真っ暗な、その先には……きっと進むべき道がある。
小さい炎
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
「……どこいっちゃったんだろう」
ケイスケは暗くなったトシマの中をうろうろと歩いていた。
時々一人行動をしてしまうアキラを捜しているのだが、どこに行ってしまったのか検討が付かない。
しかももう夜中になってしまっていて、ホテルで待っていたのが、だんだん心配になってきたのだ。
リンには「どうせそのうち帰ってくるから」と止められたが、それでもやはり心配で仕方無い。
帰ってくるなら帰ってくるで良いとして、もし何かあった場合に助けが必要だろう。
もちろん、これだけ広い街の中で捜し出すなど、到底無理な事だというのもわかっている。
それでも正直、じっとしていられなかった。
リンから貰ったそれなりの量のソリドと水分の入ったバックを背負い、ケイスケは寂れた街を見回る。
時々イグラ参加者とすれ違う事があったが、こんな夜中なせいか、睨まれはしたが試合を申し込まれる事はなかった。
かれこれ二時間くらいは歩いているが、やはりアキラの姿は見当たらない。
やっぱり見つかる筈ないか・・・と溜め息を吐きつつ、もしかしたらホテルに戻ってきているかもしれないという期待が沸き出して来る。
「戻る、か」
自分に言い聞かせるように呟き、ケイスケは振り返った。
その時、ふと視界に入ったビルから明かりが見えた気がして、上を見上げた。
「明かり……だよな?あれって」
蛍光灯の明かりが漏れているにしては、どうにも弱過ぎる本当に微かな光に、けれどケイスケは気になって、そのビルの中へと入っていった。
暗い中、眼を凝らしながら音を立てないように鉄の階段を上る。
何階か過ぎて、淡い光の漏れている入り口へと辿り着いた。
初めからドアなんてものは無く、その中を覗き込む。
一人の男が壁際に腰を下ろしていた。
黒い髪で黒い服を身に纏っている為、真っ暗な中なら、わからなかったかもしれない。
だが彼の前には、小さな光を灯している蝋燭が置かれていた。
その淡い火がゆらゆらと揺れ、暗闇の中に彼の姿を浮かせている。
それと火を付ける時に使ったのか、在り来たりなマッチ箱も置かれている。
男に……というよりか、むしろその橙色をした蝋燭の火に引かれて、ケイスケは中へと入った。
男の傍までやってくると、そのすぐ近くに、彼と同じように壁に寄りかかりながら座った。
しょっていた荷物は中身が音をたてないように、静かに隣に置く。
眠っているのか、彼は俯いたまま起きる気配は無い。
自分とは反対の、彼の傍には長い刀が立てかけられていた。
同じイグラの参加者なのだろうか。
それにしては、首にかけているのはタグではなく、ロザリオが二つだった。
失礼かとも思ったのだが、ケイスケは黒髪から覗くその顔をそっと見た。
綺麗だな……。
というのが第一印象だった。
長い睫に、高い鼻、薄い唇は寝ているにもかかわらず、しっかりと閉じられている。
全体的にバランスの整った、綺麗な顔だった。
ただ少し・・・彫刻のような、まるで作り物のようにも見えた。
そんな顔がどこか優しげに見えたのは、この蝋燭の作り出す淡い炎に彩られてるせいだろうか。
こんな所で眠っていて、自分が隣に座っても起きないなんて、大丈夫だろうか。
アキラを捜していた筈なのだが、この人の事もなんだか心配になってきた。
どうせ見つかる可能性なんて初めから殆ど無かったわけだし、せめてこの男が起きるまではここにいようか。
ケイスケは彼から視線を外すと、足を伸ばし、その近くで揺れている炎を見つめた。
ビルの隙間から入ってくる風のせいだろう、ゆらり、ゆらり、と。
不規則な形をしながら、揺れている。
これ程小さな光だというのに、暖かい気がした。
トシマに来て。
自分はアキラを守る為に、今もここにいる。
けれど、何も役にも立っていない。
本当に自分は必要なのか、必要とされているのか、迷惑かもしれない、もしかしたら嫌われているのかもしれない。
……ならどうして、ここにいるのか。
好きだという感情だけで、どうにかなる世界ではないなんて、わかっている。
今の自分には、アキラを守る力なんて無いって事くらい、すぐわかる。
だったら強くなれば良い。
だが、強くなる為にはどうすれば良い?
