無邪気な好奇心 後篇
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初めは呆然とした様子で札束を見ていたカイジだったが、何を考えているのか、徐々に眉間に皺を寄せていく。
「九千万。…一億。一億一千、二千、三千。………二億」
そして、そこまで積んだ時。
どうした事か、彼は金に手を伸ばすどころか、眼を逸らすように俯いてしまった。
「カイジさん?俺、あと二億くらいしか出せないんだけれど」
「っ……いくら積まれても、お前とはやらねぇ」
「どうして」
「勝てねぇから」
くぐもった声で、しかし断固とした意思を含んだ一言に、しげるは訝しんだ。
そんなふうに眼を瞑らなければならないくらいなら、眼を開いてこの金に手を伸ばせば良いものを。
それが悪いとは思わない。
この世は全て、金によって価値が決められているのだから。
皆、時間を金に換算する。
自分の行動を金に換算する。
そして時として、命そのものよりも金に比重を置く。
「やる前から負けると決め付けるの?勝負は、やってみなくちゃわからない」
「いいや、お前には勝てない。思い出したんだ、あの噂。つい何ヶ月か前に、帝愛の幹部の連中がことごとく負けていったって話。相手はたかだか中学生で、なのに神掛かったような強さをしていたと。どれだけ帝愛が有利な状況で始めても、誰にも想像出来無いほどの鮮やかさで覆していく。まるで死神だと。俺はその話を聞いた時、本当にそんな奴がいるのかと疑った。だって、俺が。……俺が命を懸けて必死に闘っている組織が、ガキ一人に追い込まれるなんて信じられるか?当然、今の今まで嘘だと思っていた」
カイジは捲くし立てるように喋った。
そして一息付いたと思ったら、眼を開き、こちらをギロリと睨んでくる。
とてつもない強さでもって。
「なのに今、目の前にいる存在を見て納得しちまった。んな薄いバッグに入れて、平気な顔して大金持ち歩けるのも尋常じゃねぇ。けれど、そんな大金持っていながら、まず自分の命を賭けようとするなんて……もっと尋常じゃねぇ」
「だって、金なんて別にいらないし」
金でギャンブルをする事に、意味など見出せない。
賭けるのならば、命同士が良い。
そうして命を削り合うほどの、闘いがしたい。
「だからっ!…だから、お前が本気で俺に命を賭けろって言っているのがわかるんだよ。しかもお前は、誰かを陥れて楽しみたいっていう連中とは違う。とにかく金を得たいだけの亡者とも違う。ただお前が、純粋に命を賭けるギャンブルを好んでいるだけ。そんな奴を相手にするなんて、俺には無理だ。……死ぬのが、怖いから。どれだけ無様でも、勝負をする前なら、逃げられるから」
戦いを始めてしまったら、逃げる事は許されない。
そう、一度足を踏み出した鉄骨の上は、引き返せないのだ。
後ろを振り向いた瞬間には、死が訪れる。
生きたければ、ただ前へ進むしかない。
そうして勝つしかない。
「…――いいよ」
瞬間、カイジは大きく眼を見開いた。
「…え?」
「いいよ、逃げても。カイジさんはギャンブルの本質を理解していて、その上で積まれた金よりも自分を取る人のようだから。俺は、それを臆病だとは思わない」
四億。
それがどれだけの重さなのか考えたうえで、それでも自らの命を取るのならば構わない。
自らの命の価値は、その人自身によって違うのだ。
ましてや、他者が決められるものでもない。
「カイジさんの命は、一つしかないからね。それに命を金に換えられる人間なんて、きっとたいした存在じゃない」
「しげる…」
「ふふ。優しくて真面目な人は、嫌いじゃないよ」
つと彼の心臓を指差せば、途端、カイジはボッと顔を赤くした。
慌てて自分の心臓を隠すように手を宛て、そっぽを向く。
どうやら、かなり恥ずかしいらしい。
もしかしたら、褒められる事に慣れていないのかもしれない。
「でも、折角だしさ。賭けるのが命でなければ、俺と勝負してくれる?ちょっとした遊びなら、やるんでしょう?」
「そりゃあ…」
誘うと、彼は眼を泳がせながらも、いかにもやりたそうな表情でチラチラとこちらを窺ってきた。
やはり、この積まれた金には意識が引かれるらしい。
けれど結局は、苦虫を潰した顔になってしまう。
「俺、そんなに金持ってねぇ」
確かに、持ってはいなさそうだ。
先程パチンコで得た十万に、加えて出せてももう十万というところか。
等価交換になり得るならば額はいくらでも構わないと思うものの、相手が大金を得られるだけの力を持つ人間だと思うと難しいし、きっとカイジ自身も納得しない。
「そうだな。命の代わりになるものが良いよね。腕、…は止めとこうか」
言った瞬間ぶるぶると凄い勢いで頭を振りだしたので、すぐに訂正した。
