たとえばこの躰に、流れるものがあるのだとすれば…。




   紅い涙

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 人通りの多く、それでいてゆったりとした雰囲気を醸し出す街道を歩きながら、面々は街の外へと出て行く。
 珍しく一番先頭を歩いているのはネルだった。


「ほら、こっちだよ」


 夕暮れ時、空は橙色に色付き徐々に赤さを増していく。
 太陽が西へ西へと進み、東の空は、もう闇に包まれようとしていた。
 こうして一度宿の部屋を取った後、また全員で外に出てきているのにはもちろん理由があった。

 今日はこの星で、死者がこの世に帰ってくると言われている日。

 当たり前だが死者が生き返る筈は無く、この星の風習の一つと言ってしまえばそれまでだ。
 だが、街の方でもこれから何か催しがあるらしい。
 この日ならではの夜の出店や打ち上げ花火まであると言うのだから、地球で言う祭りというものとたいして変わらない。
 仲間達も皆、今から楽しみにしているようだ。

 ただ、それまでに少し時間があるからと、こうして外に出てきていた。
 ネル曰く、見せたいものがあると。

 クリフは最後尾から、仲間達の和気藹々と話す後姿をぼんやりと見つめていたが、ふと立ち止まり自分を振り返ってきた女性に首を傾げる。


「どうしたんだ?ミラージュ」
「いいえ、何も。貴方こそ、今日はぼんやりしていますね」


 何か気になる事でも?と笑顔で聞かれ、確かに今日の自分は、いつもよりも無口になってしまっているのかもしれないと苦笑した。

 くだらない事を考えていた。
 もし死者が本当に蘇ったのなら、どう感じるだろうかとか、もしそう出来る状況の時、己は死者を蘇えらせる事を望むだろうか、とか。

 しかしそんな状況になってしまったら、この世の誰もが、誰かを亡くしてしまう悲しみを知らなくなる。
 死という概念への考え方がきっと変わってしまう。

 わかっているし、そもそも死者が蘇るなんて事は未来永劫有り得無い事だとも重々承知しているわけで。
 どれだけ人を殺す兵器が生まれても、死者を生き返らせる事は、現在の科学ですら出来ない。

 だからこそ、くだらない事と評した。


「いや、たださ……大切な人間が死ぬってどういう気持ちになるんだろうな、って思ってよ」


 旅をして、仲間達のそれぞれに大切な人が居た事を知った。
 父親だったり娘だったり、友人だったり。

 自分にも友人はいるし、目の前にいる彼等が死んでしまった時にはきっと悲しみを知るだろう。
 けれども彼等はまだ死んでいない。

 自分の両親は確かに死んだのだが……いや、元から居なかったようなものだ。
 彼等を思って泣いた事など、記憶の欠片も無い。過去の自分は、だいぶ冷めた子供だったと、前にいる仲間達を見ると実感する。
 それにきっと、大切な者が死んでしまっても、この眼から涙は流れないだろう…そう思う。


「お前は、誰かが死んで、涙を流した事ってあるか?」
「ありません。いえ、あったとしても、もう覚えていませんよ」
「そうだよなぁ。俺達にとっては……必要の無い行為だよな」


 誰かを思い、泣くなどと。
 常に戦場で戦い、大量の人間を殺していく自分達が、なぜ誰かの為に泣けただろうか。

 泣く前に、己が生きる事を考えなければならなかったのに。

 だから、こうして今眼の前にいる彼等の、大切な者を失い涙を流す姿を見た時、本当の悲しみというものを目の当たりにした気がした。
 ―――フェイトの、父親が死んだその時。

 そうミラージュに言うと、ミラージュはくすりと笑った。


「クリフ。確かに私達は泣きません。けれど、悲しみを忘れたわけでは無いのでは?」
「あん?」
「その時、貴方も失いたくない一心で、彼の名を叫んでいましたよ」


 つい、とミラージュが指で示した前にいる人間を見て、クリフは眉根を寄せて難しい顔をした。


「…そうだったか?」
「ええ。モニターから見ていましたから。彼を失うかもしれない、そう思った時、貴方は確かに悲しみを感じた筈です」
「……そういうもんかねぇ」
「そういうものです」


