穢れなき心 
前篇

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 ずしゃ、と肉を切り裂く鈍い音が聞こえる。

 辺り一面からは鉄の錆びたような臭いがし、赤黒い液体がどろどろと流れていた。
 ずぶりと血で染まった手を引き抜くと、今まで息をしていた人間だったものは、呆気無く地面へと倒れる。


「そっちも終わったか」
「シキ」


 一帯の敵意が消えうせたと同時に、別行動を取っていたシキがナノの元へと戻ってきた。
 シキの持っている刀も、ナノの右腕同様、血をぽたぽたと落としている。

 二人でトシマを脱出して共に行動をするようになってからというものの、時々自分達を狙ってくる輩が出没する事があった。
 敵を錯乱させる為に路地裏へ入り込み、二手に分かれてこちらが有利になるように相手の背後へとうまく回る。

 そして容赦無く殺す。
 生き残りが一人でもいるより、全てを殺して、いくら襲い掛かっても無駄だとわからせた方が得策だったからだ。

 もうすっかり闇に包まれた空は、生憎と星が見える状況ではなかった。
 空気も冷たく、もしかしたら一雨来るかもしれない。


「行くか……」
「ああ。この死体どもの傍に長くいる必要など、どこにも無い」
「あ……折角街へと出てきたんだから、買い物にでも行きたいな」
「その腕で、か」


 刀を鞘に収めながら、シキが溜め息をついた。
 ナノはそんなシキに笑みを浮かべる。


「大丈夫だ、少し洗えば臭いは取れる」


 今の季節は、誰も彼もがコートやジャンパーを着て、寒さを凌いでいるのだ。
 もちろんナノも黒いコートを着ていた。
 これならば、血の色など全く目立たないだろう。
 あとは臭いで気付かれないように、何処かで洗えば済む事だ。

 シキはもう何も言おうとはしなかった。
 少し呆れ顔でナノを見て、背を向け賑やかな街の方へと歩いていく。
 ナノもシキの後をついて路地裏を出る。


 賑やかでありながらも、上品さを醸し出している綺麗な街は、暖かな光で満ちていた。
 洒落た街灯が均等に立ち並び、それと平行して、いくつもの小さな光を放つ街樹が並んでいる。
 ショーウィンドウから覗く綺麗に装飾された店は、通る人間達の目を楽しませる。

 ああ、見上げると闇ばかりが広がっているというのに、地上はこんなにも明るい。

 眼に付いた、雰囲気の穏やかな店に寄り、ナノはトイレに入った。
 橙色の光がいくつも付けられ、清潔感漂う場所だ。

 そこで血の付いた手を洗う。
 臭いが消えるまで水につけ続けて、大丈夫かと思うまでには数分かかった。


 店へと戻ると、シキは飾られている品物を眺めていた。
 何かシキの興味を引くものがあったのだろうかと彼の傍に寄り、ナノもそれを見る。

 目線の先にあったものは、小さな天使の細工だった。

 素材はガラスなのか、透明だ。


「……欲しいのか?」


 シキにこういった趣向があったのだろうかと聞いてみると、シキは首を横に振った。


「そんな筈無いだろう。これが、貴様に似ていると思っただけだ」
「…………俺に?」


 そんな事を言われ、ナノはまた天使のガラス細工を見てみた。
 だが一体何処が似ているのか、よくわからない。
 困惑しシキを見返すと、シキはふんと鼻で笑った。


「無垢な子供だ。甘えたがりな、親の愛を求める無垢な子供」
「そう、か」


 シキがそう言うのなら、そうなのかもしれないと頷いた。

 シキは初めてナノを研究材料や兵器としてではない、純粋に一人の人間として見て、戦いを挑んできた人間なのだから。
 トシマから出る時、自分は黒だと思っていたナノの事を、透明だと告げたのもシキだった。

 自分では子供だという自覚はあまり無いのだが、彼から見れば子供なのかもしれない。
 言われると、そういう……親から貰う愛情というものも、他の者から愛されるという事も知らなかった。