わからない事ばかりだった。
アキラが何を考えているのかという事も、自分が何を求めどうしていきたいかという事も、これからどうするべきなのかという事も、何もかもがわからなかった。
だけど、そんな事さえ、今のこの空間には必要無い気がした。
そんな事は、この炎の前では、どうでもいい気がした。
このちっぽけな蝋燭の火のように、風に揺らされ、それでもこうやって光を放っている。
小さくても、自分はそこに暖かさを感じるし、熱い炎はじょじょに蝋燭を溶かしていく。
ゆらり、ゆらり、と。
見つめていると、取り込まれそうになるほど、不思議な感覚が湧き上がってくる。
暖かさと、優しさと、安らぎと。
そんなものが、この小さな炎から感じるのだ。
ケイスケは眼を閉じた。
そうすると、隣で眠っている男の規則正しい息遣いが、伝わってきた。
彼がどうしてこのような場所で、こんな光を付けて眠っているのかわからない。
でも久しぶりに、安心している……疲れを癒されていると感じられる。
それがなんだか照れくさくて、くすぐったかった。
そのまま灯っている蝋燭の火を、ぼんやりと見ていた。
いつもはそろそろ眠くなる筈なのに、今は不思議と眠気がやってこない。
ふと、肩に重みが乗りかかった。
ちらりと伺うと、彼の頭がすぐそこにある。
随分深い眠りに入っているのか、やはり起きる気配はなかった。
ケイスケは笑みを浮かべ、また蝋燭を見つめた。
炎の明かりではない、外の光によって辺りが明るくなってきていた。
蝋燭はだいぶ短くなり、揺れる炎はもうすぐ消えそうで、そう思うとなんだか寂しい気がする。
まだ消えてほしくないと、願ってしまう。
だが蝋が溶けきれば当たり前に、終わりはやってくるわけで。
ふっ……、と火が灰色の煙を上げながら消えた。
「あ……」
その瞬間がわかっていたのに、ケイスケは思わず声を発してしまった。
すると、自分の肩に頭を乗せて寄りかかって寝ていた男の躰が、ぴくりと動いた。
起してしまったのだろう、辺りがまだ薄暗くではあるが、ある程度見えるようになっていた為、彼が眼を開けるのが見える。
しかし、なぜかその瞬間がとても神聖なもののような気がして、ケイスケは男に惹きつけられ、じっと様子を見守っていた。
赤い眼をしていた。
そしてやはり、とても綺麗な人だ、と思った。
眠っている時にはよくわからなかったが、どうやら自分よりも年上のように見える。
彼は寝起きなせいか、ぼんやりとしていた。
確認するようにゆっくりと眼球を動かし、そして頭を上げ自分を見ても、まだ状況がわかっていないのか、ぼんやりとしていた。
いや、普通に考えれば、見ず知らずの男が隣にいたら訳がわからないのは当たり前だ。
しかも、たとえそちらから寄りかかってきたとしても、こんな至近距離に顔があれば尚更の事。
ケイスケは慌てて声を出した。
「あのっ……」
が、何を話せば良いのか具体的に考えていなかったせいで、そのままケイスケはあーあー言って誤魔化した。
彼が驚いてこちらを見たまま固まっているのは、きっと気のせいではないだろう。
男に言うのもなんだが、美人なせいか、言葉は発していないというのに無闇やたらと責められている気がするし、近すぎるせいか視線が痛いような気までしてくる。
どうしようか、とケイスケは焦り、辺りをきょろきょろと見回す。
「あー……あ、ああ、そうだ!お腹すいてませんか?俺いっぱいソリド持ってるから、良ければ少しあげますよ?水もありますし」
にっこりと男に笑いかけながら、ケイスケは横に置いてあったバックを自分の膝へと乗せた。
バックを開け、中から適当に水とソリドを出して、今だ固まったままの男に差し出す。
が、男は何を思ったのか、いきなり立ち上がった。
「……え?」
何がどうして、いきなりこういう状況になったの判断が付かなかった。
ただ男がもの凄い勢いで自分を睨みつけ、殺気立っているのはわかる。
しかもその手にはいつの間にか鞘から抜かれた刀が握られ、自分の咽元に突きつけられている。
あまりの事に、ケイスケはただただ呆然としてしまった。
「貴様……何者だ。いつからここにいる」
「へ?」
その声が彼のものだと理解するのに、少し時間がかかってしまったが、どうやら怒っているわけではないらしい。