 くすくすと笑い始めたミラージュに、クリフは頭を掻きながらも、少し離れた位置にいるアルベルを見た。
 視線に気付いたのか、アルベルはちらりと横目にこちらを見てきて、何の感情も映さぬまますぐにまた前を向く。


「着いたよ」


 タイミング良くネルが声を上げ、皆が足を止めた。


「わぁ!綺麗ー」
「すごーいすごーい!」
「本当だ、凄く鮮やかな夕日だね…」
「とても……紅いわ」


 それぞれに夕焼けの赤い色をその身に受ける彼等の賛美を聞きながら、クリフもまた夕空を眺めた。
 美しい橙や赤の複雑に入り混じった空、そんな空を映し出す金色の海は、自分達のいる方につれて、黒くなっている。
 本当にもうすぐ消えていくような、水平線のほんの少し上に浮かんでいる紅い丸い太陽は、肉眼でも苦無く見える程に光を弱め、綺麗な丸い形をしていた。

 まるで誰かの瞳と同じ色をしているようだと、ともすれば単なる惚れ気のような感想が浮かぶ。

 そんな太陽もまた、水面にゆらゆらと映されていた。


「どうだい?なかなかのものだろう。この時期の夕焼けは、とても紅いんだ。まるで、アペリスの思し召しのように」


 なるほど、紅はこの地の神を象徴する色であった。
 だからこの時期には神の力が最も強くなるとして、その力によって死者がほんの短い間だけこの世に降りてくるという習わしが出来たのだろう。
 しかし、これではまるで。


「血の色をしてやがる」
「アルベル…」


 いつの間にやら自分の隣に立っていたアルベルは、周りの仲間達には聞こえない程の声で呟いた。
 はしゃぐ女子供には元より聞こえはしないだろうが。

 アルベルもまた皆と同じように夕焼けの色を受け、その躰はほんのりと赤く色付いていた。
 綺麗な姿だと、素直にそう思う。
 彼程、紅が似合う人間もそうそういなだろうと。

 彼は鋭い眼付きでもって、夕焼けを睨む。そして嘲笑うかのように口元を歪めた。


「太陽なんか特に。貴様はそうは思わなかったか?」
「……思ったさ」


 ちょうど、お前が口にしたと同じタイミングで同じ事を言おうとしていた。
 アルベルはにやりとした笑みをクリフへと向ける。


「やはりな。貴様はそういう男だ」


 そこに、翳りが見えたのは気のせいだったか。
 それ程に小さな変化だった。


「お前は、大切な人間が死んだ時、涙を流したか?」


 先程から考えていた事を、何故か聞いていた。
 どうでも良い事だよな、と口にしてしまってから思い至る。

 というよりか、このアルベルと言う人間が、そんな質問を律儀に答えるような奴では無い事など、とっくにわかっていた筈だ。
 それでも、余程自分が気にしてしまっていたせいだろうか、無意識に聞いていた。

