甘いひと時を、君と一緒に  
前篇

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 もうすぐ夕暮れ時だった。
 水平線に浮かぶ太陽は赤くハッキリとした丸い姿をしていて、波打つ海面にもゆらゆらと映っている。
 赤く淡く光る海が黒く静かな夜へ変わるまでの、ほんの一時の光景。

 そんな、都会のビルが立ち並ぶ場所からは決してお目に掛かれない景色を、快斗は船の手すりに肘を付いて眺めていた。


「いやはや絶景だねぇ」


 仕事の仕込みはもうほとんど終わっているので、予告時間までちょっと一休みだ。

 今夜、この豪華客船で船上パーティーが行われる。
 しかも怪盗としては嬉しい事に、主催者がなんとアルセーヌルパンの大ファンで、パーティーに参加する人間達もみんな怪盗ファン。

 予告状を出せば、盗聴器の向こうから狂喜乱舞された。
 ビッグジュエルを盗まれるかもしれないというのに一切警察には相談していないようで、船上に警察の姿は全く無い。

 仕事自体はかなり楽に終わりそうな様子だが、折角観客の全員が怪盗ファンならば、喜んでもらえるようなパフォーマンスをしておきたいというのが怪盗としての人情というもの。
 お陰で昨夜からこの船に忍び込んでこっそり会場の天井やステージに仕掛けをしたり、今日の昼過ぎに客として乗船した後、先程までもスタッフの格好であちこち弄っていた。

 ちなみに主催者は四十代の女性で、彼女の持つビッグジュエルの名は、ファントムという。
 怪盗ファンが持っているに相応しい石だ。
 またそれにならい、パーティーは参加者全員が仮面を付けて着飾る。
 その間だけは、皆が憧れのファントムになれるというわけだ。

 だらだらしている間にも海は黒くなり、今度は白い満月を海面に映していた。
 快斗はぐっと伸びをして、鼻歌を歌いながら船内に入った。

 あと十分もすれば、パーティーが始まる。
 すれ違う人達の中には、既に目を覆った仮面を付けて、美しく着飾っている人もいた。
 男の衣装は黒や灰のスーツだが、女性はみな華やかで綺麗なドレスで、妖しげな仮面を付けているからか艶やかな雰囲気が醸し出されている。
 いやはや、眼福眼福。

 しかしいざ自分も衣装部屋で衣装を借りようとドアの近くに立ったところで、しばし頭を傾げた。


「うむむ……」


 さて、男装で行くべきか、女装で行くべきか。
 男の格好の方がより目立たないだろうが、たまには女の格好で仕事をするのも楽しそうだし、これはこれでメリットがある。

 ちなみに怪盗紳士の世間的見解は、四十代の男性というのが有力だが、それは八年前までの父親の事。
 現在の怪盗キッドの中身は、なんと女子高生だ。
 これでも普段はちゃんとセーラー服に身を包んで学校に通っている。
 胸はまぁ青子並だし、身長だって170に届きそうなくらいはあるけれども。

 ただそのせいか、男装のしやすい事しやすい事。
 制服を着ている時間以外は常に男装して男の声で喋っているが、その状態で女だと気付かれた事は一度も無い。
 別に女なのが嫌だとかではなく、たんに父さんに憧れてというファザコン丸出しな理由だ。
 いや、母さんも好きなんだけど……マジシャンじゃねぇしなぁ。

 とにかく日頃の成果もあって、あの名探偵ですら、怪盗キッドの中身がよもや女だとは考えもしていないのだ。
 女装した時の方が、偽りだと思っていやがる。
 ははっ、アイツを常に欺いているなんて快感だな。
 ざまぁみろ。

 予告状までは、あと一時間。
 まだまだ余裕はあるが、折角高い金を払って乗船しているのだし、腹が減ったからパーティーの飯は食っておきたい。

 よし、と一つ頷くと、快斗は衣装部屋の、奥の扉を開けた。







 二十分後。
 今夜泊まるキャビンで着替え、満足のいく出来栄えの格好を鏡越しにしげしげ眺めたあと、仮面で目を覆って部屋を出た。

 サンダルは背が高くなりすぎると目立つので、持参したのは三センチほどしか上がっていないものだ。
 貸衣装のドレスは濃い紫のロングで、とにかくありふれたものを。
 ついでに髪に巻きウィッグを付けているので、剥き出しの肩や背中も目立たないだろう。

