聖夜の贈り物

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 街の空が赤く染まり、だんだん夜に包まれていく中、クリフは静かな歩調で歩いていた。
 漏れる空気は白く、外気に触れている耳や頬が痛く感じ、そんな寒さから逃れるように黒のロングコートのポケットに手を突っ込む。

 この星に初めて来てから、だいぶ日が経っていた。
 その間いろいろな事があったが、まだ全てが終わったわけではない。
 それでもこうやって時折のんびりと過ごす事は、仲間達にとってプラスとなるだろう。

 角を曲がり、広い街道に出ると、そこにはいくつもの光が浮かび上がっていた。
 建物に付けられているランプの光。
 街を歩く人々が持っているランタンの光。
 街路に並ぶ街灯の光。

 電気の無いこの星でも、夜はこんなにも明るい。
 人々達の様子もまた、いつもより明るく見えた。

 そう、今日は聖夜。
 聖アペリスの誕生祭。

 夜なのにこれほどの人が外を出歩いているのも、今日が特別な日だからだ。
 そして街の中央に聳え立っているツリーを眺める為か、多くの人達がそちらに向かっている。

 遠くに見えるツリーに僅かに眼をくれつつも、クリフは一つのドアを開けた。


「いらっしゃいませ」


 カウンターにいる女性が、にこやかに声をかけてくる。
 店内はゆったりとした雰囲気に包まれ、多くのぬいぐるみや小物、アンティークが置かれていた。
 一度ぐるりと店内をまわり、そして一つのぬいぐるみを手に取る。

 首元にピンクのリボンのしてある、茶色いクマのぬいぐるみ。
 それをカウンターに持っていく。


「包みますか?」
「ああ、よろしく頼むわ」


 女性はプレゼント用の包装紙で器用にぬいぐるみを包み、金色のリボンをつけてくれた。
 料金を払い、その包みを受け取る。


「ありがとうございました」


 店員の明るい声を背に、外に出て空を見上げた。
 もう完全に闇に染まった空。
 それと同時に、街の光が先程よりも強い力を放っている。

 ぬいぐるみを右手に抱え、街の中央にあるツリーの方に足を進めた。
 見上げる程に大きなモミの木に、色とりどりのリボンと、金色の丸い球がいくつも付けられている。


 …思い出す、記憶。


 クリフは、ふとツリーを囲んでいる人々の中に、見慣れた姿を認めて淡く微笑んだ。
 二人はツリーを見ながら、楽しそうに話している。
 この世界の住人ではない恋人達も、この星に地球に似た聖夜があると知って、今日という日を前々から待ちわびていた。

 自分も、少しはこの日を待ち望んでいたのだろうか。
 わからない。
 けれども確かな事は、それ以上に…。

 クリフは自嘲気味に笑った。
 視線から外し、すぐそこの目的の場所に行く。
 この街で一番大きな建物、そして、最も神聖とされる場所。

 教会だ。

 神に祈る為に存在するその場所は、自分には全くと言っていいほど似合わない。
 けれど、この日だけは必ず神の像を見てきた。
 あの時から今まで、ずっとこの日だけは神の前に座っていた。

 扉をゆっくりと開けて中に入ると、ポツリポツリと座っている人達を見渡し、開いている席に座る。
 背凭れに寄りかかりながら、膝の上で手を握るように合わせ、そして目を閉じた。

 別に神を信じているわけじゃない。
 この星はともかく、自分の星では空想でしかない存在。
 それを信じるなど出来無い事だ。
 信じたところで、現実は何一つとて変わるわけは無いと知っているから。

 多くの血を奪ってきた罪を、許してほしいわけでもない。
 そんな事は滑稽でしかないのだ。
 今まで犯してきたものは決して消える事なく、何よりも自分自身がずっと覚えているのだから。

 ただ、届けばいい。

 天国という、あるかどうかもわからない場所に、最も近いとされる場所で。
 誰かの命を奪いながらも、生きていく事しか出来無いこの思いが。
 血を流しながら、いつか朽ちていく事しか出来無いこの想いが。

 この手によって奪われてきた、彼の者達の命に。


 届けばいい。



 ――――安らかな、眠りに包まれん事を。







 教会から出ると、手に持っていた包装紙を丁寧に開け、出したぬいぐるみを扉の脇に置いた。
 そして残った包装紙とリボンをコートの中に突っ込んでいると、ふと掛けられる声。


