白き世界  1

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 月の出ている夜だった。

 銀のクレーターがはっきりと見える程に鮮明な、白く美しく儚い光を発している満月。
 空に浮かぶそれだけが、この辺りを照らしている。


「はっ……綺麗、だ…」


 まだ自分は生きているのだと確認する為に、苦しげな声を吐き出す。
 そして、崖の下から微かに覗く空と月を見上げる。
 目は見える。
 
 川が流れていて、自分の下半身を濡らしていた。
 その水の感触がわかる。

 崖上の森からはたくさんの木が風に揺られ、一斉に鳴り響いた。
 壁と壁の間に通る、風の音も聞こえる。
 ああ、耳も正常だ。

 サスケは川に浸っている躰を起こそうとした。
 しかし躰中を駆け回る激痛に、呻きを上げる事しか出来無い。

 ズキリズキリと痛む全身に、顔を歪める。
 一度大きく息を吐けば、内蔵もやられているのか肺辺りが痛んだ。


「ったく、やってらんねぇ…、」


 上を見上げれば視界の大半を覆うような、かなり高い崖からこの谷底へと落ちたのだ。
 山を分断したように左右に隔てられていて、底にはこうして川が流れている谷。
 そんな崖と崖の間から、かろうじて月が見える程度である場所に、真っ逆様。

 ここが何処だかはわからないが、きっと落ちた場所からいくらか川に流されたのだろう、全身が冷たく凍えるように寒い。

 もちろん、足を滑らせてだなんて無様な状況ではない。
 だが理由は、かなり馬鹿みたいなものだったように思う。

 それでも、サスケからすれば必死だった。












 サスケがアカデミーに通うようになってから、約一年。
 いつものように、家に帰る前に何処かで修行しようと一人で山の中に入ったのは、まだ太陽が出ている時間帯だった。
 現在練習中の術をどうにか仕上げられればと思い、横倒れになっている丸太に座り、巻物を広げ勉強する。

 しかし、しばらくしてサスケはふと顔を上げた。

 誰かのいる気配がする。
 そして何処にいるのかと確認する間も無く、いきなり目の前に現れた五人ばかりの忍達。

 木の葉の額宛を付けている連中で、一見した年齢や強さからの判断では中忍くらいであった。
 そいつ等が、自分に卑下した顔を向ける。


「へぇ、これがあのイタチの弟か」
「まだガキじゃん。こんなんで本当に効果あんの?」
「さぁな。だがあのイタチでも、血を分けた兄弟くらいならそれなりの態度を見せるだろ」


 会話を聞いて、サスケは瞬時にクナイを構えた。
 コイツ等は、兄のイタチを妬んでいるのだと理解する。

 たった十歳程で中忍になり、現在十三にして上忍レベルを凌ぐと言われている兄。
 既に二十歳を越えているような目の前のオッサン共からすれば、嫉妬を煽られるような存在なのかもしれない。

 そしてその腹いせの為に、弟である自分の前に現れたのだと。


「目障りだ、消えろ」


 サスケはその歳では想像出来ないほどの鋭い眼でもって男共を睨み付け、抑揚の無い声を出した。
 しかし男達は多少驚きを見せるものの、子供一人が相手である事に余裕を持ち、相変わらずの態度を見せる。


「うっわ、イタチに似て生意気なガキ」
「そうだなぁ。ちょっとお兄さん達と躰のお付き合いをして、気持ち良くなって頂こうかなぁと」
「ガキをヤる趣味は無いが、あのイタチに一発食らわせるならこの方法が手っ取り早いからな。弟のヤられる光景を眼にすれば、あのムカつく面も歪むだろ」
「あ、でもコイツすげぇ綺麗な顔してるから、俺達も楽しめんじゃないの?色も白いし、柔らかそうだし」


 つまりは結局自分をどうするつもりなのか、男達の言っている内容が自分には不可解なもので、微かに眉を寄せる。

 しかし、ヤルという言葉があった。
 前後の言葉とは微妙に食い違っているが、多分殺すという意味合いなのだろうと判断し、足に力を込める。
 こんな奴等に殺されるなんて、冗談では無い。

