Shall we dance? 4
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部屋に戻り、明かりも付けぬまま自分の使っているベッドに倒れこんだ。
帽子を放り投げ、眼鏡も外して脇に置き、仰向けになって眼を瞑る。
眼の上に腕を乗せじっとしていると、ここのところダンスの練習ばかりだったなと思い出し、苦笑が漏れた。
まだ眠るには早い時間だが、やる事は無い。
けれどこのまま寝てしまうのも、明日には出発するのだと思うと勿体無くて、ルークはもそりと上体を起した。
窓際に寄り、カーテンを開ける。
掛かっていた鍵を外しドア窓を開ければ、広いプールと、柵を隔てて離れた所に水の壁が覆い佇んでいた。
滝の如く落ちてくる水音は、近くにいるのに意外にも静かだ。
プールサイドに近づき、ブーツや靴下を脱いで、着ている服はそのままにプールの中に入った。
ザバンッと大きく音を鳴らしながら、一気に頭まで水中に沈める。
外が暗いせいか水中も暗くて、あまりはっきりと視界は開けていなかった。
けれども星光や城からの光があるので見えないというわけでは無いし、暗い中を泳ぐというのも新鮮で楽しい。
潜水したまま何メートルか泳ぐと、勢い良く水面から躰を出す。
「ぷはっ!すげ、気持ち良ぃ〜」
ルークは満面の笑みを浮かべていた。
グランコクマの夜でも暖かな気候は、水遊びに最適だ。
しかも広いプールだから、伸び伸びと泳げる。
水の高さは自分のちょうど股下までで、もう少し深さが欲しい気もするが、これでも十分泳げるので問題は無い。
濡れた長い髪を掻き上げ、水分を吸って少しきつくなったネクタイを緩めた。
腰を締め付けているベルトを外し、プールサイドに放り投げる。
ガツンと鈍い音を立てるのにも構わず、最後にパンツのボタンだけ外すと、ルークはまた水中を滑っていった。
ザバザバと音を立てて泳ぎ、水底に腹が付くくらい沈んで、暗い中ゆっくり前に進んでみる。
柵の方まで泳いで、水の壁から落ちてくる流れを間近で見てみたり。
自由気ままに水と戯れ、悠々と遊び続けた。
「ん。……はぁ、疲れた」
どれだけ水と戯れていただろう、気付けば心地良い疲労が躰を襲っていた。
服を着たままだったから、普通に遊ぶよりも体力を使ったのかもしれない。
全身の力を抜き躰を水面に浮かばせると、水中に入っている耳は水に塞がれて拾う音が殆ど無くなり、とても静かに思えた。
夜空に瞬く星をぼんやりと眺め、だんだんと眠くなってきて、眼を閉じようとして。
「…アッシュ?」
直接頭に響いてきた声に、ルークは水底に足を付いた。
プールサイドの方を見れば、そこにはいつ帰ってきていたのか、アッシュが佇んでいた。
向こうからコンタクトを図ってきた事に嬉しく思うも、ここ三日間取られていた態度と自分の持っていた女々しさに、あまり素直になれず口を尖らせた。
「別に、寝てヌェーし」
「そのまま放っておいたら、確実に寝ていただろう」
「ぅ…」
居た堪れなさに、水の中に隠れるように躰を沈めていった。
水底に膝を付けば、ちょうど肩から上が水面上に出る。
ぶくぶくと口まで水に入れて、眉を寄せてアッシュを睨む。
アッシュはシンプルな黒のワイシャツに、黒のパンツ、黒の革靴と全身真っ黒の姿だった。
ネクタイの模様だけが辛うじてルークと同じだ。
あんな格好で帽子なんて被っていたら似合わないだろうから、きっとアッシュは紅い髪をそのままにして舞踏会に出ていたのだろう。
もしかしたらそこらにいた女に声を掛けられて踊ってきたのかもしれないと思うと、無性に腹立たしくなってきた。
「…いつ、帰ってきてたんだよ」
水面から口を出して、刺々しい口調で聞いていた。
仕方無いとわかっていても、恨みがましく睨めつける。
しかも着替えていないところを見ると、先程帰ってきたばかりなのかもしれない。
さっきまでずっと踊ってたのか?