「貴様が教会とはな。気でも狂ったか?」
「……ああ、そうだな。俺は狂ってるんだろうな。…初めから」


 いきなり掛けられた声に驚く事もなく、クリフは笑った。
 いつもとは違う、静かな口調で。


「…おい?」


 声を掛けてきたアルベルは、ぐっさりと眉間に皺を寄せた。
 こちらの態度に、違和感を覚えたのだろう。
 いつもは挑戦的な口調で返すのだから、当然の反応か。


「どうした?俺に用があるんだろ?」
「いや、その……ツリーをだな」
「うん?」


 困惑するアルベルを促すと、彼ははすぐ近くにあるツリーをちらりと見た。
 それから何か言いたそうに口を開き、しかし結局何も言わぬまま閉ざされる。
 そしてまたツリーの方へと目を向ける。

 ああ、なるほど。
 一緒に眺めたいという事か。

 納得したクリフは、相変わらず仏頂面しているアルベルに苦笑しながらも、その細い腕を引き寄せた。
 いきなりの事にアルベルは顔を赤くするが、抵抗しなかったので、元々こうされる事を望んでいたのだろう。
 素直じゃない恋人に、思わず笑ってしまう。


「じゃあ、一緒にツリーでも見るか」
「……。ふ…ん。仕方無い。貴様がそう言うなら同行してやる」


 そう言うと、アルベルは腕から逃れ、さっさと一人ツリーのよく見える方に歩いていってしまった。
 顔は凄く嬉しそうにしているというのに、全く素直じゃない。
 まぁ、そこが気に入っているんだが。


「おい、早くしろ!!」
「わかったよ」


 すでにツリーを囲んでいる人だかりの中にいるアルベルに呼ばれ、クリフはその隣に立った。
 間近で見上げる木は、とても美しかった。


「綺麗なもんだな」
「ああ」


 教会に入る前にはまだ飾られていなかった、蝋燭の火がいくつも灯っていて。
 幻想な世界にいざなうように、ゆらゆらと揺れている。
 それらが、飾られている金色の玉を橙色に染め、ツリー全体が不思議な色合いの輝きを放つ。


「そろそろだよね」
「楽しみ〜」


 近くにいた少女達の囁き声に、クリフは疑問を持った。


「おいアルベル。何かやるのか?」
「何かって…この日に、ツリーの前でやる事と言ったら決まっているだろうが」
「いや、俺にはわからないんだが」


 聞くとアルベルは驚いて、こちらの顔を見上げてきた。


「本当に…知らねぇのか?……だから、時間が迫ってもあんな場所にいたのか。世界が違うけどクリスマスっていうのがあるって話だったから、てっきりやる事は一緒だと思ってたんだが」
「なんだかわかんねぇけど、これから何かやるって事か」
「……見ていればわかる」


 それだけを告げてきた。

 何がこれから始まるかはわからなかったが、多分その催しがこの世界では一般な事なのだろう。
 あの強さにしか執着しないようなアルベルでさえ、これから始まる事は楽しみなようだ。

 それから数分後。

 三人ほどの子供が火の端末を持ってツリーの前に出てきた。
 その端末を一緒に支えてくれる親と共に、ゆっくりとツリーに近づけ。

 途端に燃え上がる、炎。


 ―――脳裏に浮かぶ、光景。



 赤い。

 赤い。



 赤い。







 ふと、泣き声がした。

 ……こ、ども?

 クリフは走るのを止め、あたりを見回した。
 あちこちから爆発音が鳴り、建物が壊れていく。

 ここ、か?

 すぐ目の前にあった家の扉。
 かろうじてまだ無事であったその扉を、こじ開けてみる。

 そこには小さな子供がいた。
 五歳くらいの少女が、しゃがみこんで泣いている。
 その少女は扉にいるクリフを見つけ、必死に手を伸ばしてきた。

 ここは戦場だ。
 しかも敵である星の。

 だがこの子には、何の罪も無い。
 だから、助けられるのなら助けてやりたかった。
 たとえ親がいなくても、自分のように必死になって生きていけばいい、そう思ったから。

