甘いひと時を、君と一緒に  
後篇

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「これも外れ、か」


 溜め息と共に、月に翳していた宝石を懐にしまう。
 快斗はドレス姿のままでも構わず甲板の端っこに腰を下ろし、仮面を外して、ぼんやりと遠くに見える都会の夜景を見つめた。
 一番下の甲板だからか、視界に人の姿は無い。

 パーティーは現在、ダンスの真っ只中。
 といっても既に閉会の挨拶は行われており、十一時まで音楽は奏でられているので、踊りたい奴だけ自由に踊れば良いという状況だ。


「………はぁ」


 どうにも溜め息が零れる。
 しんみり夜の潮風に吹かれたいだなんて、これっぽっちも自分に似合わないのに、部屋に戻ってもきっと悶々とするだけだと思うとここから動けなかった。

 だって。
 だってよもやまさか、名探偵とダダダダンスを踊っちまうなんて!
 ぐぁあああ、十五分前までの自分は、いったい何を考えていたんだ…!
 一曲だけとはいえ、背中にはずっと名探偵の手が触れているし、布越しであろうが胸から腹まで密着して、抱き締められるような格好でいただなんて、今思うと悶えるくらい羞恥ものだ。

 いや、そもそもケーキを食べている間に、アイツが嫌いであるはずの怪盗やらキッドやらの話を振ってくるのが悪い。
 あの場の空気に合わせてなのだろうが、キッドの事を怪盗としての実力やマジックは凄いとか、お人好しで優しい奴で、だからこそ見る者は彼に魅了されずにはいられないとか、とにかくベタ褒めされて。
 当然悪い気はしないし、嬉しくなってしまった自分も怪盗とかマジックの話をして楽しんでいたら、いつの間にか閉会の挨拶まで終わっていた。

 そこまでは良い。
 問題はその後だ。

 生演奏ってすげぇなぁと音楽に耳を傾けていたところに、えらく自然に手を取られて甲にキスされて、「ぜひ僕と一曲踊ってください」なんて微笑されながら言われてみろ!
 誰だって断れねぇよ!
 そういうのは全部キッドたる自分の専売特許のはずなのに、お前はたらしか!
 たらしなのか!?

 おかげで心臓はドキドキするし顔は熱くなるし、テンパっちまって素で転けそうになるし、そしたら余計に抱き締められるで、もう散々だ。
 ライバルである名探偵相手に、なんという失態。
 マジ凹むわー。

 ……はぁ。
 駄目だ、もうちょっと落ち着いてから部屋に戻ろう。
 ああ、ひんやりした外気は気持ち良いし、真っ白い満月に心が洗われるようだ。

 ぼんやりしていると、階段から人の下りてくる音がした。
 一人だけだ。
 自分のように、凹んで人気のしない場所まで来たのかもしれない。

 こんな隅っこに座り込んでいるのを見たら、驚かれるだろうか。
 それはちょっと気まずいが、今の自分には笑顔で場を明るくするだけの気力が無い。
 さてどうしようと考えていたところに、相手の姿が視界に入る。

