透明の翼

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 都会の喧騒の中、カイジはトボトボと歩いていた。
 その足取りは、どうした事か酷く重い。

 夜の街はネオンで明るく輝き、仕事帰りに飲みに行こうと同僚達と歩くサラリーマンやOL、たむろする学生達で溢れ返っている。
 なんだか自分だけがどんよりと落ち込んでいるように思えて、深い溜め息が出ていった。

 これも全て、今しがたパチンコで手持ちの二万をスってしまったせいだ。
 ……いやわかっている、自分のせいだというくらい。

 だがしかし完全なる無一文になってしまった以上、金を得る為には、現在アパートに居候している子供を頼るしかない。
 彼に大金と躰とを賭けたギャンブルで勝つか、それとも。

 ――『勝負無しでなら、中出しするごとに一万なんてどう?』

 だ、抱いて下さいって自分から頭下げて頼んだ挙句、なななな中だ、中出し……してもらわなければならない。
 ううう……金の為に、男…しかも十歳近い年下に抱かれるなんて情けない。
 滅茶苦茶情けなさすぎる…!

 これも全部二週間前に出会って、人の前に四億もの金を積んでギャンブルを吹っ掛けてきた、しげるのせいだ。
 絶対そうだ、アイツが滅茶苦茶強いせいであっけなく負けちまって、でも抱かれるといつも一晩で二、三万くれるから、まぁパチンコでスるくらい良いかななんて心のどこかで思っちまってるのがいけないんだ!


「ってつまりそれって、俺のせいじゃねぇか…っ!」


 カイジは頭を抱えながら喚いた。

 らしくもなく、このままで良いんだろうかとさえ悩んでしまう。
 いっそアルバイトでもした方が良いんだろうか。
 だって今のままだと、まるで売春みたいなのだ。

 いや、しげるに抱かれるのが嫌だってわけじゃねぇけど……でも俺を抱きたいのなら、金なんて払わなくても抱かせてやるっつうか。


「……って、ちょっと待て待て待て」


 え、今の何?
 どんな思考回路したんだ俺の脳味噌は!?

 …まずい、絶対まずい。
 たんなる居候だろうが、アイツは!
 つうか男だろ!?


「カイジさん?」
「ぎゃあああ!!でででで出たぁ!!」
「出会いがしらに凄い反応。本当、面白いよねカイジさんって」


 いきなり目の前に現れた人間に思いっきり叫んでしまったら、彼は気にしたふうもなく僅かに笑みを浮かべた。


「こんな街中で、そんなに騒いじゃって。さすがはカイジさん」
「へっ?ぁ……うあっ」


 その指摘に辺りを見渡して、カイジは我に返り顔を真っ赤に染め上げた。

 ひいいぃ、都会の喧騒の中だから基本的には無視されてるけど、それでも何人かがこっちを見ている!
 は、恥ずかしい…!!


「ほら。立ち止まっていたら邪魔だから、こっちおいで」


 と言われ、有無を言う前に手を握られて引っ張られる。
 たたらを踏みつつも、悶えていたせいで身動きが出来無かった為、ナイスフォローにちょっと感謝した。

 でも…しげると手を繋げて嬉しい……なんて思っている自分は、確実に終わってる…。







 暫く歩いて喧騒から離れ、人がぽつりぽつりとだけ歩いている静かな道を、二人で歩いた。

 手を繋ぎ先を歩くしげるは、コンビニ袋をぶら下げている。
 雀荘に行っていたけれど腹が減ったから毟るのは切り上げて、飯を買ったというところだろうか。
 それを物語るように、白いビニールの隙間からは札束がいくつか見える。


「な、なあしげる。そろそろ手、離しても大丈夫じゃねぇか?」
「そう?近頃のカイジさん、すぐに頭抱え込んで蹲るほどの悩みを抱えているようだから、このまま引っ張った方が早く部屋に着くんじゃないかと思ったんだけど」
「そ……、そうだったか?」


 思わぬ指摘にカイジはへらりと笑いながらも、心臓をドギマギさせた。

 ままままさか、俺の態度ってそんなにわかりやすいのか!?
 これでもギャンブラーとして、それなりに渡り歩いてきている人間だぞ?

 …そりゃあ、しげるに呆気無く負けて貞操奪われましたけども。
 でも一応年上としての威厳というか、プライドというか。

 悶々と考えていると、こちらを振り返ってきたしげるが、突如ニコリと笑みを浮かべた。
 うぐ、可愛い…。


「その1。カイジさん、三日前くらいからイくのが早くなった。その2、自分から腰を振るようになった。その3、『しげるイイ、しげるもっと、しげる好き、好き』」
「ぎぁああああ!!ななななな何事!!?つうか何それ!!!」
「って昨日、半分以上意識飛ばしながら喘いでた」


 恥ずかしさのあまり、カイジは繋いでいた手を振りほどいて、その場に蹲ってしまった。
 顔がとてつもなく熱いし、身がよじれそうなほどの羞恥にまみれ、どうにかなってしまいそうだ。
 ああ、穴があったら入りたい…。


