昼下がりに  
前篇

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 爽やかな青空が広がり、鳥の音色がどこからか聞こえてきた。
 窓の外を見れば春の木々は爽やかに茂り、そよそよと流れる風が長閑に葉を揺らしている。

 そんな、緩やかな時間の流れる朝。

 森田がキッチンにてコーヒーを入れていると、銀二がパジャマ姿で寝室から出てきた。


「おはようございます銀さん」
「ああ…」


 挨拶をすると、簡単な返事が返ってくる。
 しかしまだ寝ぼけているようで、銀二はふらふらと歩き、億劫そうにソファに座った。
 そしてぼんやりとした様子のまま、窓越しに広がる青空へと眼をやる。

 全く覚醒する気配のない彼に、森田は微かに笑みを零した。

 彼と初めて出会ってから、もう五年が経つだろうか。
 それでも、こんなにものんびりした銀二は滅多にお目にかかれた事が無い。
 いつもは彼の方が早起きだし、寝起きも良い。

 ではなぜ今日に限って、と問われれば、たぶん一日フリーだからだろう。
 いつも周りを圧倒するようなオーラを放ち、一切の隙を見せない男であるが、プライベートはそれなりにルーズである。

 銀二はだいぶ頭が覚醒したのか、もそりとソファから立ち上がると、コーヒーメーカーのサーバーを片手に立っている自分の方へとやってきた。
 冷蔵庫に用だろうかと思ったのに、後ろから抱き締められて、思わずコーヒーを零しそうになる。
 それでもどうにかマグカップに注ぎ、サーバーを元に戻した。


「銀さん?」


 彼の顔を覗こうとすると、頬に艶やかな銀髪が当たり、シャンプーの爽やかな匂いが鼻を擽った。
 惹かれるように銀二の髪に唇を寄せると、抱かれている腕に力が込められる。

 首筋に感じる吐息に、森田は笑みを深くする。


「銀さん、どうしたんですか?」
「ん…少し寝すぎてな。頭がふらふらするんだ」
「コーヒー入れ終わったけど、銀さんも飲みます?」


 そう提案したものの、銀二は緩く頭を振って断ってきた。
 代わりに顔を上げ、眼が合うとキスをされる。

 少しばかり意表を突かれたが、ぴちゃりと絡まる舌は気持ち良く、歯列をなぞられ時折唇を吸われれば、森田は酔いしれるように眼を細めた。
 銀二の後頭部に手を添え、自分からも口付けを施していく。


「ん……」
「……、ふ」


 互いの吐息が混ざるのが、とても心地良い。
 触れ合う舌から、甘い痺れが全身へと広がっていく。


「…銀さん?」


 互いの唇が離れると、銀二はにやりと笑みを浮かべた。


「さて、寝るか」
「寝るかって。俺も起きたばかりですよ」
「一時間前にか?」
「……何でわかるんですか」
「隣が冷たくなっていたからな」
「なるほど」


 つまり、まだベッドに横になっていたいから添い寝をしていろという事か。
 眼が覚めた時に自分が隣にいなかった事が、お気に召さなかったのか。


「まぁ、それくらいなら」
「決まりだ」
「ああでも折角コーヒー入れたので、飲んでから…って、ぅわ!」


 マグカップに手を掛けるよりも先に腰に回されていた腕が躰を引っ張り、ずるずると寝室に連れて行かれてしまう。
 引きずられるような形になりながらも、森田は仕方無いなぁと苦笑した。

 まだカーテンがひかれたままの寝室は薄暗く、しかし春らしいぽかぽかした優しい陽の暖かさがカーテンの隙間から入り込んでいる。
 こうして見ていると、部屋の真ん中にあるベッドが本当に気持ち良さそうで、やんわりと眠気を誘ってくるようだった。

