夜の茶会  
サンプル

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   1.


 意識が浮上して、眠っていたのかとぼんやり思った。
 夢を見ていたような気がするが、覚えていない。

 目を開けると、視界にあったのは天井だった。
 それからソファの背もたれ。
 視線を動かし横を見ると、テーブルがあり、その先にももう一つソファが置かれていた。
 横を向いたまま少し視線を上げれば、大型テレビが。

 阿笠博士んちのリビングか。
 何故ここで眠っていたのかは、いまいち思い出せない。

 躰を起こして立ち上がろうとした。
 すると、後ろから声が聞こえてくる。


「工藤君、起きたのね。体調はどうかしら」


 俺の視界に入ってきたのは、女の子だった。
 小学生一年か二年くらいの小さな子でありながら、白衣を着ている。

 今、俺の名前を呼んだよな。
 だが。


「君は、誰かな?」


 覚えが無かったので聞いてみた。
 すると彼女は、大きく目を見開いて驚く。


「え……覚えて、いないの?」


 有り得ないと言いたげな反応に、つい顔を顰めてしまう。
 もしかして博士の親戚で、紹介された事があったか?


「あーと、悪い。覚えてなくて。もう一度、君の名前を教えてくれるとありがたいんだが」
「そう。……そう、なのね。ふざけているわけじゃないのね。副作用かしら。いえ、断定は出来無いわ」


 ぶつぶつ呟く彼女に、首を捻るしかない。
 副作用だなんて言葉を、こんな小さな子が使うのはすげぇな。
 まぁ、名乗ってくれてはいないんだが。


「ええと、一人の世界に入られると、困るんだけどな」
「ああ、ごめんなさい。取り乱してしまって。私は灰原哀。半年ほど前からここに居候しているわ。それで、まずはこれを見てもらえるかしら」


 彼女はテーブルの上に置いてあった新聞を取り、俺に差し出してきた。
 首を傾げつつ、受け取る。

 広げてすぐには、気付かなかった。
 何か重大な事件でも載っているのかと思ったせいだ。
 一面にざっと目を通し、そのまま何となく日付を見て、驚く。
 記憶していた日付より、約九ヶ月も先だ。

 どういう事だ?
 こんな少女に、未来の新聞を作るなんて手の込んだイタズラが出来るとは思えない。

 確認の為、テーブルに置かれていたスマホにも手を伸ばし。
 そこで止まる。
 同じものが二つある。

 どちらが俺のもんだろうか。
 まさかこちらの、戦隊ものらしきキャラクターの付いた方じゃねぇよな。

 俺が戸惑っているのに気付いたのか、少女は焦った様子で二つのスマホを見比べた。


「貴方のは、ええと……こっちね。もう一つは江戸川君っていう、私のクラスの友人がうっかり忘れていったものだから、気にしないで」


 だよな、片方は子供のもんだよな。

 彼女に渡されたスマホに暗証番号を入れ、トップ画面に移動する。
 画面に表示されていたのは、やはり新聞と同じ日付だった。
 スマホの時計はGPSなので、変更は不可能。
 海外設定にしたところで、ズレるのは一日だ。
 九ヶ月も違うなんて有り得ない。
 つまり俺は。


「九ヶ月の記憶が、無くなっている、という事か?」


 呟くと、俺の動向を見守っていた少女が頷いた。


「そうよ。貴方が私を知らないのであれば、貴方の言う通り約九ヶ月の記憶が無いんでしょうね。忘れてしまったのなら、きっとそういう運命だったんだわ」


 運命。
 運命だなんて、やけに仰々しい表現をする。
 記憶を失っているという自覚が俺に無いせいもあるだろうが、それにしたって大袈裟だ。


「関係者の人達には私から言っておくから、心配しないで。貴方の家族には……博士に言えば、伝わるわね」
「関係者? なんの?」
「なんでも無いわ。貴方は今までと同じように高校に行って、普通に授業を受けて、時折事件の解決をする。そんな日常を送れば良いだけ」