 なんというか、うん、もうなんなの。
 仮面取ってるから別人だと思って……など、名探偵に限ってはありえない。

 こちらが素顔を晒していたのを認めると、彼もまた仮面を取りながら近づいてきた。
 チクショウ、一つ一つの動作がいちいち格好良いな。


「隣、良いか?」


 いや、出来ればどっかに行ってください。
 と思っても、実際に口にするほど非道な人間にはなれそうにない。

 頷くと、名探偵も甲板に直接座った。
 肩や腕が触れ合うほど近くて、鎮まりかけていた動揺がまた沸き上がってきてしまう。

 なんだろう、本気で可笑しい。
 こんなふうに心臓が忙しくなるなんて、今まで一度も無かったのに。
 もしかして風邪でも引いたかな。

 ふるっと小さく震えたら、名探偵がジャケットを脱いで、こちらの肩に乗せてきた。


「これ、掛けとけよ」


 仮面を付けていないからか、タメ口だ。
 でも先程までの紳士な態度をされるよりは、ずっと彼らしいし落ち着ける。


「……あんがと」


 剥き出しの肩や腕や背中が彼のぬくもりに覆われて、あったかかった。
 すんごい優しいなぁとも思う。
 でもこの状態は、激しくこそばゆい。

 正直、慣れていないのだ。
 学校での男共は、一緒に馬鹿騒ぎはするけれど、こんな女の子相手のように優しくしてくる奴は一人もいない。
 むしろ自分が女の子に優しく手を差し伸べて、黒羽君格好良い!と言われまくっている。


「………なぁ」


 名探偵が呟き、膝に乗せていた手に触れてきた。
 甲から指先までを一撫でされ、指を絡めながら、互いの掌を合わせられていく。
 まるで恋人繋ぎだ。

 今日会ったばかりの相手に何やってんだよ!と言うには、自分達の間に流れている空気があまりにも甘くて、無理だった。
 こちらが嫌がれば彼は引き下がるだろうに、どうしてかそれが出来無い。


「お前、女だったんだな」


 自分の心理状況がいっぱいいっぱいで、何を言われたのか理解するのに十数秒は要した。
 眼を見開き、慌てて立ち上がろうとする。
 しかし繋いでいた手をぐっと強く握られ、躰を結い止められて動けない。


「逃げんな。逃げるなよ、キッド」


 ああ、何やってんだ俺。
 そうだよ、逃げようとせずに、何の事かわからないとしらを切れば良かったじゃないか。
 まだ遅くない、今からでもそう言えば良い。

 ……でも。
 名探偵は確証も無くそんな事は言わないし、そもそも見ず知らずの自分に近づいてきたのや妙に優しかったのも、それが理由だったんじゃないのか?


「どうして、気付いた」


 怪盗の声で、地を這うように聞いた。

 最初の接触から気付かれていたわけではないはずだ。
 もしそうだとしたら、犯行前にもかかわらず、あんな易々と見送ったりしない。
 ならば何故、その時の女がキッドだとわかったのか。

 俯いているので彼の顔は見えないが、困惑しているのが伝わってくる。


「その、だな。卑怯な手を使った自覚はあるんだ。ステージの上で即席の演技みたいなもん、しただろ?あの時、オメーはこっちの意図を汲んで合わせてくれた。ただ、首筋をさわる際、指にこれを付けていて」


 ズボンのポケットから出されたのは、小さなジェルネイルの容器だった。
 無色だが、ラメが入っている。


「ここは海上だし、今日は空を飛んでいけるほどの風も吹いていない。ならばキッドはその場に留まるんじゃねぇかってな。フェアじゃねぇから今回は捕まえるつもりはなかったんだが、それでもキッドから予告状が届いたから来てくれって言われて船に乗ってみれば、余興をしてくれ、だろ?あまりにも癪だったから、ちょっとした悪戯のつもりで」
「もしかして、今も俺の首筋に付いてんのか」
「ああ、キラキラしてる。髪に隠れるかそうでないかの、ちょうど俺がオメーに触れた場所が」


 こりゃ、完敗だ。
 言い逃れは出来そうにない。
 しかもあんな紳士的な態度で一緒に飯食って談笑してダンスまで踊ったというのに、既にキッドだとわかっていただなんて。


「でもまさか、オメーがマジで女だったなんて…」
「あ?」


 思考していた内容と同じようなくだりが聞こえてきて、すぐそこにある名探偵の青い慧眼を見返した。
 するとどうしてか、彼の顔が赤くなっていく。
 月明かりの下でもわかるくらいに。