「なら、カイジさんの貞操で」
「………は!?」
「だって四億に相当しそうなもので、かつ本気でやれるだけのものを賭けてもらわないと、つまらないじゃない。どう?勝ったら四億。負けたら貞操を俺にくれるっていうのは」
「な、なん。なんで俺の貞操、なんか」
「俺、実はセックス経験がまだなんだ。金払って手慣れた女性に指導してもらうのでも構わないんだけどさ。でもそれよりは、相手を抵抗出来無い状況下に置いて、自分で探りながらやる方が勃つモノもちゃんと勃ってくれる気がして。ギャンブルで勝てば自由にやらせてもらえるし、後ろの経験が無いという意味でも、カイジさんは都合が良い」
「なんでだよっ!ももももしかしたら、う、後ろ…?の経験くらい、あるかもしれねぇだろ!?」
そんな挙動不審な反応が経験の無さを物語っているのだが、本人は全く気付いていないのだろう。
この人は、ギャンブルをやるには少々危うい性格だ。
わかりやすすぎる。
だが一応は、彼の納得するであろう理由を述べていく。
「カイジさんってギャンブル以外はごく一般的な男性の思考をしているし、結構潔癖だし。そういう人って、女性ともあまり経験を持ってなかったりするんだよね。あとは金の代わりに指を切断してるから、躰でっていうのは無い。地下から出られているのも理由かな。そんな場所で犯されていたとしたら、娑婆には出られないよ。それだけの気力を保っていられなくなる」
「…………」
やはり何も言えなくなって、固まってしまった。
それほど触られるのは嫌なのだろうかと思って、試しにテーブル越しにカイジへと手を伸ばし、頬に触れてみた。
びくりと躰を跳ねらせたが、逃げようとはしない。
困った顔をして見返してくるだけ。
なるほど、どうやらこちらに対してはそれなりの好感を持っているらしい。
まだ子供だからというのも要因だろうか。
「…ね、カイジさん。俺に躰中を弄られるのは、イヤだ?」
「な、ばっ……イヤに決まってんだろ!つうか気持ち悪ぃ言い方すんな!」
「じゃあ勝てば良い。簡単な話だよ。しかも四億が手に入る。さぁ、どうする?」
四億と貞操を賭けて、この男が動かないはずが無い。
否、今はもうこの大金と、勝つ事しか考えていないだろう。
負ける事など微塵も想定していない。
それほどに、眼が本気だった。
これは楽しめそうである。
「トランプしかねぇから、勝負はポーカーで良いな」
「もちろん」
頷くと、彼は強烈な眼差しを湛えたまま、にやりと不敵に笑った。
素肌から直接、暖かなものに包まれている。
それが抱き締められているのだという事に気付き、しげるは眼を開けた。
カーテンの隙間からは陽の光が射し込んでいて、ベッドヘッドに置かれた時計を見れば、時刻はもうすぐ昼。
眠る時間が遅かったので、まぁこんなものだろう。
素っ裸で寝ていて寒くなったのか、それとも単なる抱き枕代わりなのか。
自分をぎゅっと抱き締めているカイジは、まだ気持ち良さそうに眠っている。
男相手だったが、セックスが存外気持ち良いものだというのはわかった。
快楽でよがって泣きじゃくるカイジの姿も、なかなかクるものがあったし。
やはり女性を相手にするよりは、彼みたいなギャンブラーを屈服させる方が征服欲が満たされるのではないかと思う。
男のプライドも大人のプライドも全部粉々に打ち砕く瞬間は、正直ゾクゾクするほどだった。
「う、ん……」
「カイジさん?」
こちらが起きたのを感じ取ったのか、微かに眉を寄せて吐息を漏らした。
けれど眼は瞑ったまま、また眠りへと落ちていく。
彼の腕の中からそっと手を出して、眠る顔に触れてみた。
頬の傷と、それから左耳の切断された痕。
後ろから突き入れて揺さぶっていた時に気付いて、なんとなく聞いたのだが。
勝つ為にならば躰の一部を切断出来るのだと知った時の、この胸の高鳴りを彼は知らないだろう。
それだけの狂気を持つ男に出会えて、素直に嬉しいと思えた事を。
「ん……、…しげ、る…?」
耳の傷を撫でて弄っていると、流石に意識が浮上したらしい。
こちらを見下ろしてくる。
しかしまだ眠いようで、眼が半開きだ。
「おはよう」
ちゅっと唇にキスをしたら、ぼんやりとしていた思考が一気に覚醒したのか、みるみるうちに顔を真っ赤にしていった。
もう一度唇を合わせ、今度は舌を中に入れる。
びくりと強ばった躰を撫でながら舌を捕らえ、ゆっくりと絡めていくと、触れ合っている彼の躰からは次第に力が抜けていく。
「ん、んん…ぁ、む…」
舌を絡め合うと気持ち良くなるし、酔いしれた相手の表情を見るのも愉しい。
頬を染めて、たどたどしく彼からも舌を触れてこようとするのも良い。
「う…んん、…しげる、…も」
「うん。おはよ」
「……おう、おはよう」
