紛う方無き生命の息吹よ、我に再び光を与えん事を。
Pain 前篇
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血の臭いが辺り一面に広がっていた。
闇夜に吹く冷たい風は身体を恐怖で震わせ、月さえ出ていない空は、希望の一つさえ失うよう。
こんな場面を一度だけ見た事がある気がする。
こんな風に追い詰められて、逃げ場も無い……けれどあの時は父が助けてくれた。
彼の命と引き換えに。
汗が流れ顎から一滴ぽたりと落ちる。
喉が渇ききって、うまく呼吸が出来ない。
他の同士やこの街の民の半数は殺されてしまったか、人間では無くなったとたんに灰になったか、はたまた運良くこのような場所でその姿を変える事が出来たか。
どれにしろ、決して良いとは言えない状況だ。
まさかバンパイアが、このアペリスの聖地に押し寄せて来るとは、一体誰が想像出来ただろう。
人間達を脅かす敵、バンパイアの存在は今や世界中にその恐怖を知らしめていた。
闇と共に現われ、光がやってくる前に消える。
夜道を独りで歩くには危険過ぎる世の中である。
そんなご時世で最も需要の高い職は、バンパイアハンターだった。
彼等は世界を救う希望として人々から羨望され、その期待に答える為、日々をバンパイア討伐に費やしていた。
だがそれほど多くはいなかった。
ハンターになる為にはアペリスの洗礼を受けなければならず、洗礼を受ける為にはクリムゾンと呼ばれる聖地アペリスを守る兵となり、力を認められなければならない。
聖はバンパイアの最も苦手とするもので、だが力が無ければ意味が無いからだ。
手前勝手に敵に突っ込んで行き、無駄死にだけですむならまだ良い。
だがバンパイアは人間を同族にする能力があり、無闇にこれ以上増やす訳にはいかず、その為強き者だけがハンターとなれた。
ハンターだけが夜道外出を許可され、街を渡り歩く事が許されていた。
今この聖地アペリスの像の前で大勢のバンパイアに囲まれている若き青年、アルベル・ノックスもまたバンパイアハンターの一人だった。
彼の手には聖母アペリスに最も近いと云われるクリムゾンの最高兵に与えられる武器、クリムゾンヘイトが握られている。
バンパイアハンターとして、彼の名を知らぬ者は世界にはいないだろう。
彼は幾多のバンパイアの生息地を沈めバンパイアからは恐れられ、民からは世界の希望とさえ謳われている人物だった。
アルベルは刀クリムゾンヘイトを鞘から抜いた。
洗練された銀の刃は、まるで一つの命が宿っているかのよう。
さすがはクリムゾンの最高兵にしか持てないと言われるだけはある、その刀には、本当に意志が宿っているのだから。
前クリムゾンヘイトの保持者、グラオ・ノックスがこの世からいなくなって九年、彼はつい最近ようやくこの刀を手にした。
この地に久しぶりに帰ってきた……そんな矢先だった。
もって、五十……後は神に委ねるしかないか。
アルベルは苦笑した。
常に人の希望として生きてきたこの身が、遂に希望では無くなろうとしている。
空に浮かんでいる数も合わせて、ざっと千はいるんではないだろうかというバンパイアがこの街に入ってきただろうか。
しかも彼等は最も苦手であるはずの聖そのものであるこのアペリスの地に踏み入れ、自分の背後にある聖母アペリスの像を目の前にしても立っているだけの強さがある。
それでも一対一ならば無傷で殺れるだけの強さがアルベルにはあるのだ。
しかし一人ではこの数を相手にする事は不可能である。
それがわかってしまっているせいか、先程から恐怖で身体の震えが治まらない。
そんなアルベルを安心させるように、いくつかの淡い光が彼のまわりを飛び回っていた。
現在、この地に世界のすべてのバンパイアが押し寄せている。
その理由を簡潔に云ってしまえば、この場所が彼等にとって一番厄介な場所であったからだ。
ハンター達の功績によって同胞達は殺されていき、居場所もだんだんと奪われてきている。
バンパイア達も窮地に追い込まれていたのだ。