 しかしアルベルは、太陽を見ながら首を傾げ、それからまたクリフの方へと視線を向ける。


「さぁな。もう随分昔の事じゃねぇか。覚えてねぇ」


 ミラージュと同じ回答だな、と思いながらも、きっと彼なら涙を流したのだろうと予想が付いた。
 今もずっと、父という今は無き存在を追い続けている彼ならば。


「生き返って欲しいとは、思うのか?」


 ……ああそうか、と。
 それを口にした事で、自分が気にしていたのはこれだったのか、とようやく悟った。

 死してなお、生きていて欲しかった、もし生き返らせられるものなら何をしても生き返らせたいと。
 そう……願える相手が、今までいなかったんだ。

 そして―――今も、いないのだ。

 それ程強く願える事が、自分には出来無い。
 やはり、今も随分と冷めた人間だと苦笑してしまう。

 アルベルは、黙ったままだった。
 ただ、自分の腰に差している刀を強く握っていた。


「そろそろ、街に戻ろうか」


 誰かがそう言った。
 太陽はもう水平線の彼方へと沈み、辺りは闇に包まれていた。















 もう時刻は夜中を指すような時間帯。
 宿屋の床に敷いてある絨毯の上やいくつかのベッドの上では、仲間達が眠っている。

 そこらへんに酒瓶やグラスが転がっていて、先程までの名残が見て取れた。
 祭りが終わった後、雪崩れ込むように広い男部屋で宴会が始まったのだ。

 二十歳前の子供達まで酒を飲んでしまったのは、ご愛嬌というものだろう。
 この星では子供が酒を飲んではいけないなどという法律は無いので、一応注意はしたが、咎めまではしなかった。
 それにスフレやロジャーは、すぐに酔っ払って眠ってしまっている。

 ソファに座っていたクリフは、なかなかに面白かったと思いながら残っている酒を煽り、ベッドで眠っている女性達を見た。
 意外にも泣き上戸のマリアだったり、笑い上戸のソフィアだったり。
 やたらと凶悪度が増したフェイトを宥めるのはかなり大変であったが、たまには全員で騒ぐのも良いよな、と薄く笑みを浮かべる。


 テーブルに置かれた蝋燭の光はゆらゆらと揺れる。
 こんな日だからだろうか、どこか神秘的なものすら感じられ引き込まれそうになるのだが、普段は耳障りなだけのアドレーのオヤジらしい煩い鼾が、現実であるという実感を保たせていた。
 まだ起きて、隣でつまらなそうに空のグラスを眺めているアルベルの、そのグラスに酒瓶を近づけると、彼は手を動かすのを止める。
 その中に、コポコポと酒を注ぐ。


「……昔は」


 入れられた酒をちゃぷんと揺らしながら、アルベルは呟く。


「生き返って欲しいと願った事はある。そう願わずにはいられなかった程に、多分俺はガキだった」


 一瞬何の事を言われたのか理解出来なかったが、そういえば夕方、問いかけた事に対して、答えは聞かなかったと思い出す。
 アルベルはクリフが見ているのを確認する事も全く無く、まるで独り言のように淡々と話していく。


「泣いて、泣いて。泣き叫んで…それでも、忘れられなかった。多分、それまでが幸せだったからだ。……ああ、楽しかったぜ、凄く。そういう時期だった」


 はっ、と嘲笑いを浮かべ、アルベルはクリフを見た。


「だが今は、露程とも思わねぇよ。居ない事に、慣れちまったんだ。居なくて当然なんだってな」
「……そうか」


 言い終わると、アルベルはごくごくと酒を喉に通していく。
 もうかなり飲んでいるだろうに、酔いは来ていないらしい。

 そんな自分もまた、全然酔う事は無かった。
 不思議なくらい、頭がクリアだった。

 相変わらずゆらゆらと揺れる蝋燭の火は、まるで輝く命のようで。


「俺はもし、お前が死んだら……俺は泣くと思うか?」
「ぁあ?知らねぇよ。てめぇの事くらい、てめぇで考えろ」


 神妙に聞いた言葉を軽くあしらうアルベルに、クリフは冷たい恋人だなぁと笑いを零した。
 自分が死ぬと言われる事に対して、それを物騒だとかは思わないところは、彼らしいのだが。


「俺に泣いて欲しいと思うか?」
「思わねぇ」


 即答された言葉に、クリフはそうか、とだけ頷く。
 アルベルには、自分は本当に好かれているのかとか、そういった不安や疑問は浮かばないのだろう。
 そういう所に惹かれたわけだし、そんな女々しい感情を向けられても、困るだけなので、別に良いのだが。

 しかし自分は、彼を本当に好いているのだろうか。
 どう想像してみても、やはり泣けそうにないのだ。
 それとも、もし本当にそういう時が来た時には、想像とは別なのだろうか?

