Bloody memory
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冷たい手だと、言われた事がある。
自分がまだオラクルに属していた頃、オラクル騎士団団長として、他の団長達と顔合わせをした事があった。
そこで初めて出会ったアリエッタに言われた言葉だ。
酷く冷たい手をしていると脅えられた。
自分は無言で彼女を見下ろした。
ただそれだけのつもりであったが、今度は冷たい眼だと言われ、もっと脅えられた。
否定はしなかった。
憎しみに染まった時から、この手はどんどんと血に塗れて冷たくなっていったのだ。
上に命令されるままに、裏でオラクルに反逆する者達を次々と虐殺していった。
それが自分の仕事だったという理由だけで、何の感慨も無く殺した。
…いつの間にか、そうなっていた。
無造作に生命を屠るこの手は、まるで血の通わぬ氷のようだ。
泣きながら「人殺し、化け物」と叫んだ少女や、恐怖に脅えながらも必死に娘を守ろうとする母親を見た事もある。
そしてそんな親子ですら、殺した。
きっと無機質のように、自分は命を奪っただろう。
あの時にはもう、『鮮血』と呼ばれていた。
それが数年前までの自分。
けれども今でも決して忘れぬ、血塗られた記憶。
「………」
アッシュは手を見た。
一見は変哲の無い普通の手だ。
しかし、冷たいと感じる。
今は春である。
しかも、気候が穏やかなバチカルだ。
街の所々には美しい花が飾られ、空を見上げれば穏やかな青がこれでもかと言うほどに澄み渡っている。
しかしにこの地に再び住むようになってから数年経った今でも、この手は冷たいまま。
屋敷のメイドと偶然手が触れてしまった時、あまりの冷たさに驚かれ、大丈夫かと妙に心配される。
過去のアッシュがどのような存在であったかを思い出して、脅える者もいる。
ファブレ家に仕える白光騎士団の中には、自分を敵視してくる者も当然の如くいる。
そんな時、自分は冷ややかな眼で相手を見ているのだろう。
彼らはあからさまにうろたえる姿を晒し、そそくさと逃げていくのだ。
屋敷での陰口を耳にした母上が、同情のような眼を向けてくるのにも、もう慣れた。
「…やはり、オレの手の冷たさは変わらないな」
だからこの心も未だに酷く血塗れで、冷たいままなのだ。
赤い血を見たところで何の感慨も浮かばない。
今まで殺してきた生命に対し、懺悔しようとも思えない。
弱者である事が悪いのだ。
だから殺される運命にあったと、ただそれだけ。
既に全身が無機質と化してしまっている。
でなければ、あれだけの罪を犯しているにもかかわらず、こうしてのうのうと生きていける筈がないのだ。
未だに、子供と擦れ違うだけで眼を逸らされる事も無いだろう。
「無垢な子供には、たとえ直接触れる事が無くとも…この手の冷たさを測る事画出来るのだろうな。それとも、この手に染み付いた血の匂いを嗅ぎ取るのか」
冷たい手を見下ろしながら、小さく自嘲する。
つい先程、そこで子供に脅えられてしまったばかりだった。
「アッシュ!」
いきなり名を呼ばれた。
自分が通ってきた道を振り返ると、こちらに走ってくるルークの姿が。
「ど」
どうした、と問い掛ける間も無く、手を掴まれた。
完全同位体でありながら、自分よりもずっと暖かい手でぎゅっと握られる。
ルークのぬくもりが伝わってくる。
「相変わらず冷てぇの」
ニッと笑うと、走ってきたせいか紅潮して熱くなっている頬に、この手を宛てられた。
もう片方の手も同じようにして掴まれ、逆の頬に添えられる。
そして自分の手の甲を包むように、ルークの手が包み込んでくる。
氷を溶かされ、生命が宿るようだった。
血が、洗われるよう。
一体どうしてルークがこんな事をしてくるのか、わからなかった。
しかも街中だ。
人通りが少ないにせよ、周りから見られているというのに全く気にもしていない。
むしろ現状を楽しむかのような微笑みだ。
疑問に思いながらも暫くルークの好きにさせていると。
「ぁ、あの」
これまたふいに声を掛けられ、アッシュは両手を塞がれたまま、声のした方を見た。
そこにいたのは、先程擦れ違った少女だった。
自分から顔を逸らした子供である。
訝しげに見下ろすも、今度は眼を逸らされなかった。
むしろ、強く見つめられる。
その顔が、ほんのりと赤い。
「アッシュ様…これ、これ、受け取ってください!」
小さいながらもしっかりとした口調で差し出されたのは、少女の手に似合った小さなブーケだった。
先程は持っていなかった覚えがあるから、今しがた買ってきたのか。
柔らかい色の小さな花達が、自分に向けられている。
「俺に、なのか?」
ルークにではなくて?
