そして、笑え
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過去に失われた筈の遺産でありながら、それでも確かに存在している大地エルドラント。
それは栄光の地という言葉を誇示するかのように、はるか上空に浮かびオールドラントを見下ろしている。
そして緑溢れる大地の上に聳え立つは、艶やかな白の鉱石で造られた、偽りの城。
全てが虚無のようだと、アッシュは嘲笑った。
しかしながらその無機質で研ぎ澄まされた城の一つの空間に立ち、いずれここに現れるであろう存在を待つ自分は、こんな馬鹿げたものを造った人間よりも遙かに愚かなのかもしれない。
ここで命を削り合う事を、間違っていると誰かは言うだろう。
現に、歩み寄れと…独りで立ち止まり続ける事に何の意味があると言う男もいた。
しかし、それでもこの生き方を変える事など出来無いのだ。
ここで決着をつける。
自分には、その選択肢しかない。
「生きてやるさ。最後まで、自分らしく」
呟く声が、広い空間の中で大きく響く。
アッシュは腰に下げていた鞘からスラリと剣を抜き、そのまま静かに眼を閉じた。
戦う前の研ぎ澄まされた静けさに身を委ね、精神を落ち着かせる。
互いの剣を交えた場合、この先の道を進むのは一人だけだ。
どちらかは命を落とす可能性もある。
そうでなくとも、この躰はもうすぐ死ぬのだ。
自分という存在が消えゆこうとしている。
それが怖くないかと問われれば、否だ。
だがそれでも、レプリカと共にこの先へ進むという選択肢だけは絶無である。
生まれてから今まで、己は己として生きてきた。
誰も己に成り代わる事など出来ぬ。
名を奪われ、場所を奪われ、その代わりに宛がわれたレプリカにすら…代わる事など出来無いのだ。
今まで培ってきた憎しみも怒りも、哀しみも。
全てを抱えたまま、俺は俺として生き、そして死ぬ。
ルークだとかアッシュだとか、そんな上辺程度の問題ではない。
ただここに立っている魂が、レプリカとの戦いを望んでいる。
剣を交えたがっている。
ならば心の赴くままに。
そして最後まで、自分らしくある為に。
「その為だけに、俺はお前と戦う」
「っ……。…アッシュ、俺は!」
「剣を抜け、レプリカ」
アッシュは待ち望んだ相手へと、剣を向けた。
長年持ち続けた、黒剣を。
鋭い刃の先で立ち尽くすルークは、悲しげに眉を寄せた。
俯き、何かに耐えるように拳を握る。
ここに来て、まだ戦う気が無いのか。
互いに死の淵にいるような状況下であってもまだ、これに意味がないと思っているのか。
…くだらない。
「俺と戦う気が無いのなら、このまま何もせずに死ぬか?俺はそれでも構わない」
「っ……死ぬ気は、無ぇよ。俺はまだ死ねない。まだ何も…成し遂げていないのだから」
そう言って顔を上げたレプリカは、強い意志の宿る双眸をしていた。
剣を抜く動作に、迷いは見えない。
「それで良い」
アッシュはクッと喉を慣らし、笑った。
互いに一歩。
踏み込んだ次の瞬間には、甲高い金属音が、まるで悲鳴のように響き渡る。
戦え、戦え。
憎しみを抱き、怒りをぶつけろ。
そうやって死んでいけばいい。
己らしく生き続ける為に、死ねばいい。
死すら自らの望む形を選び取るのだ。
消えゆく瞬間を、ただ怯えながら待つなどという無様なマネは願い下げである。
最後まで己らしく生き、そして己らしい―――死を。
血が広がっていく。
体内の血が、無くなっていく。
……冷たい。
なんて冷たい世界なのだろう。
これが、死ぬという事なのか?
何も無い、闇ばかりがどんどんと広がっていく世界。
その中に身を委ねる自分は今、たった独りだ。
いや、ずっとずっと、独りだったのだ。
ずっと独りで戦い続けてきた。
そうする事で憎しみも怒りも忘れずにいられた。
ああ…死ぬまで独りだなんて、とても自分らしいじゃないか。
アッシュは自分が緩く笑ったように思えた。
本当に笑ったのかなんて、もうわからない。
しかし笑ったと思った瞬間、ふいにどこかから風を感じた。
とても暖かな風だ。
これはどこから吹いているのだろう?
