雨音に抱かれて
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緑溢れるこの季節。
けれどまだ夕方には遠い時間だというのに空は薄暗く、気分が憂鬱になりそうな程、土砂降りの雨が降り続いていた。
もう三日は止んでいないように思う。
しかしこんな雨だからといって、誰も彼もが憂鬱になるわけでは無い。
むしろ雨の中を子供のようにはしゃぎ、水遊びでもするかのように笑顔で空を見上げている姿を、自室の扉を開けたとたんに見てしまったアッシュは思わず盛大な溜め息を吐き出した。
低気圧だけなせいではなく、頭痛がするのは気のせいか。
「何を…やってんだ、この屑が!!」
「あ、アッシュー!」
中庭で何をしていたのかは知らないが、叫んだアッシュに気付いたルークは、嬉しそうに手を大きく振ってきた。
その左手には、木刀が。
もしかしなくても、この土砂降りの中で稽古をしていたらしい。
「早くこっち来い!」
「ええー?雨、気持ち良いぞー!!」
ザーザーと煩い程に鳴る雨の中、こっちに向かって叫ぶルーク。
確かにそんな中でも運動をしていたのなら、気持ちが良いのかもしれない。
しかし、服も髪も肌も全部びしょ濡れで、よくもまぁあんなにはしゃいでいられるものだ。
一体どれくらいこの中庭で稽古をしていたのか、と考えると、アッシュが自室に入り書類を見始めたすぐ後にルークは部屋から出て行き、そしてアッシュが部屋にいた三時間は全くルークの入ってくる気配が無かったのだから、まぁ三時間はこの雨に打たれている事になる。
何かに没頭し始めると、止められなくなるのは互いに同じらしい。
メイド達も、まさかこんな雨の中でルークが稽古をしているなどとは思わなかったのだろう。
雨が降り続いているという理由で、屋敷のカーテンが殆ど閉められているのだ。
大体、普通こんな雨の中を見つけていたら、誰だって止めている。
これでは、後で「お兄ちゃんなのだから」と言いながら母上に怒られるのは、己ではないか。
自分達の年齢を考えればかなり可笑しな構図なのだが、それでも母からすれば自分達はずっと子供のままなのだから仕方無い。
風邪を引かれたら尚更だ。
眉に皺をぐっさりと寄せたまま、アッシュもテラスから雨の中を思い切り叫ぶ。
「いいから来い!!風邪引くぞ!!」
「ええー…」
と、文句を言いたそうな顔をして、多分「なんだよ全く」とかそんな言葉を言いながらも、ルークはアッシュの元へと来た。
濡れて冷え切った腕を引っ掴み、部屋の中へと引っ張っていく。
そういえば、少し休もうかとして椅子から立ったのだと今更に思い出した。
しかし部屋を出た理由は、ルークがどこへ行ったのか気になったからであったのだから、扉を開けていきなり見つけた事については、むしろ運が良いと表現すべきなのかもしれない。
部屋に入ったとたんルークが、へぶしっ、と豪快にくしゃみをする。
うー、と情けない声を出しながら、ふるりと肩を震わせた。
よく見ると唇やら爪やらが紫に変色している。
「ほら、言わんこっちゃ無い」
「だ、だってさぁ」
「とにかく、早く全部脱げ。風邪を引くぞ」
「…わかった」
ルークがしぶしぶと頷き服を脱ぐ間に、アッシュは部屋に付けられている風呂場に行き、バスタオルを何枚も引っ掴む。
そして、裸になって寒ぃ寒ぃと言いながらがたがた震えているルークに渡す。
「あー、…サンキュ」
「早く拭け。全く世話のかかる。なんでこんなになるまで外にいるんだ」
「だってよぉ、ここのところ仕事ばっかでさ。久しぶりに稽古したかったんだよ」
「だからといって何時間も外にいるな、屑が」
ルークが自分の躰を拭いている間に、アッシュもルークの長い髪から滴る水を拭きながら、悪態を吐く。
さっさと拭き終わったのか、ルークはまだ使っていないバスタオルを肩から掛け、寒さを凌ぐように身を包む。
だがやはり小刻みに震えていた。
「風呂に入るか」
「や、いいや」
「せめてベッドに入れ。本気で風邪を引く」
アッシュの提案に、ルークは素直に従った。
裸のままであったが、毛布に身を包んみ横になったルークは、瞬間ほわりと笑顔を浮かべた。
「あったけー。柔らけー。ふかふかー」
「あれだけの豪雨に打たれれば、そう感じるだろうな」
しかも、いつも自分達が朝食を食べている間にはもう、メイド達はベッドメイキングをしてしまっているので、綺麗になっているのだ。
気持ち良いー、とベッドに頬をなすり付けているルークを見て、アッシュはやれやれと息を吐いた。
手持ち無沙汰になり、やる事も今は特に無かったからという理由の、気まぐれだったのだろう。