疑問に感じた事を率直に口にすれば、少女はこくりと頷いた。
そしてルークを、その大きな眼でじとっと睨む。
ルークは溜め息を吐きながら、この手を離した。
「受け取ってやれよ、アッシュ」
「……ああ」
内心戸惑いながらも、アッシュは無表情のまま少女に差し出されているブーケへと手を伸ばした。
自分の冷たい手が、少女の手と触れる。
少女は、驚いたりも脅えたりもしなかった。
「これからも頑張って下さい、英雄様。応援しています」
ブーケを受け取ると、少し緊張気味に、それでもはきはきとした口調で告げられる。
アッシュはその言葉に、笑みを浮かべた。
「ありがとう」
脅えられていたと思っていたのに、まさかこうして可愛らしいブーケを手渡されるとは。
少女は顔を真っ赤にしながらも頭を下げ、キャーと言いながら走っていってしまった。
その足の速さに、ついついまた笑んでしまう。
「はぁ…女の子っていうのは、アッシュみたいにクールな奴が好きなんだよなぁ。牽制したつもりだったけど、声掛けてくる度胸もあるしよ」
隣に立っていたルークは、いかにも不機嫌ですという雰囲気を隠そうともせず、愚痴を零した。
「大体アッシュは大人っぽ過ぎるんだよ。ここ最近になって、更にモテるようになっちまうし」
「俺が、モテる?」
何の事だと、アッシュはルークに視線を戻した。
そんな恨みがましく言われても、さっぱりわからない。
大体、自分達の今の年齢を忘れているのだろうか。
大人っぽいのではなくて、大人ではないか。
「アッシュって他人からの好意に鈍いからなぁ。さっきも、すげぇ悩んでただろ。自虐しまくってたよな」
「届いていたのか」
「完全同位体だからな。筒抜け」
思わず苦笑が浮かんでしまった。
こういう時、完全同位体であるのは少々不便だ。
思っていた事がすぐに伝わってしまう。
でもだからこそ、屋敷にいた筈のルークが自分の元にまで走ってきたのだろう。
己を、慰めるつもりで。
そしてあの少女と擦れ違い、公衆の面前であのような行動に出た。
その理由が牽制だというのには、少々心配しすぎではないかという気もするが。
自分は、残念ながらルークが思うほどに、好意を持たれる人間ではない。
ルークがムッとしてこちらを睨んできた。
またもや伝わってしまったらしく、不機嫌丸出しだ。
「だから鈍いっての。教えてやるよ、屋敷のみんながアッシュをどう思っているか。そんでもって、その考えを改め直せ」
「…わかった。お前の言う事に、偽りは無いからな」
きちんと聞く態度を取れば、ルークは少しだけ機嫌が良くなったようだ。
彼らしい楽しげな笑みが浮かべられる。
「メイド達はいつも、お前を見て素敵だと溜め息を漏らすんだよ。手が冷たくて心配されるのは、純粋な好意から。触れた途端に手を引っ込めるのはビックリしただけで、顔を背けられるのは照れてるからだ。騎士団の連中がアッシュをじっと見てくるのは、アッシュの強さに惚れ込んでいるから」
「そうなのか?」
「そうそう。ちなみに母上が同情しているのは、アッシュじゃなくて俺にだよ。この前だって言われたぜ? アッシュが好かれると、ルークは気が気じゃないですわねぇってさ。母上の言う通りだっつの。もうちょっと自覚して、誰彼構わず微笑むのを止めてくれ」
「それは、お前だろ」
「俺は良いの、アッシュほどモテないから」
なんて理不尽な。
と思えば、理不尽じゃヌェーよと脳から聞こえてくる。
微笑んでいるつもりは無かったと返すと、だから自覚が足りないって言ってんだと呆れられる。
「剣が強くて術も使えて、デスクワークも話術も得意、公衆の面前に立ったら王族らしい燐とした態度。そりゃ誰だって憧れるだろ。しかも自分は冷たい人間だって思っているのが、たち悪い。アッシュが普段はあまり喋らないのって、そこから来てるだろ? そのせいでクールだって言われてんの。挙句に歳を取るにつれてどんどんと大人っぽく…というか、男の艶やかさってのが増すもんだから、あんな女の子ですら引っ掛かっちまう。ここまでくると、好意に鈍感なのはむしろ救いだな」
「もう良い。わかった」
アッシュはまだまだ続きそうな自分への褒め言葉を止めさせて、小さく息を吐いた。
自分が勘違いしていた事は、よくわかった。
そしてルークがとてつもなく自分を好いている事も。
……改めて、思い知った。
「全く、お前は」
アッシュはルークを見つめたまま、苦笑を浮かべた。
先程までの自虐的な感情は何処にも残っていなかった。
むしろ、心がとてつもなく暖かい。
それは、自分に向けられる感情が好意だと知ったからではなかった。
自分が昔とは随分変わったのだと、理解したから。
血塗られた記憶も、冷たい手も、昔と変わらずそのままであるけれども。
だがそれでも、自分は変わっていた。
アッシュはルークの手を握った。
両手で、両手をそれぞれに合わせる。
当然の如く、持っていたブーケは地面にぱさりと落ちた。
しかしいっさい眼を向けず、ただじっと、間近にあるルークの双眸を見つめる。
ルークもこちらを見返してくる。
街道を通る人間達は、道の真ん中で話している自分達をあまり気に留めず、ゆっくりと歩いているように思える。
「この手を握れるのは、お前だけだ。俺が変わったとすれば、お前がいるから。―――お前が、この冷たい手を暖めてくれるから」
甘い囁きを送った。
そうすればルークは綺麗な笑みを浮かべて、手を強く握り返してきた。
じわり、じわりと。
優しいぬくもりが伝わってくる。
湧き上がる愛しき想いが、血塗られた記憶を、凌駕する。
...end.
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データを整理していたら出てきたので、アップ。
とにかくアッシュを格好良くしたかった記憶があります。
2010.10.03
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