もう一度言うと、今度は照れながらも返事をしてくれた。
ガシガシと頭を掻きながら上体を起こし、しかしぐっと呻いてそのまま制止したのは、腰に違和感があったからか。
それでもカイジはクッションに寄り掛かり、ベッドヘッドにあった煙草に手を伸ばした。
箱から一本取り出して咥え、百円ライターで火を付けようとして。
「あ。煙草吸っても良いか?」
「どうぞ」
律儀に聞いてきた言葉に頷くと、彼は今度こそ火を付けて吸い始めた。
その様子を見て、しげるはベッドに横になったまま首を傾げる。
「美味しい?」
「ああ、まぁ。お前も吸ってみるか?」
「うん。カイジさんの吸っているのを、ちょっとだけくれれば良いよ」
初めは箱を差し出されたが、そう言ったら彼は煙をふぅと吐き出し、一度ベッドヘッドにあった灰皿に灰を落としてから口元に持ってきてくれた。
「ゆっくり吸っていけよ。その方が煙草の味がわかるから。あと、無理なら肺まで入れんな」
緩く咥えて、言われた通りにゆっくり吸ってみる。
気管に痛みがあったものの、巧く肺にまで入っていったようだ。
ふぅと息を吐き出すと、口から煙が出て行く。
「大丈夫か?気持ち悪くなったりしてねぇか」
「うん、平気。でもかなり苦いね」
「慣れりゃ美味く感じるようになるけどな。でも躰に良いもんじゃねぇから、やりたくなきゃ止めとけよ」
「そうだね。あまり必要性も感じないし、とりあえずカイジさんの身長を超すまでは止めておこうかな。今は成長期だから」
抜かされた時の想像をしたのか、カイジは眉を寄せて少し複雑そうな表情でこちらを見下ろすも、結局は何も言わずに続きを吸い始めた。
彼がどうして煙草を吸うようになったかは、聞かなくても想像がつく。
学生時代に周りが吸っていたから。
興味は無くても、処世術の為に吸わなければならなかったのが始まりだろう。
それが習慣になって今に至っている。
「ねぇカイジさん。俺、しばらくカイジさんの世話になって良いよね?」
毛布の中から彼の剥き出しの太股に乗り掛かると、煙草を持ったままぎくりと躰を強ばらせた。
昨夜さんざん弄られて、過敏になっているようだ。
それでも必死に気丈な態度を取ろうと、ねめつけてくる。
「お…お前、一ヶ所に居着くような性格してねぇだろ」
「だって、カイジさんって面白いから。それにカイジさんの躰をもっと弄って、よがらせてみたいから」
途端、カイジは煙を詰まらせてゲホゴホッと噎せた。
「な、なな、なっ…!」
「ふふふ、カイジさんって、本当に良い反応をしてくれるよね」
「ひっ……」
彼の腹にまで乗り掛かって下から顔を覗き、無防備に晒されていた股間を撫でる。
するとカイジは、か細い悲鳴を上げて固まってしまった。
寒さからかそれはかなり縮こまっていて、掌にすっぽり収まるくらいになってしまっている。
くにくにと弄りながら、しげるはニコリと笑顔を浮かべた。
「四億」
「うぐ…」
「いつでも受け立つから、そのたびに俺に抱かれてね。ああでも、それだと金が全然手に入らなくてカイジさん可哀想かな?そうだ。勝負無しでなら、中出しするごとに一万なんてどう?」
「な、ななな、なか、中だ」
「安心して。イく時だけ抜いて、中に出さないなんて酷い事はしないから。だからカイジさんも、ちゃんと腰振って、俺を気持ち良くさせてね。そうしても良いかなと思うくらいには、俺を嫌ってはいないようだし」
「へっ!?うあ、や…その、それは」
「というか、結構好きだったりするよね」
この顔がかなり好きらしい事も、昨夜わかった。
自分の顔をじっくり見た事は無かったので、いまいちピンと来なかったけれども。
とりあえずカイジは、性格より外見を重視するらしい。
ところで顔を真っ赤にして慌てているのは良いが、煙草の灰がシーツに落ちそうだ。
本人は気付いていないようなので、代わりに彼の指から煙草を抜き取り、灰皿に押しつける。
それでもあわあわと口を動かしているばかりで、先程からどれ一つとてきちんとした言葉として発されていない。
テンパりすぎである。
「だ、そっ…ちがっ、……う、うえ」
「あらら、泣き出しちゃった。可愛い顔」
「ううう煩ぇ!可愛いとか言うなっ!つうかいつまで触ってんだ!」
あまりの必死さについついまた笑ってしまうと、彼はぼろりと涙を零しながら、更に憤慨してわぁわぁ喚き出した。
ああもう、本当に、とてつもなく楽しくなりそうだ。
...end.
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とにかくしげるが楽しければ良い。
2012.05.13
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