勢いが大事  
前篇

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 カイジは空になったビール缶をテーブルに置き、煙草を咥えた。
 ライターで火を付け、深く吸い込む。

 向かいに座って同じように飲んでいたはずのアカギは、今はもう敷いた布団の上で眠っていた。
 昨日は代打ちだったと言っていたから、徹夜で麻雀をしてきて疲れたのだろう。
 まだ夜の九時前だというのに、ぐっすりだ。

 彼の寝顔はとても綺麗で、しかも強烈な強さを持つ眼が閉ざされているせいか、普段は格好良いと思っている顔が何だか可愛く見えてくる。
 微かに寝息まで聞こえてきて、彼が自分の家で眠っているという状況を改めて認識してしまい、心臓が大きく高鳴った。








 自分達の出会いは半年前、小さな雀荘で、である。

 ぶっちゃけ当時、自分は麻雀をいまいち理解していなかった。
 そんな初心者にとってはマナーのしっかりしたノーレートの雀荘に行くのが妥当で、しかもその店は牌をつまみながら麻雀を教えてくれるという。
 その分ちょっとだけ場代は高いが、誰でも楽しめて良い雰囲気の雀荘である事で知られていた。

 だから、そんな場所で赤木しげるを見つけた時は、心底驚いたものだ。

 アカギは、博徒達の間では有名な男である。
 二十歳そこそこで銀髪だか白髪で、外見も格好良くて綺麗で、しかも賭博に関してはどんなものでも天才的かつ悪魔的……なんていう噂だったから、一体どんな奴だよと思っていたけれども。

 見た瞬間わかってしまった。

 纏う空気が、尋常じゃない。

 そんな奴が、どうしてこんなのほほんとしたノーレートの雀荘にいるのか。
 しかもカウンターに座って、酒を飲んでいるだけなのである。

 自分のような中途半端な博徒が関われるような相手ではないと瞬時に理解したものの、まぁ彼は酒を飲んでいるだけだし、自分は気まぐれに麻雀を教わりに来ただけだ。
 なので言葉を交わす事すら無いだろうと、その時は大して気にしなかった。

 とりあえず初心者である事を店長に話して、場を作ってもらって。

 しかしいざ麻雀をやろうという時になって、赤木しげるが自分の後ろに立ったのである。
 否、立っただけだ。
 そして自分が店長に教わりながら麻雀を打つその手牌を、ずっと見ていただけ。

 東場が終わり南場になって、試しに自分で打ってみようかと言われ、その後は一切の助言を無しに牌を切っていった。
 それも赤木しげるはずっと見ていただけであるし、自分も目の前の牌に集中して後ろにある視線なんて気にしていなかった。

 色々と教わった事を念頭に入れ、一応は相手の捨て牌を見たり持っているであろう手牌を予測しながら、打っていってみる。
 手探りだったがそこそこの出来だったようで、店長は喜んでくれたし、同じ卓を囲んでくれた人達も上出来だと褒めてくれたものだ。

 で、問題はその後。


『お兄さん、俺とも一局打ちませんか?』


 …と、後ろから赤木しげるに声を掛けられたのである。
 そりゃもう、吃驚した。
 何で!?と思った。


『ぇ……いや。俺、初心者なんだけど』
『そうですね。でも、良い筋してますし。それに』


 クスリと楽しげに笑ったアカギは、後ろから俺の耳へと唇を近づけてきて、囁く。


『この耳と、左指。……アンタ、伊藤カイジさんでしょう?』
『なっ…』
『あの帝愛相手に賭博で生き延びて、しかも一目置かれている男だと。結構有名ですよ』


 知らなかった。
 まさか自分の名前が、そんなふうに出回っていただなんて。

 驚いたままアカギを見返すと、駄目ですか?と首を傾げてきた。
 噂と違わぬ……と初めは感じたものの、こうして近くで見ると意外にも普通の青年だ。
 相当に危険人物だと認識していただけに、普通に良い奴じゃないかという好印象に変わってしまうと警戒も一気に薄れる。
 結局カイジは、彼と麻雀を打つ事を了承した。

