また独り、凍える夜があったとしても。




   導の架け橋

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「よいしょ!」


 掛け声と共に、可愛らしい恋人達は比較的小さい雪玉を持ち上げ、もう一つの方へと慎重に乗せる。
 二つの雪玉が重なると、案外でかいな……とそれを見ていた男は思った。


「よし、ソフィア。眼と手になるようなもの探そうか」
「うん!」
「あら、それなら私も手伝うわ」


 この雪がさんさんと降る寒さの中、白い息を吐きながらも元気に笑うソフィアとマリアは、ごく普通にいる女友達のように二人並んで歩き出した。
 そのすぐ後ろをフェイトも歩いていく。


「おやおや、なんだか微笑ましいねぇ」
「……ああ」


 それを見ていたネルとアルベルもまた、案外うまく仲間として付き合っていた。
 微笑ましいと言った、そんな二人さえ、この男からすれば微笑ましかった。

 そんな光景を一人離れて見ていたクリフであったが、彼等を見ていると、ふとアルベルがこちらに気付き、視線を向けてきた。
 すぐさま反らされると思っていたので、じっとこっちを見ているアルベルに、お?と首を傾げる。
 しかもそのまま呆れたように溜め息まで吐くもんだから、クリフは訝しげに眉を潜めた。
 どうしたんだ?と思いながらもそのままでいると、業を煮やしたらしいアルベルは、ネルを置いてこちらに向かってくる。


「阿呆か貴様は」


 第一声の言葉があまりにも彼らしくて、クリフは苦笑した。
 借りにも恋人同士になったというのに、まるで初めて会った時と同じような態度は、しかしそれがアルベルという人間の型だったというのはつい最近知った事だ。


「なんで一人でこんなところにいやがるんだ」
「保護者は遠くから見守るもんだぜ?」


 そんな風にアルベルで言う「保護者面」をすると、彼は怒るのだ。
 ほら、やっぱり今も。


「くだらねぇ事言ってんじゃねぇ」


 ぎろっと鋭い睨みが少し目線の高いクリフを下から射貫く。
 しかしクリフはその眼をさらりとかわす。


「紳士は淑女を一人置いてきぼりにするもんじゃないぜ?ほら、アイツらも戻ってきた」


 アルベルの背中に手を沿えて行くように促すと、アルベルは舌打ちしながらも、クリフも一緒に行くとわかると大人しく従った。
 近くに来ると明らかにわかる、この雪だるまの大きさ。
 普通作る雪だるまとははるかに違う。


「でけーなー」


 自分と同じぐらいの高さの雪だるまに、クリフは感嘆を漏らした。


「でしょ?フェイトとソフィアったら二人して競いあっちゃって、可愛いわよね」
「お前もソフィアの方、やたらと助けてたじゃねぇか。ネルと一緒に」
「か弱い女の子を助けるのは、同じ女として当然だと思うけどね。アルベルでさえフェイトの手伝いしたってのに、あんたは見てただけだしねぇ」


 クリフは両サイドから女性に攻められ、苦笑いをした。
 ふん、と前に立っているアルベルが鼻で笑う。
 ソフィアとフェイトは雪だるまに木の棒を両手代わりに刺し、眼とボタン代わりに丸い石を埋め込んだ。


「完成しましたー」
「ふぅ、僕も疲れたよ」
「お疲れ」


 流石にとは言わないまでも、大人が作っただけはある、やけにうまく出来ていた。

 しかしまぁ、なんていうか……とクリフは心の中で呟く。
 先程は笑って濁したが、正直言えばこの面子の中に入って雪だるまを作るのには気が引けたのだ。
 保護者と言ってみても、最年少のソフィアですら十七歳、二十歳未満と言っても、それより一つしか下でないフェイトとマリア、すでに二十歳を過ぎた、完璧大人の部類に入るアルベルとネル。
 まだまわりが本当に小さな子供達だったなら手伝いでもしただろう。
 しかし果たしてこの中に自分が入って一緒に雪だるまなんて作ったら、どうなる事か。

 ……口の軽いおばちゃん達の良い笑いの種じゃねぇか。

 クリフはこっそり溜め息をついた。
 しかしそんなクリフの事を瞬時に理解出来るものがここにはいない。


「はぁ、寒い。雪触ってたから手がかじかんで痛いよ。足も痛い」
「じゃあ、そろそろ宿に入るかい」
「フェイト、そうしよう?風邪ひいちゃうよ」


 元々宿屋の前で雪遊びをしていたので、すぐに暖かな暖炉にありつける。
 早々と宿の入り口へと向かっていく仲間の後を歩き出したクリフは、まだアルベルが自分より背の高い雪だるまを見ていた事に気が付いた。


「どうした?」
「いや、ちょっとな」


 ちょっと、と言う割にはえらく真剣な顔付きだった。
 クリフはアルベルの斜め後ろから、その微かに見え隠れする顔を見た。

 何を、思っているのだろうか。

 アルベルはしばらくすると、自分の手袋を外し雪だるまの手に付けた。


「行くぞ」


 短く言い放ち、宿の中へと入っていく。
 クリフは手袋をした雪だるまを見たが、何も言わず、すぐにアルベルを追った。








 雪はどこまでも続いていた。

 歩いても歩いても、目の前は闇と真っ白な雪。
 後ろを振り返っても、すぐ足元に自分の小さな足跡が残っているだけで、それさえも夜空から降る冷たい雪がだんだんと足跡を消していく。

 怖い、と身体が竦みそうになった。

 とにかく怖くて、怖くて、眼からは涙が零れていた。
 冷気が射すように頬をじくじくと痛め、その上に伝わる涙は、しかしやはり冷たく感じて、すべてから見放されたようだった。

