無邪気な好奇心 前篇
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まるで騒音のような煩さだ。
パチスロ店なのだから当然だが、それにしても煩すぎると、自動ドアが開いた途端しげるは僅かに溜め息を零した。
店内に足を踏み入れ、まずは眼に付いた自販機に金を入れブラックのコーヒーを買う。
ガコンと落ちてきた熱い缶を掴むと、冬の寒さで冷えていた指先が徐々にだが温まっていく。
それを持ってエスカレーター付近に置かれたソファに座り、肩に掛けていたスポーツバッグを足下に下ろした。
買ったばかりの缶コーヒーに口を付ければ、少々苦いけれど、それ以上にコーヒーの独特の香りと味わいが胃に浸透していき、素直に美味いと感じる。
飲みながら、パチンコ台の前に座っている大人達を眺めた。
老人が多いのは、定年退職して基本的に暇だからだろう。
後は、社会人になっていない二十歳程度の若者か。
彼等は金を得たいのか、かなり真剣な面持ちで打ち続けている。
ちなみに中学生がこんな場所にいても咎められないのは、二階がごく普通のゲーセンだからだ。
時間も、丁度学校が終わり学生達が街に繰り出せる夕方。
建物自体に出入りしているのも中高生の方が多く、時折エスカレーター付近からはパチンコ音に負けない大きさの笑い声が聞こえてくる。
自分はまだ中学生という義務教育課程に属する立場だけれども、面倒だから、ほとんど授業には出ていない。
出なくても、この世界を生きていける事を知っている。
あんな三十何人しかいない小さな箱の中で学べる事など、くだらないほどに些細なものだ。
そんな場所で雁字搦めになって椅子に座って勉学ばかりしていなくとも、金を得る術は学べる。
ただ街を歩いて、様々な場所へと自らの足で歩けば良い。
そうすれば多くのものが見えるはずだ。
現にそうやって、ヤクザの代打ちをしたりギャンブルをしたりして大金を得た人間がここにいるのだから。
しかしそれも半年すれば飽きてしまい、今はまたふらふらと街を徘徊しつつ、こうして補導されない時間を見計らってパチスロ店を訪れていた。
この年齢だから仕方無いかもしれないが、まだ一度もパチンコをやった事が無いのだ。
大衆向けの娯楽となっているので規制が厳しく、十代の、しかもどう頑張っても高校生までにしか見えない自分が席に座ろうものなら、すぐに店員に見咎められるだろう。
そういう意味では、勝ちさえすれば何歳だろうと文句は言われない裏世界の方が、よっぽど楽である。
それでも目の前にある賭博がどういうものなのか興味があるので、辺りを観察しながら、声を掛けても平気そうな都合の良い人間を捜した。
十五分ほどが経ち、コーヒーも無くなった頃。
自分からさほど離れていない台に、一人の男が座った。
それだけならば、さして気に留める事も無かったのかもしれない。
外見も、ごく普通の二十代であるし。
だが数秒だけ窺えた眼が、周囲の人間とは明らかに違っていた。
台を選んでいた黒い眼球はとてつもなく強く、それでいてまるで何も映していないかのような深さ。
多分あれは、死に直面した事のある眼だ。
台の前に座ったので、今は斜め後ろからしか見えないけれども。
彼は台の右上に金を入れて玉を買い、ボタンを押して早速やり始めた。
玉が盤面とガラス板の間を駆け抜け、釘に弾かれながら落ちていく。
しばらく男の盤面を見ていたが、リーチになっても当たりまでは行かない。
気になったのは、左手だった。
煙草を持つ指の、親指以外に切断された痕がある。
一度切り離された指をくっつけた痕だが、何年かは経っているのか古いものだ。
事故か、それとも――もし、何かしらのギャンブルで負ったのだとしたら?