「で、さ。これは今朝なんだけど。中出しした分のお金払った時、カイジさん泣きそうな顔してた」


 蹲る自分の、すぐそこから聞こえてくる声。
 それこそ泣きそうになりながらもチラリと顔を上げたら、しげるもしゃがんで、顔を覗きこんできていた。
 間近にある綺麗な顔と、強い眼に、ドキリと心臓が跳ねる。


「お金もらうのが、そんなに嫌だ?」
「ゃ…だ、とかじゃないけど」


 ただ金を払われるたびに、痛感するだけだ。
 自分は、まだセックスの経験が浅いしげるにとっての、単なる練習台なんだと。
 こっちは出会ってからたった二週間で、落とされてしまったというのに。

 ……違う、きっとしげるに出会った時から、心は捕らわれていた。
 いきなり人の座っているパチンコ台に金を入れて、人の手の上からハンドルを回すその手と、背中から覆う体温、魅入らされるほどの当たり。
 そして四億もの大金を積んで吹っ掛けられたトランプ勝負に負けた時点で、たとえまだガキでも、躰を開いても屈辱を感じる必要は無い相手と認識してしまっていた。
 それほどに、しげるは強かった。

 でも、しげるからしたら自分は敗者だ。
 好かれるような要素なんてこれっぽっちもない。


「ねぇカイジさん」


 しげるは立ち上がると、一歩二歩三歩と足を進めた。
 その先にある橋へと差し掛かり、下を流れる川を見ながら、言葉を続ける。


「カイジさんは、囚われているんだね。普通という概念に」
「……え?」


 聞き返しても声が届かなかったのか、しげるはどんどんと先へと歩いていってしまう。
 川の流れが彼の声を消そうとするから、カイジは慌てて後を追った。


「金をもらう関係に、心は無いと決めつけている。確かにそうかもしれないね。売春や援助交際なんて言葉があるわけだし。でも、それが全てじゃない。不思議だね……カイジさんはギャンブラーなのに、世間に染まりすぎている」


 しげるに追いつくと、彼はクルリとこちらを振り向いた。
 腕を掴まれ、下から顔を覗かれる。


「でも駄目だよ、それじゃ。もっと見なきゃ。もっと考えなきゃ。常に裏の、そのもっと奥までを、自分の力で見定めなきゃ」


 言っている意味が、よくわからなかった。
 …いや、多分という予測は出来た。
 しかしあまりにも自分に都合が良すぎて、違うのではないかという疑念を抱いてしまう。

 その疑念を振り払うように、しげるは笑みを浮かべる。


「俺はね、飛べるカイジさんを気に入っているんだ。命を賭けられる。死へと誘う崖っぷちへと、ただ闇雲に走って落ちるんじゃない。思考を巡らし、向こう側へと辿り付ける追い風が来て、飛ばなければならないそのほんの僅かな瞬間に飛べる――それが出来る人間は、実は少ない。だからカイジさんに出会えて、一緒に暮らして…それがかなり楽しい」
「しげる…」


 じわりと頬が熱くなってしまい、カイジは思わず顔を逸らした。
 しげるは、クスクスと喉を鳴らす。

 そのまま離れていったので、帰るのかと思い、恥ずかしながらも彼へと眼を向けた。
 するとどうした事か、少し離れたところで再びこちらを振り返る。
 とてつもなく無邪気な、楽しげな笑みでもって。


「カイジさん、賭けをしようか。カイジさんがこの橋から、飛べるか」
「……はっ!?いや、なんでそんな」
「今言ったよね。普通という概念に囚われていたら駄目だと。飛ぶ理由が無い?運が悪ければ死ぬ?関係無いね。それがギャンブルであるならば」


 無邪気で、けれどとてつもない狂気を孕んでいた。
 ぞくりと背筋が凍るほどの、闇夜の中でも艶やかに輝く双眸に射抜かれる。


「飛びなよ、カイジさん。飛んでスッキリしなよ」


 そう言った彼の背中には、まるで透明な翼が生えているようだった。
 どこまでも自由で、どこまでも飛べそうな、闇の中で微かに輪郭の浮かぶ、翼。

 しげるは手に持っていた荷物を地面に置き、いきなり手摺りの上に立った。

 そしてあろう事か、そのまま。


 ――――……!!










「……っ、…はぁ、…はぁ」


 心臓がドクドクと鳴り、こめかみまでに大きく音が響くほど、血が駆け巡っていた。
 全身から汗が吹き出て、呼吸も苦しい。
 地面に打ち付けた背中もズキズキと痛む。

 だが腕の中の存在は、人に乗りかかったまま、楽しげな笑みを浮かべ上から顔を覗き込んでくる。


「どう?悩みなんて吹っ飛んだでしょ」
「っ……こ、んの、馬鹿!もし俺が助けなけりゃ、お前、死んでたかもしれなっ…」


 カッと頭に血が上って怒鳴ったら、途中で指で唇を塞がれてしまい、それ以上言えなくなってしまった。
 その代わり、しげるが口を開く。
 じっとこちらの眼を見つめたまま、優しく触れてきている指で、唇をゆっくりとなぞりながら。


