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前篇

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「……ん…………」


 アキラはゆっくりと眼を開けた。
 少しずつ意識が覚醒し、カーテンの隙間から漏れている太陽の光を認識し、ああ朝か、と悟る。
 何時だろうかと時計が確認したくて、起き上がろうとした。

 だがそれは叶わなかった。
 背後から自分の腰に巻きついている細くも長い腕に、阻まれてしまっている。
 もちろん、どかそうと思えば簡単に出来る。
 でもその腕に安らぎを覚える自分がいた。
 うなじ辺りに感じる寝息も、背中に密着している薄くなっている胸板も、下肢に当たる男の象徴も、絡まっている足も、全てが優しく甘い。


 シキの意識が覚醒してから、まだ一週間も経っていない。
 長い車椅子生活をしていた為、躰は筋肉が削ぎ落ちほっそりとしていて、力を入れただけで簡単に折れそうな程になっている。
 しかも何年も歩いていなかった為に、シキは己の足で立とうとした時、その行為すら出来なかったのだ。







 床に崩れ落ちて、慌てて起こそうとするとその手を阻まれた。
 躰はそれ程までに衰弱して、なのにその赤い双眸は、以前のシキ……とまではいかないが、ほとんど変わっていなかった。
 射抜かれ、縛られる程の、強烈な瞳。
 息を呑み動けなくなったアキラを確認し、シキは床に手を付き、己の足に力を入れる。
 だがやはり立ち上がるまでにいかなくて。
 どうしても途中で躰を支えきれずに、膝が曲がり、また床に手を付く。

 それでもシキは、何も言わずにその動作を繰り返した。
 額には汗が浮かび、だがどれだけ膝を付いても、顔には悔しさすら見えない。
 受け入れているのだ、そんな躰になってしまったという事実を。

 アキラはじっと、見ていた。
 眼を背ける事など出来なかった。
 シキの性格からすれば、膝を付く姿を見られるのは、屈辱の何者でもないだろう。
 だがシキが見るなと言わない以上、逆に自分は、見ていなければならないのだと思った。

 何度も何度も、自力で立ち上がろうとするシキ。
 そして少しずつだが、頭の位置が高くなっていく。

 随分と長い時間が経った。
 シキは、今まで見た事もない程に汗を掻き、吐き出す息も大きく、だがその白い肌が色付く事はない。


「…………っ」


 負担を掛け過ぎているのか、シキが一瞬辛そうに眉を寄せた。
 もう止めさせたかった。
 あまりにも真っ直ぐでひたむきな努力と精神に、切なくなってきた。
 だが手を出してしまえば、シキのプライドが傷つく。

 あと、もう少し。
 あと少しで、きっとシキは立てる。
 それこそ手を出し助けたくなる自分に、何度もそう言い聞かせた。

 シキが息を吐き、躰を支える為に手に力を入れ、ゆっくりと伸ばす。
 腰を上げていき、膝が少し曲がっている状態で床から手を離す。
 そしてゆっくりと、上体を起こしながら足に力を入れ、膝を伸ばしていく。

 ――立ち上がった。

 自分よりも高く、確かに以前と同じくらい見上げなければならない位置に、赤い眼がある。
 そして、自分を見下ろしてくる。
 射抜くような眼を少し細め口元に笑みを浮かべる、その表情でもって。

 その時ようやくわかった。
 あのトシマで出会ったシキが、どれ程の量の努力という名の自信の上で、地に足を付け立っていたかを。


 シキが立っていられたのは、ほんの数秒だけだった。
 ぐらりと傾く躰を、今度はしっかりと受け止め抱き締めてやり、そのまま崩れる足に負担をかけないよう、静かに床に座った。
 シキは躰を預けてくるだけで、腕すら上げる事は出来ない。
 アキラは泣きそうになるのを耐え、シキの顔を覗いた。


「シキ……その、大丈夫か?」
「愚問だ。そんな腑抜けた顔をするな」
「……そうだったな」


 どれだけ惨めな姿であっても、シキならば、誇り高きものに見える。
 そしてシキが努力するその姿を間近で見る事を許されている、そんな事が自分にとっても誇りだった。







 アキラは自分が今、裸のまま寝てしまっている事に気が付いた。
 同じように自分を抱きかかえて寝ているシキもまた、全裸だ。
 どうやら昨日は、セックスをした後そのままの状況で寝てしまったらしい。