しげるは、ニヤリと滅多にしない愉しげな笑みを浮かべた。
見つけた、面白そうな人間を。
傷を負わされ、それでも今こうして娑婆の世界で生きていられるのは、その後にギャンブルに勝って大金を手に入れ逃れられたからだ。
それにあの眼。
あれはまだ、ギャンブルから足を洗っていない。
まだ、闘う意志を持っている。
立ち上がり足下に置いていたスポーツバックを肩に担ぐと、空になった缶をゴミ箱に投げた。
ガコッと音を立てて入ったが、周りの煩さに掻き消されて誰も気付かない。
しげる自身も、入った事を横目に確認しただけで、意識は既に例の男へと向いていた。
彼は入れた千円を使い切ってしまったようで、数秒は考えた素振りをしていたものの、結局もたもたと財布を取り出した。
それを遮るように、後ろから千円札を台に入れる。
男は弾かれたようにこちらを見上げてきたが、学生にしか見えなかった為か、怪訝に眉を寄せただけだった。
自分よりも大きな手を取り、戸惑うのを無言で制してハンドルを掴ませる。
その上から自分の手を乗せ、彼の手ごと一緒にハンドルを傾けた。
盤面を駆け抜けていく玉の様子を見ながら強さを調整していき、流れからどの強さが最も穴に入りやすいか見ていく。
こんなものだろうというところで様子を見ると、すぐに一つの玉がリーチ穴に入った。
―――三時間後。
「…兄さん。そろそろ、止める?」
下の箱がいっぱいになるたび呼び出しを押してやってくる店員が、青ざめた顔でとうとうその場から動かなくなったのを見て、しげるは初めて自分の腕に囲っていた相手に声を掛けた。
けれど、反応は無い。
途中で覆い被さるように躰を預けた時も、この男はいっさいの反応を見せなかった。
ただ食い入るように盤面を見つめ、箱に玉が溜まった時に機械的に動いただけである。
煙草すら吸わなくなっていた。
しかしこちらとしては、パチンコがどういうものなのか理解したので、これ以上はやる気が起きなかった。
やはり賭博というよりは、遊戯なのだ。
三時間で箱の数約二十。
ざっと十万と少し。
これでは店一つ潰そうと思っても時間が掛かりすぎるし、自分に来るリスクも全く無いのでつまらない。
それにこのままやり続けていたら、未成年である事を指摘され強制的に追い出される可能性もある。
ハンドルから男の手を離させ、その時になってようやくまたこちらを見上げてきた彼に、もう一度声を掛けた。
「ほら、兄さん。俺だいぶ腹減っちゃったし、もう夕飯の時間だしさ。そろそろ飯食いに行こう?きっと、ビギナーズラックもここまでだよ」
「あ、……ああ」
こちらの放った場凌ぎの言葉に、ようやく周りの状況に気付いたらしい。
男は慌てて頷いて、立ち上がった。
使わずに余った金は返却ボタンでカードに換え、店員が二十箱に及ぶ玉を運んでいる間に、変換機で現金に戻した。
そのまま裏口で待っていると、しばらくして男がビニールに入れられたペンを受け取るのが見える。
彼は大人しく自分のところまでやってきて、店を出る時も後ろを着いてきた。
空は闇に染まり、寒さもより一層深いものになっていた。
けれどギラギラと輝くネオンの光が全てを吹き飛ばし、街は昼間以上に賑やかである。
男は持っていたペンをすぐ近くにあった換金所で現金に換え、それを律儀に差し出してきた。
「良いよ、それで飯でも奢ってくれれば。アンタがいなけりゃ、俺はパチンコ台に触る事すら出来無かったんだから」
「や、でも。…つうか、さっきの何だよ。あんなん、ビギナーズラックじゃねぇ」
「そう?あんなもんでしょ、機械相手なんて。出やすい台かどうかは、アンタがそれなりに見極めていたし」
「……お前、何者だ?」
黒い眼球が艶やかな光を堪え、ギロリと鋭くなった。
真っ向から受け止め、しげるは薄く笑う。
「赤木しげる。ただ、それだけ」
この躰に宿るものは、自分という魂だけだ。
それ以外には、何も持ち合わせてなどいない。
だが彼は納得しきれなかったのか、じっと睨みつけてくるまま。
「もし単なるガキだったら、あんなに当たりが出続けるなんて説明がつかねぇ。どうして俺に接触した。もしかして…帝愛の関係者か?あの店も、帝愛の息が掛かっているのか?」
「帝愛、ね。聞いた事はあるけれど」
というよりは、そこの人間と戦った事がある。