 全体的に少々重い雰囲気かもしれないが、その方が会場の照明が落ちた時に闇に溶け込める。
 まぁ服を着る際には念の為に煙幕も張るので、あまり関係無いかもしれないけれど。
 ちなみに怪盗の衣装は、スカートの中だ。

 辿り着いたパーティー会場は、既に見ていたが、やはりとても広くて煌びやかだった。
 それに現在はステージで行われているマジックショーに、仮面を付けたたくさんの人間達、流れてくる音楽まで加えられており、日常とは掛け離れた世界が織り成されている。

 目当ての宝石は、会場のど真ん中に設置されている展示台の上。
 ショーケースにも入っていない剥き出しの状態で、これでもかというくらいライトで照らされ誇示されている。

 ああ、心をワクワクさせてくれる、素晴らしい舞台じゃないか。
 これは張り切んねぇとな!

 しかし意気込んだ瞬間、あらぬものを眼にして、快斗は飛び上がりそうになった。
 ポーカーフェイスには慣れているので、無様な姿を晒す事は無かったが。

 ああああの後ろ姿はももももしや、め…………いやいやいや、まさかそんな馬鹿な。
 こんな怪盗ファンしかいない、ぶっちゃけ探偵にとっては周りが全部敵のような場所に、よもや主催者から依頼があったとしても普通は来ないだろ。
 警察も数人来ているのならば、ともかく。

 そう内心で言い訳をしてみても、男が宝石からステージへと躰を向けた、その横顔を見たら盛大に溜め息が出てしまった。

 そうだよな、自分が見間違うなんていうミスをするはずがなかった。

 だいたい彼に関しては、誰だって工藤新一だとわかるはずだ。
 後ろ姿であろうが仮面を付けていようが、纏う空気の尋常の無さが彼以外の何者でもないのだから。
 清廉潔白な気高さは周囲に全く人を寄せ付けないほどの凄さであり、端麗な容姿と相まって半端ない色気となっている。

 まぁ俺だって、怪盗の時なら名探偵に負けない自信はあるけどさ。

 周りにいるお嬢さんがたが彼に話し掛けようか相談している声を右から左へと流しつつ、快斗は壁際にあるバイキングへと向かった。
 さすが宿泊代込みで参加費七万はするだけあって、並んでいる食事はとてつもなく豪華で美味そうだ。

 サの付く物体は極力見ないように心掛けながら、取り皿に好きな料理を乗せていき、後ろの暗い壁際に立って食べる。
 うわ、このピッカーニャすげぇ美味い!
 十メートル先には名探偵がいて、下手をしたら犯行に及ぶ前に捕まってしまうかもしれない位置だけれど、美味いものは美味い。

 けれど名探偵がいるとなると、ステージに留まってショーの一つでもと思っていたのは、考え直した方が良いだろうか。
 …………なんかそれはそれで、負けたような気がするが。


「…あの、お嬢さん?」
「…………」
「ええと、お嬢さん、で合っていますよね。少しよろしいですか?」
「……へ?」


 もしかして俺か?と食べていた顔を上げると、先程まで少し離れた場所に立っていた男が、こちらに向かって話し掛けてきていた。
 仮面で目元が見えないのでわかりづらいが、多分二十代後半だ。


「もしよろしければ、後にあるダンスでお相手願いますか?」
「は……だ、ダンス。ですか」


 そういえばそんなものが、スケジュールに組み込まれていた気がする。
 確か、予告時間後に。

 そうだよな、仮面を付けたパーティーで連想されるのは、仮面舞踏会。
 ダンスくらいはあって当然か。


「すみません、ダンスは踊れないので」


 嘘だ、本当は男のステップだろうが女のステップだろうが、アマチュアレベルまでなら難なくこなせる。
 海上なので犯行後に飛んでいく事も出来ない為、最初から船内に留まる予定だったし、最後までパーティーを楽しむつもりも満々だ。

 だがしかし、なんで怪盗紳士たるものが野郎なんざと踊らなきゃならんのだ。
 くぅ、男装で来れば美しい淑女達と踊れたのか!
 ちょっと残念だ……。

 しかもこの男、しつこいし。


「大丈夫です、手を取り合って躰動かしているだけのものでも良いんですから。それまでお話でも」
「すみません、約束している知人がいますので。失礼します」


 いねぇけど!
 とりあえず、この場に留まっていても埒が明かない。
 食べ物から遠ざかるのは悲しいが、移動しちまおう。

 そう思って躰を違う方へ向けて数歩歩くと、なぜか傍に寄ってきた二人の男に遮られた。
 今度はなんだ?