 それに赤木しげるのような既に神域とまで言われている男が、自分を知っているなんて嬉しいじゃないか。

 その時彼と打った麻雀は、同じ卓に付いていたオッサン二人を混ぜて世間話をしながらという、とてものんびりしたものだった。
 そりゃそうだ、なんたってノーレートの雀荘なのだから。
 賭博からは掛け離れた空気だったが、その分麻雀を楽しめたし、たまにはこんな雰囲気で行う勝負も良いかもしれないと思ったりした。
 結果は当然、アカギがダントツであったけれども。








 それから彼とは何度も出会い、こうして家に訪ねてくるようにまでなっていた。

 とは言っても、アカギとしては宿代わり程度なのだろう。
 特定のねぐらを持っていない…腰を落ち着かせる場所を作らないなんて、凄い生き方だと思う。

 普段はどこで眠っているのかと聞いたら、ホテルとか、代打ちを頼まれた時はそのヤクザの屋敷で寝ているとか。
 明らかに一匹狼のはずなのに、色んなヤクザの組長や幹部の人間と知り合いだったり、同じ代打ちや博徒達とも知り合いだというのはやはり、彼の才気に惹かれる人間が多いからか。
 あの雀荘にいたのも、店長と知り合いだという理由だった。

 しかしそんな男が、自分の前でだと穏やかな表情をしている事が多いと気付いたのは、つい最近である。
 互いの眼が合うと、アカギは僅かにだけ笑みを浮かべてくるのだ。

 するとどうした事か、それだけで自分の心臓は大きく跳ねる。

 やばくないか?俺。
 コイツは男じゃねぇか、確かに滅茶苦茶格好良いけれど、でもそれだけでなんで顔が赤くなったり心臓バクバク鳴ったりするんだよ!
 これはやばい、やばすぎる。
 正気に戻れ…頼むから戻ってくれ……!

 ……なんて思っている時点で既に、好きになってしまったのも同然である。

 今もアカギの寝顔を前に、高鳴る心臓を必死に押さえようと煙草を吸うも、いつものような美味さを感じない。


「ちっくしょう…」


 深く唸って、カイジは吸い終わった煙草を灰皿に押し付けた。
 心臓は相変わらず煩いほどに鳴っている。

 そもそもアカギがいけないのだ。

 初めはとてつもなく冷酷な男に見えたのに、実際一緒に行動してみると、普通に礼儀正しい。
 年上にはきちんと敬語使うし、アカギを思いやってくれる人にはきちんとそれ相応の態度を返している。
 アカギの態度が鋭くなるのは、賭博の相手にだけである。
 それも暴言を吐いたりするわけじゃなく、見透かそうとする眼や纏う空気がそう見せているだけ。

 なんだコイツ、すげぇ良い奴じゃん。
 ……と思った時点で、自分の心はアカギを受け入れていた。

 すると次には、彼の深い内面までが見えてくる。

 見えた瞬間、もう駄目だった。

 この男なら、自分がどれだけの窮地に陥ったとしても、絶対に裏切ったりしない。
 むしろ背中を押してくれるだろう、肩を並べてくれるだろう。
 そしてその先に待っているものが地獄であろうと、共に歩き、戦ってくれるだろう。

 そんな絶対的な信頼を、寄せてしまえるような男だった。


「…お前の、せいなんだからな」


 飲みすぎでふらふらになりながらも、カイジはアカギの寝ている布団の枕元にしゃがみこんだ。
 恐る恐る、彼の髪を触って、ついでにそっと撫でてみる。

 この男と、ただ純粋に戦ってみたいと思う事はあった。
 けれど、今更だ。
 今や互いの癖や心理をわかりすぎてしまっている。

 窮地に陥った時にどんな行動をするか、攻めている時にどんな手を選ぶか、そして相手をどう読むのか。
 そんなところまで、既にわかってしまっている。

 一緒にいた時には常に、互いに癖や心理を探りあっていたせいかもしれない。

 そしてそのせいで、どんどんとこの男の魅力に嵌まっていく自分がいた。


「……アカギ、」


 ああ、こんなに触っていたら、起きたりしないだろうか。
 いや…眠いとか言いながらあれだけ酒を飲んだんだから、きっと大丈夫だ。

 大丈夫だから、このまま……このまま、キスをしてみても良いだろうか?

