Let's go shopping☆ 
後篇

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 通り過ぎる秋風に流され、はらはらと落ちていく枯葉を見つめながら、アキラは車椅子を押した。
 並木道の両側に街路樹が植えられ、目の前が鮮やかな黄金に包まれている。
 金の絨毯の上をゆっくりと車椅子を押して歩いていくと、自然と笑みが零れた。


「どうだ?シキ。良い所だろ?」


 少し前かがみになり、後ろから座っているシキの耳元でそっと囁く。
 シキが目覚める前までそうしたせいか、そうやって喋る事が癖になっていた。
 けれど今は、その問いに答えが返ってくる。
 一瞬だけ可笑しいだろうかとも考えたが、シキが嫌がる素振りを見せなかったので、気にしない事にした。

 シキは車椅子に深く腰掛け、少し顔を上げ、その黄金の舞う景色を見ていた。
 その膝の上には、護身用としてアキラのナイフが置かれている。
 もちろんシキに戦わせるつもりなど毛頭無いが、もし万が一という事態が起こった時の為に持っていた方が良いだろうと思ったし、シキも了承した。


「……そうか。お前はこういうものを綺麗と評するのだな」
「何だよ、それ」


 魅入っているのだろうかと思っていたのに、呟くように言ったシキの言葉はかなり的外れなもので、アキラは苦笑した。


「いや……こういう何をするとでもない状況で、自然というものを見る事は無かったからな。見ていたとしても、それは夜空に浮かぶ星くらいだ」
「アンタ、星が好きなのか?」
「わからん」


 即座に返された言葉に、アキラは眉を寄せた。
 好きかどうかもわからないのに、他にただ何をする事無く、星を見るという行為を目的として夜空を眺めていたのか。
 もしかしたらシキにとって、夜空に浮かぶ星というものは、何かしら意味があったのかもしれない。
 シキと出会う前のシキを自分が知るはずも無いので、わからないが。

 それでも、こうやってこの自分と一緒にいて、シキがじっと目の前の景色を見ている。
 それでだけで良い。
 何よりも望んでいたものが、現実として今、叶っているのだから。
 シキがその赤い眼でもって、己の意思で見ているのだから。



 車椅子を押して、時折その並木道を歩く人々の姿とすれ違いながら、金色の絨毯の上をゆっくりと歩いていく。
 前に進むにつれて、だんだんと人の数が多くなり、少し賑やかになってきた。

 並木道を抜けると、その先にあるのは商店街だった。
 危険に晒されている事を考えると、むしろこうして人が見ている所の方が襲われる可能性は低く、安全なのだ。
 でも折角だから、買い物でもしようか。
 金は、世間には表立てないような裏の仕事をしているので十分にある。


「シキ、どこか入りたい店とかあるか?」


 すれ違う人に車椅子がぶつからないように注意を払いながら、並ぶ店の看板やショーウィンドウを眺めていく。
 車椅子というのが珍しいのか、時折すれ違う人々がシキの方を見ていくが、それが殺意でない以上はあえて気にする必要もなかった。

 トシマでは、シキを見る者はとたんに恐怖に震え上がり、逃げ惑った。
 そしてまたシキも、多くの血を求め容赦なく殺していった。

 だが今はシキを見ても誰も恐怖など感じていないし、アキラがあの時のシキと同じように刀を持っていても黒いコートを着ていても、それに対して逃げる者すらいない。
 自分達に染み込んでしまっている血の臭いを嗅ぎ付けるような輩も、今はいないのだ。
 人々は幸せそうに連れと歩きながら話したり、ある一定の感覚で植えられている街路樹を眼に映し笑顔を見せたりしている。

 穏やかだった。

 街も、人も、自分も……シキも。


 ふと背後から、走ってくる小さな足音が聞こえてきた。
 そのままその足音は自分達の所までやってくる。
 先程すれ違ったばかりの、少女だった。
 母親が相手と談笑している為にその場に止まってしまっていて、彼女は手持ち無沙汰になっていたのだろう。


