀を握り続けた。


「うおおおっ!」


 突き刺した刀に力を込め、そのまま肉を切り裂く。
 身体中に付いている血は、すでに自分のものなのか返り血なのかさえも判断が出来なくなっていた。
 襲い掛かってくる相手に向かって左手で溜めていた気を一気に放つと、刃のように風が波打ち、地獄のように炎が踊り、あたりのバンパイア達が悲鳴を上げて死んでいった。

 どれほどのバンパイアの消え失せ、灰になっていったかなんて全くわからない。
 だが、まだ多くのバンパイアがこの地にいた。

 精霊達もアルベル同様、疲労しきっていた。
 フェイトはとっくに力尽きて気を失ったソフィアを抱え、やっとの事でバンパイアの攻撃をかわしている。
 クレアもネルも、今はまだアルベルに力を分け与えるものの、もう限界に近かった。

 それでもアルベルは諦めなかった。
 少しでも多くのバンパイアを殺し、少しでも人々が悪夢から救われるように。
 そう、思えるようになっていた。

 アルベルはクリフに出会ってから変わった。
 復讐や憎悪ではない、守るという事。

 ほんの少しの誰かの幸せの為に、この力は使えるのだと。
 その為に人は強くなれるのだと。
 それをクリフは教えてくれた。

 たった一つの弱くてちっぽけな人間でも、大切なものの為には強靭になり得る、希望になれる。

 痛く無いわけがない。
 激痛しか走らない身体は、なぜそうまでして立つのか不思議に思えただろう。
 血まみれで、それでも強く射抜くような眼差しにどれほどのバンパイアが怯んだ事か。


 それは希望を望む人々の為に、そして共に笑い合った大切な友の為に。



「……あ――――」


 しかし、終焉は訪れる。
 無残にも、聖地と言われている場所で人々から神と崇められたアペリスは、人に手を差し伸べる事無く。

 大勢で敵わないのならそれ以上の数で攻撃をすれば良いという考えは、確かに最もな正論だった。
 一斉に飛んできたバンパイア達の術がアルベルの身体を貫く。
 幾多の細く黒い氷の塊が、腕に、足に、腹に、首に、そして心臓に、容赦無く突き刺さっていく。

 血にまみれた身体は、ゆっくりと倒れていった。
 何を最後に願っただろうか、閉じられた眼から、涙が零れ落ちた。


 願わくは……。

 紛う方無き生命の息吹よ、我に再び光を与えん事を。



 あの光を、あの黄金のような輝く姿を、もう一度だけこの眼に…映さん事を……。






 そこにいたバンパイアならば誰もが思っただろう。
 脅威は無くなり、これで世界は我等のものになる、と。
 世界を支配し頂点に立つのは人間ではない、我等なのだと。

 そんな心満たされた彼等に、いきなり眼の前で起こった事態が、はたして想像しうえただろうか。

 大地がざわめき空気が震えたとたん、倒れていくアルベルになお突き刺さろうと飛んでいく黒い塊を、それ以上の速さで風が切り裂いた。
 稲妻が降り注ぎ業火の如く焼き尽くし、地面から突き出た針の山が次々とバンパイア達を串刺しにしていく。
 その間を縫って生えてきた木の枝が生きた獣のように絡み付き縛り上げ命を吸っていき、水の矢が上空を飛んでいる敵を悉く打ち落としていく。

 そして、地面に打ち付けられる寸前でアルベルの身体を受け止めた男は、黄金の髪をなびかせ絶対零度の凍てつくような蒼い双眸をしていた。

 バンパイア達は戸惑った。
 なんせいきなり飛込んできて人間を守った男の背中には、自分達と同じ翼が生えているのだから。


「ア、ルベル?」


 全く動かないアルベルを、クリフは焦りを見せながらも優しい声で確認するように名を口にした。
 だが傷付き真っ赤に染まったアルベルの身体はぴくりとも動かず、首や心臓に刺さった黒い氷の塊を見て、その事実を認識する前に、本能が悟る。