「名探偵?」
「いやだって、オメーの首に光ってんの見つけて、よくまぁ上手く女装すんなぁと思っただけだったんだよ。それでも一応助けた方が良いかって足引っ掛けたら、ケーキ庇って本気で転けそうになるし、受け止めたら受け止めたで、押しつけられた胸が本物っぽくてだな…」
「んなっ!わ、わわわ悪かったなホンモンで!」


 自分まで顔が熱くなって、誤魔化すように怒鳴った。
 そしたら彼もまた真っ赤になったまま、怒鳴り返してくる。


「全くだ、滅茶苦茶気が動転してたっての!」
「あれでかよ!?すげぇ紳士だったじゃねぇか!」
「バーロ、動転してっからそんな対応しか出来なかったんじゃねぇか!ああチクショウ、まさかキッドが女だったなんて……しかも仮面付けててもすげぇ可愛いかったのに、素顔の可愛さまで知っちまったら、もうどうしたら」
「……どういうこっちゃ」


 聞き捨てならない言葉に、快斗はぐっさりと眉間に皺を寄せた。
 握られていた手をぎゅっと強く握り返し、名探偵に詰め寄る。


「そうだ、なんで俺はあんなに野郎に付き纏われたんだ?可愛いって、可笑しいだろ。目元見えてなかったんだぜ!?」


 素顔に関しては無視だ。
 今まで男に可愛いなどと一度も言われた事は無いので、名探偵の目が腐っているのだろう。

 顔を引いた名探偵は、明後日の方向を見ながらぽりぽりと赤い頬を掻く。


「そりゃオメーがキッドなだけあって、立ってる姿勢がすげぇ綺麗なんだよ。妖しい仮面付けてんのに、清楚で純真無垢で真っ白ってイメージがするくらいに。会場に入ってきた時からものすげぇ存在感だったぜ。むしろ近づけねぇほどに」
「そりゃ名探偵だろ」
「あ?なんで俺が」


 訳わからんと首を傾げられた。
 真っ白なのも穢しがたくて近づけないのも、工藤新一こそだろうに、当然本人がわかるわけもない。


「あー、いいや。それで?近づけねぇなら、なんであんなに囲まれたり、追われたりしなきゃなんねぇんだ」
「そりゃ、オメーが食いもん食ってっからだ。佇んでる時の凛としたもんが拡散して、こう、パァと周りにちっちぇピンク色の花が広がるみたいにだな」
「訳わかんねぇ比喩使うな」
「だーかーらー、幸せそうに笑ってんのが可愛くて、雰囲気も柔らかくなってるから声が掛けやすくなっちまってんだよ。ケーキ持ちながら必死こいて逃げてるし、手を差し伸べたらマジで女だし、キッドだし、そしたらもう俺が守ってやんなきゃみたいな……あーチクショウ!」


 アホか、なんで怪盗が探偵に守られなきゃならねぇんだ。
 今回の失態はたまたまであってだな。
 いつもは女装していても、男に追い掛けられるなんて事態には陥らない。


「俺の方が喚きたいっての。女だってバレちまうし、捕まっちまうし、逃げなきゃこのまま監獄行きなんだぞ!」
「ああ?逃げんなっつっただろ」
「探偵から逃げない怪盗がいたらお目に掛かりてぇわ!!」
「キッド」


 いきなり、とてつもなく真摯に名を呼ばれて、びくりと躰が強張ってしまった。
 間近の双眸にじっと見つめられ、どうしてか身じろぎも、眼を逸らす事すら出来なくなってしまう。

 名探偵は握り合っていた手をゆっくりと離していき、代わりに手首を掴んできた。
 引き寄せられて、手首に唇を押し当てられる。

 唖然として見つめていると、触れられたままニィと笑みを浮かべた。
 腕に、吐息が掛かる。


「……すげぇ、可愛い」
「んなあ…っ!」


 …はっ!
 いかんいかん、ポーカーフェイスだ。

 口を慌てて紡ぎ、必死になって触れられている腕が震えそうになるのや、顔が赤くなるのを耐えようとした。
 そしたらむぐぐと変な声が出てしまって、ぷっと吹き出される。

 ひでぇなおい。
 でも唇は離れていってくれて、ほっとした。


「なぁキッド。オメー、今付き合ってる奴とか好きな奴とかいんのか」
「なんだよいきなり。んなもんいるわけねぇだろ。俺は格好良いって女の子にキャーキャー言われる方が性に合ってんだ」
「ふーん、なるほど。つまり、普段からその口調なのか。じゃあ構わねぇな」