 そして自分へと延ばされた手に、サスケが瞬時に判断し、取った行動は。


 ……逃げる事だった。


 中忍五人を相手に、忍ですらない自分が勝てはしない。
 悔しいが、捕まって殺されるよりかは、逃げた方が得策である。

 まさかあれだけ殺気立てて武器を構えていた子供が、突如敵前逃亡するとは露ほども思っていなかったようで、後ろから慌てた声が聞こえてくる。


「ちょっ…この、待ちやがれ!」
「捕まえろ!」


 間抜けな連中であるが、流石は忍と言ったところか、すぐに体勢を立て直して追いかけてくる。

 サスケは舌打ちを零し、とにかく森の中を走った。
 木から木へと、幾度も移り。
 クナイを足下に投げつけられても、それを飛び越えて先へと走る。


「待てよコラ」
「っ…」


 一人が目の前に姿を現した。
 次いで二人目、三人目と。

 サスケはすぐさま所持していた煙玉を取り出し、火をつけ投げる。
 煙幕が沸き上がり、視界が悪くなり。
 相手が怯んだ隙に木から地面へと降り、駆け出す。

 しかし。


「よっしゃ捕まえた!」


 次に来た男に、腕を掴まれてしまった。
 男は、にやにやと気持ち悪い笑みを浮かべている。


「さぁて大人しくし………って、変わり身の術かよっ」
「何処に消えた!?」


 全速力で走った。

 とにかく、捕まらないようにと。

 既に、ここが何処なのかもわからなくなってしまっている。
 それでも、足を止める事はしなかった。

 しばらくすれば、また忍である男達が追ってきた。


「ガキのくせに、大人をおちょくりやがって!」


 捕まえられない事に、苛立った声が聞こえてくる。
 おちょくるも何も、頼んでもいないのに追ってきてんのはテメェ等だと、内心毒づいた。

 もう太陽が沈み掛け、辺りは暗くなってきている。

 一体どれ程走り続けただろう。
 疲れもかなり出ていて、額からは汗が伝い落ち、走る速度も下がる。

 サスケはふっと足を止めた。
 追ってきた男達が何事かと数メートル後ろで止まり、訝しげに様子を伺ってくる。
 今まで逃げていたのに唐突に止まり、しかも振り返ったのだ。
 それも、ふわりと柔らかな笑みを浮かべて。

 何かしてくるのでは…とでも思っているのか。
 そう思うと、内心たまらなく可笑しかった。


「じゃあ、な」


 それだけ言って、サスケはトンッと一歩、後ろへ飛んだ。
 躰の力を抜き、そのまま真っ逆さま。

 男達が慌てて駆け寄り、しかし足を止める。
 そんな間抜けな面をして見下ろしてくる姿を最後に、自分は底の見えない谷へ、頭から落ちていった。












 どれくらい気絶していたかは、わからない。

 だが、自分は生きていた。
 目測通り、川に落ちたおかげだろう。

 しかしこのままでは、いつか凍え死んでしまう。
 サスケは痛みに堪えながらも、どうにか川から這いずり出た。


「はっ…ぐ、あ」


 立ち上がろうとしたけれど、右足が折れているようで無理だった。
 頭も痛く、動く右手でそろりと触れば、切ってしまったのか手に血が付いた。
 躰のあちこちを打ち付けていて、自分の事ながら本当によく生きていたと、驚いてしまう程の酷い有様だ。

 そうは言っても、死ぬつもりなんて毛頭無かった。
 ただあの時の状況では、谷に落ちるのが最良な手段だっただけの事。

 微かに、川の流れる音がしたのだ。
 だから飛び降りた。
 上手く川に落ちて、流されて。
 そうすれば太陽が沈み夜になった中でまで、自分を捜しはしないだろうと。

 案の定、追っ手の気配はしていない。
 もしかしたら、既に死んだと思っている可能性もある。

 サスケは、川の波打ち際に流されていた木の棒を掴んだ。
 両手が動くのは幸いである。
 塗れた自分の上着を破ると、木で折れた右足の骨が動かないよう固定し、結んでいく。

 そして傷だらけの躰を、必死になって動かす。
 寒さに、全身がガタガタと震える。

 ずるり、ずるり。
 壁に手を付き、足を進め。

 ふと、空を見上げる。


「っ…兄さん……」


 今サスケの頭にある事は、大好きな兄に会いたいと……それだけだった。




















 任務が終わったのは、夜であった。

 現在十三歳のイタチであるが、既に暗部で分隊長まで務めている程の力を持っている。
 そんなイタチの任務は、今日も殺しだ。

 忙しい故に、少し遅い時間の帰宅。
 しかしこの時間であれば、まだ風呂は沸いているだろう。
 纏わりつく血を流して早くサスケに会いたいと、火影に報告を済ましすぐに家へ帰った。

 だが家に着くと、どうした事か玄関の前に母の姿があった。
 無表情ながらも何かあったのかと駆け寄る。
 すると、母ミコトもイタチに気付いた。


「あ…イタチ」
「母さんどうしたんですか、こんな所で。何か」
「サスケが帰ってこないの」
「……え…」


 間髪入れず告げられた言葉に、イタチはぴたりと動きを止めた。
 何を言われたのか、理解はしていても脳が拒否反応を起こす。

 夕飯前には必ず家にいて、イタチが任務から帰ってくると嬉しそうに駆け寄ってくるサスケが……まだ、帰ってきていない?
 こんな時間になってまでサスケが帰ってこないなんて、今まで一度も無かった。
 もしそうであるならば、かなり危険な状況に陥っているのではないかと言われた言葉を否定したくなるも、母の苦しげな表情に真実だと悟る。

 アカデミーで何かがあれば、先程火影に会った時点で何か言われていた筈だ。
 しかしそれが無かったという事は、修行中に何かがあったと見るべきか。
 サスケはアカデミーが終わると、大抵一人で修行をしている。

 無理して疲れて眠ってしまっているだけの場合もあるが、何者かに襲撃された可能性も否め無い。


「この事は誰かに?」
「いいえ、まだ誰にも。そのうちあの子が帰ってくるんじゃないかって、ここで待っているのだけれど…」
「…わかった。俺が捜してきます。とにかくまだ大事に至っているかどうかもわからないから、母さんは家で待っていて」


 そう辛うじて冷静に言えば、母は不安そうにしながらもしっかりと頷いてくれた。

 父は長期任務に出掛けていて、今日も帰ってこない。
 それはむしろ救いだった。
 あの人なら一目散に木の葉を疑い、一族を連れて潰しにかかり兼ねないからだ。

 そんな事をされたら、本気でサスケを捜せなくなる。

 イタチは血の臭いも何もかもをそのままに、脱兎の如くまた町を飛び出した。


「サスケ…ッ」


 既に、焦る心を隠す余裕なんて無くなっていた。





  to be continued...



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イタチ兄さんは、サスケの事になるときっと我を忘れます。

2008.05.31
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