顔を歪めていると、アッシュは小さく嘆息を吐いた。
「お前が会場から出て少し経ったら、俺も出ていた。で、帰ってきて外を見たら、ちょうどお前が靴を脱ぎ捨てて水に飛び込んでいたな」
「って、それかなり前じゃねぇか。だったら声くらい掛けてくれりゃ良いのに」
「ずっと、見ていたんだがな?」
「趣味悪ぃ」
ぼやくと、彼はくっくっと喉を震わせ、こちらに近づいてきた。
プールサイドのぎりぎりに立って、眼を眇め無言で眼前にある水の壁を見つめる。
ルークは眉を顰めるも、そのままプールの中でじっとしていた。
水面をぼんやりと見つめ、時折指で波紋を起こしながら、アッシュの言葉を待ち続ける。
何か言いたい事があるのだから声を掛けてきたのだろうし、大体自分達が気まずくなった時には、こんなタイミングで仲直りする事が多い。
「…悪かった」
ぼそり、と。
待ち続けた結果に小さく呟かれた言葉は、アッシュらしくない、本当に申し訳無さそうな覇気の無い声で。
「や、…うん。そりゃ無視されて凹んだけど。でも、俺の方が馬鹿な事考えてたって思うし。その…人前でお前と踊りたいなんてさ。はは、女々しいだろ、俺。男同士なんて滅茶苦茶間抜けな絵だし。んな事したら、みんな引くって」
「でも、悪かった」
茶化して場を和まそうとしているのに、真剣な眼で見下ろされて、ルークは口を詰むんだ。
んなマジになられても困る。
折角仲直りしようとしているのに、また気まずくなるじゃないか。
心底困った顔を浮かべていると、アッシュはふと笑みを向けてきた。
そんな柔らかな微笑に合わせたように夜風が吹いて、彼の長い髪を揺らしていく。
思わず眼が離せなくなってしまい、ルークはアッシュをじっと見つめた。
強く、凛としていて綺麗な男だ。
どれだけ綺麗な女性を眼にしても、アッシュ以外にはこの心は囚われない。
もしかしたら自分の頭が可笑しいだけなのかもしれないけれど。
でも、この世で彼が一番だと思ってしまうのだから、どうしようもなかった。
「…お前の願いに気付いてしまって、だがどうすれば良いのかわからなくなってしまって。面と向かって話せれば良かったのにな。お前の気持ちもわからなくないから…言うに言えなかった。しかしそのせいで、お前を余計に悩ませた」
「ったくだよ。ガラにもなく戸惑いやがって。無駄な事望むんじゃねぇって、スパッと切り捨ててくれりゃ良かったんだ」
「だから、悪かったと言っている」
だんだんと不貞腐れたように、それでも何度も謝ってくるアッシュに、ルークは何だか可笑しくなって笑ってしまった。
吹き出して、喉を震わせて。
収まらなくて、終いには腹を抱えて笑った。
「笑い過ぎだ、屑が」
「ははっ、だって可笑しくって」
笑いながら後ろに倒れていき、水中へと潜り込んだ。
一度下まで沈んで、それから一気に空中まで飛び跳ねる。
頭を横に振り、ブルブルと水飛沫を飛ばし。
それで、プールから出ようと思った。
けれども次の言葉に、ルークはその場で硬直していた。
「踊ってやるよ」
アッシュは先程ルークが沈んだ時にさっさと裸足になったようで、自分同様、服を着たままプールの中に入ってきた。
「あ、アッシュ?」
下半身を濡らしザブザブと水を鳴らしながら近づいてくるアッシュに、ルークはハタと気付き下がろうとした。
だがじっと見つめてくる眼に囚われて、躰を反転させて逃げるという思考が働かなかった。
結果、上手く足が動かず、すぐに自分の腰にアッシュの腕が回される。
「ぁ…」
ぞくりと、腰から背筋に気持ち良い悪寒が走り抜けていき、声が漏れた。
至近距離で眼を合わせ、アッシュはにやりと口元に弧を描く。
「俺とダンス、踊りたかったんだろう?わざわざ女の方のステップまで練習しやがって」