どれもたいした相手ではなかったが。
しかしそうか、彼の敵は帝愛なのか。
「聞いた事があるって。普通のガキだったら、名前も知らない裏会社だぞ」
「そうなの?じゃあきっと、アンタからしたら俺は異質なんだろう」
「んな事っ…」
そこで止まってしまった彼に、思わず苦笑が零れた。
随分と根の優しい男だ。
「………わ、悪ぃ」
しかも律儀に謝ってくる。
しげるは興味心に従うまま、改めて男の黒い眼を見返した。
「ねえ。アンタの名前は?」
「伊藤開司、だけど」
「カイジさん。俺のお願い、聞いてくれる?」
金を握ったままの手首をそっと掴み、下から彼の顔を覗く。
すると彼は微かに頬を赤らめるも、思いっきり眉間に皺を寄せた。
「ギャンブルをしようって?」
「へぇ、よくわかったね」
「さっき店を出ようって時、やけに好戦的な眼をしてたじゃねぇか」
「ふふ、そうだね。とりあえず飯を食いに行こうか。どんなギャンブルにするかは、それから決めよ?」
誘いを掛けると、彼はしぶしぶとした様子ながらも頷いた。
彼の住むアパートを訪問したのは、それから二時間ほど経ってからだった。
建物自体は築二十年以上のもののようだが、部屋は整理されていて綺麗である。
カイジは暖房を付けると、中に入るよう促してきた。
「荷物は適当に置いて良いから、座って待ってろ。茶、出してやる」
彼がキッチンに立ってあれこれやっている間、しげるは言われた通り荷物を置いて座布団に座り、部屋を眺めた。
本棚に並んでいるマンガは聞いた事のあるタイトルが多くて、それなりに世間の評価を知ってから買っている事が窺い知れる。
少女マンガは全く無いので、生理的に受け付けないのだろう。
それから音楽CDや映画、コンポにパソコン。
煙草の買い置きと灰皿、ライター。
ギャンブル以外の趣味は、ごく一般的なものらしい。
「ほらよ。熱いから気を付けろよ」
「ありがとう」
テーブルに置かれた茶をありがたく頂戴すると、カイジも向かいに座って茶を飲み始めた。
自分の家なのに居心地の悪そうにしているのは、客が滅多に来ないからだろうか。
「ねぇカイジさん。どうしても駄目?」
「駄目だ、ガキとなんてギャンブルはしねぇ。しかも賭けるのが命だなんて、俺は絶対にイヤだ。負けたら死ななきゃなんねぇのも嫌だけど、もし俺が勝っちまったら、お前を殺さなきゃなんねぇ。そんなのはもっと御免だ」
夕飯を食べている時からずっとこれだ。
駄目だ、イヤだ、そればかり。
こちらの心配をしているという事は、勝つ自信はそれなりにあるのだろう。
だが、殺したくないと言って拒否する。
それでもこうして部屋に上げてくれたのは、帰れと言われた時に、帰る家が無いと答えたからだ。
元々孤児院育ちだったし、ここ半年はヤクザに世話になっていた。
孤児院に帰るつもりも無いと答えたら、パチンコ代の礼に布団くらい貸してやると言って連れてこられた。
かなりのお人好しだ。
「カイジさん。まさかとは思うけど、今はもうギャンブルやってないの?」
「……やっては、いる。でも時々帝愛とぶつかるだけで、基本は遊びで金使うだけだ。命まで賭けた事は、多くない。賭けたって、騙されて殺されるだけだ」
夕飯を食べている時に、彼がしてきたギャンブルの内容は簡単に聞いた。
目の前で人が死んでいった事も。
切断された左指の事も。
借金を背負って、それでも命と金を天秤にかけてギャンブルをして、勝ってきた事も。
ああ、そうか。
それはつまり。
「命を賭けられるだけの金を積めば、俺ともやってくれるって事だよね」
「は?…いや、だからガキとは」
「ちょっと待ってて」
彼の言葉を制して、スポーツバッグを引き寄せた。
チャックを開け、入っていたものを次々とテーブルの上に置いていく。
「三千万…四千万。…五千万」
人の命に換算出来るだけの金額なんて、自分にはわからない。
だから彼の方から十分だと言うまで出すつもりで、しげるは百万の束をどんどんと積んでいった。
to be continued...
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2012.05.01
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