そして彼等は一丸となり、世界の中心であるアペリスの崩壊を目論んだ。
まさかバンパイアにこれほどの団結力があるとは思いもしなかった。
否、灰にならずに聖地アペリスに踏み込めるだけの強敵なバンパイアがこれほどいるとは想像も出来なかった。
だが諦めはしない。
「この命が尽きようとも、俺は最後まで人の希望であり続けてやる」
……そして、一人のバンパイアの為に。
艶やかに光る刀を構え、アルベルは恐怖を薙ぎ払うように、敵の中へと自ら身を投げ出していった。
遠く深い森の中からでも見える壮大な建物を、アルベルは眺めた。
黒く厚い雷雲を背に豪雨が降り、強い風が吹きあられ、時折鋭い雷が鳴り響く。
そんな暗くおぞましい、いかにも悪が住んでいるような場所だった。
「ここがバンパイアのいるっていう城か?」
打ち付けられる雨を森の木々が多少和らげてくれるものの、辺りは酷く煩い。
びしょ濡れになった服がじとりと重くなり、長い髪からはぽたぽたと雫が落ちる。
本来ならそんな呟いたような問いかけは雨に消され、答えられるはずは無い。
だが返事は返ってきた。
「そうみたいだね。凄い場所だなぁ」
「大丈夫?近くの街の噂だと、ここには今まで見た事も無いような竜まで住んでいる、恐ろしい場所だって聞いたよ」
耳元で囁かれる小さな二つの声に、アルベルはにやりと笑ってみせた。
「大丈夫だ。俺が今まで失敗した事なんて無かっただろ?」
「そうだよ、ソフィアは心配性だな」
「でもフェイト、用心に越した事は無いよ」
ソフィアはアルベルの肩に座り、そのすぐ近くをフェイトがふわふわと飛んでいた。
彼等は精霊と呼ばれた小さな生物だった。
それぞれに一つだけ何らかの特殊な力を持ち、時に人間と契約を交す事によってその力を貸すのである。
契約した者は彼等の力を借りる事によって己の中にある「気」を具現化させる事が出来るのだが、もちろん精霊の力には強弱がある。
強い精霊と契約を交わすには、精霊が認め主人と定められるだけの強さがなければならない。
しかも己の最大限の力を発揮する為には精霊との相性が必要になってくる。
樹の精霊であるソフィアと、聖の精霊であるフェイト。
二人はアルベルがバンパイアハンターになり、こうして世界中を徘徊している時に出会い、契約を交わした精霊だった。
フェイトの方は能力値が非常に高く、だがアルベル自身もアペリスの洗礼を受けている為に聖の気が高く、相性は良かった。
ソフィアはフェイトの後をついてきただけだったが、アルベルとの契約はしっかりと交わしてくれたのだ。
「ところでネルとクレアはどうした?」
「偵察に行ってるよ。こういうところは魔物が出やすいから」
「そうか、じゃあ少しの間休憩するか」
アルベルは二人を促し近くの樹に寄りかかった。
ソフィアが雨を凌ぐ為にまわりの樹々に頼んだのだろう、樹々の枝がひとりでに動き頭上に屋根が出来る。
礼を言うとソフィアは嬉しそうに微笑んだ。
フェイトはいつの間にかもう片方の肩に座り、城の方を眺めていた。
本当に酷い嵐だった。
近くの街の人々は、この嵐はすでに一週間以上降り続いていると言っていた。
その原因はあの城に住んでいると言われているバンパイアのせいだという噂だが、はたしてそれを鵜呑みにしていいのかどうか。
もし自然のせいでなく故意的に雨を降らせているのだとすれば、それは明らかに精霊の仕業になる。だがバンパイアが精霊と契約を結ぶなどと言う話は今まで聞いた事がなかった。
バンパイアは精霊とは相反する、互いに受け入れる事など有り得ない存在同士だ。
もし人間の時に精霊と契約を交し、それからバンパイアに変わってしまった場合でさえ契約は破棄される。
それほどにまで二つの種族は反りが合わないのである。
だからと言ってこの嵐は自然のものだ、という事にはどうやらならないらしい。
ここの地域は元々豊かで食物がよく育つという。
雨は降っても二、三日で止む。
しかもこういった嵐は初めての事だと言うので、聞く限りではやはり精霊の力だろうと憶測出来る。
ならばあの城にいるのは人間か?