気になって、眼を開ける。
そして視界に映ったのは――美しいまでに透き通った青空。
「……――――」
ここは何処だ?
まさかこれが、死…なのか?
もしそうだとしたら、なんて暖かな死なのだろう。
芝生の緑に寝そべり、どこまでも広がる青空の下で風を感じる。
自然に包まれる躰が、魂が、どんどんと優しい暖かさによって満たされていく。
心にある孤独という空間を埋め尽くし、それでももっともっと満ち、溢れていく。
どうしてか泣きたくなった。
そして、笑いたくなった。
躰の奥から溢れ出てくるものに、震えが止まらない。
孤独さえももう、感じない。
いつしかたくさんの記憶が呼び起こされていた。
怒り、哀しみ、憎しみ、そして喜びや慈しみ、希望。
まるで自分のものではないような……しかし自分のものであるような、思い出の数々。
ルーク、と。
多くの者達が名を呼ぶ。
ルーク、ルーク、ルーク。
たくさんの声が聞こえてくる。
ルーク…それが俺の名前なのか?
いや、これは自分に向かって呼ぶ声ではない。
これは、あの者を呼ぶ声の数々だ。
あの者の、記憶だ。
しかしその中から、違う名が聞こえてきた。
―――アッシュ、と。
そう、それが俺だ。
ゆっくりと、頬を撫でられた。
吹き続ける風に。
アッシュ、アッシュ…。
耳に心地良く聞こえてくるその声が、風に乗ってどんどんと近づいてくる。
眠りを誘うような、柔らかな音色だ。
とうとう、自分は完全に消えるのかもしれない。
そう思いながら、夢心地に瞬きを繰り返した。
「……?」
そしてその時になってようやく、誰かが覆い被さるようにして顔を覗き込んでいた事に気付く。
「アッシュ……ようやく、眼を開けた」
「……ルーク…?」
何故、コイツが目の前にいるのだろう。
もしかしてコイツも死んだのだろうか?
それとも、これが死神なのだろうか。
死者の魂を運ぶ存在か。
「行き先は、地獄か?」
天国や地獄などという場所が本当にあるかなんて知らないけれども、アッシュは言葉にせずにはいられなかった。
まるで夢のようじゃないか。
クッと喉を鳴らせば、顔を覗き込んできていたレプリカもまた、小さく笑みを零す。
「わかっているくせに」
「わかってはいるが…こんな事、いきなり信じられないだろうが」
「そりゃそうだ。死んだ奴が生き返るなんて、そうそうあるもんじゃねぇ」
くっくっと声に出して笑うルークのはっきりとした声を聞きながら、アッシュは野原に寝そべったまま空を見つめた。
なんて鮮やかな青か。
鳥の鳴き声、虫のさえずり、葉の囁き。
たくさんの息吹が混ざりあった大地は、死の淵に見えた場所とは確かに違っている。
やはり、生きているのか。
この心臓は動いている。
全身に血が巡っている感覚…躰が存在している感覚がある。
試しに右腕を上げてみれば、思うようにルークの方へと向かった。
そしてルークが、その手を握る。
暖かい。
暖かい手だ。
まるで死の淵で感じていた、大地を駆ける風のように、暖かい。
「……俺はあのまま死んで、良かったんだ」
「アッシュ?」
「どうせ死ぬのならば、抗わずに前に突き進めば良いと思った。ただ真っ直ぐと、前へ。そして死ねば良い。その瞬間、俺は俺という人間を肯定出来た。そしてお前を……認められる気がした」
「ああ、わかるよ。わかっている。…全部、見たから。お前の全てを見たから。お前の苦しみも、怒りも、哀しみも全部。全部、わかってる」
そう呟き、微笑を浮かべながら…流れていく涙。
それはとても綺麗な涙だった。
わかっている。
俺もまた、この者の全てを見たのだから。
あの青空の下で。
ほんの一瞬のような夢でありながら、何年もの記憶を手に入れた。
ルークの記憶を。
握られていた手に力を込め、涙を流すルークの頬にまで持っていく。