 こんな事になるのなら、父さんと喧嘩しなければ良かった。
 大嫌いだ、なんて言わなければ良かった。
 きっと自分には天罰が下ったのだ。

 自分が悪い子だから。


「ごめんなさい、父さん。ごめんなさい」


 零れる涙を、赤くかじかんだ小さな手で拭いながら、それでも前へと歩いた。
 止まっていると、本当にこの白い世界に閉じ込められてしまいそうで。
 必死になってだんだんと積もっていく雪の中を歩いた。



 どれくらい歩いて、どれくらい泣いただろう。
 空気にさらされた手も、長靴の隙間から雪が入り込んで濡れてしまっている足も、すでに冷たく氷のようで、もう痛いのかどうかもわからなくなっていた。
 しかも雪は膝くらいまで積もり、前に進むのもやっとだ。

 疲れた、休みたい。
 だけど怖くて止まれない。

 この雪は、一体いつになったら止むのだろう……。

 そんな事を思い、空を見上げた時。
 いきなり、びゅう、と強い風が吹いてきて、思わず眼を瞑った。

 不思議、だった。

 風が止んで眼を開けたとたん、いきなり視界が開けたのだ。
 涙で濡れていたはずなのに、視界を遮る雪で全く見えなかったはずなのに、もう夜中で遠くに光一つさえ無いはずなのに、あたりが鮮明に見える。

 まわりの少しだけ見える色合いは、どこか、知らない街の建物だった。
 きょとん、と眼をぱちぱちと瞬きし、自分の眼の前にあるものに手を伸ばす。


 確かにあった、雪だるま。
 やたらと大きくて見上げないとわからないのだが、その石で作られた表情は優しかった。


 少し後ろに下がりまじまじと見上げる。
 手には暖かそうな手袋が。
 借りても良いだろうか?

 まわりを見渡しても、やはり建物が雪の向こうにうっすらと浮かんでいるだけで、人は誰も通っていない。
 ちょっとだけ、と思い、頭上にあるそれを背伸びして木から外した。

 自分の小さな手には大き過ぎる手袋であったが、こんな外界に晒されていたのに凄くあったかく感じて、自然と笑みが浮かんだ。




「父さん!」


 自分の家の近くまでよくやく着くと、もう朝方頃になるにもかかわらず、父親が家の前に立っているのが見えた。
 声に気付いた父親は、まだ小さな子供が自分の方に走って来るのを見て、クシャリと歪がんだ、それでいて嬉しそうな、安心した顔をした。
 そして自分の元へと走ってきた我が子を力いっぱい抱き締めた。


「良かった、無事で」


 暖かな父親のぬくもりが、冷たくなった体に体温を分け与える。
 帽子の上から頭を撫でられる手が優しくて、涙が溢れた。


「まったく心配させやがって」


 震える声で囁いてくれた父親の頭や肩には、雪が積もっていた。
 心配して、何時間もずっと外で待っていたのだ。
 父親の、自分に降り注いでくれる愛情に子供はどれだけ安心するものだろうか。


「……ごめんなさい。父さん」


 家を無我夢中で出た時には、決して言わないと誓った謝罪を、今は心から伝えられる。


「俺もごめんな……愛してるぜ」


 大きな背中に回した小さな両手には、雪だるまの手袋がはめられていた。









 ベッドからは安らかな寝息が聞こえてくる。
 室内を寒さから守る暖炉の火は燃え、淡い橙色の光が部屋を薄暗く照らす。
 ぱちぱちと木炭から鳴る音は、子守唄のようで心地良く耳に入ってくる。
 窓の外は暗く、だが一面の白は闇を闇でなくしていた。
 昼間に降っていた雪は、今は止み、遠くの街並みが薄っすらとだが見えた。

 クリフは窓から外を覗き、眼下を見る。
 そこには昼間作った大きな雪だるまが溶けずに変わらぬ姿であった。
 ただ、アルベルのつけたはずの手袋は、無くなっていた。

 この寒さに耐え切れなかった小さな子供が、持っていきでもしたのだろう。


「結構、優しいんだな…お前って」


 きっと、もう暖かい場所へ行く自分には必要のない手袋だからと、あの雪だるまにつけたのだろう。
 普段はあれだけ突っぱねているくせに、些細な所で優しさを見せる。
 本当に、注意して見ないとわからない程のさり気ない優しさだが。
 しかもその事をあえて口に出そうものなら、きっと逆上して顔を真っ赤にするのだろう。


 寝ているアルベルに近づき、長い髪の毛を梳いてやると、ふわり、と笑った。
 いい夢でも見ているのだろうか。
 そうだったら良いと思う。
 悲しい夢は、酷く切ないものだから。
 この寒さに耐え切れるだけの、真っ白な世界と、その奥に潜む闇に負けないような、ぬくもりと安らぎを感じていて欲しい。

 クリフは改めて、外を眺めた。
 窓の外は、もうすぐ夜が明けようとしている。

 今日は晴れるだろうか。
 晴れたら、あの雪だるまを外で眺めるのも悪くない。
 そして少しずつ溶けていくそれを、いつまでも眺めていたい。
 アルベル、お前はあの手袋をなくなったのをどう思うだろうか。
 いつものように仏頂面で見るだけだろうか、それとも柔らかに笑うだろうか。
 ……どちらにしろ、今日一日は二人で一緒にいたい。

 笑みを浮かべ、クリフはアルベルの寝ている隣へと身体を滑り込ませた。
 情事のあと裸のまま寝ていたアルベルを抱きしめ、自分も眠りへと入っていった。





  ...end.

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子供時代の…アルベルなのか、クリフなのか。
本当に、通り過ぎの子供の出来事かもしれないなぁと、書いている自分がいろいろ考えてました。

2006.03.09
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