 アルベルは死んだ、と。


 瞬間、何かが壊れたようにクリフの身体から爆発的に力が放出された。
 それは一気に聖地アペリスの街を覆い、隣にある広大な森や小さな村、隣接の街、聳える山々、挙げ句は世界を彩る海にまで及ぶ。

 力強く、それでいて暖かな光。
 眩いほどに鮮明な白い輝き。
 暗闇を暗闇で無くしてしまうほどの陽射し。


 それは、太陽という存在。





 光はすぐに消え、また辺りは暗闇に包まれる。
 しかしそれと同時に、一つの種族がこの地から消えた。
 すべてが灰になり、砂とかす。
 例外はあり得ない。

 そう、ただ一人、その光を発したバンパイア自身だけを除いては。


「アルベル、アルベルッ!ちくしょう眼を開けろ!」


 先程までの喧騒が嘘のようにシンと静まり返る中、クリフはアルベルを抱き締めたまま地面に横たわらせ、必死になって回復を施していく。
 精霊達も己の全力でもって回復術をかけるものの、アルベルの傷は塞がらず、体温は冷たくなっていくだけだった。
 スフレやロジャーやマリエッタ、クレアやフェイトまでもがすでに諦めて泣いてしまっている。

 どうしてこうなってしまったのだろうか、何が悪かったのだろうか。
 この地の近くまで来た時、久しぶりの故郷だと笑っていたアルベルはほんの少しだけ寂しそうに顔を伏せていた。
 クリフはその表情にすぐに納得した。
 両親が死んだ、その墓がここにあるのだろう。
 いろいろな思い出が残っている場所なのだろう。

 自分には故郷なんてものは無く、理解は出来てもその感情までを共感出来はしない。
 だったら自分はそこに行かない方が良いだろうし、それにたまには一人郷愁に浸るのも必要ではないかと思い、アルベルに勧めた。
 申し訳なさそうに、けれど笑って礼を言ったアルベルの後ろ姿はいつもと変わらない、美しく強い背中だった。

 異変に察知したのは、近くにあった小さな村の宿屋で身体を休めていた時だった。
 たくさんのバンパイアの気が聖地アペリスの方へ集まっている。
 一体どこをどうすればそんなに多くの、世界に散らばっているはずのバンパイアが一気に集結出来たのか。

 それは動物の群れと大差無い。
 初めは小さな集まりが仲間を呼びながら聖地へと目指した。
 闇夜の中でしか動けないバンパイアは、ゆっくりとゆっくりと、しかし確実に目的地へと足を進める。
 同胞の匂いを嗅ぎつけ群れは大きくなり、そして聖地へと到着した頃には、その数は半端でないほどに膨らんでいた。

 そうなのだ、アルベルは人々の噂とバンパイアの気配に従って旅をしているのだから、バンパイアが聖地に集まろうとしていたならば、自分達もまたここに来たのは当然の事だった。
 気配が感じられなかったのは、聖地アペリスという場所の洗礼された空気が、邪なるものをすべて掻き消していた為だった。
 皮肉にもバンパイアが聖地に入り込み、汚していった事によってバンパイアの気配が現われた。


「アルベルっ!!どうして……どうしてお前がっ」


 悲痛な叫びを上げて、血で汚れるのにも構わずにクリフは冷たくなったアルベルの身体を強く強く抱きしめた。
 眼には薄っすらと涙が溜まっている。

 駆けつけた時にはもう、アルベルは死んでいた。
 何も出来なかった、こんな強大な力を持っていても好きな奴の一人すら救えない。

 青白い顔は、まるで彫刻のように創られた美であり、紅い血で穢された事によって一層白さが浮き立っていた。
 身体中に刺さった黒い氷はまるでアルベルの血を吸っているかのように艶やかに輝き、細くしなやかな身体が真っ赤に染まった姿は、最後まであらがい続け戦い死を迎える、誇り高き英雄そのものだった。