「…え?ま、まさかそれって」
「一回だけな。後付けて、練習している様子を見ていた」
「ぅわ、マジかよ…」
まさかあんな練習を見られていたのかと思うと、羞恥で顔が赤くなってしまう。
アリアにあれこれ言われながら必死になって練習していたのは、よりにもよって女役なのだ。
しかもあまり上手いとは言えないダンスをだ。
「前に練習していた時、俺が何度も女役で一緒に躍ってやったのにな」
「……や、だからこそで…」
「わかっている。良いから、ほら」
一体何がわかっているのかと、問い質してやりたかったが。
腰に回っていた手で強く躰を引き寄せられ、互いの腹から下腹部が密着してしまい、声が出なかった。
自分の右手をアッシュの左手が握ってきて、腰に回っていた手が上に上がり肩甲骨辺りに添えられて。
ルークも慌てて、左手をアッシュの二の腕に添えた。
何度もアリアに注意された姿勢を注意しながら、顎を引き、背を少し逸らす。
男の人に躰を預けるようで、けれども実際は自分の力で逸らした背筋を、踊っている間ずっと維持し続けなければならない。
これは女の人達も大変だなと心底思ったくらい、難しい事だ。
アッシュはルークがスタンバイ出来た頃を見計らって、カウントを取る。
「イチ、ニ。サン」
サン、と言われた時にルークが足を引き、アッシュが前に出してワンステップ踏む。
それから本来なら、なめらかなワルツとなっていく筈なのだが。
「ぅわ、わ、無理っ!」
「っ…」
元々股下まである水の中で簡単に動ける筈も無く、足はすぐに縺れステップが崩れていく。
「…っうわぁ!」
互いの足とぶつかり、ルークは上体が保てなくなって、背を反ったまま後ろへと倒れていった。
慌てて背に添えていた手に力を込めて抱き締められるも、間に合わずに二人して水の中に転倒してしまう。
ザバンと、水飛沫が上がる。
「はぁ…ルーク、大丈夫か?」
アッシュがすぐに抱き締めていた腕を解き、そのまま腕を引っ張って立たせてくれた。
「うん。はは、アッシュも水浸しだな」
「やはり踊りにくいな」
濡れた長い髪を掻き上げて、アッシュも自分と同じように笑みを浮かべた。
二人して服のままプールに入って、びしょびしょになって。
しかもわざわざ水の中で踊ろうとするのだ、普通なら考えられない事で、あまりの滑稽さにまた笑いが零れた。
だがプールサイドに出て踊るというのもまた滑稽な気がするし、きっとこういう状況でないと彼は踊ろうと言ってくれなかっただろう。
人前でアッシュと踊りたいと本気で思っていた自分に、叶えられなかった代わりがこれだ。
誰もいなくて音楽の流れない場所で普通に踊っては、練習と同じだ。
それに曲が無いのでいつ終わせれば良いのかタイミングが難しいだろうし、きっと無音は虚しい。
だからあえて、水の中を選んでくれたのだ。
今みたいに足が縺れて、転倒して。
全然上手く踊れないし、逆にすぐ終わってしまうけれど、でも凄く楽しい。
いつもと違うから、凄くワクワクする。
「な。もぅ一回、良い?」
「ああ、もちろん」
強請れば、アッシュはすぐに頷いてくれた。
いそいそと自分から彼の腕に手を添え、下腹部を押し付け。
アッシュの手がまた自分の背に添えられた時、ふと思い出してルークは間近にある顔を見つめた。
「そういや、舞踏会で誰かと踊ってきたりしたのか?」
「俺がそんな面倒な事をすると思うか?」
「…それもそっか」
言われると、すぐに納得した。
確かに、アッシュが見ず知らずの女性に声を掛けられて、笑顔で対応するなんて場面が全く想像出来無い。
不機嫌な声を出しながら、適当にかわしてそうだ。
右手を取られて、また踊る体勢に入った。
アッシュがゆっくりカウントを取り、一歩。
今度は先程よりも足の歩幅を小さくして、なるべく水の抵抗を減らした。