鏡の前に置いてあった櫛を取り、ルークの頭上辺りに腰を下ろし、まだ湿っている長い髪を腕に掛けるようにして持ち上げ、梳かしていく。
雨の音は先程から全く弱まりはしない。
ほんの少しだけ…そう、少しだけ不思議な感覚に陥る。
まるで外界から遮断されたような、この二人の部屋が世界の全てであるような。
小さな、小さな世界だ。
「俺、昔は雨が嫌いだったんだ」
唐突に言い出したルークに、アッシュは怪訝な顔をしてルークを見下ろした。
あれだけ外で騒いでおいて、何を言っているのだろうかと疑問が浮かぶ。
「アッシュ。今、小さな世界だなって思ったろ」
「伝わっていたのか」
この屋敷にアッシュが帰って来てからというものの、意識してフォンスロットを開こうとしなくとも、お互いの思う事が時々聞こえてくる。
頭痛も何も無く、本当にただ意識が繋がって聞こえるだけなのだ。
ルークは頷き、苦笑した。
「俺もそうだ。…小さな世界だと思っていた。ずっとずっと、雨が降るたびに……独りだと感じた」
独りきりの世界だった。
自分が何なのかもわからない、父上や母上やガイも、一体自分にとって何なのかわからない。
まだ、歩く事も出来なくて。
ただ…ベッドにくるまって雨音を聞いて。
……怖い、と思った。
流れてくる意識に、アッシュは眉を寄せた。
知っている…その情景を記憶として受け取っている。
ローレライによって構築されている過程で、ルークの記憶を一度受け取っていたのだから、その恐怖を何となく察する事は出来る。
「でも、雨の日でも外に出られるようになってからは、好きだったな」
「中庭で遊んで、ガイに怒られて…か?」
「そうそう、誰かが心配してくれるのが嬉しかったんだよ」
「ガキだな」
失笑してやると、ルークはうるせぇ、とアッシュを睨んできた。
半分テレ隠しであろう、頬がほんのりと赤くなっている。
しかし眼を伏せたそのとたんに、また憂いを帯びた笑みへと変わっていた。
「あれから色々あって。雨が、その下にいる限りは平等に濡らしてくれるんだと思ってからは…本当に、好きになった。時々、空を見上げながらそういう事を考える」
なるほど、それで先程は、あんな笑顔で空を見上げていたのか。
だいぶ乾いてきた髪をさらりとベッドに落とすと、白いシーツに綺麗に広がった。
櫛を置く為、一度ベッドから立ち上がる。
振り向いた時には、己を見るルークと眼が合った。
小さな、小さな世界だ。
お前がここにいたくなくて、外に出たのもわかる……一度味わった恐怖は、そう簡単には拭えない。
だが俺からすれば、とても心地の良い世界だ。
雨を聞くたび、その音が大きければ大きい程…周りの全てが消えて無くなっていく感覚。
たった二人きりの、ルーク、お前とだけの世界だ。
「そう…だったな。今はアッシュがいたんだよな。二人なんだよな」
「お前は外を見過ぎるからな。たまには内に篭るのも良いだろ」
嬉しそうに笑ったルークに、アッシュは肩を竦めてみせた。
ルークが毛布から腕を出し、アッシュの方へと両手を伸ばす。
アッシュはその手を取り、横になっているルークの上へと乗ると、その裸体を抱き締めてやった。
先程まで冷え切っていた躰は、暖かくなっている。
風邪は引かなくて大丈夫そうだな、とほっと溜め息を吐いた時、耳元でルークがにやりと笑った。
「なぁアッシュ。もしかして、嫉妬してたりするのか?本当は、俺を独占したいと思ったりとか」
「…っ!!」
「やっぱり、図星なのか。へへ…すげぇ嬉しいな」
顔を赤くしたアッシュに、ルークは本当に嬉しそうに笑った。
そんな顔をされれば、文句の一つを言う気も失せる。
ルークの腕が、アッシュの背中へと回る。
促されるようにアッシュもまた、ルークをより強く抱き締めた。
「雨、止まないな」
「…ああ」
「今、アッシュと俺だけなんだよな。この世界にさ、二人だけなんだ?」
「……ああ」
「アッシュは俺だけを見てくれるんだ。俺も、アッシュだけを見て」
雨の音がする。
心地良い音に抱かれている。
愛しい者と共にいるだけで、こんな憂鬱になりそうな雨でも、簡単に好きなものへと変わってくれる。
こんなにも、
「なぁ…」
愛しくて。
「「…セックス、してぇな」」
そう重なった声に、二人して笑った。
...end.
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ツンデレだけど男前なアッシュと、天然だけど男前なルーク。
夕方前から盛る赤毛。
2006.11.19
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