一体バンパイアが住んでいるという噂はどこからやってきたのだ。
「なぁ、別に放っておいてもいいんじゃないか?そいつが直接街の人間に危害を加えたわけじゃねぇし。たかだか一週間の雨じゃねえか」
「駄目だよ!街の人達が困ってるんだよ?助けてあげなきゃ。ね、フェイト」
「そうだね。あまり光が無いから僕としても居心地が悪いし、それに仮にも世界が誇る聖アぺリスの最高機関クリムゾンの元団長が、そんな事言ってちゃ駄目だろ」
「……そうなんだがな」
仮、と言われているあたり精霊達は彼の性格を把握しているし、アルベル自身も本来あるだろう英雄像からかけ離れた性格である事は自覚している。
むしろそんなものはどうでも良かったりする。
「あ、帰ってきたよ」
暗い森の向こうから二つの光が見えた。
ふわりふわりとアルベル達の前にやってくるにつれて、姿がはっきりとしてくる。
火の精霊ネルと風の精霊クレアは、アルベルがまだクリムゾンに所属していた時に契約を交わした精霊だった。
「ただいま」
「お帰り、ネルさんクレアさん」
「どうでした?」
ソフィアが心配そうに聞くと、クレアはにこりと笑った。
「大丈夫。城まで一本道だったわ」
「森の中に魔物の気配はしたんだけどね。でも飢えている様子も無く襲ってくる気配も無い。静かだったよ」
「そうか。じゃあ城まで力を温存出来るわけだな。行けそうか?」
「誰に聞いてるんだよ」
「そうだったな」
フェイトの言葉にアルベルは笑った。
さて行くか、と歩きだしたアルベルの頭にネルとクレアが座ったりしたものだから、少しだけ不本意そうに顔を眇めたものの、溜め息を吐いただけだった。
こうして彼等は城を目指していった。
大きく重い鉄扉は以外にも鍵はかかっていなく、すんなりと開いた。
中も蝋燭が所々に置かれ怪しい雰囲気はあるものの、それほど暗くもなく、外の気温が嘘のように暖かいので雨に濡れた体にはありがたかった。
「どうだ?」
水の滴る髪の毛を掻き上げながらアルベルは探るように辺りを見渡した。
「いるよ。確かにバンパイアの気がある。だけど、なんだろう」
「うん、凄く小さいよ。本当に注意しないとわからないくらい」
「気になるのはむしろ私達精霊と同じものが大きい事だね。凄いよこれは」
「でもバンパイアはいるのよね。一体どういう事かしら」
口々に精霊達が言っていく言葉をアルベルは聞きながら、刀に手を沿え警戒を強めた。
何かがいる、それは自分でもわかる。
だがクレアが疑問にしたように、人間である自分にとって、ここの気は包まれるような安らぎを与えてくれ、これは精霊の力が強いおかげだとわかる。
はたして今までこれほどの精霊の気を感じた事があったかどうか。
だからこそ余計におかしいのだ、こんな中にバンパイアがいるなどという事は。
しかし自分の精霊達が間違うなどとは有り得ない。
「っ、危ない!」
何か紫のものがチカリと一瞬だけ見え、アルベルは叫んだ。
ほぼ同時に、鋭い落雷が自分達目掛けて落ちた。
続けて二つ、三つ。
飛び退き全員無事だったが、着地したとたん次は床が揺れ、下から上へと土が突き刺す針のようにドゴドゴと襲ってくる。
「ソフィア!クレア!」
アルベルは二人の名を呼んだ。
精霊は主人に呼ばれた事で主人が術を使うのだと判断し、己の中にある力を主人に流す。
ソフィアの力を使い、球体のバリアでそれぞれ自分と精霊達を包ませ、クレアの力で自分の体を空中へと浮かせる。
「あれー、外しちゃったー」
「なかなかやるじゃん」
そんな気の抜けるような声が聞こえていた。
地面が元に戻り、アルベルがゆっくりと着地すると、散り散りに避けていた精霊達が自分の方に集まってくる。
雷で打ち焦げたはずの場所も突き上がってきた土の柱の数々も、もうすべてが元通りになり痕跡など何もない。
どうやらこの城自体にかなり特殊な術がかけられているようだ。
人間にも無い、精霊にもこんな術は無いとすれば、やはりここにはバンパイアがいるのか?