イチ、ニ、サンと心の中で繰り返しながら、水の中でゆっくりゆっくり、足を動かしていく。
けれども一通りのステップの流れの中に、大きくターンする場所があって。
そこでバランスを崩してしまい、またもや情けない声と共に水中に沈む…かと思ったのだが。
「…ぅわ」
ここで確実にバランスを崩すと予測していたのだろうか、今度はアッシュが倒れず引き寄せ抱き締めてくれたので、倒れずに済んだ。
が、代わりに前乗りになって、お互いが思いっきり密着していた。
「さ、さんきゅ…」
しどろもどろになってしまったのは、張り付いた服の下で、いつの間にか自分が欲情していた事に気付いたからだ。
互いに、着ている濡れた服が躰に貼り付いていて、裸の時とほぼ同じくらいに感触が伝わってくる。
アッシュの胸板に自分の乳首が擦れてしまい、ルークは躰を震わせた。
慌てて密着している躰に隙間を作り自分の胸を見下ろせば、服の下から乳首が透けているのが闇夜の中でもわかった。
黒いシャツを着ているアッシュは見えないのに、自分は白いシャツを着ているせいで、乳首の膨れた形まではっきりと浮かび上がっているのだ。
しかも当然、アッシュに見られているわけで。
今更な関係だとわかっているのに、かぁっと顔の温度が一気に上がってしまった。
けれどもやっぱり今更な関係なせいか欲情してしまい、密着している下半身が疼き勃起して、濡れたパンツの中で熱くなってしまう。
「ぅぁ、あの。これは…えっと」
まるで誘っているみたいにどんどん躰が熱くなってくる。
顔はきっともう真っ赤だろうし、なんか涙まで出てきそうで。
こんな筈じゃなかったのにと、あまりの居た堪れなさに逃げたくなって、ルークは思わず腰を引いた。
「ぅあ!」
でも離れた途端、次は先程よりも強く抱き締められて、下半身の熱をアッシュの足の付け根に思いっきり押し付けてしまった。
唐突に襲ってきた強い衝撃に、喘ぎ声が漏れる。
下肢から背筋へと向かって、悪寒が走り抜けていく。
「あっ、…や、ぅ…」
「ルーク」
アッシュが耳元で名を呼んでくる。
下半身はくっ付いたまま、上半身を離され、顔を覗かれ。
「…ぁ…あっしゅ…?」
間近で見た彼の双眸が、先程とは比べようもない程に濡れていて、一瞬にして囚われ動けなくなってしまった。
自分の姿を見て、アッシュも欲情してくれている、と。
理解出来た時には、キスをされていた。
「…ん……」
ちゅっと音を立て唇を吸われ、それだけで唇は離れていく。
頬に貼り付いていた髪をどかされて、指輪を付けた掌が頬を覆うように撫でてきて。
アッシュはルークの眼を覗き込みながら、ふっと笑った。
「お前は綺麗だな…凄く」
擦れた艶やかな声で囁かれた言葉は、甘くて。
今度こそ顔が燃え上がりそうなくらいに、恥ずかしくなった。
男に言う台詞じゃヌェーとか、でも自分もアッシュに先程見惚れて綺麗だと思ったばかりだとか、んな色っぽい声で言うなとか。
つか、そんな欲情した眼で見んな頭がおかしくなる!とか。
あれこれと、ぐるぐる頭の中で回っていって混乱してしまう。
しかも自分の下半身と同じように、アッシュのモノもまた勃起し始め、熱を持っていた。
徐々に伝わってくるそれが気持ち良くて、思わず自分のモノをズボンの上からでも構わず摺り寄せて、喘ぎ声を漏してしまう。
「ぁ…ん……ぁっ…お前、ぜったい眼…腐ってるっ」
「そうかもな」
まるで相手にされていないくらいにサラリと肯定され、それはそれでムカついた。
自分ばかりが翻弄されているようで。
自分だって、アッシュをいつも綺麗だとか、美人だとか思っているのに、これでは負けた気分だ。
だがどう考えたって脳みそが沸いているとしか思えない。
男で、しかも完全同位体で。