 コイツは眠ってしまっているし、しかも酔った勢いなんて情けないかもしれない。
 でもどうしても、自分の気持ちを止められなかった。


 好き、なんだ。

 どうしようもないくらい。


「………」


 カイジはそっと、アカギの唇に自分の唇を寄せていった。

 心臓がバクバクしている。
 部屋の中は暖かいはずだし飲んでいたから血の巡りも早いはずなのに、極度の緊張のせいか指先が冷たくなっている。

 アカギの息が唇に当たるくらいに近づくと、小刻みに躰が震えた。
 多分あと、一センチも無い距離。

 そしてほんの少し。
 本当に少しだけ、唇が触れた瞬間。


「ん……」


 微かな呻き声を発するアカギに、カイジはガバッと躰を起こした。


「……っ」


 アカギが起きたのかと思った。
 けれど彼は眼を瞑ったまま、変わらず気持ち良さそうに眠っている。

 それでもカイジは、湯気が出そうなくらいに顔を真っ赤にした。
 恥ずかしさと居た堪れなさのあまり、涙が滲む。


「ぁ……、…」


 触れた。
 一瞬だけだったけれど、確かにキスしてしまった。
 どうしよう…本当に、本当にしてしまった。

 我に返ると、どうしようもないくらいに混乱してしまう。

 と、……とにかく離れよう。
 冷静になろう。

 相手は眠っているのだ。
 自分から言わない限り、キスしただなんてバれたりしない。
 ならば早く離れた方が良い。


「……うわっ??!」


 だがいきなり立ち上がったせいで、飲んでいた酒が一気に躰中に回り、ぐらりと上体が傾いてしまった。
 視界がぐらつき、躰に衝撃が走ると同時に反射的に眼を瞑る。


「…いっ……」
「大丈夫ですか」
「ああ、だいじょ…」


 ……?
 何か今、聞こえなかったか?
 なんか背中に暖かいものが置かれているようだし…それにこれは、心臓の音か?

 恐る恐る眼を開けみて。
 するといきなり、もの凄い力で躰を引っくり返された。
 ボスンッ、と仰向けに布団に押し付けられ、次に自分の視界全てを覆ったものは――――――


「…ア、カギ……?」


 アカギの顔だった。
 そしてギラリと妖しく輝く双眸が、すぐそこから自分を見下ろしている。

 カイジは眼を見開いた。
 がたがたと、躰が震える。


「お、前。…起きて。……いつ、から?」


 逃げろと本能が訴えているのに、躰の上に思いっきり乗られ、しかもいつの間にか両腕を押さえ付けられていて身動きが取れない。


「カイジさん…」
「な。……なに」


 名を囁いてくる声は酷く擦れていて、それだけでぞくりと背筋に走っていくものがあった。

 だ、れだ、これは。
 いや、どう見てもアカギなんだが。

 でもこんな表情、見た事が無い。
 普段は感情を読み取らせようとしない、無表情なものなのに。
 そんな中でも、自分には穏やかな表情を見せてくれていた。

 なのになんでこんな、野生の肉食獣のようなギラギラした眼をしているんだ?
 本能剥き出しじゃねぇか!

 躰を必死に動かそうとしても、全然動けなかった。
 それどころか余計に体重をかけられて、手首が痛い。


「何。逃げたいの?良いですよ、逃げても」
「ア、カギ…」
「その分……手加減はしねぇけど」


 動けなかった。
 金縛りにあったように。
 眼を逸らさなければ、と思うのに。

 眼を見開いたまま射竦められる視線を受け止め続けていると、アカギは愉しそうにニヤリと口の端を持ち上げた。
 その笑みは、獲物を捕らえた者が捕らえられた者を嘲笑うもので。

 今すぐにでも食われそうだった。
 しかもその標的が、自分になっている。

 歯の奥がガチガチと鳴った。
 冷や汗が垂れて、背筋が寒くなる。

 アカギの顔が近づいてきて、カイジは恐怖に苛まれながらも必死に言葉を振り絞った。


「い、やだ、アカギ。悪かった。だから、眼覚まっ…んぅ?!」


 命乞いのような言葉は、アカギの唇によって呆気無く掻き消された。





  to be continued...



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2010.01.16
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