「ねぇ彼女、良ければ俺達と話でもしない?」
「一緒に怪盗の良さについて語ろうぜ」


 うわぁ、場にそぐわない軽いナンパだなおい。
 思わず遠くを見てしまう。


「なんだ君達は。横からいきなり」
「はぁ?アンタはもう断られてたろ。敗北者はすっこんでろ」
「なっ、なんだと」


 お前らもすっこんでろよ。
 ああもう、面倒くせぇな。


「おや、このような場で争いはいけないよ。それよりもお嬢さん、私と共に食事でもしながら外の景色を見に行くなんてのはいかがでしょうか」


 うげ、また増えた。
 そしてまた増えて、増えて、増える。
 男達があーでもないこーでもないと言い合っている間に逃げられないかと足を動かしても、すぐに違う男に立ちはだかられて、気付けば十人もの男に囲まれている状態になってしまっていた。

 ……なぜだ。
 俺、普通に飯食ってただけだよな!?
 気配消しすぎると逆に名探偵に気付かれるから、平々凡々を心掛けていたはずなのに…!

 つうかデカい会場の後ろで、照明がかなり落とされているからって、これはさすがに目立つだろ。
 ステージ上で頑張ってるマジシャン、マジごめん。
 まだ予告まで十五分はあるから真っ暗にするわけにもいかないし、ウルセェ!だなんて声を張り上げたらむしろ面倒な事になりそうだし、どうすっか。


「よしじゃあ、ジャンケンで勝った奴が彼女の相手が出来るってのはどうだ?」
「ここは怪盗ファンの集まりなんだぞ?ルパンに対する知識力で決めるのが当然だろう」


 ああうん、小競り合いしている間に予告時間が来そうだし、面倒だからこのまま放っておこう。
 それよりも皿に乗っている残りを食べたいんだけど、さすがにこの状況じゃ無理かなー。

 野郎共を横目にフォークでちょいちょいとピザをつついていたら、ふと聞き覚えの声がした。


「このように集まって、どうされましたか?」


 あまりにも凛とした声に、自分を含め全員がそちらを向く。

 って、名探偵かよ!
 ちょおおお、あとちょっとで予告時間なのに、なんでお前が俺の近くに来るんだ!
 き、キッドだって気付かれたわけじゃないよな?


「そちらの女性、困っているどころか呆れておりますよ。彼女の魅力には僕も惹かれますので、お気持ちはわからなくもないですが。しかし現状が見苦しい事には、そろそろ気付いた方が良い」


 唇はニィと弧を描くも、明らかに嘲笑だ。
 仮面の奥の眼光は絶対零度の冷ややかさをしており、お前らギャーギャーうるせぇぞ黙ってろと語っている。
 恐ろしい……。

 周りの男達も気圧されて、何も言わずにすごすごと退散していってしまった。
 残ったのは自分と、名探偵。
 癪ではあるが、一応助けてもらったので頭を下げる。


「ありがとうございました」
「お気になさらず。考え事をしている最中だったところにあまり質の良くない声が聞こえてきて、咄嗟の行動を取ってしまっただけなので」


 ああ、なるほど。
 あんな状況を眼にすれば、正義の固まりである名探偵が助けに入らないはずがない。
 気付かれたわけではなかったようで、安心した。

 だからといって、予告時間までこのまま横にいられるのは気まずい。
 後八分か。

 ちらりと名探偵の方を見ても、先程言っていたように思考に耽っているらしく、顎に手を添えて俯いている。
 不自然にならない程度に、けれど少し急いで残りを食べると、もう一度名探偵に頭を下げた。


「本当にありがとうございました。あの、お皿片付けますので」
「そうですか。お気を付けて」


 さらりとそれだけを言う名探偵は、やはり紳士だ。
 他の野郎共とは品格が違っている。

 さすがは俺のライバルだよなぁとしみじみしながら、彼から離れて使った皿を指定の返却場所に戻した。
 そのまま展示台の近くの、特に女性が多くいる場所に紛れ込んで、時間が来るのを待った。

 予告五分前。
 ステージのショーが終わり、片付けと次の催しの準備の為に、しばらく何も無い時間となる。

 予告三分前。

 予告、一分前。


 さぁ、ショーの始まりだぜ!