「どうしていきなり私達を狙うんだい!?」
「どうしても何も、不法侵入者でしょー」
「それはその通りかもしれないけど、でも理由聞いてもいいんじゃない?」
ソフィアが諭すように姿を現さない精霊に言葉を投げ掛ける。
それをどう取ったのか、向こう側の精霊がひょこと階段の上の手摺から姿を見せた。
肌が黒く、雷の力を帯る女の子がにこりと笑った。
「では、まずは自己紹介から。私はスフレでこっちがロジャーちゃん」
「よろしくじゃんよ」
これまた、えらく小さい子供の精霊が偉そうに胸を張る。
それに対し律儀というかそれが礼儀なのか、こちらの精霊達も各々の名前を告げていく。
アルベルは面倒だと思うものの何故か全員して自分の事を見るのものだから、居心地が悪く仕方無しに名を言った。
「んで、貴方達は何しにこんなところまで来たの?ここにはなーんにも無いよ」
「俺はバンパイアハンターをしている。近くの街でこの城にバンパイアが住んでいるが、近頃はそいつが雨を意図的に降らしているせいで街の農作物に被害を及ぼしていると聞いたので出向いた。貴様等の主人は本当にバンパイアなのか?」
「そうだと言ったらどうするじゃんよ?」
「悪いがそいつには死んでもらう」
アルベルが刀に手をかけ精霊を睨みつけるが、精霊という生き物は元々好奇心旺盛でいたずら好きで怖いもの知らずな上、同じ精霊ならばすべて仲良しという仲間意識が成り立つらしく、精霊を四人も連れているアルベルに対しても全然動じない。
しかもさりげに正直者だったりするからアルベルには理解しがたい生物だった。
「うん、バンパイアだよ」
「なっ……貴様等は相入れないはずのバンパイアと契約しているのか!?」
「あはは、驚いてる驚いてる〜」
「へぇ、そんなバンパイアがいるんだ」
「凄いですね。私、初めて聞きました」
「私もだよ」
「あ、私もです。世の中本当にいろんな事がありますねぇ」
などと呑気に言っている自分のまわりにいる精霊達を放っておいて、アルベルは刀を抜いた。
かなりの焦りが生じてくる。
元々バンパイアには特殊な術が多い。
しかも人間と違って、精霊がいなくてもかなり高度な術まで使え、その威力は限りなく高い。
そんなバンパイアが万が一でも精霊と契約を交わしていたらどうなるか。
人間では勝ち目が無いかもしれない可能性が出てくる。
だがバンパイアハンターとして、そしてこの世のすべてのバンパイアが憎いアルベルにとって、相手がどれほど強くても剣を引くわけにはいかない。
アルベルは父はおろか、母さえもバンパイアに殺されていた。
「そいつはどこにいる」
「そこにいるじゃんよ」
「な!?」
そこ、と指された場所に慌てて顔を向けたとたん、コツン、コツンとどこからか足音が聞こえた。
いつからそこにいたのだろうか、足音の主は闇の中からすっと姿を現した。
アルベルは驚き、その男を凝視してしまっていた。
バンパイアという存在というにはあまりにもかけ離れているほどの明るい黄金の髪。
強い光を宿す蒼の双眸は、夜中だけに生きるはずのバンパイアにしてはあまりにも眩い。
大体バンパイアは普通、死んだように眼の光は無く、ただ血を求める為に狂気に彩られているのではなかったか。
