昼下がり 後篇
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やっぱ、世の中は金でしょう?
あの人の元にいれば稼げると思ったんで付いていきましたけどね。
取り分がたったの一パーセントですよ、一パーセント。
いくら掛け合っても、それ以上は渡せないって。
ったく、あの二ヶ月間、誰のおかげで政治家達を落としめ…あ、いや、稼げたと思ってるんでしょうね。
それだったら、自分で伸し上がっていった方が金が手に入ると思いません?
挙げ句の果てには、もう俺の後釜がいるんですよ。
よっぽど俺を敵に回したいんですかね。
『敵に回せば良いじゃないか』
『え?』
酒を舐めながら独り言のように愚痴を零していると、向かいに座っていた男が口元を歪めた。
彼はちょいと周りの黒服の一人に合図する。
するとテーブルの上に出されたのは、大きなバッグ。
チャックが開かれると、入っていたのは札束である。
『今ここに一億ある。この額でもって私の元に来ないか、森田君。君がいれば、あの銀王を抑圧する事が可能かもしれない』
『へぇ……面白そうですね』
交渉成立である。
今、政治家達は一つの法案を通すか通さないかで揉めている。
それが通れば、銀二が日本を買えるのにまた一歩近づく…そんな法案であるが、現在それが国会提出の為の閣議決定にまで進んでいる。
今までずっと、この国を買う為に彼は動いてきた。
自分と初めて出会うよりもずっと前から、抱いていた夢。
その為に伊沢や土門といった人物達の影にもいた人だ。
しかし政治家達も馬鹿ではない。
銀二の企みに気付き、まだ弱みを握られていない連中はどうにかしてそれを食い止めようとしている。
彼らの中にもまた、日本の頂点に立ちたい野心家達は存在している。
森田は誘われた議員の元で機を伺っていた。
優遇はされているのだろうが、ガードマン扱いであるし、むしろそれくらいの方が動きやすくもあった。
全身をほぼ黒にしてサングラスをし、普段は結んでいた髪を解いておけば、何度か会った程度の人間だと誰も自分が元々銀二の傍にいた人間だと気付かないのである。
銀二側からだとどうしても見えなかった部分が、ここからだとよく見えた。
対話する政治家達の人相も全く違っているし、入ってくる情報もかなり違っている。
森田はじっと彼らの行う会話を聞き、有益な情報を掻き集めていった。
そしてあっという間に三ヶ月が経過した。
あのマンションを出てからというものの、一度も銀二や他の人達とは会っていなかったし、連絡を取り合う事もしていない。
良平が何も言わずとも、彼らは自分がこちら側にいる事などとうに気付いているだろう。
その上で放置されているのだから、彼も存外甘い人間なのだろうか。
それとも裏切られると想定していないのか、またはその時には俺諸とも潰す気でいるのか。
どう転ぶにしろ、想像するのは面白い。
森田はクッと喉を鳴らして笑った。
金を無造作に放り投げてベッドにどかりと寝そべれば、何枚かがひらりと舞い上がり、やがて床に落ちる。
金はかなり与えられていた。
住む場所も、飯も。
だが、こんなものはまるで道化だ。
金で心を縛られると思っているのか。
そんな人間なんざ、たいした事が無い。
そこで足踏みし、その先へと進めない。
自分が求めているものは、こんなものじゃない。
足りない。
こんなものでは、足りなすぎる。
どうしたって心が満ちない。
銀二と敵対する議員に誘われてから、四ヶ月。
自分が助言する事によって、彼に有利に進む話はままあった。
だが銀二のような圧倒的な成果が無いのは、この者の心のどこかにまだ綺麗でありたいという考えがあるからだろう。
銀二とは圧倒的に器が違う。
そもそも彼にとっての自分は、助言者などでは無かった。
ボディーガードでもない。
言うならば、刺客…なのだろうか。
彼は仲間を引き入れつつも、背後から刺される可能性を常に念頭に入れている。
裏切られる可能性を何パーセントか必ず計算している。
誰よりも狡猾だ。
彼に勝つには、化かし合いで彼以上に狡猾でなければならぬ。
しかし自分の雇い主である議員が存外臆病であった結果、手を汚す役目が自分に回ってくるようになった。
そして再び、彼と合間見える日が訪れる。
「もうすぐ閣議が行われるみたいですよ、銀さん」