 以前あれ程嫌だった恥辱まみれのセックスでも、今や、まだシキの躰に負担がかかるという理由で自分が上に乗り、自ら熱い高ぶりを躰の中に受け入れている。
 下から額に張り付いた前髪を梳いてくれる冷たい手は、シキそのもので。
 その眼に見つめられる事も、その上で喘ぎ快楽を求める事も。
 もちろんそこから生まれる羞恥は多大であるが、そんなものをどうでも良いとさえ思える程、とても心地良い。

 またうとうとと眠くなってきたが、ふと腰に回っている腕に力が込められ、閉じようとしていた眼を開けた。


「シキ?……起きたのか」
「……ああ」
「おはよう」


 もぞもぞと躰を動かし、シキの顔が見えるように振り向いた。
 赤い眼を確認し、その唇に自分のそれを近づける。
 朝の挨拶らしい、触れるだけのキス。

 だがアキラがすぐに離れようとしたとたん、逃がさないとでも言うように、シキの手がアキラの後頭部へと回された。
 もう片方の手で顎を掴まれ、口を開けさせられる。
 割り込んできた暖かな舌に、否応無しに躰が震えた。


「ふっ…んん……ぁふ」


 舌を絡められ、ぴちゃり、と唾液の音が鳴る。
 シキの唇がほんの少し離れ、終わったかと思えば、今度は食われてしまうのではないかと言う程に、吸い付かれ貪られる。


「んっ……う、は」


 離れては、角度を変えまた口付けられ、だんだんと思考が低下してきた。
 すぐそこには、眼を閉じたシキの綺麗な顔がある。
 気持ちが良い・・・そう漠然と思うしか出来なくて、躰の奥が熱くなるのを感じる。


「……はん、シキ……ん」


 深くまで舌が入り込んできて、流れ入ってくる唾液と自分の唾液がくちゅくちゅと混ざり合う。
 息をつくのに邪魔で、口の中に溜まっていくそれを飲んだ。
 だが飲みきれなかったものが、端から零れていく。

 ようやく、中に入れられた舌が抜かれ、朝にしてはやけに濃厚なディープキスが終わる。
 何か文句の一言でも言わなければと思うのだが、頭がぼーとしていて、上手く考えが纏まらない。
 しかも、やけに躰が熱い。
 臍のピアスがじくじくと勝手に快楽を生んでいるようだ。


「っは、は……ぁ…」
「貴様、鼻で呼吸くらい出来ないのか?」


 耳元で告げられた明らかな揶揄の言葉に、カッと頬が燃え上がった。
 シキの顔を見ると、それはもう本気で楽しんでいるようで、クッションに頭を沈めたまま、くつりと笑みを浮かべている。
 だが掛け布団から覗く細く白い腕や肩、少し乱れ頬にかかる艶やかな黒髪、少し眼を細め見つめてくるそんな姿が、なぜかやけに妖艶に見えて、思わず息を呑んだ。


「う、煩いっ」


 アキラは悔し紛れに吐き捨てて、シキから離れるように慌てて上体を起こし、裸のままベッドから出る。
 しかし立ち上がったとたん、中にシキの精液が入っていたままだったようで、ごぽり、と溢れ出て太腿へ伝い落ちていった。
 その感触に、抱かれる快楽を一瞬にして躰が思い出し、震える。


「漏れているぞ」
「ッ……仕方、ないだろ。昨日…そのまま寝たんだから」
「惜しいな……この躰が動ける状態にあったのなら、すぐにでも組み敷いているところだ」
「……ぁ…」


 そう、ベッドに横たわったまま言われると、どう反応を返せば良いのかわからなくなる。
 もちろんある程度の生活は出来るようになっているが、それでもまだ、シキが自らの意思で完璧に己の躰を使いこなすには、体力が無さ過ぎる。
 起き上がらなくて良いのなら、横になっていたいのだ。
 無駄に負担をかけたくないのだろう。


「……シャワー、浴びてくるから。そしたら朝飯、一緒に食べよう」


 アキラは、困ったように眉を寄せ、それでも静かに笑いかけた。
 シキは何を思ったのか、眩しそうに眼を細めた。












 シャワーを浴び、いつもの黒い長袖の服を着て、小さな十字架のペンダントを付け、簡単な朝飯を作る。


「シキ、出来たぞ」


 寝室へ呼びに行くと、シキはクッションに寄りかかる程度にベッドから起き上がり、何度も手を握り締めたり間接を曲げたりしていた。
 まだシキは裸だったので、昨日脱ぎっぱなしにしていたシキの服を拾おうとした。
 だが、そのとたんアキラは驚愕に眼を開いた。


