君に幸あれafter  
前篇

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 昼過ぎから始まったパーティーは夕食の時間まで続き、その後は各自自主解散となった。
 城や宿に泊まる者もいれば、明日はまた仕事だからと船に乗る者もいる。
 外は多くの観光客で溢れ、いつにも増して明るい街並みへと変わっている為、まるで祭りのような賑わいを心から楽しもうとする者もいるのだろう。

 そんな日の夜。
 星がポツポツと夜空に輝くも、まだ街にはたくさんの光が灯っている時間帯。
 城に泊まる仲間達と別れ、両親やガイ、ミュウと共に屋敷へと戻ってきたアッシュとルークは、既に就寝の挨拶を交わしていた。
 やる事も無いからとパジャマへ着替えて、自室のソファに座りのんびりとする。


「はぁ、疲れた…そろそろマジで眠ぃかも」
「あれだけ早起きしていればな」


 部屋の大きさからソファは一つしか置けないので、二人横に並んで座っていた。
 ルークが背凭れから横へと頭を落としていけば、必然とアッシュの肩に乗る。

 が、アッシュが眼の前にあるテーブルに近づく為に上体を起したせいで、ルークはすぐにまたずるずると落ちていった。
 ソファの背凭れとアッシュの背中に顔が挟まれて、どあー、ぐあー、と間の抜けた声を出す。


「何をやってるんだお前は」
「アッシュこそ、いきなり何だよ」
「お前は、これを開ける為にここに座ったんじゃなかったのか?」


 これ、と言ってアッシュが持ち上げると、チャポンと軽く水音が響いた。
 ワインの入った酒瓶の他にも、テーブルの上には二人で食べるには少々大きめのケーキやら、果物のバスケットが置かれている。

 全てが執事やメイド達や白光騎士団の皆からのプレゼントとして、ここに用意されたものだ。


「…そうだった」
「ふん」


 頷くと、アッシュは何故かあまり面白く無さそうに、視線を逸らしてしまった。

 一体何なんだと思いつつも、ルークは先程テーブルの上の隅に積み上げたものを見た。
 仲間達がくれたプレゼントである。

 掌に乗るようなサイズの小さなぬいぐるみは、いつも誰かが背中に背負っているものと同じものが縮小されているものであったり。
 一体何が書かれているのか気になる小難しい著書ジェイド・カーティスの本だったり。
 男が貰うには微妙な、やけに装飾の可愛い譜業のオルゴールだったり。

 チーグルの森で取れるという薬草や、シンプルな万年筆や、ちょっと不恰好な手作りクッキーや、可愛らしいミニブーケも全て、先程、彼等と別れる際に貰ったものだ。

 アッシュはともかく、ルークは喜んでそれらを受け取った。
 そして、ルークの用意した銀の短刀もまた、貰ったものをテーブルに置く際、それらに混じって一緒に置いていた。
 すぐそこに、きらりと光る鞘が見える。

 アッシュは瓶のコルクをポンと外すと、用意されていたグラスに注ぎ始めた。
 ソファから起き上がったルークは、赤い透明の液体がトポトポとグラスに溜まる様子を、じっと見つめる。

 見ているだけで…何故だろう、酔わされるような光景だった。
 部屋を灯す明かりが、普段灯しているランプとは違い、テーブルの上に置かれているアンティークの蝋台の上で炎を揺らしている三本の蝋燭だけだというのもある。

 ゆらゆらと揺れる小さな光と、それに反射されて不思議な色合いを放つ酒。
 そして炎に彩られたアッシュの手の、中指にされた銀の指輪。
 視覚的に、とても妖艶であり、静寂だった。

 二つのグラスに均等にワインを注ぐと、アッシュはその片方を自分へと渡してくる。
 ルークは緩慢な動作でそれを受け取った。
 アッシュがまた、自分と同じように深くソファへと躰を沈める。


「ルーク」
「ん。アッシュ、おめでとう」
「ああ…おめでとう」


 チン、と軽く互いのグラスを当てた。
 中の赤い液体が波紋を起し、共鳴するように揺れる。
 その様を見つめていると、何かに誘われるような、何かが躰の奥から湧き出てくるような不思議な感覚がした。