ここ数ヶ月で着慣れた黒のスーツにサングラスをしていた森田は、手に持っていた拳銃をいじりながら、つまらなそうに呟いた。
薄暗い部屋の中には、自分と同じように部屋のガードを任された、スーツにサングラスの男が二人。
部屋の外にも二人、ドアの前に立っている。
そして部屋の隅に腕を拘束されて椅子に座らされているのが、先程森田が呟いた名の人物である。
平井銀二は、鋭い双眸を自分へと向けてきた。
それだけで、ぞくりとした悪寒が背筋を掛け巡っていく。
「森田」
「何ですか?…ああ、動かないで下さいね。今貴方に行かれると、あっという間に閣議決定を通過してしまう。俺も解雇されちまうし」
にっこりと笑い、森田は銀二へと拳銃を向けた。
彼の眉間に、銃口が触れるか触れないかの距離。
しかし全く怯む様子は無く、あくまでも冷静沈着な男である。
「ねぇ、銀さん。気付いていたんでしょう?貴方側の人間達が、少しずつこちらに靡いていた事くらい。奴等、金さえあればいくらでも揺れ動くんですよ。無様ですよね」
本当、無様だ。
よもやその揺れのせいで、これから地の底まで落ちていく事になるのだから。
「ここでアンタを撃ったら、一体どうなってしまうんでしょうね。あの議員も党も、滅茶苦茶になっちまいますかね。それとも金で揉み消すんでしょうか」
「ぉ…おい」
焦ったように声を掛けてきたのは、周りの男達だった。
それがまた愉快な気分にさせてくれるから、ついつい笑いそうになってしまう。
「俺はそれでも構わないんですよ。ぶっちゃけ金なんていらないし、この身がどうなろうとも今更どうとも思わない。それぐらいのつもりでこの世界に戻ってきたんだ。ねぇ、貴方はどうします?そんな悪党を目の前にして。命乞いでもしてみせますか」
銀二へと銃を向けたまま、セイフティーを下げる。
サングラス越しでも互いの視線はぶつかったまま、そして互いに逸らしはしなかった。
やはりこの人は凄い。
一瞬でも気を抜けば、頭から喰われそうだ。
にぃ、と。
銀二が妖艶たる笑みを浮かべたのは、森田の銃を持つ指がトリガーを引き掛けた瞬間だった。
「…そうだな。ならば、お前を買おう」
「俺を、買う?金はいらないと」
「だが差し出すのは金じゃねぇ。――俺という存在で、だ。等価交換。悪くねぇ話だろう?」
それはつまり、俺はアンタのモノで、アンタは俺のモノという事じゃないか。
全く、本当にこの人は。
「さすがは銀さん。俺の事をよくわかってる」
あんまりにも嬉しくなって声に出して笑った途端、ドアの向こうから悲鳴が聞こえていた。
それからグアッという呻き声。
何事かと部屋の中にいた人間が一人ドアを開けた瞬間、ガツンとした音とともにその男も床に崩れた。
「なん、ぐっ!」
もう一人の男に、拳を一発叩き込む。
そして男が怯んだ隙に、わき腹におもいっきり蹴りを入れる。
よろけた男は、最終的に背後からの一撃を喰らい、撃沈した。
「銀さん、森田さん!」
「二人とも無事かっ?」
部屋の中に入ってきたのは良平と安田だった。
「お久しぶりです」
森田は銀二の腕のロープを解きながら、二人に声をかける。
腕を解くと、銀二はコキコキと軽く肩を回してから、自分達を見渡した。
「現状は?」
「船田と巽が代理として出ているから、まだほとんど動いちゃいないぜ」
「そうか。安田は俺と来い。そっちの二人は部屋を片付けたら、ここから離れろ」
「りょーかい」
「銀さん。これに眼を通しておいて下さい」
森田は近くに置いてあったスーツケースの中からA4サイズの封筒を出し、銀二に渡した。
銀二は肩を一度だけ叩いてくると、すぐに部屋を出ていった。
その後を安田が付いていく。
二人を見送ってから、自分も良平と一緒に部屋から出た。
廊下で倒れていた奴らを部屋の中に押し込めるのは、当然忘れずに。
仰々しく聳える建物から出れば、まだ青空の広がっている時間だった。
外の空気を吸いながら、あまり人のいない道をのんびりと歩く。
緊張が切れたのか、隣を歩いている良平は大きく息を吐いた後、へらりと笑った。
「はは、そうやってスーツ代えて眼隠して髪の毛縛ってないと、誰なのかさっぱりわかりませんね」
「そうか?」
と首を傾げつつもサングラスを外し、常備していたゴムで軽く後ろ髪を纏める。
すると良平は真顔で頷く。
「うーん、ホントに森田さんだった」
