brother

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 まだまだ冬が終わらない寒い季節の、夕方。
 一ヶ月ぶりにあの人の家に行こうと思ったのは、いつものごとく気まぐれだった。
 住んでいる施設にいても暇だし、半年前くらいから行くようになった雀荘でも、あの人のように強い人間に出くわさない。

 ただし訪問しても、あの人はいないだろう。
 あの人はもう社会人で、義務教育下にいる自分とは違って自由だから、あちこちを放浪しているのだ。
 だからこそ自分は、彼と一緒には住まずに施設にいるわけだし。

 それでも訪問する理由は、スペアキーを貰っているから。
 勝手に上がって適当に過ごして良いと言われているので、今日はあの家にあるたくさんの本を読んでのんびり過ごそうか。

 そう思っていたのだが、実際に訪れてみれば。


「電気、付いてる」


 三階建ての、一階のリビングあたりから光が漏れているのを見つけ、しげるは思わず呟いた。

 珍しい、あの人がいる。
 ……そうか、今日はあの人と過ごせるんだ。

 らしくもなく、心が躍動していくのを感じた。
 ギャンブルの相手をしてくれるだろうか、それともあちこち行った時の話を聞かせてくれるだろうか?
 夕飯には、手料理作ってくれるかな。

 あれこれと想像しながら、玄関のチャイムを押した。
 待っていると、すぐに玄関の明かりが灯される。

 カチャリと鍵が開き、ドアノブが回されて。


「はい、どちら様で……」


 現れた人物を見た瞬間、しげるは僅かに眼を眇めた。

 出てきたのは、あの人じゃなかった。
 友人なのだろうか、普通に黒髪をした、普通の男だ。
 あの人の交友関係は知らないが、家に連れてくるなんて、それこそ珍しい。
 もしかして初めてなんじゃないだろうか。

 しかも男は、こちらを見たまま唖然とした表情で固まってしまっている。
 これは話し掛けるだけ無駄に見えたので、戸惑う男の横を通り抜け、勝手知ったる家に上がった。

 とりあえずリビングを覗けば、ソファから銀髪の後頭部を見つける。


「アカギさん」
「ん?…ああ、しげるか。いらっしゃい」


 声を掛けると、アカギはソファから立ち上がり、こちらへとやってきた。


「何か飲む?」
「コーヒーが良い」
「じゃあミルク入りでね」


 頭を撫でられて、それから両頬を包まれる。
 あったかい掌にほぅと息を吐けば、くすりと小さく笑われた。


「お前、凄く冷たくなってる。鼻の頭まで赤い」


 頬があったかくなってきたら、今度は耳を覆われる。
 まるで母親が小さな子供にするような扱いだが、でも不快は無くて。
 むしろ、心地良い。

 それは学校という小さい箱に毎日ちゃんと来いと言い、普遍的なものに全てを当て嵌めハミ出るものに説教する教師や、雀荘なんて子供が来るような場所じゃないと、戦う前から見下してくる連中とは違うから。
 こんなふうに唐突に来ても、久しぶりに会っても、ただ受け入れてくれる。
 ここに来る事を施設に告げてきたかという確認が無いのは、そういう事はちゃんとやれる人間だって、わかってくれているから。
 学校に行ったのかと施設でよく聞かれる煩わしい言葉も、自分がそれらに全く興味が無く、聞かれるのも不快だって事、何も言わなくてもアカギは理解しているから。

 ちゃんと自分を見てくれて、大切に思ってくれているからなんだろう。


「……ん。もう大丈夫」
「じゃあソファに座ってな」


 もう一度ぽんぽんと頭を撫でられて、アカギはキッチンに立った。

 コートを脱いで、リビングの隅にあったポールハンガーに掛ける。
 再びソファへと眼を向けた視界に、さっき玄関で会った男が所在無さげに立っているのが映った。
 眼が合うとぺこりと頭を下げられたので、同じように軽く会釈する。

 ギャンブラーか、と気付いたのは、左指。
 視力2.0の両眼が、彼の左指四本の根元に切断した痕を捉える。
 男はアカギに声を掛けられると、少しほっとした様子で彼の傍に歩いていった。