アッシュが綺麗なんて言っていたら、まるでナルシストじゃないのかと思うのに、それでもどうしたってアッシュが綺麗に見えるのだ。
特に今は、いつも以上に美しいものだった。
滴る水が余計にそうさせているのだろうか、濡れた紅い髪が闇夜に彩られて、艶やかな色合いを放っている。
そして自分を見つめてくる双眸や、言葉を紡ぐ唇から眼が離せない。
「…俺の眼も、滅茶苦茶腐ってやがる」
もう腐ってても何でも良い。
早くアッシュが欲しかった。
湧き上がる熱を、快楽に変えたい。
いっぱいアッシュを感じたい。
躰の、奥まで。
男同士?
そんなもの今更じゃヌェーか。
コイツを好きになった時から覚悟はした筈だ。
指輪を持っていかれた時には、全てを受け入れた筈だ。
コイツを一生手に入れていられる為になら、世間体でも何でも全部我慢してやる。
だから。
「も、早く」
我慢出来無くて、アッシュの昂ぶりに自分のものを何度も擦り寄せ、懇願した。
張り付く服がじれったい。
もっと直接擦り合わせたい。
けれどもアッシュは焦らすように、服の上から乳首を摘んできた。
「ひっ…うう…、あ、」
腰に回っていた手が下に滑っていき、パンツの上から濡れた尻を撫でられた。
割れ目に指を押し宛てられ、それだけで大きく背中が撓る。
アッシュが笑う。
そして、妖艶な声で囁かれる。
「存分に、可愛がってやる」
その言葉に、脳天までぞくぞくと快感が走り抜けていった。
晴れやかな朝だった。
旅立ちにはうってつけの青空。
カラッとした天気に、海水の匂いを運ぶ風がそよそよと吹いていて、とても気持ちが良い。
ピオニーからあれこれと言われつつ、軽快な言葉で送られ外に出て、深呼吸をして。
太陽の日差しを遮るように被っていた帽子を直して、そこでふと、ルークは城門前に見知った姿を見つけた。
「あれ、アリア。奇遇…ってわけじゃないよな」
「おはようございます、皆さん。昨日、ジェイド大佐に今日の出発時間を聞いていたので、見送りに来ました」
アリアがお辞儀をすると、ルークの隣にいたアッシュも軽く頭を下げる。
荷物を抱えてジェイドと一緒に出てきたガイは、ジェイドに持っていたもの全てを押し付け、爽やかな笑みを浮かべた。
「貴女がアリアさんですね。俺は二人の使用人をしているガイと申します。このたびは、ルークが大変お世話になりました」
「いえ、こちらこそルークさんと色々な事が話せて楽しかったです。あ、これはお世話になったお礼にと思って。お弁当を作ったので、宜しければ皆様で召し上がって下さい」
明るい笑顔でアリアが差し出してきたものは、大きめの包みだった。
可愛らしいナプキンに包まれているものは、確かに弁当の形をしている。
ガイはにこやかにそれを受け取った。
「ありがとうございます。こんな可愛らしい女性の手料理を頂けるなんて嬉しいですよ、馬車の中でご馳走になります」
「…アッシュには出来無い芸当だよな」
ガイが柔らかな物腰でアリアに話し掛けているのを見ながら、ルークはボソッと呟いた。
もちろん隣には聞こえる声量だ。
アッシュは溜め息を吐いて、こちらを見返してくる。
「俺は、お前を口説く事にしか興味が無い」
「…知ってるし」
はっきりとした声で言い放ったアッシュに、ルークは少しばかりむくれたように言葉を返した。
貰った言葉が嬉し過ぎて、心がむず痒くなってくる。
するりと手をアッシュの手と絡ませれば、彼はすぐに握り返してくれた。
そのまま躰までくっつけようという勢いだったのだが、こほんと後ろから咳払いが聞こえて、ルークは慌てて振り返る。
「はいはい、そこ。こんな所でいちゃつかないで下さい。あとガイ、私に荷物を持たせたまま待たせるだなんて、随分と良い根性してますよね〜?」