 はぐらかされたな。
 しかも言い聞かせるように念を押してくる。
 隠されると暴きたくなるのが探偵だ。
 しかし今のところ記憶の無い実感があまり沸かず、問い詰める必要性を感じないので、素直に頷いておく。


「じゃあ、俺は家に帰るぜ。九ヶ月分も記憶がねぇんなら、いろいろ確認した方が良さそうだし」
「わかったわ。もし体調が悪くなった場合は、すぐに電話しなさい。見てあげるから。その携帯に、私の番号も登録されているはずよ」


 まるで年上のような言葉遣いを使う彼女に見送られ、玄関をくぐる。
 外に出て、空を見上げ、思わず呟いた。


「……マジかよ」


 かなり寒い。
 昨日までは春だったのに、現在は上着一枚だけだと震えるような寒さである。
 そうだよな、九ヶ月経ってんなら、冬だよなぁ。

 俺の荷物にコートが無かったのは、ピンポイントで隣家の博士に用事があったからだ。
 しかし俺は眠っていたし、彼は留守のようだった。
 記憶を失う前の俺は、なんの用事があってここにいたんだろう。

 考えつつも自宅に戻った。
 暖房を付けて、ソファに置いてあった毛布を膝に掛け、改めてスマホを確認する。

 まずはアドレス。
 片っ端から見ていくと、確かに知らない名前がいくつか増えていた。
 服部平次、沖矢昴、そして灰原哀の名前が登録されている。

 メールも確認してみた。
 スマホで文字を打つのは苦手だが、何回かは誰かとやり取りしているはず。
 しかし十数件あるメールはどれも蘭からで、まだ学校に来られないの? という内容ばかりだった。

 俺の返信を見ると、まだ事件の解決に時間が掛かりそうだと書かれている。
 どうやら俺は、この九ヶ月間ほとんど学校に行っていなかったらしい。

 どんな事件かはわからないが、どこにいるかと聞かれているので、家にもいなかったわけか。

 いきなり季節が飛んでいるのを体感した以上、記憶を失っているという現状を否定するつもりはない。
 逆にこの九ヶ月間、どんな事件に携わっていたのか、興味が沸いてきたくらいだ。

 俺が記憶している昨日は、蘭と遊園地に出掛けていた。
 ジェットコースターに乗った時に殺人事件が起こり、犯人を突き止め、そのあと……ああ、怪しい男を見つけたので、蘭と別れてソイツを追ったんだ。

 それからの記憶は無いが、奴らに関する事件はどうなったんだろう。
 次の日の俺がどんな様子だったのか、蘭に電話して聞いた方が良さそうだ。

 時間を確認すると、現在は午後三時。
 まだ授業中だ。

 先に、家にあるかもしれない情報を探すか。
 先程阿笠博士の家で目を覚まし、しかもコートが無かった。
 つまり直前の俺は、確実に家にいたのだ。

 リビングをざっと見渡してみたが、大きな変化は無い。
 時々父さんや母さんが帰ってきた可能性を考えると、キッチンや書斎を見る意味は無いな。

 そんなわけで二階に上がり、自室を確認してみた。
 やはり変化は無い……いや、なんだこれ。
 大きな段ボール箱とトランクが一つ、部屋の隅に置かれている。

 気になったので、中を見てみる事に。
 トランクを開くと、入っていたのは子供服だった。
 普段着やパジャマなど、すべて男の子用である。

 段ボールはガムテープで閉ざされていたので、ペン立てに挿してあったカッターで開けた。
 最初に目に飛び込んできたのは、ランドセルだ。なんでこんなもんが、俺の部屋にあるのだろうか。

 一緒に入っていた中には教科書やノート、筆記用具などもあり、それらには名前が書いてあった。
 江戸川コナン。
 小説家の名前からもじっているように思えるが、教科書に書かれてあるのなら本名だろう。

 そういえば灰原という子が、江戸川君と言っていた。
 江戸川乱歩と同じ名字なので覚えているが、ここにその子のものがあるのなら、俺とも知り合いなんだよな?
 九ヶ月の間に親しくなった、だからスマホも同じ機種だったと考えれば、納得は出来る。