指先が触れれば、向こうから濡れた頬を押しつけてきた。
「それでも、生きている。俺達は生きているんだぜ、アッシュ」
ぼろぼろと落ちていく涙が、太陽の光を受け止めてキラキラと輝く。
この者の全てを見た今だからこそ、わかる。
彼の心は、どこまでも綺麗だったと。
本当に自分を想い、一つ一つの言葉をくれていたのだと。
自分の為に泣いているのだと。
「なぁアッシュ。今度こそ俺と一緒に来ないか?そして、一緒に生きないか?」
それはまるで、祈りのようだった。
「俺はお前と生きてみたい。お前と一緒に前に進んでみたい。なぁアッシュ。俺と来いよ」
「…お前が、俺の孤独を埋めてくれるのか?」
「それが俺に出来るかなんて、わかんねぇ。俺はどうしたって、お前にはなれない。…でも、だからこそずっと一緒にいる。ずっとこうして、俺の気持ちをお前に伝え続ける」
その瞬間アッシュは眼を見開き、瞬きを繰り返した。
―――愛している。
そう、聞こえてきたのだ。
寝そべっていた躰を起こし、改めてルークの泣き顔を見返す。
何故と問う事はしなかった。
しなくても伝わってくるのだから。
認められたい、アッシュに認めてほしかった。
そんな願いが肥大し、形を変え、愛という想いになった。
その過程が全部、自分にはわかってしまえる。
「随分、便利になったな」
「ははっ、そうだな。前はいちいち頭が痛くなるし、俺から繋がった事なんて数える程しかなかったのに。今はこんなにも、深く繋がれるんだ。なぁ…もう、独りじゃないだろ?」
本当に、なんて便利な躰になったのだろう。
普通、他者の思考なんて絶対にわからないものだ。
どれだけ理解しようとしても、出来無い。
それが、自分達の間では覆ってしまっている。
しかし自分の思考が覗かれるという事に対する嫌悪は、無かった。
元々が一つだったのだ。
一つが二つとなれば、片方はもう自分ではない。
それでも互いの記憶や思考を混じり合わせ、感情を共有し合う事が出来る。
哀しみは和らげ合い、喜びは相乗させていく。
こんなにも自分を支えてくれる存在は、確かにこの者以外にはいないだろう。
「へへ。やっと、アッシュが俺を認めてくれた」
「そうだったか?誰もそんな事は口にしていないが」
「うわぁ…ひねくれ者」
「冗談だ」
ふっと笑うと、つられるようにルークも吹き出した。
それから二人で声を出して笑う。
笑ってしまえるくらい、満ちていた。
とうに諦めていた、僥倖というものがここにあった。
アッシュは笑いながら、ルークへと手を伸ばした。
頬に残っていた涙を拭ってやり、彼の顔を自分へと引き寄せる。
そして合わさる、唇。
ルークが驚いて硬直している隙に、咥内へと進入し舌を絡めた。
「んっ……ぅ、」
鼻から抜けるような艶やかな喘ぎが、耳に心地良い。
そのままゆっくりと歯列をなぞり、舐めていく。
そしてまたルークの舌を吸う。
ぴちゃり、と唾液の絡み合う音が鳴る。
「ふぅ…ん、ん。っ…う……ぁ」
唇を離し、顎へと零れていった唾液を舐め、そのまま顎や喉元も舐めていく。
するとルークの躰がぶるりと震えた。
「ぁ…や、…溶けちまい、そぅ…」
「溶けちまえよ」
そして俺と、一つになれよ。
囁き、柔らかい皮膚を強く吸った。
震えるルークからは、甘い甘い吐息がいくつも零れていく。
それがとてつもなく愛おしくて……アッシュはまた、小さく笑った。
...end.
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とにかく格好良いアッシュが書きたくて書きたくて…。
こんなふうに二人一緒に帰ってくるのも良いなぁと思います。
2011.04.16
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