偽りの言葉  
前篇

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 激しい雨が、窓ガラスにぶつかる。
 カーテンで覆われていて見えはしないが、外は土砂降りだろう。
 だが、そんな耳障りのような音以上に、己の喘ぎ声が耳に残った。


「っあ……っ、ぅ!」
「兄貴の声、凄く色っぽい」


 くすっとリンに耳元で笑われ、シキは羞恥でカァッと頬が熱くなるのを感じた。
 長く骨ばった指が熱い中を弄り、無理矢理快感を引き出そうと動き回る。
 シーツを握り締め顔を枕に埋め、快感に耐えようとしても、快楽というものに慣らされた躰は悦び、胎内に入れられた指を咥え込んでしまう。

 足がガクガク震え今すぐにでもベッドの中に沈んでしまいそうなのに、腰に巻きつけられている腕のせいで、獣のように尻だけが高く上がった状態を強いられていた。
 明るい部屋の中で痴態を晒されている為、指を受け入れているアナルが丸見えである。

 じゃら、と腕に付いている手錠の音や、ぐちゅぐちゅと掻き回されるたびに聞こえてくる淫靡な音もまた、外の雨の音に掻き消される事はなく、どれだけ自分が無様な姿をしているかがわかるだけだった。


「……ぁ……もう、やめろ、リン……、……ひ! うっ!」


 ある一点を集中的にぐりぐりと押され、言いようのない程の快楽が躰中を駆け巡る。
 強烈な刺激をなすがままに受け入れるしかなく、絶え間無く喘ぎが漏れた。
 閉じる事の出来なくなった口からは涎が伝い、目からはとめどなく涙が零れていく。

 もう何度も射精してしまっているのに、いまだに中を暴れる指は抜かれない。
 括約筋は押し広げられジンジンと熱を帯び、それがまた堪らなくなる程、躰に快感を与えてくる。


「うあ、……っ、や……また、あうっ!」
「いいよ、イきなよ。何度でも」
「あ……ひ!? ……あぁ、やめろ、あ……、あ、ぅ!!」


 部屋中に響いた喘ぎは、やはり雨に掻き消される事はなかった。
 もう何時間、こんな状況であろうか。
 イかされても既に精液など出ず、元よろ弱っている躰は、いまや全く力が入らない。
 気付けば、シーツを握る事さえ出来なくなっていた。

 つぽんと、長時間入っていた指が、ようやく抜かれた。
 いきなり異物が無くなり、だがずっと広げられたせいで、まだ何かが中に残っているような感覚がする。

 今すぐにでも解放されたかったが、どろどろに濡れているアナルに、宛がわれる熱い感触があった。
 裸体を晒しているこの背に、覆い被さってくる気配。


「もう、止めろ……」


 何度止めろと言っただろうか。
 無意味だとわかっていても、言葉を発せずにはいられない。
 そして聞き入れられた事も、今まで一度も無かった。


「っ……やめ……、ふざけ、な……うっ」


 少しずつペニスが入ってきて、歯を食いしばった。
 何度か背中に唇が押し当てられ、長い髪の毛が擽ってきて、背筋が強張る。
 リンがまた、くすりと笑った。


「やだ? でも俺、まだ一度もイってないんだよ? 兄貴だけずるいでしょ」
「それは、き、さまが…………や、め! あ、……ひ、んあっ!」


 宛がわれていたものが一気にずぶずぶと埋められ、甲高い声が出てしまった。
 背中に自分よりも少し大きいリンの躰が密着し、暖かく包まれる。

 とく、とく、とリンの心音が伝わってくる。
 そんなものをまざまざと感じて、なぜか、また涙が溢れた。


「熱くて、柔らかくて……気持ち良いよ、兄貴の中」
「……、…………」

 心が掻き乱される。
 望んではいないのに。


「愛してるよ、兄貴」


 心が、悲鳴を上げる。
 優しく耳元で囁く声に。
 感じる体温に。
 与えられる強烈な快楽に……苦しくなる。


「や……めろ、もう……」
「嫌だよ。……言ったよね? 兄貴が『愛してる』って言ってくれたら、止めるって。なのに何時間経っても言わないのは兄貴でしょ?」


 言えるわけがない。
 そのような感情が、己には無いのだから。


「……ねぇ、一回だけで良いんだ。今はまだ俺に向かって言わなくても良い。ただ、その言葉を言うだけで良いんだ」


 利き手である右手には手錠が付けられ、それが部屋の隅へと繋がっている、言わば監禁状態。
 コイツの犯したい時に犯されるこの状況の中で、そんな偽りを口にするなど、どうして出来ようか。


