Pain 後篇
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空は清々しいまでに晴れ渡っていた。
照らす太陽は地上に平等に光を注いでいる。
樹々は喜び囁き合い、風は緩やかに空に泳ぎ、火は静かに燻ぶり、水はそよそよと流れる。
大地はその姿を称え、雲雷はただひっそりと空から見下ろし、聖なるものは太陽の光を浴びてはしゃぎ、闇なるものは日陰でのんびりと眠っている。
自然の恵みは、いつもと変わらない姿だった。
眼を開けたとたんに見えたものは、心配そうに覗くスフレとソフィアの姿だった。
起きたー!といきなり大声を上げられ、しかもソフィアには泣き出されるものだから、驚くのは当たり前である。
なぜか全員がその部屋にいたらしく、わらわらと寄ってきて良かっただのなんだの口々に言っている精霊達に、アルベルは訳がわからず顔を顰めた。
人の顔の上でたむろっているもんだから、起き上がる事も出来ない。
「一体何なんだ?」
「何よ貴方、覚えてないの?」
ぴしゃりと言い放ちながらもやや眼が潤んでいるマリアに、アルベルはああ?とやる気の無い声を出し、緩く首を振る。
すかさずスティングが説明を入れた。
まわりはみんな、言葉を出そうにも泣いてしまっていて出せないようだ。
「昨夜、バンパイア達がここ聖地アペリスに押し寄せてきたんです。貴方は戦って、それで」
と、ちょうどその時、部屋の扉をがちゃりと開けた人物がいた。
彼は簡素なベッドに眠っているアルベルと、その上やまわりに飛んでいる小さな精霊達を見て笑った。
「大人気だな、アルベル」
クリフは少し古ぼけた狭い部屋に入ってくると、カーテンや窓を開け、入れ替わる心地良い空気に眼を細める。
気持ち良いなぁなどと言いながら漆黒の翼を伸ばすように何度か羽ばたかせ、白く薄っすらとした雲が青空に溶け込んでいく景色を眺める。
昨日の出来事をありありと伝えてくるような、あちこちと建物が壊れ地面が割れているという街並みに少しだけ眉を顰めたものの、笑顔でゆっくりと振り返った。
が、頭に疑問符を浮かべる事になる。
ベッドから起き上がっていたアルベルが扉を指差す方向を見ると、ちょうど静かに戸が閉められたところで、なぜか全員して出ていってしまったようだ。
「なんだ?」
首を傾げつつも、クリフは近くにあった椅子を引っ張りベッドの横に置き、腰掛けた。
「さぁな」
「まぁいいか。お前は身体大丈夫なのか?」
「ああ」
アルベルは頷くと、改めて近くにある顔を見つめた。
すぐにクリフは気付き、何か言いたそうなアルベルを見返す。
全く眼を逸らそうとしなければ、かと言って口を開こうとする素振りも見せない。
さすがにどうすれば良いのかわからずクリフは困惑しつつも、何気なく視線を外し、さてどうしたものかとあまり広くは無いが清潔感のある、けれど昨日のせいで少しだけひび割れてしまった部屋を見渡す。
そしてもう一度視線をアルベルに戻すと、思わず驚愕して眼を見開いた。
「アルベル?お前……」
アルベルは泣いていた。
涙をはらはらと流し、それでもクリフの顔をじっと見ている。
クリフが心配そうにアルベルの頬にそっと手を添えると、涙はその手を濡らしていった。
アルベルは眼を閉じ、その手の上に自分の手を重ね頬を摺り寄せた。
「俺は、死んだんだな」
ようやく思い出した、あの出来事を。
最後に死ぬ瞬間まで鮮明に記憶に蘇っている、痛み。
身体中が血まみれになり、確かに心臓を貫かれた。そしてあの時、自分は何を願ったのか。
「まさか死後の世界で、もう一度こうして貴様を見る事が出来るなんてな」
天国だとか地獄だとか、そういったものを今まで信じてきたわけではないが、それでも今の状況にはそんな死後の世界があったのだと思わされてしまう。
もしかしたら本当に神が最後の願いを叶えてくれたのかと。
だがクリフは笑って首を振った。
「お前は死んじゃいねぇさ。いや、確かにお前は一度死んだ。でも、生き返った」
「何を言ってやがる。死んだ人間が生き返るわけないだろうが」
「信じなくてもいいさ。だがこれだけは言っておく。これは、現実だ」
クリフは夢を見ているような面持ちで涙を流し続けるアルベルを引き寄せ、抱きしめた。
呻き声を上げるのにもかかわらず、細い身体が軋むほどに力を込め、首筋に顔を埋めた。
「い、てぇ、クリフっ、痛ぇよ」
何とか緩まないかと身じろぎするが、背中に回された腕は余計に食い込む。
どうしたら良いのかと歪んだ視界を見ながら考えていた時、ふと肩口が湿っているのに気付いた。
「クリフ…?」
よく見ると微かに身体が震えている。まさか泣いている…のか?
一体誰の為に……俺の為に?