 ほんのりとブドウの香りが漂う。
 淵に口を付け、そのままごくごくとワインを飲み干すと、アッシュに思い切り呆れられた。


「お前、もう少し気品を持てないのか?」
「いや…何か。見てらんなくて…」
「は?」


 訝しげに顔を覗き込まれ、ルークは必然的にアッシュの顔を見つめてしまった。
 途端に、カッと躰中から湧き上がるもの。

 ヤバイ、なんだか躰が可笑しいような気がする。
 熱い…熱くて溜まらない。

 ひく、と震える躰を誤魔化すように、ルークは首を横に振った。


「何でもない。それよりケーキ、食おうぜ」
「お前な…さっきパーティーであれだけ食べておいて、まだ食べるのか」
「だって折角みんなが用意してくれたんだぜ? 食べなきゃ勿体無いって。ほらアッシュ、ケーキ切ってくれよ」


 笑顔で明るく言うと、自分でやれと悪態を付くも、アッシュはしぶしぶとまたソファから上体を前に起す。
 蝋燭三本という明かりだけなので辺りがいつもより多少暗かったせいだろう、ルークの微妙な変化に気付きはしなかったようだ。

 アッシュは、テーブルに置かれている小さなマンホールケーキを、自分の前へと引っ張っていった。
 上に飾りとして記されているチョコレートを見て、ぐっさりと眉間に皺を寄せる。


「何だこれは」
「…祝いの言葉、だろ?」


 そこには『アッシュ様&ルーク様、お誕生日おめでとうございます。いつまでもお幸せに(ハート)』と書かれていた。
 きっとメイド達が書いたものだろう。

 先程まではルークの目の前にあったケーキなのだから、ルークがその言葉に気付いていない筈は無く。
 もちろん今のアッシュと同じように、一体これは何なんだろうかという感想を抱いていたのだが、気にしない事にしていた。

 むしろそれどころではない。
 じくじくと嬲っていくような熱に、誤魔化す事で精一杯だ。

 チョコレートを横にどかすと、アッシュは近くに置いてあったあの短刀をおもむろに手にした。
 柄や鍔には、その男らしくも綺麗な指に嵌めている指輪と同じ、焔の模様が施されている。
 元々指輪と短刀をセットとして用意したものだったが、指輪だけで無く、短刀さえもアッシュの手には似合っている気がした。

 アッシュは短刀を鞘から抜き、添えられていたナプキンで一度刃を拭くと、ケーキの中心に入れた。
 すっと手前に引くと、簡単に、そしてとても綺麗に切れていく。

 装飾用としてはもちろん、戦闘向けでも通用するように作られたものなのだから、その切れ味は抜群であろう。
 アッシュもそれを感じたのか、短刀の刃をまじまじと見つめていた。

 ああ、何か考えているなぁと思ってその横顔を見ていたら、アッシュがこちらの方にチラリと眼をくれる。


「ルーク」
「…何?」
「もし、俺が短刀を選んでいたら、お前は本当にここから出て行っていたのか」
「…ああ。出て行くつもりだったぜ。身分も名誉も名前も捨てて。もう二度と、帰らない…そう、心に決めていた」


 声が擦れそうになるのをどうにか表に出さないように、一言一言はっきりと、それでいて偽り無い気持ちだと力強く言い放った。
 アッシュはそうか、とだけ返してきた。

 一度は全てを捨てて、この屋敷から…この街から、そして国から出ようと思った。
 けれどアッシュに指輪を選んでもらった時から、もう二度とそんな真似をするつもりも無くなっていた。

 ―――『俺は、お前を逃がさねぇ』。

 そう、アッシュが言ってくれたから。
 まだほんの数時間前の出来事だけど、思い返すたび、心が暖かくなるのを感じる。

 ずっと不安だったのかもしれない。
 いつかはまた、お互いに離ればなれになってしまうかもしれない、と。
 アッシュが近くにいればいる程、別れというものが怖くなるから。

 何度も何度も。
 それこそ何度もすれ違い、時には本気で戦って。

 もう二度と会えないのだと覚悟した事もあった。
 消えそうになった躰を新しく構築してもらって、この世界へと戻ってきた時も、共に地上へ帰ってきた筈のアッシュの姿は目の前から消えていた。