 人の手を触りながら、やけに嬉しそうにそんな事を言ってのける。
 工藤新一が不敵に笑っているのは、えらく怖いのだが。


「……なにか良からぬ事を考えてんじゃねぇだろうな」
「さてと、そろそろパーティーも終わる頃か」
「スルーかよ」
「まぁ良いじゃねぇか。とにかく、部屋まで送ってやるよ。宝石の確認はさっきやっていたみたいだからな」


 そんな時から見られていた、というよりも、会場を出た時から後をつけられていたのだろう。
 さすが名探偵、尾行はお手の物だ。

 立ち上がった彼に手を引かれ、自分も腰を上げた。
 手を離されると、ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、寂しいなぁと思ってしまったのは、なぜなのか。


「……捕まえねぇのか?」


 捕まりたいわけではないが、呆気無く離した彼に、疑問が浮かぶ。
 今日は犯行に及んでいたというのに。

 しかし名探偵は、目を瞬かせたあと、淡く苦笑するだけ。


「その気はねぇって、さっき言っただろ。首に目印付けたのは遠目に確認するだけのつもりで、最初は捕まえるどころか、声を掛けるつもりすら無かったんだ。こっちだって不可抗力だったっての。まぁお陰でオメーに、遠慮しなくて良いってわかったから……」


 最後の方は、声が小さすぎて何を言われたのか聞こえなかった。
 聞き返しても、なんでもねぇの一点張り。

 結局自分の泊まるキャビンまで送られ、なぜか明日の朝食を一緒に取る約束までして、その夜は別れた。















 一日六限まである授業がようやく終わり、教室内がざわざわ騒がしくなる。
 しかし快斗は教科書や筆箱をバッグに詰め込みながら、ふぅと重い溜め息を吐いた。


「どうしたの、快斗。朝からずっと溜め息ばっかりだよ?」


 机から立つのも面倒で、バッグに顔を押し付けて項垂れていたら、頭上から軽快だが少し不安そうな声が降ってきた。
 仕方なく、顔を上げる。


「青子」
「一昨日キッドの犯行現場だった船に乗ってたんでしょ?大好きなキッドを間近で見られたんでしょ?なのにいつもみたいにマジックしたり馬鹿騒ぎもしてないから、クラス中が快斗の心配してたよ?」
「あー…、そうだったのか。どうりで」


 授業中や、今でさえもあちこちからチラチラ見られているのは、そんな理由だったのか。
 しかし我ながら、どうしてこんなに憂鬱になるのかわからないのだ。

 首を傾げていると、後ろからフフフと妖しげな笑いが聞こえてきた。


「中森さん、それはね。黒羽君が恋に落ちたからだわ」
「はぁ?」


 と、自称魔女の言葉に何言ってんだという意味を込めて胡散臭げに声を出したのは、自分。
 けれど青子は、キャッと小さく声を上げ、頬を紅潮させる。


「え、ちょっ…それ本当なの、紅子ちゃん!まさかとは思うけれど、女の子じゃないよね?」
「ええ、れっきとした男性よ」
「うわ、うわぁ!容姿端麗で全国模試トップでありながらスポーツ万能すぎて男子よりも早く走れちゃってフェミニストで格好良くて女の子にモテまくり男子からの好意を悉く友情にしか変換出来ず実はたくさん陰で泣かせてきたあの快斗が!とうとう!!」
「はぁ?なんだそりゃ」