 手始めに隠し持っていたリモコンを押せば、会場の全ての照明が落ちて真っ暗になったと同時に、ステージの頭上からダミー人形が降りてくる。
 騒ぎになった瞬間に宝石に近づき展示台の横に屈み、もう一つのリモコンを押す事で展示台の宝石が乗っている部分に穴が空き、宝石がスエードのケースごと台下に落ちるところを、上手くキャッチ。

 暗くなった瞬間には仮面から暗視ゴーグルに変えたので名探偵が近くにいるのはわかるが、やはり台の上を意識しているものの、下までは注意を払っていない。
 ちなみにここまでで、約五秒。

 彼に気付かれないように少し離れてから、またスイッチを押してステージの照明だけを付ければ、宙を浮いているダミーが照らされる。
 追加で、おなじみの『ladies&gentleman!』の音声を。

 歓声と共に会場の全員がステージ上に視線を奪われている間に、自分も群がる人間に紛れてステージへと移動していく。
 ダミーからは、録音しておいた挨拶が流れている。


『さぁ、それでは目的の宝石を頂きましょう』


 録音は終わり、ダミーがぽんっと弾けて辺りを煙幕で覆った。
 その時にもう一度だけボタンを押せば、展示台の上の照明が付くも、既に宝石は消えている。

 予告時間ジャスト。
 煙幕の中でサッと怪盗の服を着てステージの上に立てば、煙幕が消えると同時に宝石を持った本物の怪盗キッドのお出ましだ。
 姿を現さない方が無難なのだが、やはり名探偵がいるからと言って、予定を変更するのは良くないよな!


「どうでしょう。私の手並み、怪盗ファンの皆様に喜んで頂けましたら幸いです」


 キッド、キッドとあちこちから歓声が聞こえる中、パチンと指を鳴らす。
 高い天井に仕掛けていた、ライトに見えるが実際は単なる丸い飾りがパンパンパンと次々割れていき、詰め込んでいた造花の赤いバラが紙吹雪と共に一斉に落ちてくる。
 より沸き上がる、歓声。
 喜んでもらえているようで何よりだ。


「キッド、いいえ怪盗キッド様!ああ、とても素晴らしいですわ。宝石は差し上げますから、代わりにサインくださいましぃ!!」


 と、歓声があちこちから聞こえる中、ステージ横から叫んできたのは、主催者の女性だった。
 彼女にニコリと微笑みを向け、優雅に歩み寄る。
 接近した事により顔を真っ赤にする美女は、四十代の淑女であっても花のように愛らしい。


「申し訳ございませんが、私は怪盗です。少しでも正体を暴かれる要素を残すわけには参りません。ですので、代わりに」


 顔を近づけ、ちゅっと彼女の頬に軽くキスをした。
 すると彼女はふらぁと倒れそうになりながら、ああんと艶めかしい声を出した。
 素晴らしい声だ。
 ついでに観客からの奇声も凄い。


「おいキッド」


 さて、そろそろお暇する為にもう一度煙幕を張って照明を落とそうかという時、一人の男がステージ上に上がってきた。
 言わずもがな、名探偵である。
 先程まで付けていた仮面は外されており、完全に晒されている眼球は、強い光を伴ってこちらを射抜いてきている。

 うむ、ちょっとまずった。
 長居し過ぎちまったみたいだ。

 けれどポーカーフェイスは忘れず、ゆっくりと彼へと向き直る。


「おやおや名探偵、いらっしゃっていたのですね。このような場所までご苦労様です」
「まぁな。お前を捕まえる為なら、どこまでも追い掛けてやるぜ」


 ……なんだ?と、この時点で違和感に気付いた。

 怪盗に向かってそんな言葉を口にするなど、名探偵らしくない。
 名探偵は中森警部と違って、どこまでも追い掛けるほどキッドに対して執着していない。
 殺人事件があれば、確実にそっちに行く人間だ。


「熱烈ですね。しかしここは海の上。捕まる前に、私は泡となり消えてしまうでしょう」
「ああ、そうかもしれねぇな。怪盗ファンしかいないこんな場所じゃ、手を伸ばしたところで簡単に紛れちまうだろうよ。だが、ファントム……幻影にだって、一瞬ならば触れられる事が可能かもしれないぜ…?」


 より近づいてくる彼から逃げようと思えば、いくらでも逃げられた。
 今すぐ姿を消す事だって可能だ。
 しかしそうしなかったのは、今の言葉で何故彼がここにいるのかを理解したからだ。