 しかしどうして、これだけの荷物が俺の部屋にあるんだろう。
 ランドセルや教科書があるだけなら、海外に引っ越すので必要無くなり、戻ってくるまで預かるよう頼まれたと推察出来る。

 だが服や下着までとなると、もしかして遺品か?
 亡くなっているから、親しかった俺の部屋にあると考えられる。
 だが確定するには情報が少ないな。

 教科書は小学一年生のものなので、あの女の子も一年生か。
 この江戸川君に関しては彼女が知っているだろうが、果たして答えてくれるかどうか。

 まぁ、記憶を失った理由が小学生と何かあったからだとは思えないので、追々で良いだろう。

 一息入れようとキッチンに行き、ポットの中身を確認する。
 湯が入っていたので、博士んちに行く前に沸かしていたようだ。

 コーヒーを入れて、再びリビングのソファに座りスマホで検索した。
 おもに俺が解決した事件についてである。
 前から新聞に載っていたので、あのあとも事件に携わっていたのなら、何かしら記事があるはず。

 しかし工藤新一で検索しても、九ヶ月前の事件以降から俺の名前は出てこなかった。

 むしろ殺人事件に関しては、蘭の父親である毛利小五郎の名前が。
 あのおっちゃん、そんなに推理出来る人だったか?
 眠りの小五郎なんて言われてるし。

 もしかして俺は、海外の事件に関わっていたんだろうか。
 でもそれだと、江戸川コナンという子の荷物が何故ここにあるのかという疑問にぶち当たる。
 その子と仲良くなるには、日本にいなければ無理だろう。

 あー、考えてもわかんねぇな。
 現在は午後四時半。
 授業が終わっている時間なので、とりあえず蘭に電話しよう。
 記憶の件も、言っておかなければ。

 着信履歴から掛ける。彼女はすぐに出た。


『新一? どうしたの? 何かあった?』
「よう蘭。ちょっと聞きてぇ事があるんだ。まず念頭に入れておいてほしいのは、俺が九ヶ月前にオメーと遊園地に行ったあとの記憶を失っちまっているって事だ。で、その次の日の俺の様子とか、俺がこの九ヶ月間どんな事件を追っていたのか、オメーは知ってるか?」
『ちょ、ちょっと待って新一。記憶を失ってるってどういう事? そもそも今どこにいるのよ!』


 怒鳴られてしまった。
 こりゃかなり面倒だな。


「落ち着け蘭。冷静になってくれねぇと、話が出来ねぇ」
『は? 冷静になれですって? なんの事件に首突っ込んでるか知らないけど全く帰ってこないし、珍しく新一から電話掛けてきてくれたと思ったら、記憶を失ったーなんて、冗談にしか聞こえないわよ!』


 マジか。
 俺は蘭に何も言ってなかったのか。
 今まで彼女には、自分の解決してきた事件をほとんど話してきている。
 つまり今回は、言えない事情があったんだろう。
 もしかして、危険な事件に携わっていたんだろうか。


『新一、聞いてるの!?』
「聞いてるし、記憶を失ったのは冗談じゃねぇよ。俺は今、九ヶ月の記憶が無い。俺の中での昨日は、オメーと遊園地に行っていた。季節も春だった。なのにさっき起きたら、季節は冬になっていたんだ。だからその期間俺がどうしていたか、いくら聞かれても答えられねぇ」
『…………本当に?』
「本当だ。それと、今は家にいるぜ」
『家なの!? あ、えっと……そっち、行って良い?』
「いきなり怒鳴り込んでこねぇならな。とにかく今は、僅かな情報でも欲しいんだ。だから冷静な態度で頼む」
『……わかったわ』





 四十分ほどして、蘭が家に来た。
 彼女は俺を見ると安心したようにホッと息を吐き、笑みを浮かべる。


「良かった、本当に家にいた」
「大袈裟だな。そんなに俺、家にいなかったのか?」
「姿すらほとんど見なかったわよ。電話には出たし時々は姿も見てたから、大丈夫なのはわかってたけど。ただ事件だからって、すぐにどっか行っちゃうの」
「ふーん、そうなのか。まぁ上がれよ」