 座って待ちつつ、背後から聞こえてくる会話に耳を傾ける。


「カイジさんもコーヒーで良い?」
「ああ。……つうかお前、弟がいたのか」
「ええ。言っていませんでしたっけ?」
「聞いてない。いや、俺が聞かなかったからなんだけど。お前に家族がいるなんて想像していなかったから」
「まぁ、そうかもね。ちょっと複雑ではあるし」
「複雑?」


 二人がコーヒーを持ってリビングにやってきた。
 マグカップを受け取り二人の様子を見ていると、アカギが自分の隣にカイジと呼ばれた男を座らせた。
 アカギは彼とは反対の、自分の隣に座る。


「俺達、名前が一緒なんですよ。ざっと説明すると、父親が何人かの女性と躰の関係を持っており、けれど家庭を持つような人では無かった。当然、女性達はそれを承知していました。その為、俺の母親は身篭っても彼には言わず、こっそりと一人で産み、想い人と同じ名前を俺に付けた」
「……お前の父親、酷い人なのか?」
「いいえ、凄い人でしたよ。ギャンブルに関してもですが、何よりも人間性が。母が交通事故で五歳の頃に死んで、その後父親と名乗り出てきたその人と七年ほど過ごしましたけれど、彼の影響で今の俺があると言えるほどには凄いです。誰もが魅了され惹きつけられる人だった。彼と関係を持った女性の全員が、女性の方から迫ったという話ですし。ただ、父は十年前に亡くなりました。アルツハイマーになった為、何もかもを忘れる前に、自らの命を絶った」


 アカギが淡々と話す内容を、しげるは黙って聞いていた。

 自分には、父親との面識が無い。
 自分を産んだ母親によって、幼少の頃に写真で見た程度。
 しかも十年前に父という存在が死んだ時、母は悲しみのあまり気が狂ってしまったらしい。

 らしいというのは、そのあたりの記憶が全く無いから。
 狂いすぎて、愛した人間と同じ名前の子供…しかも彼の遺伝子を強く引き継いでいる自分と心中する為に、殺そうとしたらしいのだが。

 気付けば、当時十二歳の兄に抱きかかえられていた。

 ―――『お前を、迎えに来たよ』。

 そう。
 その言葉があまりにも鮮明で、実は父親の写真は覚えていても、自分を産んだという母親の事はさっぱり覚えていない。


「しげるの母親は、いきなり現れてしげるを助けた俺を見た瞬間、俺の目の前で自らの心臓に包丁突き刺して死にました。結局俺が父親から受け継いでいた赤木の籍にしげるも入れたので、同姓同名になっている状況です」
「そ…うか」


 カイジはかろうじて声は発したが、きつく眉間に皺を寄せていた。
 そうだろう、友人からいきなりこんな話をされたら驚くものだ。
 ただしやはりアカギが家に連れてくるほどの人なだけあって、こちらを見下ろしてきた表情に悲愴さは無く、同情めいた眼差しも無い。
 わしゃわしゃと、ちょっと乱暴に頭を撫でられただけ。


「で、しげる。この人は伊藤開司さん。俺の恋人」
「ぶはっ!」


 カイジが飲んでいたコーヒーを喉に詰まらせ咳き込んだので、頭から手が離れていった。
 すると今度は、乱れた髪をアカギが梳いてくる。


「お、お前なぁっ!いきなりそれバラすなよ!こちとら会ったばっかで、距離測りかねてんのに!」
「しげるに隠し事するつもりだったんですか?そんなもの、速攻で見破られますよ。俺の弟なんですから」
「そ、……そうかもしれねぇけど。でも流石に、恥ずいっての…」


 頭上で交差される会話に耳を傾けつつ、なるほど納得と心の中で呟いた。
 同じギャンブラーで、友人で、恋人なら、弟の事も話すだろう。
 これからもずっと一緒にいる相手なら、頷ける。

 でもそうなると、自分はこれから独りになるんだろうか。
 そう考えたのは、一瞬だけだった。


「だいたい、距離なんて測る必要など無いじゃないですか。ただ戦えば良い。カイジさんもしげるも、それで互いの事がわかる。…そうでしょう?」


 ギラリと輝く双眸が、刃物のような鋭さでもって容赦無く射抜いてきた。

 ああ、やっぱりこの人の狂気は、この世で最も好きだ。















 トントンとトランプをテーブルに当てて纏めていると、目の前に座っていたカイジは立ち上がり、ソファに座り直した。
 本当はもっと戦っていたかったけれど、そろそろ夕飯が出来るだろうと切り上げた。
 折角アカギが自分の為に作ってくれているのだから、暖かいうちに食べたい。