 ノンブレスで吐き出されたセリフの中盤あたりまでは、正直自分でも自覚していた。
 が、後半は全く覚えがなかった。


「待て青子。俺に告白してきた奴なんて、今まで一人もいねぇぞ」
「そりゃそうでしょ。女の子の快斗に男として全部負けてるんじゃ、面と向かって告白出来るわけないじゃん。それより、快斗の好きになった人ってどんな人?この学校?」


 ニヤニヤした顔を近づけられて、ぐっと喉が詰まる。
 気のせいじゃなきゃ、クラスのほとんどが帰らずこっちに耳を立ててるし。
 …そんなに、誰かの惚れた腫れたな話題が気になるのだろうか。

 でも残念だが、違う。


「へっ。俺がアイツを好きだなんて、有り得ないっての」


 なんせこっちは怪盗、向こうは探偵なのだから。
 一昨日の自分のセリフじゃないが、相容れる事など出来やしない。

 もしそんな感情があったとしても、幻影だ。
 そうだ、なんでか今日一日中ずっとアイツの事が頭に浮かんでいたような気がしていたのも、錯覚だ。

 だというのに、なぜか周りからはキャーだのああぁー…だの聞こえてくる。
 なんなんだ。

 青子もキラキラした眼でこっちを見ていた。


「快斗に思い浮かべるだけの男性が出来ただなんて!今夜はお赤飯持って行くからね!」
「大丈夫よ黒羽君。ルシュファーのお告げによる貴女と彼の相性は100%だわ。相手は、貴女の全てを優しく包めるほどの光の魔人。これ以上の殿方はいないのだから、しっかり掴まえておかないと」
「なっ、なんだよそれ…」


 紅子の占いはいつも可笑しな言葉ばかり並べられてるのに、今日はやけにわかりやすい内容だった。
 しかも100%って、凄い数字だな。
 いや、所詮占いだというのはわかるが、それでも良い結果なのは、まぁ嬉しい……ような。

 ちょっと頬が熱くなったのを自覚して、慌てて腕で隠した。
 そしたらまたしても、キャーキャーだとか、あああぁ〜…だとか。
 どう聞いても、こちらの反応に合わせて場を盛り上げているだけである。
 いつもながらノリの良いクラスだ。


「ところで黒羽君。貴女のお相手、あそこに立って貴女を待っているわよ」
「へ?」


 ガタタタタッ!!
 と、机や椅子にぶつかりながら一斉に窓へと駆け寄っていくクラスメイト。
 よもや反射神経の良い自分よりも先に動いた連中に、目を剥いてしまう。


「やだ、あれって工藤新一じゃん!」
「うわぁああ勝ち目ねぇ!」


 慌てて自分も窓の外を覗くと、校門前には本当に工藤新一がいた。
 帝丹高校のブレザー姿で、下校する生徒達に見られているのも構わず、じっと佇み誰かを待っている。

 いやいやいや、それだと相手が自分だとは限らないじゃないか。
 事件の依頼人が、江古田にいるだけかもしれない。

 確かにキッドが女だとはバレてしまったし、昨日は一緒に朝食取って、彼がコナンだった時の思い出話や彼の事件の話を聞いたりして、ぶっちゃけ楽しい時間を過ごさせてもらった。
 しかし、名乗っていないのだ。
 昼頃下船する際は、彼は預けた宝石を主催者に返すからと一緒ではなかったし、尾行されていないか確認した。
 発信器が付いていたら、すぐに気付く。

 だから、どこの誰かまではわかっていないはずだ。


「ねぇ、快斗ってあの工藤君と知り合いだったの?それとも快斗が一方的に工藤君を知っているだけ……だったら、ここまで来ないよね。いつあんな有名人と知り合ったの!?」
「いや、俺を待ってるんじゃねぇって。そもそもなんでキッドファンの俺が、キッドを追う探偵を好きになるんだよ」
「そっか。そうだよね」
「と、中森さんは騙せても、私は騙せなくってよ黒羽君。どう足掻いても彼の待ち人は貴女で、貴女が学校を出ようとしたら確実に呼び止められるわ」