 事件に関わっていたわりに、新聞には載っていないんだよな。
 危険で、表沙汰にすら出来無い事件だったからか?
 疑問に思いながらも蘭を家に入るよう促す。


「スーパーで買い物してきたから、冷蔵庫入れて良い?」
「ああ、サンキュー。何を買ってきたんだ?」
「カレーの材料と、総菜と冷凍食品をいくつか。それと牛乳。カレーはこれから作るから」
「わかった。金払うから、あとでレシートくれ」


 キッチンに行くと、彼女はさっそく冷蔵庫を開けた。


「やっぱり、何も入ってないわよねぇ」


 俺も後ろから冷蔵庫の中を確認するが、バターや味噌などの調味料はあるものの、食材は何も無かった。
 つまり俺が家に帰ってきたのは、今日の午前中か。
 阿笠博士んちにいたのは、昼飯目的だった可能性が高いな。


「昴さんが引っ越してから、もう二週間も経つんだもんね。食材が残っていたら、逆に困っちゃうかも」
「昴さん? 誰だそれ」
「そっか。記憶を失っているのよね。新一がいない間、ここを借りていた大学院生の沖矢昴さん」
「沖矢……その人なら、携帯に登録されていたな。じゃあ服部平次ってのは?」
「服部君は、新一と同じ探偵よ。西の高校生探偵で、新一とはライバルね。コナン君とも仲が良かったわ」


 西の高校探偵ねぇ。
 聞いた事ねぇな。
 それよりも。


「コナン君って、もしかして江戸川コナンか」
「そうよ。ああ良かった、コナン君の事は、記憶を失う前からの知り合いだったのね」
「へ? いや、そういうわけじゃ」
「そういえば何回か二人が一緒にいる時あったけど、仲が良さそうだったし。阿笠博士の親戚で、新一とも少しだけ血が繋がってるんでしょ? 新一のお母さんも、時々会いに来てたもんね。でもコナン君、今朝方ご両親のいる海外に戻っちゃったのよ。ずっとうちにいるわけじゃないのはわかってたけど、やっぱ寂しいなぁ」


 蘭は冷蔵庫に買ってきた総菜などを入れ終え、野菜や肉を調理台の上に出した。
 コートを脱いで椅子に掛けると、野菜を洗い始める。
 俺は椅子に座り、今しがた得た情報に関して思考を巡らせた。

 江戸川コナンという少年が、遠い親戚?
 聞いた覚えは無いが、そもそも従兄弟などに関しても、いるという認識しかしておらず、会った事も無い。

 母さんが時々その子に会いに来ていたなら、蘭が帰ったあと母さんに聞けば良いか。
 灰原という女の子に聞くよりも、情報をくれそうだ。
 ついでに、俺がどんな事件を追っていたのかも聞けば良いし。

 にしても、亡くなっていたわけじゃなかったんだな。
 遠い親戚だから、荷物を俺のところに置いていったわけか。
 服も、きっとサイズが合わなくなったものなんだろう。


「……ねぇ、新一」


 名を呼ばれたので、反射的に視線を彼女に向けた。


「新一は、私の事、好き?」
「は? い、いいい、いきなり何言ってんだバーロー」


 ジャガイモの皮を剥く手は止めず、振り返らないまま聞いてきた言葉に、思わず焦って返答してしまった。
 好きかって?
 そりゃあ小さい頃から……。

 そこまで考えて、強烈な違和感を覚えた。
 俺は蘭が好きだったはずだ。
 しかし今、彼女を目の前にしても昨日までのトキメキが感じられない。
 好きだという感情が沸いてこない。
 代わりに、何かを失ったような、心にぽっかりと空洞が出来たような感覚が。

 もしかして俺は、忘れてはいけない人を忘れてしまっているのだろうか。
 まさか記憶のない九ヶ月の間に、蘭以外の人を好きになった、のか?