バンパイアとして判断出来るのは背中から生えているコウモリの翼のみで、他は今まで見てきたどのバンパイアとも似ても似つかない。
その上言うならば、服の上からでもわかるほどに逞しい肉体を持ち、肌もバンパイアの癖にやたらと血色が良い為、全身を黒一色で揃えていても暗いイメージが全く無い。
極めつけに、顔はこの上無く端整で凛々しく格好良く、女性ならば思わず眼を惹かれてしまわずにはいられないだろう。
「俺の城へようこそ、バンパイアハンターのアルベル。俺はクリフって言うんだ。よろしくな」
そのバンパイアは呆気に取られているアルベルの前に立つと、狩られる立場にいるというにもかかわらず友好的に挨拶をし笑顔を向けた。
しかもアルベルの左手を取り、その酷い火傷の残っている甲に恭しくキスをしたではないか。
これには普段の鋭い眦は驚愕して見開かれ、常に無表情で時折冷笑を帯びるだけの極上に美しい顔は、真っ赤に燃え上がった。
「な、なな、な……っ」
しかも言葉までどもっている。
「な?」
「何しやがるんだテメェ!!」
アルベルは憤り、怒り任せに刀を振った。
だがクリフと名乗ったバンパイアはコウモリの羽を広げふわりと宙に浮き、それをなんなくかわす。
しかもニヤリ、という質の悪い笑みと一緒なものだから、アルベルは余計にキレた。
「ぜってぇ許さねぇ!ぜってぇぶっ殺す!!フェイト!!」
「え、あ、うん」
二人のやり取りをどうして良いものかと傍観していたフェイトは、いきなり呼ばれた事に戸惑いつつも、アルベルに力を流す。
「へぇ?なかなか」
その膨れ上がる気の大きさを見て、クリフは面白そうに笑った。
相手がバンパイアの一番苦手な属性であるにもかかわらず余裕の笑みだ。
アルベルは力を具現化させ剣を形取った矢の数々を創りだし、宙に浮かんでいるクリフへと一気に放った。
だが、それらの一つすら、このバンパイアに当たる事はなかった。
アルベルの放った矢は、クリフのまわりに起こった風によってすべて掻き消されてしまったのだ。
「アルベル、あれは私と同じ属性の精霊です」
クレアが落ち着いた様子で告げる。
風が止み、現れたのは二人の精霊。
「サンキュ。スティング、リーベル」
「主人を守るのは契約した精霊として当然の事です」
「怪我はないようですね。良かった」
二人の風の精霊はふわふわと飛びクリフと話していると、他の精霊達も寄っていった。
アルベルはまたしても動揺していた。
それもそのはず、会話を聞くに今の風はクリフが精霊の力を借りて起こしたのではなく、精霊がバンパイアの力を勝手に使ったのだ。
しかも、たとえ二人であの風を起こしたのだとしても、自分の攻撃を簡単に相殺されてしまった。
先程の雷や地震に対しても同じだ。あのバンパイアが攻撃してきたのではない、精霊が自らの意思でやったのだ。
だがあれだけのものを精霊達が繰り出したとなると、主人にかかる負担は相当なもののはず。
元々精霊自身の力は人間に比べるとそれほど強くはなく、あくまで主人が力を使う時にその力を増幅させ具現化してくれる役割を果たす為にいるのだから。
それともバンパイアは精霊と同じように力を増幅させる作用が働くのであろうか。
と、いうか本気でバンパイアと精霊が契約を交わしているのか!?