 クリフは部屋の中に入り、その少女に近づいた。
 ほっとしたように少女が立ち上がる。

 だが。


「っ…!」


 ドォン!と凄まじい爆発音と共に、目の前が一瞬にして吹き飛んだ。
 眼を開けた時には、少女の手が瓦礫の下からほんの少し見えるだけ。

 そして足元にまで広がってくる、赤。


 真っ赤に染まった視界。
 燃える、ツリー。

 足元に飛び散った、少女の赤い…血。


「おい、任務は終了した。早く撤退しろ!」


 最後に確認に来たリーダーの声に、クリフは我に返る。


「了解」


 冷静に返事をしたが、ふと視界に映ったものに、もう一度だけ振り返った。

 爆風で転がってきた、くまのぬいぐるみ。
 少女のもらったプレゼントなのだろう。
 爆風で少しだけ痛んでいるけれど、それはまだ真新しくて。

 そのぬいぐるみを抱え、部屋を出た。

 瞬く間にして、後ろから爆発が起こる。


 走った。

 とにかく走った。


 もう、時を戻る事は出来無い。


 少女の命は、もう戻らない。







「…アルベル?」


 いきなり手を引っ張られ、アルベルはいまだ燃え上がるツリーから離れようとする。


「おい、アルベル?どうしたよ」
「煩い!黙ってついて来い!!」


 怒ったような彼の様子に訝しげに思いながらも、されるがままに後をついていく。

 ぐいぐいと引っ張られて、歩いて、しばらくして着いた先は、自分達が今夜泊まる予定の宿屋だった。
 部屋に入り、扉を閉める。
 先に中に入ったアルベルは、こちらを射殺さんばかりに睨んでくるだけ。