「……悪ぃけど、たぶん今の俺は、その質問に答えちゃなんねぇんだと思う」


 昨日の昨日まで彼女が好きだった身としては、頷けないのがとても心苦しいが、そう答えるしかなかった。


「そっか。そうよね。変な事を聞いて、ごめん」


 悲しそうな、泣きそうな声とは裏腹に、振り返ってきた彼女は笑顔だった。
 だからこちらも何も無かったような、いつもと同じ態度を取る。


「俺からも聞きたい事があんだけどさ。九ヶ月前、遊園地でオメーと別れたあと、俺は怪しい奴を追ったんだけど、翌日それに関して蘭に何か話したか?」
「ううん、何も。というか翌日もその次の日も、新一は学校に来なくなって連絡だって途絶えちゃったのよ? いくら電話しても出ないし、メール送っても返事が来ないから、事件に巻き込まれて死んじゃったんじゃないかって、すごく心配したんだから」


 つまり何日も学校に行かなくなるような事件を、あの黒い怪しい連中は引き起こしていたわけか。


「結局一週間経った頃に、面倒な事件に関わってるって電話は来たけれど。連絡出来なかったのは、携帯を壊しちゃったからだったみたい」
「なるほど。答えてくれてサンキュー」
「ううん。記憶、戻ると良いわね」


 振り返ってこなかったし、声が少し震えていた。
 もしかしたら、俺は……いや、止めよう。

 蘭はカレーを作ると、お父さんが待っているからと言ってすぐに帰った。
 なんだか母さんに電話をする気も失せてしまったので、静かなリビングでぼんやりする。

 彼女と話すまではわからなかった、喪失感。
 記憶を失くしているのだと、今は実感している。

 何を忘れてしまったのか。
 どうして忘れてしまったのか。
 そして、どうすれば取り戻せるのか。

 たったの九ヶ月間と言えば、それまでだ。
 今まで家に帰っていなかった俺がここにいるのだから、追っていた事件というのも解決したんだろう。

 このままでも、これからの生活に支障は無い。
 だが。


「……探さねぇと」


 どうしても、取り戻したいと思う。
 どうすれば記憶が戻るのかは、わからない。
 もしかしたら戻らないままかもしれない。
 だからこそ、調べなければ。










   2.


 次の日。
 学校に行き教室に入った途端、クラスメイト達が一斉に話し掛けてきた。


「工藤! 久しぶりだな。難しい事件を追ってたんだよな。もう解決したのか?」
「ああ、一応な。これからはまた普通に登校出来るぜ」
「そうなのか。お疲れさん。どんな事件だったんだ?」
「今回はちょっと口外出来ねぇんだ。悪ぃな」


 謝ると、群がってきていた学友達は残念そうな声を上げたが、それ以上は聞いてこなかった。
 実は俺自身が知らないのだと言ったら、どう反応するだろうか。
 まぁ、記憶喪失だなんて教えるつもりはないが。

 登校してきた蘭とは、普通に挨拶を交わした。
 代わりに園子が、じぃっとこちらを睨んでくる。


「うーん、見た目は変わってないんだけど」
「止めなよ園子! ごめんね新一。今までずっと園子に相談してたから、今回の事も話しちゃって」
「いや、面倒だから言うつもりはねぇだけで、絶対に隠さなきゃなんねぇわけじゃねぇから気にすんな」


 たかが九ヶ月の記憶だ。
 まだ学年も変わっていないので、クラスメイトの顔触れも変わっていない。
 だからわざわざ言おうと思わないだけだ。

 授業風景もいつも通りだったが、習っていた箇所は一気に飛んでいた。
 こりゃさすがに自主勉しなきゃ駄目だな。
 まぁ覚えは早いので、大丈夫だろう。

 学校が終わり、事件に遭遇する事なく帰宅。
 少しばかりもの足りない気がしないでもないが、今は情報を集める方が先決なので、さっそく母さんに電話する。

 この時間だとロサンゼルスは二十四時を過ぎている。
 もしかしたら眠っていて怒られるかもしれないと思ったが、彼女はコール二回で出た。


『もしもし新ちゃん? 博士から聞いたわよ! 記憶喪失になっちゃったんだって?』
「九ヶ月分だけな。だから騒ぐほどじゃねぇけど、いくつか母さんに聞きたい事があって。江戸川コナンって子の荷物が俺の部屋に置かれているんだけど、母さんはその子を知ってるんだよな?」
『え、ええ。知ってるけど』
「俺はコナンという少年を知らない。けれど何故か、部屋に彼の荷物がある。しかも蘭が言うには、俺達は仲が良かったらしい。つまり俺が家にいなきゃ、仲良くなれねぇんだよ。でもこの九ヶ月間、俺はほとんど家にいなかったとも言われた。じゃあこのコナンって子は、どういう存在で、俺とどう関わりがあったんだ?」
『ええと、なんて答えれば良いのかしら』