「え?ぅわぁっ、わ、悪い!」
にこやかだが明らかに怒りオーラを発しているジェイドに、ガイは持っていた弁当をポンと自分に渡してくると、必死に謝りながらジェイドから荷物を受け取っていた。
手が空いたジェイドは、昨日同様、アリアに優しい笑みを浮かべる。
「おはようございます、アリアさん。もしこれからお時間があれば、馬車まで一緒に見送りに行きませんか?」
「お邪魔にならないのであれば、ぜひとも」
アリアも笑顔で答え、ようやく街の外に待機させてある馬車まで行く事になった。
ジェイドとガイに挟まれて歩いているアリアの後ろ姿を追っていると、アッシュが話しかけてきた。
「ガイは女に無条件に優しくなるタイプだが、ネクロマンサーは男女関係無く、己にとって敵にはならなくて、尚且つ毒気の無い素直な人間に優しいタイプだな」
「あ〜…わかる気がする。アリアは腹の内を探らなくて良いから、自然と優しくなるんだよな。俺も凄く付き合いやすかった」
「そうか。良い経験になったか?」
「うん。…少しは役に立てたと、思う」
問われ、ルークは頷きながらも腰に付けている短剣へと意識を持っていった。
今回の旅の目的である、同じ視線で人々と接し、手を差し伸べ助ける事。
やはり一度にたくさんの人の役に立つ事は難しいけれども、一人一人身近に接せられるから、色々な話が聞けて、色々な経験が出来た。
賑やかな街を出ると、一面に静かな平原が広がっていた。
すぐそこに停められていた馬車に、ガイが荷物を入れていく。
これから先は、近くの港まで行き、馬車と一緒にここからだいぶ離れた雪国ケテルブルクへ行く事になっている。
長い船旅だ。
ガイがジェイドと話しながら馬の様子を確かめている間に、アッシュは一足先に馬車へと乗っていた。
「ねぇルークさん」
「ん?」
グランコクマ城の方へ眼を向けていると、隣にいたアリアが声を掛けてきた。
笑顔を浮かべ、見上げてくる。
「私ね、昨日大佐に告白したんです。好きですって。もちろん、フられてしまいましたけれど」
「アリア…」
眉を寄せた自分に、アリアは視界の隅で緩く首を横に振った。
「初めからわかっていた事ですから。むしろフられてスッキリしたくらいです。それに、素敵な時間が過ごせて幸せでした。これも全てルークさんのおかげです、本当にありがとうございました」
「…そっか」
「むしろ昨日はルークさんの方が心配でした。でも、仲直り出来たようで良かったです」
「あーうん、まぁ」
改めて言われると何だか恥ずかしくなって、被っていた帽子のツバを引き下げた。
眼元を隠して、赤くなってしまいそうな頬を指で掻く。
昨日の事を言われてしまうと、どうにもこうにも羞恥が沸いてしまう。
馬鹿な事を考えていたとか、人様んちのプールの中で何やってるんだかとか、でも滅茶苦茶気持ち良かったとか。
あれこれと思い出して、案の定頬が紅潮してしまった。
アリアはこちらの様子を見てか、クスッと笑みを零す。
「ルークさんは知らないかもしれませんけれど。アッシュさんとルークさんが恋仲である事って、意外と有名なんですよ?」
「…はぁ?」
「グランコクマでは、ピオニー陛下がさり気無く公言していらっしゃいますよ。うちに来て英雄達の事を説明する時は必ず、あの二人は凄く仲が良い、と言っていますし」
「あの国王め…っ」
何て事をしてくれやがるんだ、と思わず悪態を付いてしまった。
普通なら男と男が仲が良いなんて事、そこら辺に言いふらさないだろう。
しかも、聞きようによっては英雄はホモだって言っているようなものではないか。
普通に仲が良ければ、そんな事を言う必要は無いのだから。
しかしふとルークは思い立った。
今、うちに来てと言ったか。
ピオニーがアリアの家に行く…?