 あれこれと考えている自分に、アルベルは何か悟ったのだろう、はぁと一つ溜め息をついた。


「どうせ貴様は涙なんてもん、流さねぇだろ。泣き方を忘れちまってるくせに、よくそんな事聴こうと思ったな」
「へ?」
「何だその間抜けな声は」
「い、いや。何でも無いが」


 正直、まさかそんな台詞を聞く事になろうとは、思いもしなかった。

 泣き方を忘れただなんて。

 そうか、しかしそう言われると、確かに自分は忘れてしまったのかもしれない。
 ずっと、昔……もう、小さな頃に。


「俺が死んだら……そうだな。まぁ老化や病気だったら仕方無ぇが。もし誰かに殺されたなら。その殺した相手を、貴様が殺せ。そして俺を忘れるんじゃねぇ。俺は、それで良い」
「…これはまた、残酷な事を言うんだな」
「俺を好きになったのは、貴様だろうが。それくらいしてみせろ。それとも、俺を好きではない……とでも言う気か?」
「いいや。やってやるさ。お前の為にな」


 忘れない。

 それをお前が望むのならば、いくらでも覚えていよう。
 この身が朽ち果てるまで、ずっと。


 やっぱり愛しいな、と思う。
 それと同時に、躰も求め始める。

 好きなのだろう、偽り無く。
 たとえもう二度と涙など流れなくても、彼の為に泣く事が出来無くても。

 それでもやはり、己は彼を愛していると告げられる。


 すっと頬に手を添えると、アルベルは億劫そうにこちらを見た。
 何だよ、とでも言いたげな紅い双眸は、唇を近づけていくと比例して、閉じられていく。

 合わさる唇は、酒のせいかしっとりと濡れていた。
 このまま唇の中まで堪能して、そのまま押し倒してしまいたい気持ちに駆られたが、ちゅ、と軽く吸うだけで、すぐに離れた。

 ソファの背もたれに思いっきり体重を預け、ハハッと声を上げて笑みを零す。


「残念だ。ここじゃお前を襲えねぇ」
「当然だろうが。四人も起きてやがるんだ」


 その瞬間、毛布の上からぴくりと肩の揺れた人物が二人ほど。
 他の二人は流石と言うべきか、全く反応は無かった。


「やれやれ、だな」


 それにしても先程からの会話を聞いているのが全員女性とは、何で女って言うのは、こういう事に関しての勘が鋭いのかねぇ、と呆れてしまいそうになる。
 特に恋沙汰には当事者でもないのに横からあれこれと煩いのだから、男からすれば、たまったものではない。

 まぁ今はそういう会話では無かったのだから、彼女達も何かを言おうという気は誰も起きなかったのだろう。
 自分にとって深い問題部分を話していても、別に知られる事に対して、嫌悪は感じないので構わない。
 ただ少し、むず痒い気はするが。


「……さて、俺達も寝るかな。明かり、消すぞー?」


 そう言い立ち上がると、一応眠っているという事になっているらしい彼女達が、ひらひらと手を振ったりしてきた。
 アルベルは、グラスや酒をテーブルに置き、代わりに床に落ちていた毛布を拾う。

 もそもそとソファへと横になるのを確認して、ふっと、部屋の隅で点っている蝋燭の光を次々と消していった。
 一つ、一つと明かりが消えていき。
 またソファへと戻ると、テーブルの上にあった最後の蝋燭も吹き消す。

 部屋は暗闇に包まれて、静かに……とはいかず、相変わらずアドレーの鼾やら、それにプラスされて、ガキの寝言が混じった。

 クリフはソファに横になったアルベルの、その空いている隙間に躰を寝かせつつ、彼の細い躰を抱きしめた。
 文句の一つも言わず、もぞもぞと寝心地の良さそうな体勢を探すアルベルに、クリフは笑顔を浮かべる。

 暖かな人間というものの愛しい体温を抱きしめて、幸せを味わいながら。
 こうして、一日はゆっくりと過ぎ、また新しい朝を迎えるのだ。




 もう二度と、この眼に涙が流れないのだとしても、きっと忘れはしない。

 この身でもって、お前の命の輝きを失わぬよう、戦い続けよう。



 そしていつか別れが来た時は。





 涙の代わりに―――血を、流そうか。





  ...end.

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SO3テーマソング「飛び方を忘れた小さな鳥」に乗じて。
クリフさんは格好良くも、大人らしい臆病さがどこかにあれば良いなぁと思います。

2006.10.17
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