 簡単な質問だと思っていたのに、彼女は言いよどんだ。
 そんなに答えにくい存在なのだろうか。


「蘭からは、俺の遠い親戚で、俺が家にいない間も母さんは時々その子に会いに来たと聞いたけど。……もしかして、隠し子だなんて言わないよな? 不倫してたとか」
『なっ、違うわよ! 私は優作一筋なんだから!』
「知ってるって。冗談だよ」
『もう、新ちゃんの馬鹿!』


 ぷりぷり怒る母さんの様子が目に浮かんで、くくっと笑ってしまう。
 そしたらまた怒られてしまった。


「だから悪かったって。それで、結局どうなんだよ」
『ううん、そうねぇ。新ちゃんに嘘はつきたくないけれど、真実を言っても信じてもらうのが難しいのよね』
「とりあえず言ってみてくれ」
『コナン君は、新ちゃんなのよ! 新ちゃんは記憶の無い九ヶ月間、薬で小さくなっちゃってたの』
 意気込んで発せられた言葉に、一瞬思考が止まってしまった。何言ってんだ、この人。頭大丈夫か?
「…………ああ、そう」
『ほらぁ、信じてないでしょ!』
「いや信じる。信じるから。今時の薬はすげぇよな」


 ここで否定したら、余計にあれこれ言われて面倒臭くなる。
 なので適当に相槌を打って、もうそっちは夜遅いから眠るよう促し、通話を切った。

 はぁ、まさか母さんから、あのような返答が来るとは思わなかった。
 ったく、どこのファンタジーだよ。

 もし本当に小さくなる薬が存在していたとしても、蘭は俺とコナンが一緒にいる場面を何度か見ている。
 どう考えても、同一人物では不可能だ。

 ……だが、母さんが嘘をつくだろうか。

 くそっ、殺人事件の推理ならば、どれほど難解でも真実を見つける自信があるのに。
 記憶の無い俺が何をしていたかなんて、俺以外の誰が知ってるってんだ。


「はぁ。博士にも聞いてみるか」


 そんなわけで、彼にも電話してみたのだが。


『コナン君なら、新一が覚えておらん期間に出会って、初対面で意気投合して仲良くなったんじゃ。コナン君も推理が好きじゃったからの。新一が関わっていた事件? ワシは詳しくは知らんのぅ』


 という返答をされ、手詰まりになってしまった。
 ネットを調べてもわからない、親しい者達に聞いてもわからないなんて、どうすりゃ良いんだ。

 仕方無い、また今夜にでも母さんに電話してみるか。
 夜中の一時であれば、向こうは起きているだろう。

 なのでとりあえずは勉強して、夕飯に昨日余ったカレーを食べた。
 風呂に入って躰を洗ったあとは、書斎から九ヶ月の間に増えていた本を数冊持ち出し、自室のベッドに寝そべって読む。
 結構増えていたので、読み切るのに一週間くらい費やしそうだ。

 本の世界に引き込まれ、どれくらい経っただろう。
 ふと、コンコン、コンコン、という音が聞こえてきて、意識を取られた。
 コンコン、コンコン。
 音は窓からだ。

 本から顔を上げ、何度も叩かれる窓を睨む。
 カーテンを閉めているので、その向こうは見えない。
 人がいるとしたら、どうやって二階のテラスに侵入してきたのか。


「……誰だ?」


 声を掛けると、もう一度コンッと音が鳴る。
 明らかに誰かがいる。
 泥棒か?
 いや、それならわざわざ家の者に気付かせないだろう。

 怪しみながらも、カーテンを開ける。
 瞬間。


「――――……ッ」


 想像を絶する存在に、目を見開いていた。

 真っ白なスーツにマント、シルクハット、そして片目を隠すモノクル。
 月を背にした、まるで物語に登場するような怪盗が、視界に飛び込んできた。
 突如現れた光景に、夢なのかと疑いたくなるほどだ。