ただ静かな、淡々とした声には、少し焦りのようなものが混じっていた。
ケイスケはその男を見返したまま、刀に触れないように口だけを動かした。
「え、えっとですね。蝋燭の光が下から見えて、さっき消えたばっかりなので…まだ一時間は経ってないんじゃないかなと思いますけど…」
「……何が目的だ」
「は?目的…ですか。……目的?」
言われている質問の内容が理解出来無い。
別に何の目的など無いし、ただ心配だっただけだ。
いや、彼の言っている目的とは、多分そういうような、ここにいる理由なのだろう。
「ええと、貴方がここで一人で寝てると、誰かに襲われてしまうんじゃないかと思いまして……俺が隣に座っても起きないから心配で、それで」
「……少しでも人の気配がすれば、寝ていても気が付く。貴様の気配も感じはした」
それだけ言って、男はまた刀を鞘に戻すと、自分の隣に腰掛けた。
少し怖い人なのだとはわかったのだが、それでも彼から嫌われてしまったわけではないらしく、ケイスケは内心ほっとした。
どんな人間相手でも、嫌われるよりは好かれる方が良いに決まってる。
「あ、水飲みます?寝起きは何か飲んだ方が良いって言いますよ」
もう一度水の入ったペットボトルとソリドを差し出すと、今度は男はそれを受け取ってくれた。
折角なので自分も一緒に食事しようと思い、バックの中を漁った。
「だが、貴様の気配が…」
「はい?」
ぽつり、と呟かれた言葉に、ケイスケは思わず聞き返してしまった。
男はそんなケイスケを見ようとはせず、手元の水をちゃぷんと鳴らした。
「余計に眠りを誘うものだったらしい。そういった類の人間と、こんな場所で巡り会うとは。…貴様には、この街は似合わんな」
「……それでも、俺はここから逃げるわけにはいかないんですよ」
沈黙が降りる。
そのままケイスケはしゃべろうとせず、ソリドの袋を開けた。
男の方も何も言わず、渡したソリドを食べ始める。
初めて会った人間との沈黙は、意外にも心地良いものだった。
食べ終わると、彼はペットボトルの水を煽り、立ち上がった。
刀を手に取り、そのまま部屋から出ていこうとする。
ケイスケも残りのソリドを慌てて口の中に放り込み、バッグと、そして置いてあったマッチ箱をとっさに掴んで立ち上がった。
「あのっ……」
こつこつと足音を立てながら出ていく背を追いかけ、同じように部屋を出る。
すぐに追い付き、彼と一段違いで斜め後ろから一緒に階段を下がった。
「あの……なぜ蝋燭を?」
聞いてみたかった。
何か理由があって、ああやって蝋燭をどこからか手に入れ、火を付けたのではないかと思ったのだ。
だが男は止まる事無く、かつんかつんと階段を降りていく。
答える気は無いのだろうか、それとも先程の会話が彼にとっては気に触るものだったのだろうか。
そう危惧しながら、結局階段を最後まで降りきってしまった。
そのままビルの外へと出ようとする。
「ぁ……」
流石にこれ以上は、無言で男の背中を付いて事に抵抗を覚えた。
何となく、聞いてはいけないような、そして追ってはいけないような、そんな雰囲気を出していたからだ。
ケイスケは立ち止まり、自分の手に持っていたマッチ箱に目線を落とし、せめてこれを返そうかと、また男へと顔を上げる。
すると、出て行くと思っていた彼は、ちょうど出入り口の所で振り返り自分を見ていた。
「……己が何の目的でここにいるか…と、貴様は考えた事があるか?」
赤い眼が、じっと自分を見つめる。
身動きが取れない、呼吸すらも忘れそうな程、強い、強い眼差し。
「迷い、戸惑いを感じる事がある。なぜここにいるのか、何をしたいのか、何をすべきか……なぜ、己は生きているのか」
淡々とした口調だった。
それなのに、頭の中にまで浸透し響くような声が、心を重く、切なくさせる。
なぜ、生きているのか。
そしてなぜ、自分という存在がここにあるのか。
その答えは簡単なようで、しかしいざ答えてみろと言われれば、全く返答出来ない問いだった。
生きているから、生きている。
死んでいないのだから、生きている。
生きているから、ここに存在している。
そんな安直な答えならば、彼はきっと迷いはしない。
何かを考えて、ここにいる筈なのだ。
そう、自分はアキラを追ってここまで来た。