眼の前で起こっている異様な光景に対して悶々とアルベルが考えていると、そんな哀れとも言うべき男を察し、クリフは声をかけた。
「それで?」
「あ?」
クリフは床に足を付けると、またしてもアルベルの方へと近づいていく。
「お前がこんな所に来た理由。いきなり攻撃してこられてはなんだが、ちゃんと理由があっただろ。お前すげぇ美人で気が強いなんていう、俺のタイプ直撃だからな。お願いされりゃ、聞いてやらねぇでもないぜ」
かなり侮辱しているような言い方にアルベルは余計に怒りを募らせながらも、自分を耳元で宥める精霊達のおかげで、どうにか冷静に保つ。
だが刀の先はクリフの喉を突き刺すように向けていた。
それすらも動じないから、余計に腹が立つ。
「街の連中が、貴様が雨を降らすせいで困っているんだ。とりあえず止めろ」
「雨、ねぇ……」
クリフはまわりにいる精霊を見比べたあと、仕方無いなというように笑ってみせた。
「雨……水ならマリアの仕業か。どうりで近頃少しだるいと思ったぜ。勝手に力を使ってくれるのは構わないが、もう少し自主してもらいたいもんだ」
「そうだね〜」
「お前もだ、スフレ。たまに雷が鳴ってんじゃねぇか」
「あ、あはははは」
「あとは」
じろり、と他の二人にも眼を向ける。
雨・雷同様、轟々と吹く風も決して自然のものではなかった。
片方が首を振ると、もう片方が萎縮したように慌てて頭を下げた。
「すみませんっ。風は僕が起こしました」
「お前かリーベル。どうせまた何かの罰ゲームとかだろ?ま、何でも良いが力を使うのはほどほどにしてくれ」
そのうち俺がバテちまう、と笑うクリフからは、台詞とは裏腹に全くと言っていいほど疲れを感じない。
一体どれだけの力を秘めた者なのか。
バンパイアとしても、これほどの使い手が他にどれだけいるのか・・・きっといはしないだろう。
精霊とバンパイアが契約している事に納得したわけではないが、それを抜きにしても、あまりの力の桁違いにアルベルは悔しさを紛らわすように怒鳴った。
「止めるのか!?止めねぇのか!!?」
「あー止めても良いが、俺には何の得も無いからな。困りもしねぇし」
深紅の鋭利な眼差しにものともせず、さらりと言ってのけた。
利益が無いのになぜわざわざ人間の願いを聞いてやらなければならないのか。人間と敵対しているバンパイアにそんな義理など端から無い。
しかもたかだか一週間程度を契約している精霊が力を使ったくらいで、くたばるような男ではなかった。
「まぁさっきも言った通り、お前はすげぇタイプだから聞いてやってもいいぜ。それなりの代価を支払ってもらえればな」
「代価、だと?」
「ああ、俺はあまり城の外に出ねぇから、もう何年もセックスしてねぇんだよ。だからお前、俺に抱かれろ」
あまりの衝撃にアルベルは思わず刀を落としてしまった。
カシャン、という音が城の中に反響する。
だがそれほどに大きな音がしたのに、アルベルは固まってしまって拾えずにいた。
そんな様子をにやにやと笑いながら、クリフはアルベルの身体を舐めるように見つめた。
聖人らしい黒服に包まれている身体はほっそりとしていて肌も色白く、無駄な肉が全く無いものの男らしく筋肉はしっかりとついている。
やけに色っぽく見えるのは腰のラインから太腿にかけてのせいだろう、女らしい丸みは無いが綺麗に括れがあって、かなりそそられる。
アペリスの象徴が袖に描かれている上着は腹が出ているほどに短く臍が丸出しで、パンツをはいている足はスラリと長く、脹脛あたりにスリットが入っている為に見える白さがこれまた噛み付きたくなるほどに綺麗だ。
太腿まである長い髪は不思議なグラデーションに彩られ艶やかさを帯び、あからさまな敵意を向けてくる深紅の双眸は宝石のように透き通っている。
しかも滅多にお眼にかかれないほどの極上な美人ときた。
これを見逃しては、一人の男として情けないではないか。
据え膳は喰って当たり前で、この際誰も据えていないなどという無粋な指摘は無しだ。
「抱く?抱くって、それどういう」
「セックスだろ」
ようやく絞り出したように出した声は最後まで言う前に答えられて、思わずぐっと喉を詰まらす。
「俺、男だぞ……」
「その身体で女だったらある意味凄いな。男として付いてるもんは付いてんだろ?」
震えた声に、クリフはたいした事でもないと揶揄し、一掃してしまう。
アルベルは混乱していた。
まさか、自分がよもや野郎なんぞにそんな事を言われる日が来ようとは。
こんな容姿で、仮にもバンパイアハンターなんていう世界を救う英雄達の一人である以上、女から付き合ってくれだの結婚してくれだの愛人にしてくれだのと迫られた記憶はある。
もちろん自分は男だし、溜るものは溜るのでセックスはする。
が、後腐れの無いような都合の良い女しか相手はしないし、もしそのまま女に連れていけと縋られても、すべて切り捨ててきた。
ハンターとして旅をしていれば常に危険がつきまとう。
それなのに女なんて弱い生き物が側にいては、勝てる戦いも勝てなくなるからだ。
そんな自分が男なんかと、しかもバンパイアとセックスをしろと?