 外に出ると、眼の前にきらりと光る粒が落ちてきた。
 空を見上げると、闇から無数の白いものがちらちらと降ってきている。


「珍しいな」


 呟くシキに、頷き同意する。

 この街に定住してから一ヶ月。
 この街の事は大体把握出来ていたが、雪が降る事など、殆ど無いと聞いていた。

 雪か、と心の中で思ってみた。

 雪を見るのは初めてだった。
 昔、研究所にいた時に絵本の中で見た事があるだけで、実際がどんなものなのかは知らなかった。
 正直、あの時はこんな綺麗なものだとは思わなかった。

 手を出し、落ちてくる雪を見た。
 雪は一瞬にして溶けて消える。


「……シキ、帰らないか」


 いきなりの言葉にシキは何を思ったのか、すっとナノに向かって手を伸ばしてきた。
 頬に触れ、指でなぞる。


「何に、泣く」
「わからない……。だが、止まりそうにない」


 何か、胸が締め付けられるような感情が込み上げてきていた。
 何なのかわからないが、涙が流れる。

 しかもそれがどうすれば止まるのかも知らなかった。
 表情には出さないものの、シキの眼が心配そうに揺れる。

 今すぐにでもシキを抱き締めたくなった。
 抱き締めて、その体温を感じたい。
 ぐちゃぐちゃになるまでセックスをして、そのまま抱き合って眠りたい。


「……行くぞ」


 そんな欲望をシキが悟ったとは考えられないが、静かに涙を流すナノの背中を叩き、歩くように促してくる。
 雪の降る中を、二人肩を並べ、家へと帰った。















 あの天使のガラス細工を見た時、すぐに似ていると思った。
 どんな色でさえ、穢れなき透明なものには敵わないような、そう思わせるようなイメージだった。

 何処までも純粋な強さに、己は負けたのだから。

 だが強くありながら、その心は何も知らない子供だったのだ。
 まさかあのような人間だったとは、トシマにいた頃にはわからなかった事だ。

 シキはコーヒーを入れながら、窓から見える雪を眺めた。
 先程よりも多く降ってきている。
 もしかしたら明日には積もるかもしれない。

 雪の降らない街に降った、純白。

 暗闇に光る一面の鮮やかな雪は、穢す事を戸惑ってしまうような、無垢な魂。


 けれどあのガラスは、殻の壊れない頑なな心でありながら、一瞬にして砕け散ってしまう。


 どうしてあんな人間になってしまったのか、と疑問に思う。
 何故、もっと己の強さを誇示しようとしないのか。

 あれだけの力を持っているのなら、それこそ全てを消滅させてしまえば良かったものを。
 気にいらない者など全てを殺してしまえば良かったろうに、何故そうしなかったのだろう。

 あんな子供のように、誰かに縋るのだろう。

 自分達は共にいながら、お互いの事などよくわかっていなかった。
 シキはナノの過去に何があったのか、一体どんな場所でどんな事を思いながら生きていたのかなど知らないし、ナノもきっとシキがどんな過去を持ち、どんな経験をしてきたかなど知らない。

 二人分のコーヒーを入れ終わり、ナノの座るソファへと近づく。
 ナノもまた、シキと同じように窓から見える雪を眺めていた。
 しかもずっと、涙を流したままだ。


「ほら、これでも飲め」


 片方のマグカップをナノに渡し、シキはその隣に腰掛ける。
 少し熱いくらいのマグカップが、外にいた為にひんやりとしてしまった手に馴染み、和やかなコーヒーの香りが部屋に満たされるようだった。
 一口飲むと、程よい苦味がジワリと広がり躰中を暖かくする。