しかし迷っている。
はっきりとした目的も持たず、ただただ追ってきて、その後の事を全く考えていなかったからだ。
でも……。
「見えなくなる時がある。暗闇に飲み込まれ、自分を見失う。そんな時、小さな火はたった一点を灯し、いざなう。己の存在を照らす。己がこうして生かされ、存在している理由の意味がどこかにあるのではないかと思える」
ケイスケは男をじっと見つめた。
彼はもしかしたら、過去に、絶望的な死に直面した事があったのかもしれない。
もしかしたら、死にたくなる程の、何かがあったのかもしれない。
彼を生かしている、何かによって、彼は生きているのだろうか。
そして、ここにいるのだろうか。
「……俺は」
振り絞った声は、かすれていた。
ごくりと咽を鳴らし、もう一度口を開く。
「俺は、貴方のような境遇になった事がないから、わからないけれど。それでも、こうして貴方と出会えた事に理由とかそういったものは、必要無いと思います。人がなぜ生きているのかなんて事に理由は無い。大事なのはそこじゃないっ。なぜ、じゃなくて、今。……俺と貴方がここにいる。こうして話している。その事実があれば良い」
男が不快そうに眉を寄せる。
確かに、今自分は、彼とは違う事を言っているのだろうから仕方無いのだが。
だが、どうしても今の自分の気持ちを彼にわかってほしかった。
「俺も迷っていました。なぜこんな街に来てしまったのかと、これからどうすべきなのかと。でもあの炎を見て、ただ、そこにあるものが綺麗だと思いました」
炎をただ綺麗だと感じ、暖かいと思い、ずっと見ていた。
自分が隣に座っても起きなかった彼の事が心配になったから、その場に留まった。
それは考えてみれば、即座に自分の意識に伝わってきた、素直な感情と、それに見合った行動だった。
「だから、このままありのままの気持ちを素直に受け取って、生きたいと思いました。迷惑をかけるかもしれないし、邪魔かもしれない。でも、俺は守りたい。守って、少しでも助けてあげたい。その気持ちに嘘を付きたくない」
行き当たりばったりと言えば、それまでかもしれない。
それでも自分の心と違う事をして、後悔はしたくないから。
「貴方は今、生きている。だから、あるがままの貴方の心に従えばいいんじゃないでしょうか」
男が自分を見返している。
自分もまた、彼を見返していた……が、内心ではかなり焦っていた。
これはもう、嫌われるどころの話ではない。
今度こそ本当に刀で切られるかもしれないと、今更に思った。
やはり、行き当たりばったりだ。
だが、その直後ケイスケは驚き、眼を見開いた。
彼が、笑みを浮かべた。
その静かな笑みがとても、心に響く程に、美しく優しかった。
……人の作り出す表情が、こんなにも綺麗なものに、なるのだと。
すぐに彼は背を向け、何も言わず、今度こそビルの外へと出て行った。
呆然とその姿を見送る。
そして彼がいなくなってから数分して、ようやくケイスケは、はっと気が付いた。
「あ、名前聞くの忘れてた……」
自分の間抜けさに思わず、はぁ、と溜め息をつく。
せめて知り合いという関係になれれば良かったのに、名前も知らないんじゃ、それも駄目だろう。
ケイスケは、残念そうに、名残惜しげにマッチ箱を見つめた。
よくよく見ると、そのパッケージは、あの悪趣味な館の主の仮面をつけた顔だった。
中身を見てみると、マッチはほとんど減っていない。
「……また、会えるかな」
そのマッチ箱の蓋をまた閉め、軽く振る。
かさかさと鳴る小さな音は、やはり名残惜しげに聞こえた。
...end.
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
マッチ箱が、ガラスの靴の代わり…なんて。
この話ではまだケイスケはアキラの事が好きです。
いや、ケイスケはずっとアキラの事は好きなのです…そういう気持ちは大事にしていて欲しいです。
ただこの出会いが切っ掛けで、ちょっとずつ「愛している」という感情が、シキの方に向かいます。
そしてトシマを出る頃にはラブラブに……なってるはず?
2005.12.06
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
←Back |
|