 紅子の言葉にシーンと静まり返り、続いてワァッと歓声が上がる。
 うわぁ、いつもマジックやっている時には盛り上がってくれるありがたいクラスメイト達も、今ばかりは面倒くせぇ…。


「みんな、落ち着いて!ここはやはり、黒羽君一人に行かせた方が良いと思うの」
「そうよ、私達はここで固唾を呑んで見守るべきだわ!」
「応援しているからな黒羽!あ、余裕があればサイン貰ってきてくれ」


 気付けばクラスメイト達の統率により、あれよこれよという間にバッグを持たされて、青子に引っ張られて教室を出た。
 下駄箱まで連れられ、急かされるままに靴を履き替えたら、手を振られた。
 青子に見送られ……もとい監視されている状況では逃げるわけにもいかず、諦めて校門へ足を運ぶ。

 これで違ったら、すげぇ居た堪れないんですけど。

 彼の待ち人が自分であってほしいのか、そうでない方が良いのか、複雑な心境だ。
 俺はキッドなのだ、彼に捕まるわけにはいかない。

 ああでも、素顔バレてんじゃん。
 待っている相手が俺じゃなくても、顔見たら気付かれるって。
 うわあ逃げたい、でも逃げたらアホ子に追い掛けられる……。
 あと絶対、校舎から罵声が飛んでくる。

 もういい、どうにでもなれっ、という心境のまま、とにかく歩いた。
 全く視界に入れないのも可笑しいので、ちらりとだけ名探偵を見てみる。
 するとバッチリ視線が合い、彼は軽く手を挙げてきた。


「よう、待ってたぜ黒羽」


 爽やかに、さらりと人の名前を言ってのけた名探偵に、思わず脱力。


「えええー…。なんで?」
「ああ、まぁ。とりあえずここは目立つから、歩きながら話さないか?」


 人の質問をサラリとかわした挙句、手を握られる。
 一昨日みたいに指まで絡められて、ぐあっと顔が熱くなった。
 なななななんで出会いがしらにいきなり手を握るんですかね工藤さん!


『キャアアアア、黒羽君可愛いー!!工藤君格好良いーー!!』
『黒羽頑張れーーー!!』


 なんて声まで校舎から聞こえてきて、余計に恥ずかしくなる。


「あ、やっぱりあそこがオメーのクラスだったのか。さっきから集団ですげぇこっち見てたから、もしやとは思ってたけど」


 人気者だなと笑われて、恥ずかしさのあまり黙って手を引かれて退散するしかなかった。
 これは絶対、明日からかわれる。
 ああチクショウ、俺のポーカーフェイスはどこに行っちまったんだ!

 何も言えぬまま、しばらく歩いた。
 街中を名探偵と手を繋いで歩いているだなんて冗談にしか思えないのに、伝わってくるぬくもりは本物。
 一昨日触れたものと、同じあったかさ。

 これは幻影?

 …………いや、違う。

 下校する江古田の生徒達が周りからいなくなり、人の気配もほとんどしなくなって、ようやく名探偵がぽつぽつと話し出す。


「元々、調べてはいたんだ。二代目のキッドとして相応しい奴を。初代が黒羽盗一ってのは調べが付いて、その周辺の関係者だと思っていたから、黒羽快斗も当然引っ掛かってはいた。でも女性だから、今まで候補から除外していたんだ。ただ逆にキッドが女なら、オメーしかいない」
「あー、うん。なるほどね。さすがは名探偵だよ…」