 カードをケースの中に閉まっていたら、じっとこちらの手元を見ていたカイジが、声を掛けてくる。


「えっと、しげる…?で、良いよな。その……兄貴を取っちまって、ごめんな?」
「……どうして謝るの」
「だって、お前の戦い方、アカギにすげぇ似てたから。しげるはアカギが大好きなんだなって思ったら、かなり申し訳無くなって…」


 戦えば、互いの事がわかる。
 そのアカギの言葉は、的確だ。

 カイジの言うように、今までアカギのギャンブルに似ているかどうかは気にした事が無かったのだが、確かに自分はアカギが好きだ。
 アカギがいるから、自分は生きている。
 彼がいるからこの年齢ですでに闇世界の広さを知り、自分もまた狂気を求めてギャンブラーとして生きたいと思えた。
 彼に憧れ、血の繋がっている兄弟である事がとても誇らしいと同時に、いつか必ず越えたいという目標でもある。

 そんなアカギが、何故カイジを選んだのか。
 たった三十分トランプをしただけだが、理由がわかった。

 彼らは、狂気の質が似ている。
 互いに、人を殺すほどの狂気を持っている。
 そしてその傍に大きな優しさがある。
 アカギのそれは深海の闇のような静けさだけれど、カイジのはふんわりとした陽の光のようだ。

 互いに、それに触れているのが心地良いのだろう。


「そう、だね。相手が普通にそこら辺にいるような人だったら、今すぐにでもここから出て行けって言っていたかもしれないけれど。でもアカギさんが選んだ人が、そんな人だなんて有り得ないのは初めから察していたよ。類は友を呼ぶって言うし。それに俺、カイジさんの狂気も好きだな」
「しげる……」
「だからまぁ俺からは、アカギさんの事よろしくお願いします、って言葉になるんだけれど」
「あ………さ、サンキュ」


 よっぽど嬉しかったのか、カイジは頬を赤くし口元を押さえながら、もごもごと礼を言ってきた。
 先程のトランプ勝負での甘さといい、この素直さといい、少しギャンブルに向いていない性格をしているようにも思えるけれど、垣間見えた狂気は確かな鋭さを持っていた。
 もしかしなくても、命を削るような賭けでないと強さを発揮出来無いのか。


「ところでしげるは、アカギと一緒に住まないのか?家もあるんだから、わざわざ施設に住まなくても」
「アカギさん、ギャンブルでいない事多いから」
「そう、なのか。あー…そういや、んな事も言ってたな」
「この家を建てたの三年前だったけれど、一年以上空けている時があったくらいだしね。今はもう中学生だから良いかもしれないけれど、流石に小学生だった時はさ。一人置いておけないでしょ。それにアカギさんが十五の時までは、一緒に施設に住んでいたし」


 アカギは中学の頃には施設に帰ってこない事がよくあり、中学卒業で完全に施設から出た。
 でも一週間に一度は会いに来てくれたし、部屋に泊まっていって一晩中一緒にいてくれた。
 十九になって家を建てたと言って、何の躊躇も無く鍵をくれた。

 一緒に住みたいと考えた事は、一度も無い。
 アカギはギャンブルをやってこそだ。
 ギャンブルをしないアカギなど、アカギではない。

 もしギャンブルという火への焦燥に駆られながらも、感情を押し殺して自分の傍にいたのならば、彼に憧れを抱きはしなかっただろう。
 それほど彼にとって、そして自分にとっても、ギャンブルは必要なものだ。


「寂しくないのか?」
「寂しい?……わからないな。ただ、さっきアカギさんとカイジさんがここで一緒に住むのなら、俺は独りになるのかなとは、考えたけど」
「………それって、寂しいんじゃねぇか」


 カイジは難しい顔をして、ぽつりと呟いた。
 多分違うと思うのだけれど、やっぱり明確にはわからなくて首を傾げていたら、アカギがキッチンの方から出来ましたよと声を掛けてくる。
 とりあえずは、夕飯を食べる為にダイニングテーブルへと移動した。

 テーブルに置かれていたのはシーフードのパエリアとスープと、サラダだった。
 有頭エビが三個にイカやあさりが入っているパエリア。
 かなり手間の掛かる料理だったはず。