だいたい「抱かせろ」だなんて、男に言う台詞ではない。
しかし眼の前にいるバンパイアには常識が通用しないのだろう、そもそも精霊と契約できるバンパイアなんて、非常識極まりない。
「そんなもん、断るに決まってんだろうが!」
「ならどうする気だ?」
「テメェを殺す。大体からして、俺だって雨なんざどうだって良いんだ。俺の目的は、眼の前にいる憎きバンパイアを狩る事のみ!」
「何言ってるんですか、アルベルさん!それじゃあ困ってる街の人達に対して失礼じゃないですか!お願いします、って頼まれて頷いたのはアルベルさんですよ。それが万が一その場凌ぎの社交辞令だとしても、頷いた以上ちゃんと責任持って最後まで遂行してください!」
「そうだよアルベル。あんたはそんなに薄情な人間だったのかい?たとえ仮でも、あんたは世界中の人間にとっての英雄なんだよ」
「大体勝ち目が無いわ。それは自分でもわかっているんでしょ?」
「じゃあどうしろってんだ!?俺がバンパイアを憎んでいるのは、お前等だって知ってるんだろうが!」
ちょこまかとまわりを飛び回り、自分を止めようとしている精霊達に、アルベルは自棄になって怒鳴った。
勝ち目が無くったって、このままの状態でいるわけにはいかない。
殺さなければ、親の敵は取れない。
殺さなければ、人間は救われない。
自分が人間にとっての英雄ならば、尚更勝ち目が無くともバンパイアと戦わなければならない。
アルベルは精霊達の言い分をすべて無視し、刀を拾うと一目散とクリフへと斬りかかった。
クリフはその場から一歩も動かない。
バンパイアは聖と、そして銀も苦手としている。
この刀の刃は艶やかな銀で出来ていた。
かの有名なクリムゾンヘイトには劣るものの、この刀もアペリスで洗礼されたものである。
相手は動かないのではなく動けないんだと判断したアルベルは、今度こそ殺ったと思った。
だがバンパイアを斬る、という瞬間、刀は見えない壁に弾かれた。
「ちぃ、またかよ」
アルベルは一旦クリフとの距離を取る。
今度の見えない壁、これはソフィアと同じ樹の精霊のものだ。
上を見上げると新しい精霊の光が二つ、クリフのところへと降りてきた。
「悪いなマリエッタ」
「いいえ。危ないところでしたね」
マリエッタと呼ばれた樹の精霊がにこりと笑い、もう一人蒼く長い髪をしている女の精霊は、ふん、と気取ったように笑った。
「手加減が過ぎるんじゃなくて?」
「誰のせいだと思ってるんだ、マリア。お前が勝手無闇に雨なんか降らすのがいけねぇんだろうが。おかげでだるいだるい。かったるくて動くのが面倒だ」
「それくらいがクリフにはちょうど良いわよ。それに雨だって、この前街の方に出かけた時に、たまには雨が降ってくれると助かるんだけどねぇ、なんて事を言っていたから降らせてやったの。リーベルとスフレはカードゲームで負けたから、単なる罰よ」
「まぁ、地震が起こって街を無茶苦茶にするよりかはマシだろうがな」
「へへ、オイラ賭博は強いじゃんよ」
「リーベルは隠し事が下手なんだよな」
「兄さんが姑息過ぎるんだよ」
だんだん精霊達の会話が膨らみ凄くなっていく。
本当に精霊という生き物は理解し難いものだ。
すぐ近くに敵がいるというのに、どうしてそうも簡単に無視して自分達の世界へと入っていってしまえるのか。
その主人もバンパイアだから始末に追えない。
だがアルベルは自分のまわりを見渡してみるものの、やはりというか、こちらの精霊達もおしゃべりを始めているではないか。
まともなのは俺だけか……?