「ねぇお兄ちゃん。足、怪我してるの?」


 シキの前で止まり、車椅子の手掛けに置いてあったシキの白い手の上に、そっと自分の小さな手を置いた。
 一瞬ぴくりとシキが微動したが、少女は気にせず、その大きな眼でもってシキの赤い眼を見上げてくる。
 車椅子の手掛けよりも頭一つ分程高い程度の、本当に小さな少女だった。
 純粋無垢で、人を疑う事を知らず、全てをありのままに受け入れる、子供だ。

 シキは驚いているのか、どう反応するのか思い悩んでいるのか、その少女と眼を合わせたまま何度か瞬きしただけだった。
 そのシキの代わりに、アキラが答える。


「いや。ただちょっとだけ、今は躰の具合が悪いんだ」
「そうなんだ。早く良くなるといいね」
「ありがとう」


 お礼を言うと、少女はにっこりと花のように笑った。
 しかし何を思ったのか、あ、と声を上げると、いきなりきょろきょろ辺りを見回し始めた。
 そしてシキの手から離れ、歩道の脇へと走っていく。

 少女はすぐに戻ってきた。
 その可愛らしい小さな手には、一輪の小さい赤い花があった。
 どうやら、店の前にあった花壇の中から一輪だけ取ってきてしまったらしい。
 少女はその花を、シキへと差し出した。


「はい、これあげる。お花だよ。病気の時にお花をあげると、よくなるんだって」


 にこにこと笑みを浮かべながら、少女はシキを見ていた。
 だがシキは、その花を無表情のまま見つめているだけで、手を出そうとしない。
 まさか以前のように目の前にはだかったからと言って切り捨てたりはしないだろうが、どうするのか少し心配になった。
 こんな状況になったのは、初めてだ。
 まだシキが目覚めていなかった時にでさえ、こんな事はなかった。

 シキは受け取るだろうか?
 くだらんと笑い飛ばすだろうか?

 アキラが眉を寄せその様子を黙って見ていると、さすがに少女も不思議に思ってきたようだ。
 花を差し出したまま、首を傾げた。
 するとようやくシキは、その花へとゆっくり手を伸ばし、小さな手からそっと赤い花を受け取った。


「ばいばい」


 少女は嬉しそうに空になった手を振ると、母親の方へと走っていった。
 その背を見送る。
 その少女が母親の所へ戻ったとほぼ同時に、シキはそっと呟いた。


「…………平和な所だな」
「シキ……?」
「このようなものも、もう何年も見ていなかった」


 シキは貰った花に眼を奪われながら、懐かしむような、慈しむような、柔らかな声を発した。
 ずっと、そんな一輪の花すら見る事の無い世界にいた。
 喩えあったとしても、それを花と認知する事は無かった。
 必要の無いもの、と、そう分類するだけだ。

 だが、今はシキにとっては必要なものなのかもしれない。
 小さな花に心を奪われてもいい、そんな精神の安らぎが必要なのかもしれない。

 ここに連れてきて良かったな、とアキラは淡く笑みを浮かべていた。
 発端は以前のままの姿で外に出たがったシキを無理矢理押さえつけた、その罪悪感からであったが。
 こうして外を歩いて、こういった穏やかな世界をシキに見せる事が出来て、本当に良かった。

 どうか出来る事なら、しがらみも何も無い緩やかに流れる時間の中で、シキには生きていって欲しい。
 そんな願いすら浮かぶ。

 シキは貰った花を大切にしまうようにシャツの胸ポケットに手に入れると、後ろにいるアキラを見上げた。


「アキラ、あの店へ入れ」
「ん?ああ。わかった」


 あの店、とは、先程少女が取って来てしまった花壇のある店だった。
 アキラは言われた通りに、シキを連れてログハウスの造りをしたその店へと入る。

 ドアを開けると、カランカランと呼び鈴が振るえ、それと同時にいらっしゃいませー、と明るい声が飛んできた。
 中は服屋になっていて、秋という季節らしい色彩の服が並んでいた。


「シキ?」


 摘んでしまった花の侘びに、この店に入ったのだと思っていたが、シキはゆっくりと立ち上がり、ナイフを車椅子の上に置くと、店員のいる方とは全く違う方向へと行く。
 アキラは慌てて車椅子を店の端に置き、シキの後をついていった。