 アッシュにはアッシュの行くべき道があるのだと、この世界の何処かにいるだけで良いじゃないかと、何度も会いたくなる心を見えないように隠して。

 だから彼がこの屋敷へと帰ってきた時なんか、現実と夢の狭間にいるような、ふわふわした感覚に襲われてしまった。
 手を伸ばせば触れられる目の前の姿に、涙が零れた。

 それから今まで、ずっと一緒にいる。
 あの時の戦いが、嘘であるかのように。

 しかし幸せだと感じられれば、次は不安に駆られてくる。
 こうして共にいられるなんて、まるで夢のようで。
 またいつか、アッシュは自分の元から消えてしまうのではないかと思ってしまう。

 幸せが大きければ大きい程、それを失う時の哀しみや辛さも大きい。
 もしかしたらそれが怖くて、今回自分は彼から逃げようとしていたのかもしれない。
 自分から逃げれば、哀しみは少しでも軽減されるから。

 そう思うけれども、本当のところは自分の事なのによくわからない。
 ケーキを切り、付け添えられていた皿に乗せているアッシュの行動を斜め後ろからずっと見守りながら、つらつらとそんな事を考える。

 アッシュはフォークも皿に乗せると、それをルークの方へと差し出してきた。サンキュ、と呟きそれを受け取る。


「お前は何が欲しい」
「……は?」


 脈絡も無い唐突な言葉に、思わず聞き返してしまった。
 一体どうしてそんな言葉が出てくるのか判断付かない。

 いや、普段ならばアッシュの言葉がどれだけ簡潔でも、何を示しているのかわかる筈なのに。
 どうにも先程から思考が定まらない。

 アッシュは少し困ったような、怒ったような表情を浮かべ、息を吐き出した。


「プレゼントだ。俺はお前から貰っておいて、俺がお前にやらないのは可笑しいだろう」


 アッシュはその指にはめた指輪を見つめた。
 ああ、そういう事か、とようやく合点が行く。


「まぁ確かに半分は…プレゼントのつもりだったけど。でもそれ以上に、さ…選んで貰いたかっただけだから。気にすんなよ」
「…そう言われると、そうだが」


 納得いかないような顔をするアッシュであったが、本当にルーク自身、何かが欲しいという訳ではなかった。
 誕生日だなんて必ず年に一回来るものに、わざわざ自分から何かが欲しいとは思わない。

 もちろん貰えれば嬉しいし、そんな心遣いに感謝もする。
 けれどアッシュからはもっと違った…そう、これからも共に居られれば良いのであって、それ以上に欲しいものなど思い浮かばない。

 指輪を選んでもらったという、その行為がルークにとっての今年最高と言えるプレゼントだったから。

 一度は、レプリカであり母体から生まれた訳でも無いし、アッシュとは違う日か、はたまた誕生日が自分に存在していると言って良いのかさえわからず、悩みもした。
 だが、そんなものたいした問題じゃないと、以前さり気無く聞いてすぐに返されたアッシュの言葉が、とても嬉しかった。

 誕生日がいつであるかなんて、どうだって良い。
 そんなものは些細な事でしかない。
 今こうしてここにいて、自分はルークという一人の人間であるという事実、これからもここで歳を重ねていく事。
 誕生日はその目安でしか無いのだから。

 …全てを捨て旅に出なくて、本当に良かったと思う。

 捨てていたら、きっと自分はいつか駄目になっていただろう。
 自分で自分の存在が一体何なのか、わからなくなっていただろう。
 生まれて間も無い、あの頃のように。

 ルークが思慮に耽っていると、アッシュは使った短刀をまた鞘に納めようとし、ふと止まった。
 刃に付いていたホイップクリームに気付いたのだろう、それを舌で舐め取った。


「っあ…ッ?」


 何となく見ていただけなのに、それがいつも自分の躰を舐めてくる舌だと視覚で認知してしまい、ぶわりと抑えきれない程の熱が一気に浮上した。
 燻る熱を持て余しながらも、どうにか誤魔化していたのに、もう抑えきれないくらいにドクドクと血が暴れ回り、呼吸が浅く早くなってくる。

 流石に今度はアッシュもルークの異変に気付いたのか、慌てて短刀をテーブルの上に置き、ルークの顔を覗いた。


「ルーク? おい、どうした?」
「あ、アッシュ…な、なんだこれっ…あ、躰…が、変だ! …ぅん!」


 自分の胸元を鷲掴み、震える躰を抑えようと膝まで曲げて縮こまった。
 だが、顔は沸騰しているのではないかというくらい熱く、呼吸も荒くなってしまう。
 ひくん、ひくん、と断絶的に顔を上へと逸らし、声が漏れる。
 辛うじて落とさず持っていたケーキをアッシュがテーブルに置いてくれた。