 森田がぼすりとベッドに寝転がると、銀二も隣に横になり、頭を引き寄せられた。
 撫でられ、髪を梳かれる。

 気持ち良さに思わず吐息を漏れてしまった。
 いっそとことん甘えてしまおうと、もっと擦り寄り銀二の胸元へと顔を埋める。


「はぁ…今日はドライブに行きたかったのになぁ…」


 と、我が侭も言ってみる。
 すると銀二が喉を鳴らして微かに笑った。


「また今度で良いだろ」
「今度、絶対ですよ」
「覚えていたらな」
「無理矢理助手席に押し込んで連れていきます」
「襲うなよ?」
「さぁ、どうでしょうね」


 にやりと笑ってみせると、銀二は眼を眇めて面白そうに自分を見てくる。

 擽ったいような感覚だった。
 何もやる事が無く、ただ好きな人とのんびりと過ごすなんて。

 外は暖かくて賑やかで。
 でも確かに、出かけるのは勿体無い。

 二人きりの空間、誰にも邪魔されない時間。

 ならばそんな日くらいは、普段出来ない事を思いきりやってみても良いじゃないか。

 今日は銀さんを一人占めにしよう。
 ずっと傍にいて、その存在を直に感じていよう。

 ああなんて贅沢で幸せな日なんだと、まだ一日が始まったばかりなのにそんな事を考えた自分に、自然と笑みが浮かぶ。

 撫でてくる手は優しく、時折降ってくるキスは甘い。
 心地良くて、正直寝るつもりはなかったのだが、ウトウトとしてきてしまった。
 だが今寝てしまっては、折角銀二を独占しているのにそれこそ勿体無い。

 どうしようと考えながら銀二を見上げると、向こうも顔を覗いてきた。


「何だ、眠いのか」
「うーすみません…。寝たくはないんですけどね」
「なら、セックスでもするか?」
「そりゃまた……こんな朝っぱらからですか?」
「いいだろ。折角一日何も無いんだ。それともお前は嫌なのか」


 もちろん嫌だというわけでは無い。
 そんな申し出が嬉しいと素直に喜べるくらいには、銀二が好きなのだ。

 それに互いの息がかかるほど近くまで顔を寄せられ擦れたような甘い声で名前を囁かれれば、頷くしかないではないか。


「嫌なわけ、無いですよ」


 了承とばかりにキスをし、それが合図。
 つばむような口付けを何度も繰り返しながら、互いの服を脱がせていった。




















 月光の注ぐ真夜中の、人通りの全く無い薄暗い道端。
 絶対零度の笑顔が、胸倉を掴まれ殴られ、鼻血を出しながら脅えている人間へと向けられる。


「答えろ。誰に言われて俺を襲った?」
「し、知らない!スーツにグラサン掛けた男に…ひぃ!」


 ドゴッと足元に転がっていた人間を蹴ると、下から呻き声が聞こえ、それに呼応するように男も悲鳴を上げる。
 森田は口元に弧を描いたまま、凍りつくような鋭い双眸をすっと細めた。


「もう一度だけ言うぜ。…誰に、頼まれたんだ?」
「許してくれっ…、本当に、本当に知らないんだ!…ッガ!?」


 知らない、そう言った瞬間森田は男の胸倉を離し、回し蹴りを叩きつけていた。
 男は吹き飛ぶように倒れ、完全に意識を手放したのか微動だにしなくなる。


「役に立たねぇな」


 ぼそりと呟き、それでも一応は何か手がかりが無いかと、地面に倒れているチンピラどもの懐を探ろうとした。
 その時。


「荒れてるじゃねぇか、森田」
「…銀さん」


 ゆるりと顔を上げた森田は、闇の中から突然現われた銀二に、さして驚きもしなかった。
 ただ静かな双眸をついと向け、自嘲気味に笑みを零す。


「見つかっちまいましたか」
「殺す気だったのか?」


 顎をしゃくり示された地面に、森田は再び目線を落とす。
 森田の足元には、四人の男が横たわっていた。


「ああ……そのつもりは無かったんですけど、気付いたらこうなってました」


 ナイフや鉄棒を持って襲い掛かってきたのはコイツらだ。
 金を握らされたか何だか知らないが、大人しく暴行を受けるつもりは端から無く、起き上がれないくらいに叩きのめした。

 コンクリートの上に飛んだ血は、どす黒く見える。
 中には骨の折れている奴もいるだろう。

 だが気を失い動かないものの、呼吸まで止まっている奴はいない。
 元々後頭部は狙っていないし、刃物を使ったわけでもないのだから、出血多量で死んでしまうなんて事態も起こらないだろう。

 大体この程度の連中を自分に仕掛けてくるとは、随分と見くびられたものである。
 こちらとて、悪になる事を覚悟して銀二の元へと戻ってきたのだ。
 銀二の助けとなるのなら、いくらでもこの手を黒く染めようと。