「シキ……」


 ナノが、シキの肩に頭を乗せてくる。
 柔らかな茶色い髪の毛が頬に当たり、少しくすぐったく感じた。
 見下ろすと、ナノはまだ涙を流している。

 本当に、子供のようだ。

 正直、シキにはこういう時、どうしてやれば良いのかわからなかった。
 ナノが何を望んでいるのか、己に何をして欲しいのか。

 何も知らないのに慰めの言葉をかけるなど、馬鹿馬鹿しくて出来無い。
 かと言って、このまま泣き続けられると、それはそれで居心地が悪くなってくるような気がする。

 シキがあれこれと考えていると、ふと、まだ半分程入っているマグカップを取られた。
 二つのマグカップは、すぐ目の前にあるテーブルの上に置かれる。


「……何をする、んっ!」


 いきなりナノの唇で口を塞がれ、シキは呻き声を出した。
 抵抗をする間も無く口腔に舌を入れられ、熱い唾液を滴らせたその舌と絡められ、激しい口付けを施される。
 歯茎や舌の裏を念入りになぞられ、ぞくりと快感が走り抜ける。


「ん……んぅ、ふ…ふぁ、ん」


 長いキスの間にも、ナノの手がシキの服の中へと忍ぶ。
 肌を触られた途端、チリッと一瞬電気のようなものが躰中を駆け巡った。

 腹から胸へとナノの掌が上っていき、乳首を摘まれる。
 ぐりぐりと捏ね繰り回されて、引っ張られ、躰が撓る。

 口の中ではナノの舌がシキの舌を貪り、くちゅくちゅと唾液が混ざり合う。


「ん、ん、んんっ」


 与えられる快感に、シキは薄っすらと眦に涙を溜めた。
 急性な行為に心が付いていけず。
 だが止めさせようとナノの胸を押しても、悔しい事に力では勝てないせいか、それとも快楽で力が入らないせいか、とにかく逃げる事が出来無い。
 しかもいつの間にか、ソファの上に押し倒されていた。

 ナノの手が、胸から下りていく。
 臍のまわりをぐるりと一周指が辿り、また下へと移動する。


「んん、んぅ……あ…」


 ようやく唇を離され、ツーと白い唾液の糸が引いた。
 顎の方へと漏れた唾液が零れ落ちている。
 シキがそれを袖口で拭こうとした途端、ナノからズボンの前を素早く寛げられ、ペニスを握られてしまう。


「んあっ、や、ナノ……待てっ、ちょ……ひっ」


 制止する暇も無く、勃ち上がり始めたものを咥えられた。
 濡れた温かな感触に、腰が揺れる。
 ナノは口腔を窄めてシキのペニスに吸いつき、チロチロと先端を抉るように舌で刺激し、漏れる先走りを舐めた。


「ぅ……ぅく…、っあ、あ……は」


 どれだけ混乱しても、男ならばそこを刺激されれば感じてしまうもので。
 引き剥がそうとしても、髪の毛を掴んでいた筈の両手は、いつの間にかより快楽をせがむように自分の股へと引き寄せていた。
 足は突っ張るようにソファに押し付け、腰はビクンビクンと跳ね上がる。


「ナノ……あ、あぁ、い……ああ、あっ」


 射精感が高まり、イきそうになると、タイミング良くナノの舌使いが激しくなった。
 急速に追い上げられ、射精してしまう。
 ごくり、と自分の放った精液を飲まれる音がやけにはっきりと聞こえ、羞恥に顔に血がのぼる。

 股から顔を上げて躰を起こしたナノは、ソファにしどけなく沈んでいる自分を見下ろしてきた。
 紫の双眸から、ぽたり、とシキの顔に水滴が落ちる。

 ナノはまだ、泣いていた。


「……シキ、抱きたい。シキの中に入れたい。シキが欲しい」


 そう擦れた声で呟くナノを見て、一瞬あの天使のガラス細工の粉々になる絵が浮かんだ。
 心の中で何かが砕け散ってしまったのだろうかとも思ったのだが、今のナノはそんな状況でないような気がする。
 ガラスが砕け散るような、冷たく悲しいものではない。

 これは……ふわりと落ちてきた雪が溶けて、水となったのだ。
 凍り付いていた何かが温まり、ナノの中から流れ出ていた。

 何かが、ナノの心の中で小さな火を灯している。


 綺麗な雪が溶けて零れ落ちる透明の涙は、静かでとても美しかった。





  to be continued...



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コピー本で出したナノシキを修正しました。
「position」の続きだったりします。

2008.06.07

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