「クリフ……クリフ」
アルベルは確かめるように何度も相手の名を呼んだ。
そっと抱き返すと、クリフはようやく顔を上げた。
今まで見た事のない濡れた蒼い双眸が、あの時もう一度見たいと望んだ黄金の髪が、そして自分が魅せられた整った顔がすぐ間近にある。
しかも怒っている表情を見るのも初めてだった。
「心配かけさせやがって、この大馬鹿野郎が!」
「すまねぇ」
アルベルは泣きながら笑った。
ようやくこの瞬間が現実なのだと認識出来てきた。
抱きしめられた痛みも感触も、伝わってきた体温もすべて本物なのだと。
己は、生きているのだと。
「はは、まさか貴様の泣きっ面を拝める日が来るなんてな」
「当たり前だろ。お前一度死んだんだぜ?全く、あん時ゃ俺の心臓まで止まるかと思ったぜ」
不貞腐れたようにぶすっとした表情で涙を強引に拭き、愚痴を零すクリフにアルベルはこれ以上揶揄する事無く、力強く頷いた。
「俺も、まさかもう一度こうやって貴様と向き合える時が来るなんて、あの時は思いもしていなかった。あ、ちくしょ……また涙出てきた」
「いっぱい泣けよ。全部受け止めてやるからよ」
ぼろぼろと泣きながらアルベルは広い胸元へと擦り寄っていった。
今度はちゃんと嗚咽を漏らし、泣き声を上げて。
生きているのだ、そんな事がこんなにも嬉しくて、こんなにも幸せだと思う。
暖かいものが胸から溢れて零れ出てきて、涙の結晶へと変わっていく。
頭を撫でられて背中をさすられて、耳元で愛していると囁かれる、そんないつもされていた事がこんなにも懐かしいと感じる。
「俺…俺っ……!全部、諦めち、まってた…っ。…でもどっかで、……っ、もしかしたら、…来てくれるんじゃ、ねぇかって。お前が、助けてくれるんじゃ、ねぇかって!」
「ああ、駆けつけた。お前が心配で、お前の事死なせたくなくて」
「この街は……助かったんだ、な…?」
泣きながらも必死になって言葉を綴っていくアルベルの内には、一つの疑問が浮かび上がっていた。
自分が死んだ時、まだ多くのバンパイアがいたはずだ。
一体あの後街はどうなったのか、人々はどうなったのか、バンパイア達は……世界は?
不安そうにアルベルがクリフの顔を窺うと、クリフは苦笑した。
「バンパイアは全滅した」
「全、滅!?」
信じられない、といったふうにアルベルは涙で濡らし真っ赤になった眼を見開く。
「精霊が現れたんだ。ものすげぇ強い、な」
「それって……太陽の精霊と、月の精霊の事か?あの、伝説でしか存在しないって……いう?」
クリフはそれ以上何も言わなかったが、その代わりにあやすようにぽんぽんと背中を叩いてやった。
街は大半が壊れてしまったが、バンパイアはいなくなり人々は救われた。
人間の力ならきっとすぐにまた自然豊かで綺麗な街に戻るだろう。
アルベルは本当に良かった、とクリフに力いっぱい抱きつき子供のように泣きながら何度も頷いた。
安心と、優しさと、喜びと、幸せが全て、涙に変わっていった。
「あらあら、良い展開になってきたわ」
「うーん、クリフさんってホント優しいですよね。同じ男として憧れるなぁ」
閉じられた扉にぴったりと耳を付け、こっそり中の会話を聞いていた精霊達は、思い思いに溜め息を吐いた。
「どうやらうまく誤魔化しちゃったみたいだね」
「折角の機会なんだから、自分の正体をもっとはっきりと言ったら良かったのに」
フェイトとマリアは溜め息を吐き、後ろにいたソフィアも眼を腫らしながらこくこくと頷く。
アルベルが死んだ時、ソフィアは気を失っていて自分の主人が死んでいた事すら知らなかった。
自分だけが何も出来なかった、そう悔やまずにはいられない。
もし自分が気絶なんてしなければ、バンパイアの攻撃からアルベルを守れたはずだった。
そうすればあんな悲しい状況にならなかった。
月の精霊が来てくれたから良かったものの、もし来なければ、アルベルは本当に死んでしまっていたのだから。
「私、みんなの事大切だよ。でも、同じくらいアルベルさんとクリフさんの事も大切だよ。だからこうしてまた二人が寄り添って生きていけるって事、凄く嬉しい。また前みたいに一緒にいられるの、凄く嬉しい」
フェイトとマリアは顔を見合わせた。
僕もだよ、とフェイトは同意し嬉しそうにソフィアの頭を撫で、マリアは仕方ないわね、と肩を竦める。
「だいたいクリフったら間抜け過ぎるのよね」
そもそもなぜ太陽の精霊であるクリフがバンパイアになってしまったのか。
それはもう何年も前の事、アルベルと出会う前、まだバンパイアになる前のクリフというのは意外と女で遊んでいた。
もちろんサイズ的に普通の精霊達では無理なので、人間が相手である。
そんな状況下でたまたま夜中に人間の住む街から帰る途中、城の近くで力の弱った女性を見つけてしまい親切に事の様子を聞いてしまったのがいけなかったのだろう。
夜中だった為に気付かなかったのだが、その女性の背には真っ黒な翼が生えていた。