 一年以上も掛かった。
 自分の心にケリをつけるのに。

 クッと喉を鳴らし地面に転がっている奴らを見下せば、暗闇でも艶やかに光る強烈な双眸が、自分を射抜いてくる。


「森田」
「大丈夫ですよ、これ以上は何もしませんから。殺しはしない。それだけは絶対にしません。貴方の傍にいるには、やはりまだ甘いのかもしれないけれど」
「そうじゃねぇ。いつからだ?」
「何がですか?」
「いつから狙われていた」
「全く…銀さんは何でもお見通しですよね」


 もしかしたらただの喧嘩かもしれないというのに。
 前からわかってはいたが、素晴らしい洞察力である。

 銀二が見守る中、森田はチンピラ共の懐を探った。
 出てきた財布や免許証やカードを見るも、これといった手がかりは無い。

 やはり、そう簡単には行かないか。

 一年前以上に森田が銀二の元を離れ、そして再び彼の元に戻ってきてから、まだ二ヶ月ほどしか経っていなかった。
 しかしそのたった二ヶ月の間に、銀二はどれほどの金を稼ぎ、政治家達を落としただろうか。

 彼等の間で囁かれている、噂。
 銀王の後ろには、静寂の狂気を放つ獣がいると。
 いつの間にかその場の圧倒的な雰囲気に圧倒され、飲み込まれる。
 その上、その男には何かが憑いているかのような強運が備わっている。

 森田が傍にいると、銀二がどんな賭けをしても最終的には絶対に勝つと。

 そして実際その通りで、今や銀二の所持金は兆という単位まで膨れ上がった。
 このまま行けば、日本というこの国を裏から支配する事も可能であろう。

 銀二が、王となる。

 それは森田からすればとても魅力であるし、純粋な意見としてその方がこの国も良くなるのではないかと思う。
 民主主義よりもよっぽど効率的だ。

 だが王による独裁政治を阻止したい輩も、当然大量にいる。


「まだ三日ほどですよ。様子見されている程度です。でも、これからどんどんとエスカレートしてくるでしょうね」
「そうか。なら当分の間、お前は引き篭もっていろ。ねぐらは用意してやる」


 銀二は煙草を出し、ライターで火を付けた。
 暗がりの中で、その光はぼうと浮かび上がる。

 森田は眼を眇め、ゆっくりと銀二に近づいた。
 コツコツと鳴る靴の音。
 そして彼へと伸ばす指先。

 しかし銀二は煙を吐き出すだけで、動かない。
 頬に触れても、間近でその双眸を射抜いても、彼は眼を逸らしはしない。


「なぁ銀さん。俺は、変わったんですよ?貴方の思うように、もうガキじゃないんだ」
「ガキだろうがそうじゃなかろうが、鉛玉が飛んできたらどうしようもねぇだろう」
「それは銀さんも同じじゃないですか」
「今や俺に死なれちゃ困る連中も多いからな。俺を狙えば、それこそ政治家同士で戦争になるだろう。…だがお前は違う。周りはお前を俺の補佐程度にしか思っちゃいねぇ。死にたくなきゃ暫くは大人しくしているこった」
「いいや。これは俺の問題ですから、俺自身で解決しますよ。アンタの手は借りない」
「森田」


 銀二の窘めてくるような声に、森田はクッと喉を鳴らし、顔を歪めた。


「わかってくださいよ、銀さん。これくらいは自分の力で解決したいんだ。俺はアンタに迷惑を掛けたくて戻ってきたんじゃねぇんだから」


 貴方と対等でありたい。
 そう思った。
 ずっと、そう思ってきた。

 そしてその思いは、銀二から離れている間も消える事は無かった。
 だから戻ってきたのだ。

 しかし森田の気持ちとは裏腹に、銀二は淡々と自分を見据えてくる。


「迷惑を掛けたくないと思うなら、動くな。動かれる方が迷惑だ。大人しくしていろ」
「………」


 辛辣な言葉にきつく眉を寄せるも、それ以上森田は反論しなかった。
 手を下ろし、ゆっくりと銀二に背を向ける。


「わかりました…今日は大人しく家に帰りますよ。アンタの邪魔をするような愚行はしたくないんで」


 森田は皮肉を混ぜた言葉を背後にいる銀二へと発し、彼からの言葉を待つ事無く歩みを進めた。
 呆れられただろうか?
 クツリと自嘲が漏れるも、わざわざ確かめるのも馬鹿らしくて、そのまま闇へと紛れていった。





  to be continued...



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森田がもし銀さんの下に戻ってきたら、銀さんは勝ち続けて王になれるよ、と思った。

2010.01.31
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