 頬を撫でる手が、とても冷たくて気持ちが良く、はぁ…と熱い吐息が出た。
 ルークの異常な様子に、アッシュは心配そうに眉を寄せる。


「まさか…とは思うが。催淫剤か?」
「さ!? …っんで、そんな…」
「酒でこんな状況になりはしないだろう。心当たりはあるか」


 自分は誰かに狙われていたのだろかとも一瞬思ったが、それならば何事も無くここにいる事は無いような気がする。
 誤ってパーティーの食事に入っていたなんて事は、有り得ない。
 もしそうだとしたら、全員が今の自分のようになってしまう筈だが、アッシュは何ともなっていないからだ。
 アッシュもそう考えたからこそ、聞いてくるのだろう。

 ルークは荒い呼吸を繰り返しながらも、思考をどうにか巡らし、何かあっただろうかと探る。
 出された食事以外に食べたり、飲んだりしたもの。

 そういえば一つだけ、絶対に皆は口にしていないだろうものを食べた記憶はある。
 でももしそれが原因だとしたら、かなりの不可抗力で、誰も悪くない。

 そう思うものの、一応は知らせた方が良いだろうと、ある場所を指差す。


「ぁ、しゅ…そこの、葉っぱ」
「葉っぱって。これか?」


 皆から受け取ってきたプレゼントの山。
 その中に葉っぱと形容されたものも、一つ混じっている。
 チーグルの森で取れるという薬草だ。

 アッシュはそれの入った袋に手を伸ばし、中から一つ、小さな葉を取り出した。
 くん、と匂いを嗅ぎ、眉を寄せる。


「…甘ったるいな」
「何、か…ミュウが言うには、それ、を食べると…元気が出るって…よく、食べるんだ、て。試しに食べてみろって言われ…っあぅ!?」


 ルークは思わず悲鳴を上げた。
 話している途中で、いきなりアッシュの手が、パジャマの上からではあるが熱くなっているペニスを撫でてきたのだ。
 やわやわと揉んでくる手を慌てて掴み、抗議しようと試みる。


「っ…、な…何して…」
「辛いんだろうが」
「た、いした…事、じゃ…っ、な」


 ルークは必死になって首を横に振った。
 確かに、本当は今すぐにでもこの熱から逃れたかった。
 けれど、ぼんやりとした思考の中、まだ残っているなけなしの理性が制御を掛ける。

 アッシュは眼を眇めるだけで、手をどかそうとしなかった。
 耳元にまで、彼の顔が近づいてくる。


「聖獣の食べるものだからな。人間には全く違う効果が現れてしまっても仕方無いだろう。こういうものは、吐き出した方が楽になれる。それとも俺にされるのは…嫌か?」
「…嫌、だ」
「ルーク?」


 ずくり、と腰にクる声色に、それでもルークは首を振った。
 まさか断られるとは思っていなかったのか、アッシュの双眸が困惑気に揺れる。


「嫌だ、こんな…こんな…なさ、けねぇっ、の…っ」


 普段のセックスなら良いのだ。
 快感に溺れてどれだけ喘いでも、触れられる指先に思考を奪われ、我に返った時には恥ずかしい程の淫らな姿を曝していても。
 お互いに求めてのセックスならば、どれ程不様な姿を曝したって、それが至福へと繋がるものなのだから。

 でも、こんなものは違う。

 ずっと追い掛けていた相手だった。
 自分の存在を認めて欲しいと思える程の人だった。
 レプリカではなく、一人の人間として…ルークという名の者として、アッシュという男に認めてもらいたくて。
 その為に強くなった。

 彼の名を奪ったと思われないような、この名を自分のものだと誇って良いような、それだけの名に値出来る男でありたい、と。
 そしてもう二度とこの名を捨てるような真似はしないのだと、ついさっき誓ったばかりではないか。

 だから絶対に自分の意に反した、アッシュに与えられて生まれたのではないものなんかに。
 たかだか薬草なんかから引き出された快楽に、躰だけを強請る様な、情けない姿は晒したくなかった。





  to be continued...



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2010.05.22
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