人は 人であるが故に ただ、どうしようも無い時がある。
 そんな時は、じっと目を閉じ 内にある感情と向き合って。

 そして胸の苦しみに締め付けられ 涙を流す。


 二度と消えない過去に 後悔という名を馳せて…。



   子守唄

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 外は肌寒く、随分と冷え込んでいた。
 そのおかげか、闇夜には美しいと形容すべき満天の星が浮かんでいる。
 それぞれに何かしらの名称がある筈の星座を見つめながら、ルークははぁと息を吐いた。
 白い息は、すぐに消える。

 まだ白いんだ。

 そんな感想が浮かんだ。
 もう何時間も外にいるのに、暖かい息を吐いている。
 ベンチに座っている事すらもうわからなくなってきて、手も足も躰全てがもう殆ど感覚を失っているくらい冷たくなっているのに、心臓が動いている。

 いつ止まるんだろう。
 …どうして止まらないんだろう。

 あとどれくらいここにいれば、自分の命は尽きるのだろう。


 夢に見る、人々の死に顔は…とても冷たかった。
 ただただ冷たくて、そして恐怖だった。
 死してなお、生きたいと願うかのように。

 何故お前は生きているんだと、問いかけてくる。


「…知るかよ、んな事」


 死ぬ前に、やるべき事を全てやろうと思った。
 死にたくないと願いながら、けれどもいつしか死ぬ事は覚悟していた。

 存在の消去は、このレプリカの躰には必ず起こる事だと。


 けれど、今もこうして生きている。
 世界の瘴気が無くなり平和になって、人々が笑顔を見せるようになってから。

 消えたと思っていた命は、消えていなかった。



「知るかよ…」


 ルークはもう一度呟いた。
 やはり暖かな息が吐き出された事に、不快気に眉を寄せる。

 こうやって死のうとしているのだから、さっさと殺せば良いのに。
 それが望みなんだろう?

 だったら殺ってみせろよ。


 俺は逃げたりなんかしねぇから。



 さぁ、早く。




 ルークはそっと目を閉じた。
 感じる風は、まるで凍った氷に突き刺されたように、劈く痛みを与えてくる。

 静かな夜の中。
 目を閉じた先に見えたものは、闇。

 ああ、終焉が訪れるのなら…本当、早くしてほしい。
 この気持ちが、死を望んでいる今の内に。


「……」


 けれども、そう簡単には…死なないものなのかもしれない。



 耳に流れた、微かな音。
 扉の閉まる音。
 闇の中で聞こえたそれは、まるで死神の来訪を告げる、いざないのようで。


 生への最も優しい、道しるべ。




 だんだん大きくなってくる音に、ルークは目を開けた。
 ぼんやりとした焦点を、合わせようと試みる。
 しかしぶれたまま、殆ど何も見えていない状況で終わった。

 そっと、手に何かが触れる。
 少しだけ痛みを感じながらも、ゆっくりと両手全体が包まれる。

 暖かな、それ。


「…冷たいな」
「ずっと、いたから」
「そうか」


 小さな呟きに、ルークもただ小さく返した。
 震える声が情けなくて、ぎゅっと唇を噛み締めた。
 それに、痛いとは感じなかったけれど。


「んっ…」


 咎められるように唇を舐められ、キスをされた。
 中に入ってきた舌に、あったかさからだろうか、ふるりと躰が震える。


「ふ…ぅん、ん」


 口腔を弄られ、ぴちゃりと唾液の混ざる音は、本当に近くから聞こえてきて。
 先程から流れ始めていた涙が、またぶわりと溢れ出る。

 冷たい闇から優しい光へと…ふわふわとした心地良さに、攫われていく。

 優しい口付けは、やはり優しく離れていった。
 そのまま、冷たい躰を抱き締めてくれる。
 耳元で囁かれる言葉も、とてもあったかい。


「まだ、ここにいる気か?」
「…、涙が…止まらないんだ」


 ルークは目を開けたまま涙を流し、自嘲気味に、はは、と笑う。


「アッシュ…れ、俺っ…ぅ…ど、したら…いいかなぁ」
「…重いか」
「……重いよ。すげぇ重い。苦しいよ…つらいよ、気持ち悪ぃよ…っ」


 いくつもの命が圧し掛かって、心も躰も潰れそうになって。
 こうやって、死を選択したくなる。

 死ねたらどれだけ楽だろうか、自分に感情というものが無くなればどれ程軽くなるのだろうか、そういう事ばかり頭に浮かぶのに。


 いつも、死は訪れない。
 死ぬかもしれないと思う前に、こうやっていつもアッシュが迎えに来て、優しい抱擁をくれる。

 こんな愚かなレプリカを、生かしてくれる。


「アッシュ…俺っ…俺っ…生きてて、いい…?」


 知っている。
 必ず、彼は頷いてくれる事。
 なのに、何度も聞いてしまう。

 それがまた、苦しみを増すものだというのに。

 アッシュの重荷になってしまっているのではないかと思うのに。


「ああ、生きていろ。俺の為に」


 ぎゅっと強く抱き締められて、アッシュに包まれて、だんだん冷たい躰に血が巡っていく。
 ルークは戸惑いながら、それでも冷えた躰をどうにか動かし、アッシュの背中へと腕を回した。
 背中に流れる長い髪を、きゅっと掴む。