「強情だよね、兄貴ってさ。こんなにひくひくと中を蠢かせて、俺の締め付けておいて。快楽に浮かされて、もう殆ど何も考えられてなさそうなのに、いつも『愛してる』とは言ってくれないんだ」


 ふぅ、と溜め息をつき、リンの躰が少し離れる。
 そう頭で認識する前に、ズル、と胎内に入っていたペニスが抜かれ、そしてまたぐちゅりと入り込んできた。
 尻を突き出した格好なせいか、奥深くまでペニスが届き、堪えきれず声が上がる。


「ぁあ、あ、あうぅ……んっ! ……やめ、も、ぅ、あ!」


 敏感な括約筋を押し広げ、中いっぱいに咥え込まされる。
 情けないと思ってみても、涙が零れ落ちた。
 胎内に入られようとすると外へ追い出そうと締め付け、引き抜かれる時には、入った時とは逆に逃がすまいと締め付け、貪欲に絞り取ろうとしてしまう。


「あ! ひ、……ああ、あぁ!」
「っ……凄いね、兄貴の中……は、食い千切られそう……」
「リ、ン……あぁ、やめ……あ、く……」


 ずぷ、ずぷ、と何度も奥に叩きつけられ、そのたびに喘いでいた。
 あまりにも長く快楽に浸らされ、擦られている胎内以外の感覚がほとんど麻痺し、だんだん自分が泣いているのか、よくわからなくなる。
 焦点が定まらず、視界はぼんやりとしていて。
 ただそれでも、二つのロザリオの輝きだけは、脳裏にまで伝わってきた。


「あ……ん……、や、あぁ、あ、」
「……ぅ、兄貴…………は……愛してる、よ」


 室内に粘膜の擦られる音が鳴り響く。
 この季節特有の激しい、打ち付けるような雨音が、どこか遠い所の事のように感じた。



 愛してなどいない。
 この心は、今更愛など望んではいない。

 なのになぜ胸の痛みは、じわじわと躰中に広まっていくのか……。










 激しく降る雨音を聞きながら、ぼんやりと天井を見つめる。
 小さな寝室は淡いクリーム色で、蛍光灯が暖かく部屋を照らしている。
 清潔感のある綺麗な部屋は安らぎを与え、服を一切身につけていない躰を包むような、白い柔らかなシーツや毛布も、心地良い。

 だが利き腕に付いている手錠は、ダイニングやトイレに行けるようにこの部屋の端から長い鎖で繋がれているものの、捕らわれているという事実をはっきりと示している。

 ふと自分の腕を、腹部に置いた。
 ちょうどその下には、腹を切り裂くように長く大きな傷がある。

 ―――三年。
 三年という月日の間、己は病院の一室で眠っていた。
 眼を開けた時、見えたのは窓の外に広がっている青空と、窓際に立ち、空を見上げる男の後ろ姿だった。


『…………ぁ、?』


 頭に靄がかかったように霞んで、思考がよく回らない状況だった。
 己が声を発したのかも、よくわからない。

 だがその声に反応し、窓際にいた男が振り返る。
 空よりも深く、海よりも鮮やかな蒼だった。
 よく知っている、もうずっと見てきたような、そんな色の双眸が大きく見開かれる。