 なんつうか…名探偵も大変なんだなぁ。
 よもや余興の為に、好きでもない怪盗ファンのパーティーに呼ばれるなんて。
 なんで素直に引き受けたのかは、疑問が残るけれども。

 笑みを浮かべたまま、悠然たる態度で彼を見つめる。
 彼はすぐ傍で止まると、ゆっくりとこちらに手を伸ばしてきた。
 観客に見せつけるように、殊更ゆっくりと、首の横筋に触れてくる。
 ひやりとした指だ。

 次いで、彼の顔が近づいてくる。


「……名探偵」


 いつの間にかシーンと静まり返っていた会場内に、自分の声はやけに大きく響いた。
 手袋をした指で近づいてくる彼の唇を止めて、クスリと笑う。


「残念ですが、私は怪盗。貴方と相容れる事は決して有り得ない。今宵のひと時もまた、幻影に惑わされた逢瀬でしかないのですよ」


 瞬間ぽんっと煙幕を張り、照明を落として、辺りは再び闇に包まれる。
 名探偵がケホッとむせている隙に離れ、暗闇の中で女性達のキャー!とつんざくような黄色い悲鳴の合間を、素早くスーツを脱いで元のドレス姿になりながら縫っていく。

 即席の対応だったが、喜んでもらえたのであれば怪盗冥利に尽きる。
 ケケケと小さく笑いながら、会場の後ろの方で照明を戻した。







 宝石の確認は、夜中でも出来る。
 という事で、快斗は犯行後も興奮冷めやらぬパーティー会場に留まった。

 正直、宝石を持ったままなのは少々危険かもしれない。
 しかしだ。
 しかし、まだケーキを食べていない!
 ぶっちゃけ周りの目を気にせずにケーキが食えるからという理由で、仕込める面積の少ないドレスをあえて選んだのだ。
 これで食べなければ、女の格好になった意味が無いではないか。

 よーし満足行くくらい食うまで、絶対ここから出ねぇぞ!

 そう意気込んで、皿を取ってたくさん並ぶケーキバイキングの前に立った。
 チョコレートケーキはもちろん、定番のショートケーキにモンブラン、チーズケーキ、フルーツタルト、抹茶やブルーベリーのケーキ、他にもいっぱいある。

 本当に魅力的で、出来るならば全種類食べたい。
 だが店で売っているものよりは小さくカットされていても、さすがに多いので無理そうだ。
 とりあえず、チョコレートケーキとショートケーキから行こう。
 あとついでに、気になるものをいくつか……。

 と乗せていったら、皿いっぱいになってしまった。
 ちょっとばかり欲張りすぎたかもしれないが、戻すわけにもいかないのでそのまま壁際に退散する。

 ドキドキしながら、さっそくフォークで小さくカットして、一口食べてみた。
 うっわ、チョコレートクリームは程よく甘いし、スポンジもふわふわしていてマジ美味い!
 なにこれ超幸せ!!

 幸せいっぱいになりながら、でも一応ははしゃがず黙って食べていると、ようやく次の催しに移った。
 怪盗ファンの力量を試す為の、クイズ大会だ。
 三択問題で、合っていると思われる番号の場所に移動して、最後まで残り続ければ賞金二十万円ゲットとなる。

 参加する人達が、会場の前の方に移動していく。
 問題を聞くだけでも楽しめるので、快斗はその場に留まった。
 ケーキを食べる方が重要だ。
 しかしなにやら参加する人達とは反対方向、こちらへと近づいてくる三人の男を遠目に見つけて、思わず顔を顰める。


「げっ」


 気のせいであってほしいし自意識過剰な思い込みであればいっそ笑えたのだが、残念ながら追われる感覚は常日頃から滅茶苦茶鋭いので、間違いようがない。

 またナンパか?
 なんでこんなに麗しい女性達がたくさんいる中で、いちいち壁際で食ってるだけの俺のところに来るんだよ。
 顔が好みとかならまだわからなくもないが、今は仮面で眼を覆ってるから、それはないだろう。

 色っぽいとか?
 ……胸そんなにねぇんだけど。
 ちなみにヒップ部分にキッドの衣装を巻き付けて隠してあるので、いつもよりちょっとだけサイズは増えている。

 だが躰なら、前方五メートル先にいる身長158センチのお姉さんの方が、よっぽど魅惑的ではないか。
 腰付きがとてもエロい。

 って眼を奪われている場合じゃない。
 とにかく逃げよう。
 さりげなく顔を上げてだな、左を向いて、ふと誰かに気付いたような雰囲気を出し……そのままそっちに向かって歩く。
 よし、完璧じゃね?