「な……なぁ、アカギ。すげぇ気合入ってないか?」
「そうですか?使っている材料が豪華に見せているだけで、それほど難しくないですよ」


 アカギの向かいと隣に料理が置かれていたので、しげるは隣に座った。
 どうしてか憮然としているカイジだが、アカギは全く気にせずいただきますと言うので、さっそく一口食べてみる。


「…うん、美味しい」


 施設で調理師や先生が作るものとは全然違っていて、本当に美味しい。
 高級店に行った事は無いが、アカギの作るものは味付けが凄く好みだし、見た目も綺麗だ。
 プロ顔負けなのではないだろうか。


「…おま、これ……美味すぎるだろうが…っ!なんなんだよお前!」
「いつも言っていますけれど、普通に作っているだけですよ?」
「絶対可笑しいって!」
「…美味しいと、いけないの?」


 何故怒っているのかわからなくて聞いてみたら、カイジはぐっと喉を鳴らしたあと、そっぽを向いてしまった。
 答えたのは、アカギだ。


「カイジさん、料理ですら俺に負けているのが悔しいんだって。ギャンブルでいつも勝てないから、せめて他のものでという事らしいけれど」
「ふーん。…カイジさんの料理は、不味いの?」
「素朴」
「おおい!そうかもしれないけど、もうちょっと何か言い方があるだろ!?」
「嘘。美味しいです。俺は好きですよ、カイジさんの手料理」
「おっ………おま、そんっ」
「あらら、顔真っ赤」


 どうやら、アカギの方が何枚も上手のようだ。
 そしてだいぶバカップルだ。
 アカギは普段通りだから、カイジの過剰な反応がそう見せているのかもしれない。


「そ、それよりも、しげるの事だけど!お前、ここんとこは家にいるんだし、一緒に住めよ!」



 唐突な言葉に、びっくりしたのは自分だ。
 思わず食べていた手を止めて、隣のアカギを見る。
 すでに食事を半分以上食べ終わっている彼の表情は、全く動いていない。


「しげるが言ったの?」
「ち、…違ぇけど。でもしげるはまだ十三だ。お前も十代だったら仕方無いけど、もう二十歳すぎて金も稼げてる。だったら一緒に暮らすもんだろ。仲が悪いならともかく、すげぇ良いしよ。いざという時は、お、俺もいるし……」


 そうか、アカギはカイジと付き合うようになって、ここにいる時間が増えたのか。
 腰を落ち着かせているのなら、可能かもしれないけれど……でも、本当に良いのだろうか?

 じっと見ていたら、アカギはついとこちらを見やってきた。


「しげる。お前、雀荘に行った事はある?」
「あるよ。半年前からだけど、もう何度も行ってる」
「そう。じゃあ今だったら、俺と一緒に行けるね」


 少し嬉しそうな声と柔らかな微笑に、一瞬にして悟った。
 ああ、そういう事だったんだって。


「アカギさん。もしかして、待っててくれた?」


 頭を撫でられた。
 間違っていなかったらしい。


「俺が連れていく事は簡単だ。でもお前が自らの意志で行くようにならないと、意味が無いから。自らが戦いを求める衝動に突き動かされてこそ、命を賭けられる。命を捨ててこそ、勝ちを見出せる」


 彼の言葉は、一つ一つが身に沁みる。
 そう、ギャンブルは、もし負けた時に自分で全てを背負わなければならない世界だ。
 他者に誘われたからと、軽々しく足を踏み入れるべき場所ではない。

 だからアカギからは、一緒に住もうと言わなかったのだ。
 俺自身が戦いを求めるまで、待っていてくれた。


「それで、どうするの?お前の口からは聞いていないけど」
「俺、アカギさんと一緒に住みたい」
「わかった。じゃあ施設には電話しておくから。明日は荷物を取りに行こうか」


 簡単に了承してくれて、嬉しかった。
 でも照れくさくて俯こうとしたら、視界に映ったカイジがとてつもなく嬉しそうに笑っていた。

 なんか……この人ちょっと…いやかなり、恥ずかしいかも…。





  ...end.


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アカギとしげるが同時に出てくる設定を考えていたら、こうなりました。うう、赤木さん…っ!(涙)
このまま書き続けたら確実に3Pエロになるので、自重。

2012.02.05
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