「ホントにって、酷いな」
「これで別人でした、だったら面白いなと」
面白いだろうかと疑問に思ったものの、森田は首を傾げる程度で追求はしなかった。
今までの窮屈さからの開放感に、森田は思いっきり空に向かって腕を上げ、躰を伸ばした。
「はぁ…ようやくカタが付いた。これで当分は、俺が襲われて銀さんに迷惑掛ける事も無くなると思うんだけど、どうかな」
「いやもう頑張り過ぎですから!銀さんすげぇ心配してましたから!」
「そうなのか?」
腕を下ろしつつ良平を見れば、彼はコクコクと力強く頷く。
「森田さんがマンション出ていっちゃったのに気付いた途端ソワソワし出すし、好きにやらせれば良いとか言いながら携帯何度も見てるし、森田は元気にしてっかな、死んじゃいねぇだろうな、って気付けば言ってるし。挙げ句にはおい誰か森田の様子探ってこいや…ですよ?みんな微妙な顔しまくりで、俺笑いそうになっちゃっいましたよ!」
「そんなに?銀さんが?想像出来無いな…」
「本当です。見たらすっげぇビックリしますって」
拳を握って力説されて、森田は銀二の顔を思い浮かべてみる。
しかし先程に相対していた時の背筋がゾクリとするような笑みしか出てこなくて、やっぱり首を傾げた。
「…なんて事もありましたよねぇ」
「ああ、懐かしいな」
ベッドで肌を触れ合わせながらのんびりと話していたら、いつの間にか過去話になっていた。
自分が銀二とこんな関係になったきっかけとなる話だ。
その前までは、ただ純粋に尊敬の念を抱き、とにかく彼を越えたいという想いばかりだった。
しかしその想いが膨らみすぎて、気付けば今のような躰を重ねる関係になっていた。
「あれ、そういえば今何時です?」
話に興じすぎて気付くのに遅れたが、だいぶ腹が減っていた。
窓から陽の光も射し込まなくなっていた。
ベッドヘッドに置かれている目覚まし時計を覗こうとしたら、その前に銀二が躰を起こし、代わりに時計を見てくれる。
「二時だな。出前でも取るか?」
「出前ですか?じゃあ…寿司かピザで」
「森田よ。お前はいつもそればっかりだな」
「ぇ、そうですか?」
まるで庶民だなと言われて、侵害だとばかりにむくれて見せれば、銀二はニヤリと笑って顔を覗き込んできた。
「昔アパートのポストに入っていたチラシに寿司とピザが多かったから、とりあえずそれ言っとけば外れないだろう、と思ってるんじゃないか?」
「う、さすがは銀さん」
彼の言うとおり、出前なんて何を頼めば良いのか、いまいちわからない。
寿司とかピザ以外に何かあっただろうか。
あ、ラーメンとか蕎麦とか?
しかしわからないのは、そもそも普段出前なんて取らないからであって。
この家にいる時はいつも自分が料理しているからであって。
やっぱり銀二には、自分の手料理を食べてもらいたいという気持ちがあるわけで。
というか。
「たまには銀さんが作ってくれても…」
ぽつりと呟いた途端、銀二はまるで悪魔のような笑みを浮かべた。
格好良いとうっかり見惚れるものの、次の言葉に森田はギクリと固まる。
「………全部食えよ?」
「う。…食べられるもの出してくださいよ……?」
一応釘を刺したものの、銀二は脱ぎ散らかしていたパジャマを着て、何も言わずに部屋を出ていった。
さてどうなるのか…。
もしかしたら殺人的な料理が出てくるかもしれない。
生きていられるだろうか、なんて思いながらも、森田はベッドに寝転がったままそっと眼を閉じた。
扉一枚隔てた向こうから、鍋やフライパンを漁っているのかガチャガチャとした音が聞こえてくる。
後できちんと手伝いに行こう。
それとも、手付かずのまま呼びに来るだろうか?
そんな事を考えるだけで、自然と笑みが浮かぶ。
満ち足りた心に、もっともっと溢れてくる想い。
なんて幸せなのだろう。
なんて心地良いのだろう。
こんな時、あの頃の自分を褒めたくなる。
よく一歩踏み出して、彼の元へ戻る決意をした――と。
...end.
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やっぱり森田には銀さんの元に帰ってきてほしいなぁと思う。
法案とか色々間違ってるかもですが、スルーの方向で…。
2010.02.22
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