「アッシュ…寒い、寒いんだ。まだ、生きているんだ。俺……生きてる」
「お前は死なねぇよ。俺が死なせない」


 背中をさすられ、ルークは、ん、と頷いた。

 暖かな水面にぷかぷか浮かぶように、優しい浮遊感に襲われる。
 そのままそっと、ルークは目を閉じた。





 死は、開放。

 生は、絶望。



 生きる価値が自分にあるのかと問われた時。
 いくつもの屍の上にいる自分には、きっと肯定なんて出来無いけれど。




「ルーク…おやすみ」



 眠りへと誘われるその瞬間、囁かれた声は。

 とても優しくて。




 まるで、子守唄のように聞こえた…――――。


























「寝た、のか」
「ああ」


 何処からか聞こえてきた声に、アッシュは頷いた。
 それでも、視線は抱えているレプリカへと落としたまま。


「お前は覚えているか?初めて殺した人間の事を…その時の感情を」


 アッシュの腕の中で眠るルークは、あどけなく穏やかな顔をしていた。
 起こさないように静かに運び部屋の前に立つと、すっと出てきたガイが扉を開ける。
 彼の横を過ぎ部屋に入ろうとした瞬間、呟かれる言葉。


「…忘れたよ」


 その言葉に、アッシュは笑みを浮かべた。
 先程までアッシュが横になっていたベッドにルークを下ろし、すぐに毛布をかけてやる。
 冷たい手を握り、もう片方でルークの頬にかかっている髪を梳く。

 ガイは扉を閉め、薄暗い中、そのまま寄りかかってこちらを見ていた。


 初めて誰かを殺した時。
 己は、もしかしたら恐怖を感じていたかもしれない。

 それでも。


「そんなものを覚えていられる程…失われいく命を想えるほど。俺は、優しくなかった。あるのは、憎しみだけだった」
「俺だってそうだよ。そうしなければ生きていけなかった。誰かの事を顧みては、己の命が失われるんだ。誰かを殺そうとした時、自分もまた誰かに殺されるのだと覚悟しなければならない。死にたくなければ、剣を持つな。それが因果応報だろう」
「そして、慣れてしまった」


 人の、血に。


「皮肉なものだな。あれだけ殺しておいて、血を浴びて。なのに憎しみの対象だった筈のこいつを、今…俺は生かそうとしている」


 こんな事をガイに向かって言うのは卑怯かもしれない。
 ガイもまた、憎しみの対象であった筈の己を殺そうとはしなかった。

 ルークの躰はなかなか温まってくれないが、先程よりはだいぶ顔色も良くなってきているようだった。
 呼吸が、穏やかなものになってきている。
 頬を撫で、微かに開いた唇を撫で、確めるようにそっとキスを落とす。
 渇いている唇を舐めて、潤いを与えてやる。

 そしてまた頭を撫でてやれば、見ていたガイが苦笑した。


「お前は、残酷だな」


 そんな台詞に、アッシュは笑みを浮かべ、ガイの方を見た。
 挑戦的な目付きに、ガイはおや?と声を上げながら、楽しそうに眼を細める。


「お前こそ。俺が出て行かなかったら、お前が止めていただろうに」
「どうだろうな?俺は、アッシュがルークの心配をしていて、ずっと起きてたってわかってたしな」
「そういうのを同類って言うんだ」
「確かに」


 くっくっ、と咽を震わせて、ガイが笑う。
 アッシュがずっと起きていた事を知っているガイもまた、ずっと起きていたのだ。
 これが同類と言わずに、何と言うか。


「じゃあ、ルークも無事みたいだし、俺ももう寝るよ」
「ああ。…悪かったな」
「気にするなって。こっちは使用人だからな」
「よく言う」


 笑ったアッシュに、ガイもまた笑みを深くした。
 おやすみ、と言葉を交わしてガイは部屋から出て行く。

 シンと静まった部屋に、ルークの寝息が聞こえる。
 アッシュはルークの横に滑り込み、眠る躰をそっと抱き締めた。
 やはり、毛布とそこに残っていたアッシュの体温だけでは温まりきれていなく、まだ常温よりも冷たい。

 それでもアッシュの暖かな体温が横に来れば、ルークは自分の方から擦り寄ってきた。
 己の腕の中でごそごそと動くルークに笑みを浮かべつつ、しかしルークが動きを止めてまた安らかに寝息を立てた時。

 アッシュは苦渋にまみれた表情を浮かべた。


 死を望む者を生かす事が、良い事なのか。
 アッシュには判断が出来無い。

 ルークの根底に眠る思いは、アッシュには到底理解出来るものではなかった。
 知る事は出来ても、共感する事は出来無い。
 どれだけ自分達が完全同位体であり、互いの記憶を見た事があっても、結局それを行ったのはアッシュではないからだ。

 ただ、それでも生きていてほしいと願う。
 だがそれはアッシュの思いであって、ルークの為ではない。
 アッシュが、ルークに生きていてほしいと願うのだ。

 己の為に、生きていてほしいと。

 けれどももし非道で、こんな風に誰かを思い悲しみ死を望むルークで無かったとすれば、きっとアッシュがルークを殺していただろう。
 愛しいと、思える相手では無かっただろう。

 苦しんでほしくないと思いながら、生きながらえさせ苦しみを与え。
 苦しんでいなければ、きっと己が殺していた。

 そんな、矛盾。


 アッシュは眠るルークをぎゅっと抱き締め、己の胸元にある髪に顔をうずめた。
 少しずつ己と同じ体温へと戻るルークは、きっと朝にはまた笑っているのだろう。

 何事も、無かったかのように。



「お前は…優し過ぎるんだ、屑が」



 苦しげに囁かれた言葉は、誰にも聞かれる事は無かった。





  ...end.

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二人の憎しみは、ルークによって救われたんだろうなぁ、と書いたお話。
苦しむルークを、それぞれの方法によって見守ってあげていると良いなと思います。

2007.04.06
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