思わず溜め息を吐きたくなった時、ふとこちらを見ているバンパイアに気付く。
ぺろり、と舌で唇を舐めると、クリフはアルベルを見たままニヤリと笑った。
その時に見えた二つの牙に、アルベルはぞくりと背筋を振るわせた。
もしかしなくとも、眼の前にいるバンパイアは自分の血を吸おうとしてる。
確かに血を吸われたくらいならバンパイアになってしまう事は無い。
人間がバンパイアになってしまうのは、バンパイアの特殊な呪文の中にそういったものがあるからだ。
それでも、アルベルはバンパイアというだけで嫌悪を覚える。
血を吸われ過ぎた人間は干からびたように死ぬ。
たとえ微量でも、首筋を噛み切って殺される。
はたして母が死んだのはどちらだったか。
その死に顔はどんなものだったか。
「……、ネル、フェイト」
静かな呟きにも、しゃべっていたはずの精霊達は反応し、自分の力をアルベルへと送り込んだ。
そしてアルベルは自分の気を最大限まで高めた。
これには相手側の精霊達も慌てて振り向かずにはいられない。
「本当、人間にしてはもの凄い力じゃねぇか。上等だ、受けて立ってやるよ。マリア、スティング」
「遅い!」
アルベルの気が具現化され出来たものは、大きな波打つ火の龍だった。
銀色の光を纏った何匹もの龍がうねり、咆哮を上げ、たちまちバンパイアへと襲い掛かる。
「クリフさん危ない!うわぁ!」
「きゃあ!!」
主人を守ろうと風を起こしたリーベル、そしてバリアを張ったマリエッタも力に負け、龍に吹き飛ばされた。
代わりにとばかりにスフレから打ち付けられた雷は、ソフィアのバリアで弾かれる。
己の作ったバンパイア特有の魔法壁で食い止めながらも、相手は全力を出しているのか、守りきれない龍が襲ってきて身体から血が流れていく。
赤い血が弾かれるように床へと飛び散る。
それでも龍は次々にクリフへ襲っていき、確実にダメージを与えていく。
「さすがに、っ、痛ぇな」
片手で轟々と押し寄せる龍の攻撃を食い止めながら、クリフは自嘲な笑みを零さずにはいられなかった。
勝手に自分の城に入られて、勝手に敵意を向けられているのだ。
呆れるのが普通だろう。
もちろん自分がバンパイアなのはわかっているし、相手は人間だ。
敵対しているのはわかっている。
だがあまりにも露骨過ぎる敵意は、どうもそれだけが理由では無いようだ。
「かと言って、大人しく殺られるわけにはいかないんでなっ」
クリフは魔法壁を消し、精霊から力を借りた気を放った。
透き通るような、それでいてどこまでも冷たく鋭い水の竜巻が、熱く輝く火の龍とぶつかり合う。
アルベルは眼を見開いた。
瞬く間に己の龍が竜巻でかき消されていくのだ。
それでも奥歯を食い縛り、汗だくになりながらも、負けじといくつもの龍を繰り出していく。
だが。
「ぅああ!!」
竜巻はアルベルを飲み込んだ。
体中を切り裂かれ、とうとう耐え切れずに吹き飛ばされてしまい、勢い良く壁に打ち付けられる。
背中と後頭部を打ったアルベルは気を失い、そのままずるずると床に倒れた。
そのまわりには、溢れんばかりの血が広がっていった。
to be continued...
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2006.01.10
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