 …流石に、わからない。

 わからなかったので、とりあえず暖炉に火を付けようかとした。
 しかし、またしても腕を思いっきり引っ張られる。


「どうしたよ。言ってくれなきゃ、わかんないんだぜ?」
「……貴様の、その笑いが気に入らない!」
「おいおい。ひでぇな、それ」


 そう言って笑ったら、アルベルは余計に憤慨した。
 ガッと、いきなり襟首を掴まれ、殴るつもりなのかと考えてみたのだが。


「アルベル…?」


 瞼に暖かいものが触れてきただけであった。
 ただ、何度も、何度も。

 触れるだけのキスが落ちてくる。


「アルベル」


 クリフは目の前にあるアルベルの腰に腕を回した。
 引き寄せ、それでも止まないキスの雨。
 ぎこちない、けれど一生懸命な彼に、クリフは次第に目を閉じる。


「…貴様は、どうして」
「ん?」
「どうしてあんな泣きそうに、クリスマスツリーを見ていたんだ」


 悔しそうに唸る彼の方がむしろ泣きそうな声をしていて、クリフは僅かに眼を見開いた。
 すると本当に泣きそうな顔が。


「俺には、何もわからねぇんだよ。なのに、隣であんな顔するんじゃねぇ。しんきくせぇ顔しやがってっ、今度そんな顔したら、殺、んっ…!?」


 物騒な言葉を口にしようとした途端、クリフはその唇を塞いでいた。
 ほとんど反射的と言って良い。

 口腔を犯し、涙が滲むほど苦しそうにされても、腰に腕を回して決して逃がさなかった。

 舌を絡め、混ざってどちらともつかない唾液を押し込み。
 飲みきれなかったものが、彼の顎を伝い落ちていく。


「…はっ……。…うぐっ!」


 唇を離し、その途端にやはり逃げようとする躰をベッドに仰向けに押し付ける。
 アルベルは少し咽たが、その間にも彼の着ていたコートの隙間に手を入れる。


「んっ、……くそ、…ぅ…おいテメェ、んん」


 卑怯だと思いながらも、彼の思考を快楽で落としていく。
 躰中に手を這わし、唇に、おでこに、いくつものキスを落としていく。

 すると次第に諦めたように、アルベルは躰の力を抜いていった。










 隣で眠る躰を自分の方に引き寄せ、抱きしめる。

 ぼろぼろになるまで、何度もその胎内を突いた。
 縋りついて自分の名前を呼ばせるように。

 何度も。
 何度も。

 自分を求めさせた。


「う、……?」


 腕の中にいるアルベルが身じろぎをした。
 閉じていた瞼を、ゆっくりと開け、そしてコチラを見てくる。


「テメェ…」
「悪ぃ。大丈夫か?」
「…くそ痛ぇ」


 アルベルは顔を歪め、唸った。
 もぞもぞと腕の中で動き、彼から躰をぴったりと付けてくる。


「…おい」
「ん?」
「話。まだ終わってねぇぞ」
「………答えて欲しいのか?」
「そ、れは」


 アルベルはぐっと押し黙り、クリフは、そんな彼の反応を静かに見つめた。

 他者の過去を知ろうとする、それはその他者との過去や思い出を暴く事だ。
 それだけの覚悟が、あるのか。

 俺の事を本当に理解しようと、お前は思うか?
 そうじゃないと、言っても無駄だろうから。

 彼はしばらく黙ったままだったが、やがて見上げ、挑むように睨みつけた。


「聞いてやる。貴様が、答えるならば」
「……わかった。ちょっと待ってろ」


 クリフはアルベルの腰から腕を離し、ベッドから降りた。















「これ…は?」


 クリフが部屋の端に置いてあった荷物の中を探り、出してきたもの。
 それを受け取ったアルベルは、初めは何の冗談かと眉を寄せた。


「くまのぬいぐるみ?なんだって、こんなもん」


 バカにしたような言葉は、そこで止まる。

 古ぼけたそれは、もう何十年も経ったように色褪せている。
 けれど大切に保管してきたのか、痛んでいるところはほとんど無い。

 何故だ。
 見ていると。

 何故なんだろうか。


 胸が、痛ぇ。


「……なんで、お前が泣くんだよ」
「くそ、…し、るか。…俺が聞きたいくらいだ」


 ぬいぐるみを抱きしめ、アルベルはぼろぼろと泣いた。
 涙が止まらない。
 このぬいぐるみを見ていると、哀しくて、苦しくて。
 こんなにも、つらい。

 クリフは自分の隣に座った。
 そして、頭を撫でてくる。

 ガキ扱いすんなと怒鳴りたかったけれど、涙が止まらなかった。


「チクショウ…なんだよこれ。なんで、こんな」
「……もう、二十五年くらい前になるかな。今日と同じクリスマスという日…初めて、俺が人を殺した日だ。目の前で罪もない少女が、死んだ。自分達の仕掛けた爆弾で、小さな体を吹っ飛ばされて、粉々になって。これは、その少女のものさ」
「今日の、教会に、いたのも…」
「困った事に、俺はあの瞬間の少女の顔を忘れられないのさ。亡霊に取り付かれたようにな。それに俺のやっている仕事は、お前らのところのように人と人が対峙するわけじゃねぇ。基本、相手を殺す時には、戦艦一個を丸ごと潰す。だから、人を殺したという実感がほとんど無ぇんだ。でもな、多分そうやって死んでいった奴等は、あの少女のような表情をしながら、死んでいくんだろうよ」
「だが、それは…っ」
「ま、仕方無いのかもしれない。だが人を殺した実感が無ぇのは確かだ。そんな俺には、きっと哀しむ事なんて許されちゃいない」


 彼は笑った。
 それこそ今まで見た事のないくらい、哀しそうに。

 それでも、こうやって話してくれた事は、俺を認めてくれているのだろう。
 こいつが、俺にならすべてを教えてもいい相手だと。

 そうやって、俺を求めるならば。


 アルベルは、床に落ちているコートを拾いポケットの中を探った。

 出したものは。
 小さな石。

 自分の瞳と同じ色の、深紅。


「これ。貴様にやる」
「もしかして、プレゼントか?」
「……ああ。聖夜だから」
「あ〜、悪い。俺用意してねぇわ」


 申し訳なさそうに謝ってくる言葉に、アルベルは首を振る。


「良い。これもらう」


 これと言って、古ぼけたぬいぐるみを揺らす。
 面食らったクリフは、一瞬呆けたあと、慌てて聞き返してきた。


「でも、それは」
「ああ?駄目だってのか?」
「いや、そういうわけじゃねぇが。そんなもん貰っても、お前が喜ぶとは思わねぇんだけど」


 どう考えたって、女子供の欲しがるようなもので、しかもすごく古い。
 けれども、これが良かった。

 いつか。
 いつか彼が自分で納得する、哀しむべき資格を手に入れて。
 泣く事が出来る時まで。

 それまで、持っていたい。


 何を思ったのか、くしゃりとクリフは自分の髪の毛を掻き。


「はは。お前って、やっぱサイコーだわ」


 笑いながら、思いっ切り抱き締めてきた。





  ...end.


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クリフにある、ちょっとした影みたいなものが書けていれば良いなと。

2011.02.03
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