「アキラ、今日は俺も外へ出るぞ」
「え……?」
「俺の以前の服はどこだ?それと、刀を返せ」


 アキラの驚く姿を見かえし、シキは淡々と言った。


「駄目だ!!」


 思わず叫んだ。
 シキは、断られると思っていなかったのか、その鋭い眼でもってアキラを睨みつけた。


「……なんだと?」
「まだ、危険だ。アンタは命を狙われているんだぞ?そんな、昔のままの格好で今出たら……それこそ、アンタが狙われる」


 シキの怒気を含んだ低く艶やかな声に、アキラは負けじと静かで冷静な、あらゆるものを抑えた声で反発する。

 そう、アキラが以前のシキのような格好をして、刀を振りかざしていたのには理由があった。
 向かってくる相手に、自分がシキである事を思わせる為だ。
 そうすれば、ただ人形のように赤い眼を開いているだけだった本物のシキには、誰も眼をくれない。

 だが、覚醒した今はどうなる?
 それだけでも刺客は、まだ弱ったままのシキへと向かっていく可能性が出てくるというのに。
 以前と同じような格好をし、刀を持ってしまえば、確実に狙われる。
 しかも本物のシキが眼を開き、その存在を知らしめたとすれば、収まってきた刺客の数がまた増える事になるだろう。


「誰にものを言っている」


 死にたいのか?と、以前のシキなら、そう繋げていた。
 しかしそれが出来ない事が、しっかりわかっているのだ。
 なのに、それでも以前の状態で外へ行きたいと言うのか。

 アキラはぎゅっと唇を噛み締めた。
 こうなったら、仕方がない。


「だったら……俺を殺してみろ。今のアンタにそれが出来るか?出来ないだろう。俺は、アンタの一太刀などあっさりかわせる」


 暗に、今のシキは弱いのだと、シキが少なからず気にしているであろう事柄を、あえて突き付け抉った。

 卑怯。

 そんな言葉が頭を過ぎった。


 重い沈黙が流れる。
 シキの睨んでくる眼を、アキラは淡々と見下ろした。
 もちろん、どんな事があってもアキラは譲る気が全く無く、先に折れたのはシキだった。
 薄く、嘲笑を浮かべた。


「……そうだな。確かに今の俺では、長時間歩く事も儘ならん」
「ああ、わかってるならもう良いだろう。朝飯、冷める前に食べよう」


 アキラは、今度こそ落ちていた服を拾い集め、シキへと渡した。
 過保護過ぎる事などわかっている。
 それでも、もう……大切なものを失う訳にはいかなかった。

 ゆっくりとした動作で、シキが服を身に着けていく。
 アキラはそれを見守るだけで、手を出す事は一切しない。
 ようやく、シキはすんなりと服を着れるようになっていた。
 部屋の中で暮らす程度の事ならば自力で出来るようになっているが、一日中活動するにはまだ体力が付いていかない。

 シキはクロスを首にかけカーデガンを肩に羽織ると、ベッドから立ち上がり、アキラの横を通り過ぎた。
 その顔には、何の感情も浮かんではいない。
 だが、それがむしろ居心地を悪くしている。
 シキを止める為に酷い事を言ったのは自分なのに、何も反論してこないシキに対して、罪悪感が湧き上がってきた。
 確かに、過保護過ぎる自分も悪いといえば悪いのだ。
 アキラは、せめてこれくらいなら……と溜め息をつき、シキの後ろ姿に声をかけた。


「……その格好でなら、外に行ってもいい。あと、大人しく車椅子に座っているなら。たまには外に出て、空気を吸った方が躰には良いから」
「…………わかった」


 シキは無表情のままアキラの方へと振り向き、頷いた。
 アキラはほっと胸を下ろし、シキの後をついていく。
 だが食事を並べているテーブルにアキラが座っても、シキは立ったままで、どうしたのかと訝しげに思いその顔を覗いた。
 シキは楽しそうにくつくつと笑っていた。


「随分と生意気になったものだな」
「……お陰様で」
「アキラ。一ヵ月後、覚えておけ。あれだけの事を俺に言ったのだからな。その責任は取ってもらうぞ」
「それでアンタの躰が良くなるなら、ある程度は譲歩する」


 それこそ、本人曰く「あれだけの事」をアキラから言われても怒っていないシキに、アキラも微笑を浮かべ言葉を返した。





  to be continued...



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バカップル。

2005.10.06

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