「もし、だなんて言葉は言っちゃ駄目だ。助けなった場合の事なんて、今となってはもう考える必要は無い。カイジさんは俺を助けた。だから俺は、汚染水には飛び込まなかった。その事実があるだけ。それがギャンブルというもの。…そうでしょう?」


 視界いっぱいにしげるの顔があった。
 どんどんと近付いてきて、ちゅっと、キスされる。
 大人しく受け入れたら、柔らかな唇はすぐに離れていった。


「それで、悩みは飛んだ?」
「………飛んだ。もう、全部」


 無邪気な問いかけに、もう怒る気力なんて沸かなかった。
 ただ腕の中の存在が無事だという事実に心底安堵し、確かめるようにぎゅうと抱き締める。

 人が時々通る道だけど、カイジは起き上がれなかった。
 息をしていて、心臓も動いていて、ちゃんとあったかいしげるを離したくなかった。


「しげる。…しげる」
「うん」
「……好き、だ」
「うん。俺も、いざという時にちゃんと飛べるカイジさんが好きですよ」


 自分の思い込みに囚われず、もっとちゃんとしげるを見ていれば、答えを導くのは簡単だったのだ。
 しげるも、自分を好きでいてくれているのだと。

 たったそれだけの事を教えるのに、しげるはここまで人を翻弄する。
 厄介な存在を好きになってしまった…という自覚はあるけれど、後悔は無かった。

 そんなしげるだからこそ、惹きつけられ、好きになったのだから。


「帰りましょ。帰って、いっぱい抱かせてよ」


 人の気を知ってか、耳元で囁かれる声は酷く擦れて官能的で、カイジは誘われるようにふるりと躰を震わせた。




















「はい、カイジさん」


 朝、ベッドの中で素っ裸のままぼんやりと煙草を吸っていたら、シャワーを浴び終わったしげるがぺらりと四枚の一万円札を差し出してきた。
 昨夜セックスした分の金らしい。
 四万という事は、四回も中に出されたのか。

 途中から気持ち良くなりすぎてよく覚えていないものの、しげるに抱かれた事実をこうも突きつけられる状況に、恥ずかしくなってくる。
 それでも気丈に顔を上げ、上半身裸に髪から雫を滴らせたままの彼を見返した。


「……受け取らなきゃ駄目か?」
「いらないんですか?…まさかちゃんと働こうなんて、普通すぎてつまらない事考えてる?」
「つまらないって、お前なぁ」
「だって世の中の人間が働く理由は、結局金の為なんだよ?今のカイジさんには必要無いでしょう。俺とギャンブルして勝てば、四億が手に入るんだから」
「そ…そりゃあ、大金を得ればどんな生き方であろうと世間から文句なんて言われねぇ。んな事ぁわかってんだよ。でも、なんつうか……年上としての威厳が」


 お互い好き合ってるんだから売春ではない、それはもうわかっている。
 だが今のままじゃ、まるでヒモじゃねぇか!
 相手も男だっていっても、十歳も年下なんだぞ!?
 俺が稼いでしげるを養ってやりたいという気持ちがあって当然だろう!?

 けれどしげるは、無表情のままバッサリと人の心を切り捨てた。


「というか、楽しみが無くなるんで止めてね。あげた金をパチンコで呆気無く使って、凹んで、ベソ掻きながら俺に股開いて、中に出してって言って羞恥にまみれながらボロボロに泣くカイジさんが見られなくなってしまう」
「ななななっ、なっ!?」


 いきなり何言いやがりますかねこのマセガキは!!
 おおお俺はそんな事言って…っ!
 い……、言って、るけど!!

 ぐあぁと顔が熱くなって、混乱して、どう反論すれば良いのかわからなくなってしまった。
 ううう、なんか恥ずかしさのあまり涙が滲んできた。

 なのにしげるは、もっと無情な事を言ってくる。


「そういえば、昨日の橋での賭けは俺の勝ちだったよね。それなら昨日のは、その報酬にしましょう。…で、いつもの如くパチンコでスっちゃったカイジさんは、今すぐ俺に言わなきゃならない事あるよね?」
「え!?ちょ、ま…あああ朝っぱらからなんでそそそそんな」
「時間なんて関係無ぇな」


 吸い途中だった煙草を指から抜かれ、ベッドヘッドに置かれた灰皿に吸殻を押し付けながら顔を近づけてニヤリと笑ったしげるは、普段の可愛さなど微塵も無かった。
 思わず後ろに頭を引いても、同じだけ近付いてくる。
 そしてすぐに壁まで下がってしまい、そこから動けなくなってしまった。

 眼を覗かれ、唇から息が掛かりそうなほどの距離で囁かれる。


「ほら、どうするの?俺がその気になっている時に言わないと、やってもらえないんだよ?」
「うぐぐぐ……、」


 羞恥のあまり耐え切れなくなってぎゅっと眼を瞑ったら、唇にキスされて、結局何も言わなくてもベッドに押し倒されてしまった。





  ...end.


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しげるは天使と小悪魔が混在していて、本当に可愛いと思います。

2011.05.13
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