 とほほと項垂れる。
 一昨日の夜から散々だ。

 激しく落ち込むも、繋いでいる彼の手を強く引いた。
 こちらが足を止めると彼も止まり、見返してくる。

 正体がバレた。
 だが、彼は警察を引き連れず一人でやってきた。

 ならば繋がっている手のぬくもりに、賭ける価値はある。


「なぁ名探偵。俺はまだ、やり遂げていねぇんだ。奴らよりも先に見つけなきゃなんねぇもんがある。父さんは事故で死んだんじゃない、他殺だったとちゃんと証明もしたい。殺人を平気でやる組織の存在を知っていながら、素知らぬ顔をして黙っているなんて出来ない」


 誰かがやらなければならない。
 その誰かが、たまたま自分だった。
 たまたま組織と相対する事が可能なだけの力と、戦う意志を持っていただけ。

 死の危険すらあるからといって恐怖に脅え、他の誰かがいつかやってくれるかもしれないなどという不確定要素を望み、指を咥えてじっとしているなど、自分には出来なかった。
 たとえ犯罪者になろうとも、信念を貫き必ずやり遂げると自らの心に誓ったのだ。


「だからまだ、監獄に入るわけにはいかない」


 ぐっと目に力を込めて、どうかこの思いが彼に理解されれば良いと、願った。
 正義に溢れる彼の胸に、少しでもかすればと。


「わかってる」


 突如発せられた声は、とても柔らかなものだった。
 思わず目を瞬かせたら、名探偵はフッと笑みを浮かべる。


「わかってるさ。オメーが大きいもんを背負ってるのは、わかってた。だから、オメーに惚れていたんだ」
「……え」


 惚れた…いや、惚れていたって。
 えっと、つまり名探偵は、俺が好きって意味ですか。


「……言葉のニュアンスからすると、結構前からっていう…」
「ああ。実はコナンの頃から、だいぶ気になっていた。ただオメーが男だと思ってたから、黙っていたけどな。でも女なら遠慮しねぇよ。全力で口説く」


 不敵に笑う表情は、キッドと相対している時とはまた違った格好良さというか、男の色気みたいなものがハンパなくて、鼻血が出そうだった。
 名探偵は好きな相手には全く素直になれなくてツンツンしてしまう、ツンデレだと思っていたのに。
 どこからその男らしさが出てきたんだ。


「ってかオメー、大事な彼女はどうした!」


 再び歩き出した名探偵に手を引かれて後を付いていきながらも、頭の中はぐちゃぐちゃだ。
 わけわからん。
 あんなに大事にしていた彼女がいたはずなのに、なんで俺に告ってくるんだ。


「まさか二股か!?」
「はぁ?蘭とは元々付き合ってねぇよ。小さい頃から一緒にいすぎて、素直に好きだと言うのがはばかれたまま、気付けば終わっていた。アイツとは家族みたいな関係に落ち着いちまったんだ。恋じゃなくなった」


 そうだったのか。
 異性の幼馴染とは、なかなか特殊な位置らしい。
 同性の幼馴染を持つ自分には、わからない事柄だ。

 俯いていたら、今度は名探偵から足を止めた。
 人気のしない、木々に囲まれた、公園へと続く道のど真ん中。
 手は繋いだまま、すぐそこで、彼が微笑する。


「でも、オメーの事は欲しくて欲しくてたまんねぇよ。手に入れる為には何だってしたいし、してやりたい。逃したくない。お前が、好きなんだ」


 やばい、すげぇ格好良い。
 しかも滅茶苦茶嬉しい。

 どうしよう、俺、怪盗キッドなのに。

 名探偵に惚れちまうなんて、これじゃ逃げられない。


「名探偵……」


 涙が出そうなくらい顔が熱くて、もうどうしたら良いのかわからないまま呟いたら、彼は小さく苦笑した。


「工藤新一。せめて名字で呼べよ。いきなり名前からだなんて言わねぇからさ」





  ...end.



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これを実際に書いたのは、去年の8月です。
最初に書いた新快小説が女体化かー…。
でも凄く楽しかった記憶があります(苦笑)。

2013.03.13
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