しかもバンパイアの力が弱まりすぎていたせいで、その女性がバンパイアだと判断するのが遅れてしまったのだ。
いきなりその女性に噛まれて、しかもクリフの容姿を見て己のものにでもしようという欲望が働いたのか、あらん限りの力を振り絞りクリフをバンパイアに変えてしまった。
だがそのバンパイアは死んだ。
相容れる事の全く出来ない精霊の血を飲んだのだから。
双方して相手の種族が見抜けなかったという間抜けな話だ。
その後アルベルが城に訪れるまでの間、精霊なのにバンパイアになってしまった事でクリフは城から出なくなった。
力は精霊の時と変わらず使えるし、体質もさすがは太陽の精霊というべきか、バンパイアの特質は全く関係なかった。
ただ羽が生えて、バンパイアの術も使えるようになったという美味しい状況だ。
だが太陽の精霊は、月の精霊が女王であったように、いわば精霊の王である。
そんな存在である者がバンパイアに変わってしまったなどと言ったら、それこそ世界の精霊達は混乱する事になるだろう。
クリフは自らをあの城に閉じ込め、代わり映えのない毎日をただひっそりと迎えていた。
「でも良かったわね、二人出会えて。きっとクリフさんがバンパイアにならなかったら、二人がこうやって巡り会える事は無かったのでは?」
「そうだね。アルベルも小さな頃から比べると凄く変わったね。あの頃は、見ている私達がつらかった」
クレアとネルも幸せに浸りながら、過去を振り返る。
アルベルはいつの間にか泣くようになって、笑うようになって、穏やかになっていた。
二人が出会ってくれて良かった、と心から思う。
「あれ〜あれ〜」
「どうした?」
いまだにぴったりと耳を付けていたスフレに、みんなが不思議そうな顔をする。
代わりに答えたのは、同じように耳を付けていたロジャーだった。
「濡れ場突入じゃん。普段と全く変わり無し、いたって正常じゃん?」
「そう、じゃあ私は街の様子でも見てこようかしら。ここにいてもどうせ当て付けられるだけだし」
「あ、マリア。僕も一緒に行くよ」
「ソフィア、散歩でもしようか」
「うん!」
いつも通りの展開にようやく一息つき、主人思いの精霊達は明るい外へと遊びに行くのであった。
クリフは街から出てきたアルベルに声をかけた。
「いいのか、本当に?」
「いいさ。俺がこの街にいたところで、出来る事は何一つねぇよ」
「でも、クリムゾンだったか?その団長の地位に戻って欲しいって言われたんだろ?バンパイアがいなくなったんだから、バンパイアハンターなんて職は必要ないしよ」
アルベルは街を救い、世界を救ったと讃えられた。
アルベル自身は否定しても、まさか本当にいるかもわからない、姿もわからない太陽と月の精霊が救ったなどと言っても、誰も信じてはくれない。
そして世界を救ったアルベルを再びアペリスの最高機関クリムゾンに置けば、すぐに街は復興し、人々も活気付くという事なのだろう。
それにアルベル自身にも多大の金や名誉、将来死ぬまで贅沢の出来る暮らしという利益が待っていた。
だがアルベルは断った。
「俺はそんなもん望んでねぇよ。崇拝の対象にされて祭り上げられチヤホヤされるつもりもねぇ。俺が求めているものは、この刀と共にある事だけだ。それに」
アルベルはクリフを見返すと、意地悪く笑った。
「貴様と一緒にいる方が楽しそうだ。な?」
まわりの精霊達に同意を求めると、皆楽しそうに頷き笑った。
クリフも思わず苦笑してしまう。
クリフはバンパイアであるから、常に人間のいる街に残る事は不可能だった。
死なないからだ。
だがアルベルには寿命がある。
いつかは死ぬ運命が待っている。
だからアルベルが街に残ると言うのであれば、全く構わなかった。
もし共に行くのであれば、自分にもアルベルにもきっといつか辛い未来にぶつかるから。
「でもま、お前がそう言うんなら俺は止めねぇよ。これからもよろしくな」
「ああ、よろしくな。クリフ」
明るい太陽の下、友との新たな出発に、二人は握手を交わした。
そして世界の救世主となった彼等は旅に出る。
共に助け合い、笑い合い、寄り添いながら、この広い世界をのんびりと巡っていく。
強くひたむきに、ただ真っ直ぐと前に進む時があれば、後ろを振り向き立ち止る時もあるだろう。
それでも、後悔はしたくないから。
いつか来る別れの痛みを抱え、己が道を、突き進みたまえ――――
...end.
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吸血鬼パラレルものですが、設定をほとんど自分なりにしてしまっています。
設定だけ考えると、ギャグです。
内容的には、かなりシリアスなお話なのですが。
2006.03.09 改定
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