「新しい服が欲しいのか?」
「俺のではない」
「じゃあ誰の……」


 立って大丈夫なのかとか、アンタ服に興味があったのかとか、言いたい事が一気に頭の中に駆け巡るが、それ以上にシキが自ら並んでいる服に手を出している事に驚いた。
 シキは、ハンガーに掛かっているいくつもの服を一着一着と見ていきながらも、アキラに向かって失笑する。


「お前のものに決まっているだろう。あと一ヵ月もしたら、そんな俺に似た格好をする必要はなくなるからな。今のうちに新しいものを買っておけ」
「……気付いてたのか」


 流石にパンツまで同じような生地のものを選び、シキのバックルまで借りて付けている今の格好を見れば、アキラがシキという存在の代わりをしている事など気付くのは当たり前か。
 しかし、だ。


「アンタ本気で、あと一ヶ月で以前の状態まで戻れるとか考えているのか?」
「当然だ。先程言っただろう?覚えておけ、とな」


 アキラはそれに対し、無言でいる事で答えた。
 もしかしたらシキは意外と根に持つタイプなのかもしれない。
 告げられた内容は、ともすれば物騒の何者でもないのだが、今まで気付かなかった事を発見出来て嬉しくなった。
 それに付け加え、シキは今かなり楽しそうに服を物色している。


「ほぅ……これなんかどうだ?お前にぴったりだと思うぞ」


 そう言ってシキは、アキラへと一着の服を当ててみた。
 アキラは刀を持っているので手を出さずに大人しくシキのされるがままになっていたのが、よくよくその服を見ると、思わず眉間に皺を寄せてしまった。
 ノースリーブのアンダーシャツである事はまぁ普通だ。
 しかし、やけに胸の下から開いているように見えるのはなぜだ?


「俺のものだという証が、誰にでもはっきりと見えて良いだろう?」


 もの凄く嬉しそうに艶やかな笑みを浮かべたシキに対して、やっぱりそういう事か、と溜め息が出てしまった。
 よくもまぁ、この店もそんな服を置いていたものだ。


「アンタって人は……」
「早く買って来い」


 有無を言わせるつもりはないらしい。
 アキラがしぶしぶその服を受け取ると、シキはさっさと入り口に戻り、またナイフを膝に置き車椅子に腰掛けてしまった。
 自分も、随分とシキに甘いなと感じながら、言われた通りにその服をレジへと持っていった。










 折角だからと、昼飯は目に付いた店に入って食べた。
 これ程長い時間外出したのは久しぶりだったし、シキも時たま自分の足で歩いたが、大体は大人しく車椅子に座っていたので、さほど疲れを感じていないようだ。


 そろそろ太陽が西へと傾き始める頃だった。
 買った服の入っている茶色い紙袋はシキに持たせ、また来た道と同じ並木道を歩く。
 さくさくと足音を立てながら、このままもう少し外にいて、夕日を見るのも良いかもしれないと、そんな事を思った。

 長い長い黄金の絨毯が、目の前にずっと続き、進むに連れて人の数も減っていく。
 いつしかその黄金の世界で二人きりになる。


「―――シキ」


 外界を遮断し、静かに暮らしたい、と。
 そう願っていたが。

 それが出来ない事は、初めからわかりきっていた。
 己も、そしてシキも、今更そんな安らかな世界に身を置くなど、出来ない。


 やはり、この血の臭いは消せない。



「このまま大人しくしていてくれよ」
「……ああ」


 シキが眼を瞑り頷いたと刹那に、アキラは刀を抜いた。
 一瞬にして血が噴出し、悲鳴が聞こえる。
 黄金の絨毯が血で穢れていき、死への道へと変わっていく。

 アキラはシキを庇うようにして、血塗れた刀を構えた。
 相手は残り十一人。
 随分と集団で来たものだ。
 しかも本気で命を狙いにきたのか、どいつもこいつもラインを使用している。

 相手が動く前に地面を蹴り、アキラは一人の男に突っ込んでいった。
 不意を付かれ、対応出来なかったその男の首を容赦なく落とす。
 そして一斉に他の者達がアキラへと向かってくる。

 奴らの標的が自分だけに絞られた事に、アキラは安堵した。
 これでシキが危険に晒される事はなくなったのだ。

 アキラの着ている漆黒のコートが靡き、その度に一人、また一人と血を噴出し確実に殺されていく。
 その青みがかった深緑の瞳は鋭く、その身の動きは美しき舞のように。
 そして氷のように冷たく。