 惹き込まれ目を逸らせないでいると、彼はシルクハットのつばを掴んで目元を完全に隠し、笑みを浮かべた。


『名探偵、ここを開けていただけますか?』


 声は聞こえなかったが、読唇術で言われた内容はわかった。
 物語の登場人物が俺に話し掛けてきた、そんな夢心地のまま、窓を開ける。


「ありがとうございます。この寒い季節、窓を開けっ放しでは貴方も私も風邪を引いてしまいます。よろしければ、お邪魔させていただいてもよろしいでしょうか」
「あ、……ああ」


 思わず頷くと、彼はベランダで靴を脱いで、部屋に上がってきた。
 窓を閉めると、再び笑みを向けてくる。

 夢か現か判断付かず、惚けたまま何も言えずに見つめていたら、白い手袋を付けた手が、俺の手に触れてきた。
 ひやりとした冷たさに、ようやく彼が現実に存在しているのだと実感する。

 怪盗は恭しく片膝を付き、俺の手を緩く掲げると、そっと指先にキスしてきた。
 何故だろうか、彼を見ていると、胸が満たされていく感覚する。
 すぐそこにいて、しかも俺に触れてきている、と。

 だが同時に、焦燥にも駆られた。
 目の前の存在に何かをしなければならない気がするのに、わからないせいで動けない。
 ああ、もどかしい。


「ふむ。風の噂で聞いてやってきたのですが、本当に記憶が失われているんですね。私がこのような行動を取っても、何も反応してくださらないなんて」


 怪盗は立ち上がると、数歩後ろに下がった。
 そして大袈裟な動作でもって、お辞儀をする。


「私は月下の奇術師、怪盗キッド。これでも一応、世界的有名な大怪盗なんですよ」
「……悪いが、怪盗には興味無いんで、知らないんだ」
「ええ、そうでしたね。ですがそんな貴方でも、私に関しては随分追い掛けてくださいましたよ。名探偵に認めていただけて、光栄でした」


 そうなのか。
 俺が殺人事件に関係無い怪盗に興味を持つなんて、珍しいな。


「しかし、あの九ヶ月間の出来事を何も覚えていないとは。貴方にとっては様々な経験をし、大きく成長した期間であったというのに。残念です」
「成長? アンタは俺がこの九ヶ月間、どこで何をしていたのか知っているのか?」
「もちろん。貴方は私のライバルでしたから、貴方がどこに行きどんな事件を解決してきたかは、ある程度知っています。ですが、あくまでも第三者視点でしかない。私と共に事件を解決した時もありましたが、ごく一部ですし」
「……俺が、怪盗と事件を解決?」
「ふふ、私の言葉が信じられませんか?」


 信じられない、と。
 九ヶ月前の俺なら答えていただろう。
 だが今は、どんな些細な内容でも情報が欲しい。
 それに彼を、逃してはいけない気がした。


「信じる。だから、話を聞かせてくれないか。俺がどんな事件を解決してきたか」
「良いでしょう、私の知る限りはお話します。ですが今日は、これから用事がございます。怪盗としての用事が」
「何かを盗みに行くってのか?」
「ええ。それが、私の存在理由ですから」


 すっと、彼から笑みが消えた。
 そして凍るような、美しくも冷たく研ぎ澄まされた気配を放たれる。
 犯罪を行うと明言された以上、止めなければならないはずなのに、何故か言葉にならなかった。

 俺が動かないのを確認したキッドは、冷たい気配を飛散させた。
 そして、柔らかな口調で告げてくる。


「一晩考え、それでもなお怪盗である私を信じると言うのであれば、明日の夜、ここに訪れた際には紅茶を出していただけますか? 甘い、ミルクティーを」





  以下オフ本にて。



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2016.12.30発行
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