『兄貴!?』


 しかし自分へと慌てて顔を近づけ、笑みを浮かべながら涙を流した相手が誰なのか、わからなかった。


『良かった……もう一生、眼を覚まさないんじゃないかと思ってた。ずっと眠り続けたままなんじゃないかって』


 頭を撫でられる手は優しく、包むように大きい。
 見ていると、随分と前に知っていた存在と、似ている事に気付く。
 眼の輝きも、同じものだった。


『……リン、…………か?』
『ああ、そうだよ』


 まさかと思いつつも問いかけると、男はすぐに頷いた。
 そして、ふわりと笑う。


『もう三年経ったんだ。あの日、兄貴と戦ってから。それから一気に成長期が来てさ。多分、もう兄貴よりも身長高いんじゃないかな』


 こちらの顔を覗き込みながら、手を伸ばせばすぐ届くほど近くで嬉しそうに話す弟を。
 その時の自分は、呆然として見返していた。


「死んだ……はずだったんだがな」


 喉を鳴らし、くつりと自嘲気味に笑う。

 起きた時、あのトシマでの出来事が全て夢だったのではないかという錯覚に陥った。
 いつの間にか己よりも大きく逞しくなり、すっぽりと腕の中に閉じ込められる程に成長した弟に、戸惑わずにはいられなかった。
 記憶にある小さな躰とはまるで別人のように成長していた、その三年という月日が、自分には存在していないのだ。
 精神は時を止めたまま、肉体だけ、三年動かなかったという衰えがあった。

 今現在も、こんな穏やかな時間の中にいると、まるでトシマでの出来事はが全て夢のような気がしてくる。
 だがこの胸から腹にかけての大きな刀傷は、あの時が現実であると物語っていた。
 リンの義足についても、目を瞑れば斬った感触を思い出せる。

 殺したいと思うほどに憎まれていた。
 そして己は斬られ、死んだはずだった。
 負けたのだから、死ぬのが当然だと……そう、あの時、地面の冷たさを感じながら思った。

 あのまま道端に捨ておけば、確実に死んでいたはずなのに、なぜ生かされたのだろうか。
 それに目覚めたあの時から、リンから憎悪という感情が一切感じられない。
 三年経ったくらいで、あれ程の強烈な憎悪が、そんな簡単に消えるものなのか?

 考えてみると、わからない事項ばかりだ。
 なぜこのように監禁されているのか、リンの思考も未だに理解出来ていない。

 どうにか躰が動けるようになった為、目が覚めてから二週間程で退院し、車椅子でこの塒に連れてこられた。
 昔決別した弟と今更共に住むなどと拒否したかったが、痩せ細った躰では戦う力も無く、あまつさえこんな細い腕では刀すら握れない。
 一人で生きるだけの力が、今の自分にはない。

 だから仕方なく受け入れたのだが、自分の足で廊下を歩き、リビングに入ったとたん、抱き締められた。
 訳もわからないままキスなどされ、近くのソファに押し倒され、服を脱がされた。
 眠り続けている間に体力は殆ど削ぎ落とされてしまっていて、抵抗する事など全く出来なかった。

 大丈夫、怖がらないで……優しくするから。
 もう我慢出来ないんだ。
 兄貴を抱きたい―――愛してる。

 愛してる、と耳元で囁かれた瞬間、躰が震えた。
 恐怖と絶望が一気に押し寄せてくるような、戦慄き。

 優しくすると言ったように、痛みを施される事は無かった。
 ゆっくりと快楽を与えられ、己の声では無いような嬌声が上がる。
 囁かれる言葉は、今まで言われた事などない甘いものばかりで。
 それなのに、絶望ばかりが見えた。

 なぜ恐怖が湧き上がってくるのか、わからない。
 リンのペニスを胎内に受け入れさせられ、初めて味わう快楽に躰は心地良いと感じているような気がするのに、心が拒絶している。

 愛してる、愛してる、と何度も囁かれるその言葉が、やたらと痛かった。

 その夜、気が付くとベッドの上にいた。
 抱かれて気絶してしまったのだろうか、記憶が曖昧だが、横には自分の腰を抱いて寝ているリンが。
 起さないように手を退かし、重い腰を上げ、寝室から出た。

 逃げろ、ここにいてはいけない。

 心が命ずるままに、ただ本能と衝動で急いで玄関まで移動する。
 それだけで、息が切れた。
 鍵を開けようとしても、躰のどこもかしこも弱っていて、指先さえ動きが鈍くなっている。