「なぁ、もしかしてアリアって、結構お嬢様だったりするのか?」
「そういうわけではないですけれど…ルークさんが英雄になる前から、名は良く聞いておりました。私、アリア・フリングスと言うんです」
その名に、ルークはアリアの顔を凝視していた。
彼女はしっかりと顔を上げ、美しいグランコクマ城を凛とした眼に映している。
言われると、確かにあの将軍の面影があった。
歳がだいぶ離れているし、肌の色も髪の色も違ったから気付かなかったけれど。
しかし兄妹と言われれば、納得出来る。
「私はこの通り一般人ですけれど、兄は軍事に関与していたんです。数年前に、死んでしまいましたが」
知っている。
自分は彼の最後を見ていたのだから。
冷たくなっていく手を握ったのだ。
この指輪と短剣の事だって、彼が切っ掛けで知った事だった。
全く、何と言う因果か。
「ピオニー陛下は、よくお墓参りに行っては、私の家まで寄ってくれるのですよ」
「ジェイドは、…知ってるのか?」
「言ってはいません。兄さんの葬式にジェイド大佐はいらっしゃいませんでしたから、会う事もありませんでしたし。でも、きっと私が妹だと気付いているのでしょうね。私との過去の事を覚えていらっしゃったのですから。…あの時の事が切っ掛けで、兄は軍に入隊したんです」
だから、昨日ジェイドがアリアと会った時、ジェイドは彼女の兄の事を口にしていなかったのか。
アリアは、兄の病気にはジェイドから医者を紹介してもらったと言っていた。
ならば普通なら、病気になった兄がその後どうなったか聞くだろう。
お元気になられたかとか、どうしているかとか、そんな言葉で。
だが、ジェイドは聞かなかった。
自分が見ている限りでは、話題にも触れなかった。
それは、もうこの世にいない人物だからと知っていたから。
そして素早く彼女の手を取り踊る事で、誤魔化したのだ。
「ルーク、そろそろ行くぞー」
用意し終わり、既に馬の手綱まで持っているガイに呼ばれ、ルークはわかったと返事をした。
ガイとジェイドがこちらを見ている中、馬車の方に歩こうとして、けれどもふと足を止める。
帽子を取って赤い焔の長い髪を外気に晒し、風に靡かせた。
街中という理由で、彼女の前でもずっと見せなかった赤い髪。
そのまま流れるように、アリアの頭に帽子を乗せる。
彼女は慌てて風に流されないように、それを押さえた。
「じゃあな」
「ルークさんっ。貴方に出会えて良かったです。とても、楽しかった」
「ああ、俺も。すげぇ楽しかったぜ」
「また、いつでもいらして下さいね!」
頭を押さえたまま手を振るアリアに、ルークは満面の笑みで答えた。
...end.
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短剣に纏わる話として、自分的には頑張って書いたなぁという思い入れのある作品です。
2011.03.14
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