 あ、動いて気付いたけど真正面からも不穏な奴が来てたっぽい。
 あぶねーあぶねー。

 と余所見していたのが、いけなかった。


「うわっ!」


 左から来た相手とぶつかってしまい、その足に引っ掛かって転びそうになってしまう。
 ケーキが落ちるのを食い止めようとしたら、余計にバランスを崩して躰が傾いた。

 ぬあああ俺のケーキだけは絶対に死守してやる!

 けれどすぐに上体や腰に腕が回され、ケーキが落ちる事も、倒れる事もなかった。


「すみません、大丈夫ですか」


 自分のそれなりにある体重を支えられるだけの相手であった事に感謝しつつも、掛けられた声にがっくりと力が抜けそうになる。
 ……名探偵かよ!


「いえ、こちらこそ不注意ですみません。ありがとうございました」


 頭を下げて簡単なお礼だけを言って、離れるつもりだった。
 しかしどうしてか、彼の腕は腰に回ったまま。
 いぶかしんで彼の顔を見上げると、仮面の奥で互いの視線がぶつかった。


「貴女は、先程の」
「あ……」


 あー、そうね。
 そういえばお前に助けられるの二回目だよ。

 つうかコノヤロー、気配消してわざと足引っ掛けただろ。
 いや、男に追われていたのに気付いてくれて、周りからはあくまでも自然に接触するように見せかける為の処置だったのはわかるけど。

 ……でも、引っ掛かってしまった自分が情けない。
 これがキッドの時で、足ではなく麻酔針だったら、一巻の終わりではないか。


「私、また貴方にご迷惑をお掛けしてしまったんですね。本当にすみません」
「いえ、お怪我が無くて良かった。ところで、もしお一人ならば、しばらくの間お供しますが」
「えっ…と?」
「落ち着いて食事出来る場所を探していたようなので。先程のように異性に囲まれるのは苦手に思えたのですが、僕の気のせいでしたでしょうか」


 名探偵からの提案に、素できょとんとしてしまう。

 お、男前だな名探偵。
 自分以外の女性だったら、確実に落ちているような見事な手腕だ。

 いやでも、正直申し出は凄くありがたい。
 彼が傍にいれば、面倒な輩は近づいてこないだろう。
 うーむ。


「あの、じゃあ食べている間だけ、お願いします」


 頭を下げたら、名探偵は僅かに笑みを浮かべた。
 口元だけでも感じられる、ふんわりとした柔らかな微笑。
 キッドとして相対している時は殺るか殺られるかというくらいの緊迫感に包まれ、悪態も吐かれまくるが、見知らぬ女性に対してはこんなに優しい言葉と態度なのかとしみじみする。


「僕もまだ食事をしていないので、テーブルに行きましょうか。その方が飲み物も飲めて良いでしょうから」


 持っていたケーキ皿をさり気なく取られた。
 背中に添えられた手に促されるまま、再びバイキングの並んでいる場所へ。


「じゃあ私、コーヒーも入れてきますね」
「ええ、お願いします」


 提案すると、名探偵は頷いてからケーキ皿を持ったまま食事の方へ足を向けた。
 彼の分と、自分には角砂糖一つ入れた紅茶を用意する。
 コーヒーはコーヒーメーカーに入っていたものを注ぐだけだったが、紅茶はパックからだ。

 ちょっと時間を掛けて出来上がったそれを持って振り向くと、すでに用意が終わった名探偵は、少し離れたところで待ってくれていた。
 もしかしたらと思ったけれど、やはりケーキが新しいものに交換されている。
 しかも乗っていた種類は、さっきまでと同じ。

 すんごい気配りなんだな、名探偵…。
 換えてくれた事に対してわざわざ指摘するのはむしろ失礼になる気がしたので、彼に向かって微笑むだけに留め、心の中で感謝する。

 これで相手がキッドと知れたら、どんな反応をされるのだろう。
 想像したら思わず笑いそうになったが、なんとか耐えた。

 彼と共にテーブルに戻り、ケーキを食べる。
 ようやく落ち着けたし、ケーキは美味いしで、最高だ。


「甘いもの、お好きなんですか?」
「うん、すげぇ好き!!」


 気の緩んだ時に質問されて、思いっきり普段のように返してしまったが、やはり工藤新一。
 それは良かったと、微笑するだけだった。





  to be continued...



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2013.03.13
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