 それでもどうにか鍵は開き、裸足のまま外へ出た。
 ……そう、思った。


『どこに行く気だったの』


 後ろから思い切り引っ張られ、気付けばリンの腕の中にいた。
 表情は判断出来なかったが、空気は張り詰め、怒りに満ちていた。


『ど、こ……って……、っい』
『こんな格好で、外に出るつもりだったの?』


 耳元で蔑む言葉を吐かれ、ペニスを掴まれ、そこで初めて己が裸体のままだった事に気付いた。
 服を何一つ身に着けていないなどと、気にしている場合ではなかったのだ。


『もしかしてあれだけじゃ足りなかった? それとも、痛い方が良かったの?』
『ち、違う……そんな……ひ、うっ』


 リンの手に力が込められ、ペニスの先端を指で弄ばれる。
 ぐりぐりと強い力で抉られ、そのまま細い尿道の中を指が入っていってしまうのではという錯覚に陥った。
 逃げようともがいてみても、腰に回った腕はびくともしない。


『い、痛い、ぁあ……、リン、やめろっ』
『痛いのが良いんでしょ。兄貴は』
『違うと言っただろ! ……い、ぐっ!』


 叫んだとたん、家の中へと突き飛ばされて、廊下に躰を打ち付けた。
 背中や肩に激痛が走る。
 それでも、すぐさまリンを睨み付けた。
 リンは玄関の扉を閉め、再び鍵をかけると、ゆっくり覆い被さってきた。

 近づいてくる、その表情は怒りに満ちていた。


『逃がさないから。兄貴は俺のものだ。誰にも触れさせない。どこにも行かせない。そんな事、絶対に許さない』


 ひくり、と喉が鳴り、渇いていく。
 理解出来ない独占欲を向けられ、自分の弟が怖いと感じたのは、その時が初めてだった。

 そのまま何度も犯された。
 暴れるも、こんな弱った躰では敵うはずもなく、数時間前に一度抱かれた躰は敏感に快楽を拾い上げてしまった。
 しかも痛い方が良いかと聞いてきた言葉は何だったのか、どこまでも快感だけしか与えてこない。

 アイツは、俺が痛みなら耐える事を、何となくわかっていたのだろう。
 自分の兄がどのような人間なのかを、きちんと把握しているのだ。

 強烈な痛みなら、歯を食い縛り声を上げずにいる事が出来る。
 だが強烈な快楽は、何度口を閉ざそうと試みても、快感が突き抜けるたびに口が開いてしまう。
 涙が勝手に流れる。


『ひああ、あ、ぁあ!』


 腰を揺さぶられ、胎内の奥深くに何度もリンの精液を受け入れる。
 自分の躰の中に溜まり、じわじわと浸食していく温かなそれは、本当にこの躰がリンのものになっていくようだった。
 躰中が疼き、侵されていく。

 何度気絶しかけたかもわからない。
 意識を手放そうとすると、激しく中を突かれ、強制的に喘がされた。

 次の日、眼を覚ますと外へ出られないように手錠が付けられていた。
 それに対する憎しみや怒りを出せる程の気力も無く、リンもあえて何かを言おうとはしなかった。
 抱かれた負担が大きく、熱を出し寝込んでしまい、そんなあやふやの記憶の中でずっと頭を撫でられていたのは覚えている。

 あれから一ヶ月が経ち、この手錠の重みにはもう慣れてしまっていた。

 理解出来無いのは、リンの思考だけではない。
 それ以上に、己がわからなかった。
 たかだか愛してるなどという陳腐な言葉を繰り返されるだけで、何か……言いようもない不安に駆られる。
 不安は恐怖に変わり、もの音一つさえしない暗闇の中に追い込まれ、絶望となる。

 何が不安なのか、なぜこんなにも苦しくなるのか……泣きたくなるのか。
 わからない。

 躰の震えが治まり、ふと顔を上げた。
 ベッドヘッドの先にある棚に手を伸ばす。
 そこには、以前からずっと自分が身に付けていた、二つのロザリオが置かれていた。

 小さい方のロザリオを手に取り、掲げる。
 蛍光灯の光に反射して、キラリと銀の輝きを放った。
 じっとそれを見つめていると、一瞬、あの可愛らしい笑顔が脳裏を過ぎった。

 ごろりと横向きになり、柔らかなシーツに顔をうずめる。
 このシーツは、リンの匂いがする。
 この部屋も、この塒全てからリンの生活している気配を感じ取ってしまう。

 それが、とてつもなく辛く、苦しい。





  to be continued...



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2013.11.16

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