 相手の数は着々と減り、その分だけ血が流れた。
 だがあと残りは二人となった時、何が起こったのか、その美しくも残酷な顔は驚愕に染まった。


「ッ――――!」


 あまりにも息苦しい、強烈な圧迫感と、そして恐怖。
 確かに覚えがある、この存在。


「シ、キ……?」


 アキラは、咽につっかかるような息苦しさを感じながらも、シキの方へと振り返った。
 嫌な汗が流れる。
 残った二人も、ラインを使っているにも関わらず、絶対的な恐怖に身動きが取れなくなっていた。

 そこにいたのは、シキだった。
 だが、つい先程まで自分と共にいたシキではない。
 あのイグラに参加をし、そしてその頂点に君臨していたイル・レとしての。

 見る者を恐怖で震えさせる、全てを凌駕する存在としての、シキだった。

 研ぎ澄まされ洗練された殺気を放ち、その存在を否応無しに認知させられる。
 痩せ細った躰をして車椅子に座り、一見弱そうに見える男であるが、植え付けられる恐怖は、あの時のシキそのものであった。
 そしてその赤い双眸は、血のように艶やかな色彩をしていた。


「ぁ…………」


 ずくり、と臍についているピアスが疼いた。
 ナノを殺してしまってから一度も見る事の出来なかったシキが、目の前にいる。
 あの時、何度も殴られ罵られ、犯された躰が、恐怖と戦慄と快楽で震える。

 シキが笑みを浮かべた。
 ラインを使った奴らが恐怖を振り払うように、躍起になって叫び、シキへ向かっていく。
 アキラは、はっと我に返り、その二つの背を追った。

 駄目だ、間に合わない。

 上手く呼吸が出来ずに乾いた咽から絞り出すように、叫んだ。


「―――シキ!」



 二人がシキへと襲い掛かる。
 その手に持った武器を、車椅子に座ったままのシキへと振り翳す。
 アキラは眼を見開いた。


「ぇ……」


 シキは、跳躍していた。
 膝に置かれていたはずのナイフは鞘から抜かれ、その輝く刃が男達の動脈を一瞬にして切り裂いていた。
 ……ほんの、一瞬だった。



 男達が倒れ、シキは笑みを浮かべたまま、その肉の塊となったものを見下ろしていた。
 何を考え、思い、その死体を見ているのだろうか。
 アキラは近づこうとするものの、どうしても恐怖が拭い切れず、動けなかった。

 だがシキが顔を上げ、アキラの方を向いたとたん、シキの狂気は消えていた。
 アキラはその事に安堵し、大きく息を吐いた。
 そしてようやくシキに歩み寄る。


「シキ。アンタいつの間に、そんな……」
「躰が勝手に動いただけだ。どうやらこの躰は、随分と血に飢えているらしいな」


 まるで人事のように言うシキに、アキラは眉を寄せた。
 いきなりあれ程の動きをしてしまったせいか、シキは額に汗をかいていた。
 筋肉が緊張して、明日には躰全体に痛みを感じるかもしれない。

 アキラは刀を鞘に納めると、シキの額に張り付いた髪の毛を、そっと梳いた。
 シキが気持ちよさそうに眼を細める。
 力が抜けたように、シキの手から握られていた血塗れのナイフが滑り落ちた。

 二人の立つ、その間を静かな風が撫でていく。
 はらはらと落ちる金色の落ち葉が、流れた血の上に落ちて隠していく。

 ふと、シキの胸元に眼が行った。
 先程少女から貰った小さな赤い花は、その花びらを一枚だけ残して、他は全て失っていた。


「花……散ってしまったな」
「……構わん。所詮、俺には似合わない代物だ」


 シキは眼を伏せ、ふと笑った。
 そしてまた、アキラへとその赤い瞳を向ける。



「俺に似合うのは、赤い血だけだ。…………昔からな」



 いつの間にか鮮やかに赤く染まった夕日を背にし、アキラにそう言ったシキの姿は。

 血に彩られた瞳であるのに。




 どこか、寂しそうに見えた。





  ...end.



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あのアキラの臍出しルックな服は、きっと自分で買ったわけじゃないんだろうなぁという
憶測からこの話を書きました。

2005.10.08

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