 だからこそ、自分だけの為に求めずにはいられない。


「誰でもいい、誰かこいつを助けてくれ!頼むから……!!」


 見た瞬間好きになっていた。戦って、体を重ねて、垣間見えた弱さとそれ以上の強さに惹かれているのだと気付いた。
 愛している、アルベル、愛している。
 そう言うと、苦笑しながらも抱き返してくれる腕は細く、それなのに優しかった。
 城に篭り、ただ毎日を意味も無く過ごしていた日々は、いつの間にか美しく鮮やかな笑顔で埋め尽されていた。

 失いたくない、失ったらきっと、俺はもう何をしてしまうかわからない。

 しかしクリフの懇願は暗闇に消え、壊れかけたアペリスの像は、ただ二人の側に佇んでいるだけだった。
 精霊達はクリフの心に同調したかのように涙を流す。
 だがクリフ自身ももう諦めかけていた、そんな時、すっと出された滑らかな手にクリフは驚き顔を上げた。


「まだ、間に合います」


 傍らに膝をつき、静かな笑みでクリフに笑いかけた彼女は、己の力を高めた。
 眩くほどの、けれど決して激しくは無く、ただ静かで淡い白い光が優しくアルベルを包んでいく。
 どれだけ回復を施しても塞がらなかったはずの傷は瞬く間に塞がり、突き刺さっていた氷の塊は塵のように消滅していく。

 止まったはずの心臓が、トクン、トクン、と規則正しいリズムを刻み再び動き出し、見る見るうちに血色が良くなり、息を吹き返す。

 それはまさに奇跡と呼ぶべきものであった。

 クリフはぼんやりとまた呼吸をし始めたアルベルの顔を覗きこんだ。
 もう何度も見てきた、いつもと変わらない寝顔。
 そして、今度は嬉し泣きで涙を流しはしゃぎだした精霊達を見て、ようやく安堵の溜め息を吐いた。


「助かった……サンキュ」
「ええ」


 クリフの気の抜けた礼に、彼女は笑った。
 いつの間にか夜空には満月が浮かんでいた。


「久しぶりだな、月の精霊」


 クリフからそう呼ばれた女性は、精霊にしては大きく、外見は人間と同じだった。
 月と同じ金色の髪は輝きを放ち、柔らかな笑みを浮かべている。

 月の精霊、それは夜の世界に君臨する精霊の女王であり、普通の精霊に比べ能力が比較出来ないほどに優れていた。
 特に回復術においては最も頂点にいる存在である。
 すべての病を治し、傷を塞ぎ、命さえ蘇生してしまう。
 そしてその首には目の前にいるバンパイアと同じ、三本の線が浮かんでいた。


「そうですね、何年振りでしょうか。しかし噂には聞いていましたが、本当にバンパイアになっていたんですね。間抜けにも程がありますよ」
「ほっとけ。これでも色々と悩んだんだぜ?」
「城に篭って?太陽の精霊であろう貴方が、そんな状態だったとは嘆かわしい事です」
「相変わらず厳しいな、お前は」


 口調は笑いつつも、クリフは疲れたように息を零した。
 まだ、これが本当に現実であるかもあやふやな状態だった。

 本当にアルベルは生き返ったのか。
 このまま一生眼を開けないのではないか。
 そんな事を考えてしまう。
 あまりにも、都合が良すぎて。


「生きて……いるんだよな?」


 抱きしめているアルベルの頬に手を沿え、ゆっくりと撫でる。
 確かめるように、愛しむように。


「大丈夫、生きています」
「ああ、そうなんだな。本当に礼を言うぜミラージュ……ありがとう」


 クリフは心の底から感謝を述べる。

 抱きしめる手に力を入れると、心なしかアルベルが笑ったような気がした。





  to be continued...

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2006.02.13
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